第三十九章 くやしいってさけべたら

 鈍痛に飛び起きたエイルは激しく咳き込んだ。


「あだッ!? っておい起きたじゃん!」

「エイル! ああよかった……本当によかった……!」


 突然目の前が明るくなったかと思ったエイルはシノの抱擁を受けた。聞けば案じる声には嗚咽が混ざっており、摩り付けたエイルの頬が彼女の涙で熱くなる。


「しっシノちゃん、いたい……! わかったから一旦――おちるおちる!?」


鬼人オーガ〉の腕力は木を根元から引き抜く力がある。故あって今は弱体化しているシノは、自らの種の真価を引き出せないとはいえ、エイルの細首なら片手でも貧相な胴から分離も容易かった。


 定まってきたエイルの視界が、腕の中で早くも白み出す。水の中で溺れるのとはまた圧迫感が違った。自分と違って、視えているはずなのに、シノはシノで全然力を緩めてもくれなかった。


 そして。どういうわけか、エイルがどれだけ待とうとも、スキルは身体を癒してはくれなかった。体力だけはただただ擦り削れてゆく。


 ――〈超回復〉を発動しました。


 フレイヤの声は途切れることなく、今もエイルの耳に届いていた。


「――がッ!! あ……ごめんなさ、エイル……!?」


 いよいよ視界の端で血の影が細々と糸を引き始めたという――すると突然シノの腕は無重力にさらわれたように解け、エイルの身は横に並ぶ形に倒れた。


「わたし……動揺して、エイルになんてこと」

「へいきへーき、もう治まってきた」


 自然とエイルの口をついて出たそれは、シノを落ち着かせる一心で吐き出した方便ではなかった。しかし女神の神託から始まった治癒は確実に、普段と比べると鈍い。首回りから優先して気道を確保してくれている。とはいうものの手足の実感はひどく希薄で、地面に突いた手は豆腐を掴んでいるかと。


「あーあ。わかってたのに、言わんこっちゃねぇな。したら、いよいよおれひとりになっちゃうじゃないかよ」


 拳で腰を両側から押さえたイタメリ。諦観のようにひとりごちた態度にエイルは疑問の眼差しを輝かせ言った。


「え。シノちゃんも……回復が、遅い……!?」

「大抵の傷は程度を無視して治せるみたいだな。仲間に効果を分配できるってこたぁ……やっぱりエイルの〈固有ユニークスキル〉なんだな」


 目敏めざといドワーフに言い切られたとあってはもう。

 とはいえエイルには肯定も否定もできない。スキルを認めたその数だけ、自分では負えない危険が伴ってしまう。


「でも、なんでシノちゃんまで私みたいに」

「そりゃあお前さんの脳味噌にかかってた負担を肩代わりしてんだから、苦しむくらいするさ。おれが一発、お前さんを起こした時も吐きそうなのを我慢してたし」

「……エイルを殴ったの、おぼえてろ」

「蘇生が遅れてたら吐いたもん詰まらせて死んでたんだぜ? 二人とも窒息死さ」


 辟易を破るように立ってシノに睨んでこられ、宥めるつもりでイタメリもオーガを前にしてつま先立ちになった。


 そうして包み隠さないイタメリに言われてみたエイルは口周りと喉、鼻の奥を突く酸味に気がついた。あの鈍さはイタメリ、あるいは彼女の種族の蘇生術。いたく荒っぽいが溺死は免れた。


「シノちゃん、私に、私達になにしたの。私が気を失っている間」

「――わたしにしか、できないこと。エイルが腹の底から怒る最低なことだ」


 拙い、継ぎ接ぎだらけな、精いっぱいの笑顔だった。

 そんなシノの頭の中にも、エイルの女神の声が響いていた。


 エイルは目が視えない。あの出血で乱れた視界は、シノのものだ。


「わたしは進んで君と絆を結んだんだ。それを利用してエイルが怒ってくれるのは本望でも、せめて、そんな顔だけはしないで。たのむよ?」


 シノが手を取って励ますでもなく。エイルに、自分にまるで不甲斐ない自身を悔いる――そんな顔をする資格はない。奴隷契約は形式だけ。シノと結んだ絆は縛るための首輪でも、鎖なんかでもない。


