第一部 パノプティコン
炎上商法
「で、そのストーカーはもう大丈夫なの?」
神﨑は窮屈そうにモニターを覗き込みながらたずねる。
窮屈そうなのは、修治と鉋奈も同じモニターを覗いでいるからだ。
そのふたりが押し合うように肩を寄せている後ろから、彼が胡散臭そうに顔を覗かせている構図なのである。
「ちょっと、おっぱい触らないでよ」と鉋奈は口を尖らせ、修治を睨みつける。少し肩が触れただけのはずなのだが。修治は取り合わないことにした。
「泳がせておけばいい。聞く限り、無害で善良な一般市民だ」
ひとりパソコンの前に座った忌奴は、すずしい表情で言う。
そのパソコンに映し出されたのは、『ステータス・レッド差別を許さない』とケバケバしい赤文字で表示されたサイトである。
「……にしてもひどいセンス。ボクだったらもうちょっとマシなデザインにするのに」
神﨑は不服そうに言う。
「わざとやってるんでしょ~?」と惣一郎は、ひとり距離を取り、壁の的へダーツの矢を投げている。
「センパイ、意地悪だもんね~?」
「素人っぽいほうがいい。弁えていないからと叩きたい奴も現れる」
「ふ~ん、要は釣りってわけね?」
鉋奈は胡散臭そうにグイと顔を突き出し、下品なフォントの文字をにらみ付ける。
「呑み込みが早いようで結構だ。釣りをするのはお前自身だからな」
「は?」
鉋奈はあからさまに醜い表情を浮かべる。
「なんのためにゲーム実況者なんか雇ったと思ってるんだ。顔出しはお前の専門分野だろう?」
「まさかあんた……」
「そのまさかだ。お前の配信でこのサイトを取り上げてもらう」
「はあ~~~~~?」
「なんなら直接紹介する必要はない。お前が今の境遇へのヘイトをぶちまければ、それでな」
「炎上商法ってわけだね」と、神崎はにんまり笑う。「目的はあくまで引っ掻き回すこと。鉋奈ちゃんの仕事はピエロになることだね」
「お前に失うものはない。そうだろ?」
忌奴にたずねられ、鉋奈はしばし硬直し、頭を抱える。
「構ってちゃんってことでしょ? 私のキャラがさあ……」
「君は最初から構ってちゃんだったと思うが……」と修治は口を挟むが、
「しゃあねえ! そこまで言われちゃ、やるっきゃねえわ!」と鉋奈はやけくそ気味に声を張るのだった。
狼たちは低い声で笑っている。
「存分に煽ってくれ。敵の親玉が首を出すまでには、な」
忌奴は、あくまで楽しそうだ。
「親玉……?」
対する鉋奈は、とことん怪訝そうである。
「騒ぎがデカくなれば、連中も黙っちゃいないだろう。そのときお前に対して、何かしらのアクションがあればこっちのもんだ」
忌奴は確実にバビルのことを言っていた。そう言われた鉋奈は、なぜか修治に救いを求めるような目を向ける。
「君が敵の尻尾をつかめってことだ」と修治はその視線に答える。鉋奈の表情からは、いよいよ生気が抜けていくようだった。
「ま、気楽に行こうよ、期待の新人さん」
神﨑はまったくの他人事という感じで、鉋奈の肩をポンと叩く。
「じゃ、ボクも出てくるとするよ」
「シュウ、今日は戻るのか?」と、すでに出口へ向かいつつある神崎に、忌奴は声を掛ける。
「いや。遅くなりそうだし、遠慮しておくよ」
振り向きざまに言った神崎は、忌奴と束の間、視線を交わしたように見えた。
その意味を修治が考える間もなく、ひらひらと手を振ってミディアムパーマの後ろ姿は去っていってしまうのだった。
「あ~あ、結局アタシは叩かれ役か~」
鉋奈はまるでため息のように言うが、言葉ほど気に病む様子もない。
「ね、アタシの機材届いてる?」
「今朝、受け取っておいたよ~」
そんな答えを惣一郎から得ると、「さんきゅ~」と言いつつ、リビングを離れていく。
向かった先は廊下の途中の一室だが、その扉に手を掛けたところで、ふと修治と目を合わせる。
「手伝ってよ?」
お前に断る権利はないと言わんばかりの言い草に、修治はため息ひとつで従った。
ストーカー調査以降の任務はまだ言い渡されてはいない。しばらくは同期たる彼女と共に行動することになりそうだった。
さて、廊下の一室に入ると、そこは小さな窓がひとつあるだけの薄暗い部屋だ。
