第三十八章 暗雲なる黒雷は降りて

 ヨトゥン=ハイが周囲を警戒。薄暗い空間は怪しいことこの上ないが、人気だけは確実にない確認を済ませ、後に控えたエイルを引き上げた。


 渋々と、シノもヨトゥン=ハイの助力に甘え、体重を彼の手に委ねた。節介などねつけてやりたい気はあって睨めても、音を立てては引き返さざるを得なくなる。


「抜け穴は貯蔵庫の暖炉に出るって聞いたけど。そもそも、なんでこんな道を掘って、森と繋げたのかしら……」


 眉を顰めたエイルは、女将への疑問をここに来て再発させた。現状では嘘を言っていないと自分達の五体がなによりも証明しているが、本人が不在だと、溜まった本音はつい口から漏れてしまう。


「ああ、そういうことだったか。ここと、ここに隠した荷がまだ無事を見るに逃亡は自主的。抜け道をエイルにあっさり教えた理由も納得がいく。我々がイタメリと戻れたら、取りに戻る気なんだな」


 人となりを勝手に値踏みされたエイルは、囁かれたシノの苦笑に耳を傾けなかった。ヨトゥン=ハイには物の価値を計る目を、始めから持たず興味も示さない。


 森側の出入り口は放置された石箱に偽造されていた。周辺に風除けとなる物がなければ、時間が経てば埋もれるし、位置と存在を知らぬ者の目は、自然物に還った残骸が土の中から覗いていると勝手に思ってもくれる。


 魔物目的で森に入る冒険者に遺物の目利きがないのを見越した、元々は〈岩削種ドワーフ〉用に掘られた秘密の通路なのかもしれない。


 魔物を避けて採掘した鉱石を街へ安全に運搬するのが目的か、森の方が出口に当たるとして、稀少な鉱物を街の外に横流しするためとも考えられる。横社会の種族で結束力が高そうなイメージを吹聴するほどの種族だ。太陽を避けて住んでいた者同士、親密性をシノは感じた。


「成り立ちなんぞ……どうでも、だな」


 どの街でも、似たような犯罪は裕福に暮らす上での作法みたいなものだった。関所で領主に通行税を払うのが嫌で、上級冒険者が獲得した素材や、貴族御用達の商人の持ち込む品は検閲を滅多に通らない。下民からは搾れるだけ搾り尽くす性格な領主も、使う道は裏の方だった。


 稀少素材の毛皮で織ったベッド生地。騎士に卸す予定の剣、鎧。見るだけで高純度の宝石の重みが伝わってきそうな木箱。犯罪者の巣窟を金と酒で潤わせる品々が揃っていた。


 悪人の家の暖炉は、いつだって冷え切っている、煤一つない、綺麗なものなのだ。


「あの娘の炉は、汚れて酷いものだった」


 思い出したシノは外の状況を、せめてエイルを外に出せると達観できる程度には把握したかった。しかし、用途が用途だけあり、小屋には出入り口(暖炉を除く)以外、開く戸は設けられていなかった。


「おかみ どこに つれていかれた しらない」

「本人が言ったことを繰り返さなくてもいい。エイル、エイルなら、捕虜をどこに置く?」


 判りやすく身を退いたエイルは、シノの真似をし顎に手をやると、様に入ったように重々と唸ってみせた。議論を解決させないと小屋から出る機会を逃ける。ただでさえイタメリが、無事かどうかも結論が立てられていない。


「えー……と。鍛冶場に、私は連れていくかな」

「鍛冶場……奴の家か」

「――う、うそうそ、ちゃんと考えますから! ええと、ええ~と……!」


 頭を掻くエイルには拉致した冒険者の策略より、イタメリがどこにいれば安全か且つ、救出作戦に優位に働くかの気持ちが勝っていた。


 血の気の多い冒険者に慈悲の心はないことくらい、受けが傷は癒えても痛いほどエイルは思い知ったばかりだ。特に手を焼かされたイタメリを、今になって丁重に扱う理由はなくても、多少手荒にしていい口実は、彼らに言わせれば十分過ぎる数がある。


 酒場の女将の証言によると、冒険者は仲間を殺したヨトゥン=ハイやエイル達の首を獲れれば、イタメリを商人の助けを借り奴隷に堕とすところまで計画している。実質、連中の賞品にされる予定のイタメリの運命は決まったも同然。