 魔法だから目に見えないからじゃなく、繋ぎ合った手は、本当に目には見えないからに他ならなかった。それを一生を懸けてシノに照明しなければならなかったエイルが、苦しみを肩代わりさせてしまったら。


 それに対し、シノがなんの後悔も感じていなかったら、主従として完璧以外の何物でもない関係が成立してしまう。


「エイルの苦しみが! エイルの嘆きが! ああ、わたしの骨の髄にまで流れ込んでくるぞ! 肉の奴隷もエイルがご主人様ならご褒美だ!」


 溢れた鼻血は環を描き、その中でくるくるとシノはエイルに踊るように悶えてみせた。


「……。やっぱり私はシノちゃんの友達失格です! 苦しんでるのに、友達にこんなことやらせるなんて……!」

「“こんな”!?」


 顔も出せないくらい嘆いたエイルにシノは悲鳴を上げる。生々しい、本物の悲鳴を。


「いよいよもって壊れたシノをエイルが嘆いた、じゃあ、どうやらないみたいでおれはホっとしたよ。これも……お前さんらには日常の風景だったりするのかい?」


 俯き気味なイタメリの背後。

 戦いの苛烈さは最早極まるところを超えた。シノの目がれる場所。そのどこでも塵はけぶっていた。倒壊した、と言うには至る場に遺された惨状はエイルの理解度を遥かに。


 建物という建物。家という家。吹き飛ばされたその大半が更地で、屋根は地面、支柱の根は天上を仰いでいるではないか。


 街を一つ、一瞬の内に裏返した――それがたった二人、一対一の鍔迫り合いだったと知り、一体誰が信じられよう。


「あれは」

「雷が止んだと思ったら。もうずっとあそこでまわってる」


 気絶したエイルをシノと安全そうな建物の陰まで運んだイタメリ。翻って見た時、地上でのたくっていた稲妻は広い場所を求めているようだった。やがて適当な場所を当たった光は渦を描き出した。電磁の織り成す、獰猛で鮮烈な光だった。


 光は塵を巻き上げた。螺旋状に上気して、瓦礫は礫に、礫は粒子になるまで分解。そうして生まれた竜巻に回遊する雲まで吸収され、ついに夜空と地上を一つに繋げた。


 それこそ今エイルがシノの目を通して見える、あの巨大な積乱雲だ。街をおよそ半分飲み込む太さ。雄大に円転を繰り返す鉛の柱の裂け目で、たまに雷鳴が漏れていた。


「こっちにもうひとりいたぞー! 柱をどかすの手伝ってくれ!」

「はやく、はやくこっからだしてくれ! いてぇよ、あしがッ、おれのあしがァアア!」


 イタメリを塔から追ってきた冒険者達は負傷した仲間で足止めを喰っていた。

 幸い、救出するには彼らには十分な余裕が彼らには与えられている。雲を宵の空から喰らいながら、なお猛々しく成長する雲は街から上がった火の手を火種のうちに吸い上げた。取り込まれた火は瓦礫のおが屑に引火、稲妻に掻き立てられ時に爆発が起こっていた。


「まさか、あの中に……ヨトゥン=ハイさんが」


 確かめるまでもなく、スキルは止まず感覚を共有し合っている二人を苛んだ。


「エイル、わたしと、逃げよう。どこでもいいから……とにかく、遠くに」


 木屋は壊されても地下が無傷であれば。森に出て冒険者が使う運搬用のルートから街の外か出口に近い場所に出られる。森の出口もここに来るまで使った一つとも限らない。あの手の抜け道は複数用意しておくのが基本だろう。


「今なら追手に気を揉む必要もないだろうさ。だけどシノの期待しているような運は、森の中じゃ松明の火より役立たずだぜ?」


「……イタメリさんに、賛成です。ヨトゥン=ハイさんなしで、私達だけで、逃げ切れません」


「ああ因みに、おれはエイルの意見を代弁したつもりだから」

「気を遣わせました。大丈夫です、私の口で、ちゃんと言えます」

「――、なんだ。あの日見た、雷と」


 彼女が手を翳した。その一つだけが全てだった。繭玉が解けるように雷鳴はシノの故郷を焼き払った。忌まわしかった隷属の記憶も血と宿痾しゅくあを分けた姉妹も、敵と畏れた少年少女達、エイルと出逢えた山は霹靂のひと睨みに白と還された。