そうかと思えば、一丁前に天窓まである。その天窓のほうへロフトの張り出しスペースがあり、どうやらそこがベッドになっているようだ。
薄暗く感じたのは、その空間がだいぶ広いせいかもしれない。
鉋奈は、部屋の中央に積まれた段ボールを前に、「う~ん」と腕組みしている。
傍らには、大きなデスクと物々しいチェアまで据えられている。
「これ……全部配信機材なの?」と、修治はその後ろ姿にたずねる。
「だねだね。小さいスマホでこそこそやってるとでも思ったわけ?」
「ゲームなんて小さい頃にやってたきりだからね……」
「携帯機だったらそうかもだけどさ~。格ゲーは周辺機材ゴツゴツしがちだし、パソコンにせよカメラにせよ、こだわりはじめたらキリがないんだよ~」
鉋奈はそう言いながらも、重そうな段ボールの山の梱包に取り掛かっている。
いかんせん背丈が低いから、危なっかしいことこの上ない。修治は黙って彼女の抱える段ボールを引き取ると、重そうなものから順に床に置いていった。
「さんきゅ。気が利くね~、さっすが元オンナ持ち」
褒めているのだろうが、表情も言葉もイチイチ棘がある。
「気が利かなかったら利かなかったで、今度は嫌味を言われそうだからね?」
「そん時は尻叩いてしつけてやんよ。感謝してほしいくらいだよね」
鉋奈は段ボールから大きなモニターを取り出し、ずいぶん手慣れた様子でそれをデスクの上に据える。
「なんというか、見直したよ」
残った段ボールの封を解きながら、修治はおもむろにそう言う。
「なにが~?」
「君のこと、正直なめていたかもしれない。こんな難しそうな機材を使いこなして、真剣に活動していたなんてさ」
「そりゃ、プロだからね~。ま、スポンサー付いてた頃に、全部経費で揃えた奴だけど。後援蹴られても、この子たち取り上げられなかったのは幸いかな。そこはまあ、どんなに悪く言われても、感謝はしてるんだよね」
なめていた、と伝えて、修治は怒られると予測したものの、鉋奈はだいぶ素直だった。
「……こんなぞんざいに扱われて、君は怒ると思ったけどな」
「宿無しクソ女の身の上で、そんな強気に出れないよ。アタシ、意外と義理堅いよ?」
「どうも、そうみたいだね」
修治が素直に認めるので、鉋奈は手を止めてちらと彼の方を見やるようだった。
「なによ、拍子抜けもいいとこなんだけど」
「君のそういうところが、構ってちゃんなんだよ」
「じゃ、プロの構ってちゃんになるよ。バビルの連中も構いたくなるような、大物にね」
「それは、大きなリスクを負うことにもなる」と、修治の語気は不意に強くなる。
「ネットの悪意は際限がない。命にだって関わることもある。僕は、君ひとりに重荷を負わせるやり方が、正直、納得できない」
不意な荒っぽさが、どうやら己の心配をしてくれているものと理解したらしく、鉋奈は困ったような微笑を浮かべる。
すぐには答えようとせず、彼女は無骨なチェアに収まると、慣れた仕草で足を組む。
「あんたは優しすぎるよ。あんたの恋人さんはきっと繊細すぎたんだね。みんながみんな、そうとは限らないでしょ?」
「でも、紫乃だって、はじめは平気でいたんだ。君だって、現にストーカー被害に遭った。もしも何かあったら……。僕は、紫乃のときのような想いをするのは……」
「じゃ、アタシのこと、護ってくれる?」
鉋奈のその言い方に、修治はドキリとする。
忌奴に「護ってやれ」と冗談じみて言われたときとも、また違っていた。
「アタシが、さらわれたときみたいにさ……」
鉋奈の言葉には、わずかばかりの曇りがあった。
「あのときのようにはならないよ」
修治は気持ちを鎮めながら、言う。
「だが、君に火の粉が降りかかるなら、それを払うのは、僕の使命だ」
「なら、アタシは安心だよ」
幾分か余裕を取り戻して鉋奈は言う。
その言葉は確かに、彼への信頼を伝えているように思われた。
Status Red -ステータス・レッド- えぎりむ @egirin_sou
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