「イタメリさん、無事だといいな」

「――連中は、我々が来ると判って岩削種ドワーフを攫った。森にいる我々の動きを、どうやって確かめるつもりだ。人質と一緒に」


 広く路地の入り組んだ街でよそ者を見つけるのに、好都合な場所。他の構造物に隣接した場に陣取れば、側面や屋根から攻略される危険を一気に伴う。


「…………!! シノちゃんひょっとして、イタメリさんは!」

「エイルも気付いたみたいだな」


 逆に、イタメリに案内された二人にしか、そこは思い至れなかった。


「貴様は無駄に図体がデカいから、先頭を往け。屋根の陰から先でも頭を出してみろ、ケツを剥けるくらい蹴り上げるからな」

「シノちゃん、それじゃかえって見つかっちゃうよ……!」


 しかも蹴る係は、挟まれる形に護衛されたエイルだった。

 出入り口をこっそり開けたヨトゥン=ハイが、市街奥の十字路を覗いたのは、運がよかったとしか言えない。女神フレイヤの加護をひしひしと感じ胸を押さえたエイルに。


「こっち けるな よ けつ」

「ヨトゥン=ハイさんまで、そんなこと。もう」


 屋根の軒天から位置を把握したヨトゥン=ハイの先導、シノには後方で警護してもらいエイルは屈めた腰で壁をなぞる恰好で、街の中央へと迫った。


 ちょろちょろと鼠のように進む自分の尻を他人の視界を使って見ながら、人を助けに行くというシチュエーション。エイルは腰回りから妙な汗を掻きそうだった。


「誰も、いなくなってる」

「さすがはわたしのエイル。読みが当たったな」


 ここが街道から外れた裏路地というのを鑑みても、松明の熱と明かりはどこにも視えず。不気味なほど静まった街で息を殺したエイル達の不審さとは違って、人の気配は純粋に消えていた。


 街中の冒険者が、塔を陣地にイタメリと集まっている可能性は、これでますます濃厚になったといえる。


 曲がり角に差し掛かろうとした直前、ヨトゥン=ハイは拳を掲げた。後方に停止の合図を示したまま、陰からめつけていた視線をエイルに流す。


「とう うえ あかり うごいた」

「数は?」

「イタメリさんは。一緒にいましたか……!?」


 シノには冒険者の数を正確に伝達したヨトゥン=ハイ。


 続けられた表情、これが何とも掴みどころがなく、エイルは転じて引き下がった。


「きっと……塔の下、です」

「人質にわたし達の外見について、証言させるの価値はなさそうだしな。街に来てこっちからかなり目立ったし」


 巻き込まれたのは、むしろ、イタメリの方だろう。ヨトゥン=ハイと遭遇した夜から、彼女の受難は始まったのかもしれないと同情する、その反面。


 エイルや自分が、二人の因縁の巻き添えを喰らったのではと疑いたくなる。〈岩削種ドワーフ〉の斧をトロルが手に入れさえしなければ、生き別れた父娘おやこの複雑な事情とは無縁で旅を続けていた。


 巡る因果の形は、必ずしも、輪にあらず。外から引かれた一本の直線が他と絡まっているうちに、中心に辿り着くこともあった。


「えいる どわーふ ぜったい ぶじ」

「……そうですね。あのイタメリさんです、冒険者さんの手を存分に焼かせてくると思います」

「可愛げがあるなのは背丈くらいな娘だしな。トロルが見た見張りの明かりも、隙を見て脱走した奴を捜すためのものだったり?」


 そうだったらこちらの手間も幾分かは省けると言った冗談のつもりが、エイルはシノの予想外に受けてくれた。


 角の反対側を進めば塔の足許は目前。路地には月光が射しているけれど、塔の頂上からは距離の効果で丁度死角になっている。まさに灯台下暗しだった。

 難なく向かいの軒下に移ったヨトゥン=ハイ。息を整えるエイルも後を追うのがシノを介し彼女自身に視えた。ふり返った口許には、微笑がまだ残っていた。


 その後ろ姿は、体勢を持ち上げた直後によろけ、二度三度と踵を下がらせた途端、石畳に腰はめり込んだ。


「えっ――きゃあ!?」

「エイル……ッ」


 路地を抜けようとしたエイルも自分が転倒した理由が理解できないのだ、そこに駆け寄ったシノは動揺するあまり口も開かなかった。


「前見て歩けってんだこのやろう――って。おやぁあ、お前さんら」


 庇い合った少女の歯の根が合わない顔を、いきなり飛び出してきた人物は交互に確認した。人物の背後を取った形のヨトゥン=ハイは完全に硬直し切っていた。斧を握る手も上がらないまでに。


 ――無理もなかった。


「え、え? ……イタメリ、さん?」

「また逢えるとは思ったが、こんな所でとはななぁ。元気そうじゃねぇかエイル!」


 握手の代わりに、そう何度も肩を叩かれるといくら手加減してもエイルの元気は萎えた。


 しかし。背中の神経を弾いてくるような、この肉厚な掌の感触。手入れの行き届いてない癖毛から匂う鉄の焦げた雰囲気もエイルの割と最近の記憶と相違なかった。


「どうしてここに……」

「なんだぁ? おれがここにいちゃいけない道理でもあるってのかい」


 そういうわけでは決して。危険な目に遭っていないと一同が実に確かめられて、むしろ声が上げたい気分だったエイル。


「そうだ。捕まった貴様を助けにエイルは危険を冒したんだぞ。それが、なんでこんな状況になっているんだ」


 これと目立った外傷のないイタメリに、心を抉られたジェスチャーを取らせたシノ。そこまで辛辣に追い詰める執拗さはないとはいえ、塔の方角から走って、ヨトゥン=ハイと衝突した経緯については、エイルも質したかった。