 それと全く同じ光に、トロルは囚われた。むしろ山一つを焼き砕いたそれより眩しい瞬きがあの繭玉に蓄えられている。シノにとって、あれがいつ破裂しても可笑しいことではない。


「怖がらないでください。あれは……彼女は、ヨトゥン=ハイさんを狙ってきたの」

「!? ――エイルも気付いて。いや……わたし以上のことを、君はきっと」


 抑えるべきとえた安堵。感覚が普段以上に共有されているので、微塵でも滲めばエイルに悟られる。


「わたしが顔を変えれば、エイルも釣られてしまう。わたしがするのは、君の表情にもなる。わたしは、君になんて顔をさせて――!」


 興味がトロルだけに向いている隙に、エイルと遠くに逃げたかった。逃げる必要は最初からない。そう教えてくれたのはトロルを一番知り、あの雷霆の騎士とも会話を結んだエイル本人だった。


「盗人くんだけにご執心だって知れて、そんなに嬉しいのかよ。安心して笑っちゃうくらい。まあ確かに意外ではあるわな。あのトールがここまでするかね」


『新界教』騎士団――第七師団長トール。通り名は『雷霆』。

 そしてもう一つ。『巨人トロル殺しの英雄様』。騎士団最強、人類種にんげん唯一無比と世界の果てから果てまで謳われる騎士は、トロルしか狩らない風変わりな人柄で別の側面でも有名だった。


 鈍重なトロルの影が差すところに、彼の騎士は雷を墜とす。転じて巨人の臭いがない場所には血の一滴も流れるのを嫌った。第七師団がただ一人の由縁は、師団長がただ最強だけではないとう。


「あいつだ、あの騎士がぜんぶやったんだ! 教会の犬が――俺達の街を!」

「声に出すと聞こえるぞ!? 死にてぇのか!」


 教会の目は星と並ぶ高さ。星自体が教会の監視ともいわれる。無法者でもわざわいは恐れる。憾みを心に過らせるのさえ絶滅の対象と捉えられてきた。


 トールとて、結局は神を笠に着て好き勝手に振る舞う他の騎士と変わらない。のは凄いが、トロルを倒すのに、家を崩して住民が下敷きになろうが構わない。


「イタメリさん。助けにきておいてなんですが。ひとつ、いいですか」

「おれも丁度、助けに来てくれた借りを返そうと思っていたところだよ。とはいえ、おれは鍛冶師だ。鉄を溶かす以外の能はねえけどな」


 それでもいいかい、苦笑を吐露したイタメリにエイルは、それを待っていたと。おもむろに服の袖を掴んだ。


「たのんでいた、ヨトゥン=ハイさんの武器って今から、つくってくれますか?」


☆★☆


 こういう意味でトールは言ったのか。便宜を図ると。


「煤くさい汚部屋も、外があんな有り様だと整理されているように見えるんだから、不思議だな」

「どの家も崩れているのに。ここは私達がいた時と、なにも変わっていませんね」


 認識を互いに共感している副作用とでも、二人の動作は言えるのか。シノが鍛冶場の隅を覗けば隣のエイルも気にするように俯き、天井を仰げば目隠し越しに視える景色に溜め息をつく。なんだか影合わせみたいなエイルとシノが、イタメリは大層微笑ましかった。


「ああ? ――ったく天災ってのは、全く、気まぐれで空恐ろくなるよ」


 できれば鍵も掛けたいイタメリだが、つがいが曲がり閉められない入口はトールとは関係なく彼女の後に来た冒険者が壊した。仲間の救助に手いっぱいで、見棄ててもこれまで貯えた財産は逃げた先で入り用になる。


 あれだけ好きに暴れられとあっては、回収には苦労する。一晩は、騒がしくしても連中の目に留まるのは杞憂と気持ちを軽くしてよかった。今さら、人質とか仇討ちとか、どうでもよくなっている方にイタメリは賭けた。


