胃袋をつかむ、とろんプルーンなお肉
江田 吏来
とろんプルーンなお肉
娘はニンジンが大嫌いだ。
ニンジン好きの女の子が馬になった人形劇をみて、得体の知れない恐怖を感じたらしい。それからニンジンを食べなくなった。
たくさんニンジンを食べても、人は馬にならない。何度か言い聞かせてようやく食べるようになったが、苦手意識は根深いようだ。
「みーちゃん、ご飯よー」
妻の声に、娘は会心の笑みを浮かべて食卓についたが、すぐに顔を曇らせた。
今晩のメニューはカレーライス。
食欲をそそるスパイスの香りが漂っているのに、ホクホクの黄色いジャガイモよりも、赤いニンジンが目立つ。
「お父さんのと交換して」
俺のカレーは、野菜よりも肉が多かった。しかし味付けが娘のカレーとは違う。
断ろうとしても「お願いします」とすがるようなまなざしで、まん丸の目をウルウルさせている。
かわいい娘の頼みは断れなかった。
俺はカレー皿を持ちあげて交換しようとしたが、すぐさま妻が口を挟んできた。
「お父さんのカレーは辛いから、口から火が出ちゃうよ」
「それはヤダ」
「みーちゃんは、もうすぐピカピカの一年生になるんだよ。ニンジンもしっかり食べなくちゃ、給食のときに困るよ」
「それなら……ちゃんと食べる」
かっこいい小学生になりたい娘は、観念した様子でスプーンを握った。
「いただきます」
ニンジン以外はおいしそうにパクパク食べていた。だがニンジンをすくってしまうと、萎れた花のよう。
それでも娘は負けなかった。
苦々しい顔でニンジンを見つめてから、目をギュッとつぶって口のなかへ。
――偉いぞ! がんばれ!
俺は心のなかで大声援を送りながら、応援旗をブンブンふりまわしていた。同時にチラッ、チラッと妻の顔色をうかがいながら、助け船を出すチャンスをさがす。
ところが娘の手が止まってしまった。
「もう、ムリ」
「食べなさい」
間髪を入れない妻の声に圧を感じる。
娘は不機嫌を凝縮した顔でムスッとしても、百戦錬磨の妻には勝てない。
お残しは許されないから、スプーンの背でニンジンをつぶしはじめた。できるだけ小さくして食べる作戦のようだが、見た目がとても汚い。
もっときれいに食べるように注意するべきか。それとも苦手なニンジンを残さない工夫をしていると、褒めるべきか。
悩んでいる間に、妻の厳しい声が飛んだ。
「みーちゃん、汚いからやめなさい」
「食べようと思ってがんばってるのにーッ。それじゃ、もう食べない」
「あーあー、ニンジンを全部食べたら週末のバーベキューで、とろんプルーンなお肉を作ってあげようと思ったのに」
「なんだってッ!」
俺は思わず立ちあがり、ガタンと椅子が鋭い音を立てていた。
妻が作る、とろんプルーンなお肉は胃袋をつかむ絶品だ。
そのうまさを思い出しただけで、よだれがこぼれ落ちそうになる。
「とろんプルーンなお肉って、なあに?」
「お肉のかたまりを煮込んだ料理よ」
妻の説明に、俺は「違う!」と叫んでいた。
「醤油と蜂蜜で煮込んだ肉のなかに、甘い果物をからませてやわらかく、とろん、とろんに煮た料理だ」
「わあ、おいしそう」
娘の顔に笑顔が戻った。
それが嬉しくて、饒舌になっていく。
「肉はいい。じっくり熱を加えて味が染みこむ料理もいい。クツクツとうまそうな音が続いて、まろやかな醤油の香りが広がるだろう」
「うん、うん」
「できあがりに箸を入れると、驚くほどやわらかい。ぷるん、ぷるんだぞ。それからほんの少しの力で噛みしめると、口のなかにジュワーッと肉のうまみと甘さがあふれて箸が止まらなくなるんだ」
「甘いの大好きー。みーちゃんも食べたい」
「それなら、ニンジンを食べなさい。お父さんも、座って」