「あいつら鍛えちゃあいるが、おれの頭蓋骨はもっと繊細なんだ」


 重ねた手首どうしをクロス、ゆっくり腕を離した間にイタメリの不適な笑みが現れた。なかなかに面白い言い回しをエイルにしてくれる。


 脳の体積が小娘に劣った冒険者は実在する。頭数は多くてもイタメリの方が一枚も二枚も上手だった。たかが娘ひとりと侮って縛りを甘くしているようでは、森で待っている方が賢かったかもしれない。


「興味があったら伝授してやるぜ。ドワーフ流の縄抜け技、……二人にはそんなのいらねぇか。君がいれば」


 すっかり呪いの解かれたヨトゥン=ハイの腕にイタメリは躊躇いなく触れた。警戒の色は斧を握る側が濃い。目を合わせる行為、これも敵意と思われまいか、エイルに両目を預けた。


「……ゴホン! ――これからどうする」

「どうするもなにも。逃げ道、用意してくれてるんじゃ、一つしかねえだろ」


 シノとて今さらになって馬鹿になったりしない。エイルへ卑猥に目を剥く輩の気を引く狙いで咳き込んだ。


 この街に用はなくなった。


「おれとしちゃあ、残念ではあるけど。せっかくあと少しってところで」


 風に乗った黒雲に月は隠され、苦笑を示唆したイタメリ達を含め全員の気配を陰らせた。


“――ああ。私も残念でならない。君らが利口なら、一つと言わず……たくさんの道があったのに”


 雲を連れた陰から囁く声。

 感じるまで知覚できす、覚えると一撃となって全身を駆るそれ。


 静電気のようだった。


「…………、ヨトゥ、?」

 

 石畳からき家々を扇情に壊す。轟く白光の先端が触れた場は、黒の跡がただ遺された。

「エイル!? エイル……!?」 


 シノに何百回と叫ばれ、全身を叩かれても、棒立ちのエイルは反応しない。シノの方も目から光が飛んで、視界は、ヨトゥン=ハイの首が胴から離れた光景で固まっていた。


「!! ――これは」


 シノは慌てて顔を押さえたが。痙攣は止まるどころか、街で雷が落ちる度に強さを増していった。


 眼光から眼球と――脳が流れ出そうになる中、自分のものではない膨大な記憶が一秒の間隔で、目まぐるしくおこった。


 一閃に首を刎ねられて、それでもトロルはどちらにも、息があったのだ。エイルへ逃げるよう警告する首、斧を振ろうとした胴は、轟雷に煤とも塵ともつかなくなるまで焼かれた。


超回復フルヒーラー〉を発動しました。


 塵の中からヨトゥン=ハイは甦る。

 雷は八岐と分かれ、その肉を同時に斬り抉った。


〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超回復〉を発動しました。


 八等分から一つに再び集約したヨトゥン=ハイを家の壁で潰した。

 傷口を千度焼き焦がす。泥雲を溶かし雷の雨を降らす。一太刀で万等分にした。


〈超回復〉を発動

    〈超回復〉を発動

      〈超回

         動しました

       回復〉を発動

  超回復〉を発動し

     〈超回復〉を発動しま

〈超回復〉を発動し

    発動しました。

〈超回復〉を発動しました。

〈超

   超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超

   回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復回復

   しましましましましましましましましたしたしたしたしたしたしたしたしたした


  ――白一色の嵐は街を巻き込んで、何度も何十度も何百度、何千とトロルの肉片に死も生もくりかえしくりかえしくりかえし課した。


「私が最初に斬り落とした腕も、その再生力で生やしたの。〈固有ユニークスキル〉か。どこまで続ければ死ぬ? どこを切れば、折れば、潰せば、焼けば」


 剣を収めた教会の騎士。蠢く肉塊を割ってきたヨトゥン=ハイに魂からの侮蔑を向けた。


「あの娘が心配だろう。助けに行きたい気持ちは貴様以上に強い。私は人で、貴様はトロルだからな」


 ヨトゥン=ハイの経験したあらゆる死。生物が辿る可能性を上回った情報量がスキルの持ち主であるエイルに逆流した。


 精神が崩壊したエイルを、神の僕の務めを果たすトールは、慈悲を以て慈しむ。


「貴様みたいな生き物が、これ以上生きる――そのせいで、世界が不幸になる。死んで罪を償え。惨たらしく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る