「酒場で奴は、トロル以外に、貴様の顔も知っていたな」


 少なからずヨトゥン=ハイのように、いきなり因縁を吹っ掛けられはせず、真っ当な会話ができていた。


 捲れ上がった地面を飛び越して、石畳を踏んだ瞬間からシノは気になった。イタメリの小屋は周囲の家屋を含め健在だった。


 あれが意思と思考を兼ねた嵐だとして、他はエイルのスキルで無限に再生するトロルの息の根を止めるべく、見境なく破壊しておいてこれは。


「シノちゃんの言いたいことは判るぜ。奴と、トロルの身柄を交換条件に取引でもしたって見ているんだろ? おれが出し抜けんのは、腹の内が読み合える、人間だけだ」


 占星術師でもあるまいし、とイタメリはシノに掌を返して嘆息。


 最初からヨトゥン=ハイの襲来を測ったトールに、イタメリと交渉する腹づもりなど。鍛冶場と、鍛造された武具さえ無事なら教会に持って帰るだけで事足りると算段をつけて街を破壊し尽くさなかったとさえ思っている。


「イタメリさんが冒険者から逃げて、自分の家に戻ってくるのが、始めから判って残したんでしょうか」

「エイルちゃんには判るのかい? トールの考えていること」

「いっいえそんな。ただ」


 エイルと離ればなれになったヨトゥン=ハイであれば、再会を信じて、合流地点が壊されないよう守ると。


 それと同じ。つまりヨトゥン=ハイとエイルの関係も、トールにもできる。エイルにはそんな気持ちが、前向きに考えられるのだ。


 妹とヨトゥン=ハイが打ち明けたのもあって、確かに容貌は瓜二つ。それだけじゃなく、酒場で声を掛けてきたトールは――この表現は誤り、過ちなのかもしれないが。


 人間狩りに追われ、森を逃げ惑っていたエイルが半ば錯乱状態で初めて遭遇した、ヨトゥン=ハイの面影があった。


「――“ただ”? おいおい、いいところでだんまりかよ」

「寡黙なエイル……薄暗いとことさらに絵になるな……!」


 シノの興奮が伝わってきて上の空から抜けたエイルは。


「……イタメリさん。ごめんなさい、状況が変わったのに、私からわがままを蒸し返すようなことを言って」

「えっ? ……いいんだよ。能がねえ、取り柄がねえと自慢にもならねえようなこと吐いておいて、武器を造れなかったのはおれの方だ」


 そうイタメリは往生したと己の恥を笑い捨てた。せめてもとはだけたエイルの袖を直してやる。


 炉は冷えた。斧に代わる武具を鍛えるための材料も揃ってない。

 完成品を溶かし鍛え直す手もある。だが一度鍛えた武具には、魂が籠もっている。職人が雪いだ心血とは別物、武具だけが持つ、固有のココロというものが。溶かせば二度と同じモノは宿らない。子を殺すのと等しい罪の重深さだ。


 親となった職人だけが、鍛えた武具の魂の意志が聴けた。


「おれが、丹精込めて鍛えたこいつらが、おれに囁くんだよ。“親父の武具には敵わない”って。新しい武具を造るべきじゃねえ――ってな」

「職人独特の屁理屈か。あの騎士の剣技に抗する得物が用意できないだけだろう」


 一度エイルを辱める気だっただけのことはあって、イタメリには剣のある非難をシノは浴びせた。


「シノも自分だけの武器を持てば判るさ。担い手は武具に命を預ける。武具は、己を振るうと認めた担い手に必ず応える。それがどんな相手でも。親父の斧は……担い手で振るい手でもあった親父を斬ったあのトロルに、握られるのを望んだんだ」


 森で襲われたエイルの救援に応えたのは、ヨトゥン=ハイともう『二振り』。

 

 すげぇ。すげぇ。イタメリは声を震わせる。足も、手、目も。


「あんな感動劇魅せられたなら、今ならいっとーすげぇもんが造れそうなんだ……! だけどエイルのわがままは聞いてられない。悔しくて意地張りたいってんじゃねえよ? ―― !!」


 乙女が柔肌を曝した。半端な覚悟で応えを返すと、それこそシノの頭突きであの岩みたいに粉々にされる。


「今のおれが用意すべきは、最速の新作じゃあねえ。最高の傑作。本当に運命ってのは面白いよなぁ、トールがここを避けてくれたお陰で……目の前にあらぁ!」

「完成、したんですか!?」

「というか。こんなの、使い物になるのか……?」


 壁に吊るされた弩弓。見上げるだけで眼球が焦げ上がりそうな魔力に溢れていた。


 ここから矢が射られる瞬間を、イタメリはいの一番に拝みたかった。

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トロルの児 霊骸 @satsuki_kotone1011

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