妻の冷静な声に、娘とふたりでショボーンとなった。
横目で娘のカレー皿を確認すると、ニンジンはまだまだ残っている。
俺は胃袋をつかむ、とろんプルーンなお肉がどうしても食べたい。
「みーちゃん、さっきお父さんが話した肉料理には続きがあるんだ」
「えー、なになに」
「バーベキューで食べるのが、本物のとろんプルーンなお肉なんだ」
「クツクツ煮た、とろん、とろんじゃないの?」
「ほら、バーベキューはお外で肉を焼きながら楽しむだろ。バーベキューグリルに大きな鍋ひとつだと寂しくないか? みーちゃんの大好きな焼きマシュマロができないぞ」
「それはヤダ」
「そこで登場するのが、とろんプルーンなお肉だ」
鍋にかたまり肉と種なしプルーンを入れて、醤油や蜂蜜で味を調えた煮込み料理が完成していれば、あとは簡単だった。
「家で作ったかたまり肉を適当な大きさに切って、軽く炙るんだ。そうすれば冷めた肉もふんわり、しっとり。うまそうな焼き色がついた表面は、カリッとジューシー。最高だろ」
舌が味を思い出すと香りまで楽しめそうで、鼻から大きく息を吸った。
「煮込み料理もうまいが、肉は豪快に炙って食うのが一番だ」
炎の熱さに顔をしかめながら、ジリジリと音を立てる肉を眺める。
肉にからまった煮汁が真っ赤な炭に滴り落ちれば、ジュッといい音を奏でて、香ばしいにおいが一面に広がる。
ああ、あの素晴らしい景色をもう一度味わいたい。
俺は気合いを入れ直した。
「仕上げはソースだ。煮込むときに使った種なしプルーンを、ざっくりみじん切りにするだろ。それを煮詰めれば、プルーンがいいあんばいに崩れてソースになるんだ」
「甘いの?」
「プルーンだからな。酸味のきいたほどよい甘さだ。もし肉を焼きすぎて焦がした場合でも、このソースがあれば大丈夫。やさしい甘さと香りがカバーしてくれる」
「すごいね」
「当然だ。煮込み料理のやわらかさと、焼いた肉の歯ごたえ。どちらも両方楽しめる。そこにプルーンソースをからめたら、みーちゃんも夢中でかぶりつくぞ。ほら、残りのニンジンを食べるだけで、究極のうまさがギュッとつまったとろんプルーンなお肉にたどり着けるぞ。さあ、どうする?」
「ニンジン、食べる!」
「よし、それじゃがんばって」
娘は大きく頷いてから、勢いよくニンジンを食べはじめた。でもすぐにスプーンが止まってしまう。
「……マズい……おいしくない」
こうなったら最後の手段だ。
俺はカレーライスをおかわりして、妻が席を離れた隙に娘のニンジンをすべて平らげた。
「あら?」
戻ってきた妻は、ニンジンだけがきれいになくなったカレー皿をみて立ち止まっている。
娘が満面の笑みを浮かべているから、素早く察知したのだろう。鋭く冷たい視線をぶつけてきた。
いつも娘に甘いから、今回もこっぴどく絞られそうだ。
地雷を踏んでしまったかもしれない。
ビクビクしながら妻の顔色をうかがっていると、盛大なため息をつかれたが、意外にも笑顔をみせた。
「お父さんもとろんプルーンなお肉を作るとき、ちゃんと手伝ってよね」
「まかせとけ!」
「やったー」
娘とハイタッチをして喜びを分かちあう。
厳しさのなかにやさしさを持つ妻は、いけないことでも時々見逃してくれる。そのタイミングが絶妙で、尊い存在だ。
「ありがとう」
妻に礼を言って、カレーライスを口に運ぶ。でも頭のなかは、胃袋をつかむとろんプルーンなお肉でいっぱいだった。
こうなるともう、週末が待ち遠しい。
いい年をしたオッサンが、遠足前の子どもみたいにそわそわしていた。
胃袋をつかむ、とろんプルーンなお肉 江田 吏来 @dariku
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