第三十七章 最後の墓穴
穴を埋めた途端、エイルは握っていた道具を落としていた。
「あとは、わたしがやっておくから。エイルは」
「だっ大丈夫です……! シノちゃんこそ、もういい加減休んでください。私に構わず」
身を案じたシノだったが、立ち返ったエイルには易々と拾い上げた鉄鎌を奪われてしまう。錆に混ざるようにこびりつく土がまだ乾かない鎌の先を、エイルは地面に突き下ろした。
遠目に、エイルを夜鳥が窺っていた。
エイルの方は視線に気づいてないのか、疎いフリをしているのかシノには判断がつかなかった。
「あんな目に遭った後なのに……。たくましい
今夜初めて人という生き物に遭遇したかもしれない野生の鳥と違って、シノはエイルが夜の更けつつある森でなにを一心不乱にしているか判る。
判っていて、死んだ冒険者の墓を掘るのを説得しても止めてくれないエイルを――腕づくで止められる自信がない自分の心の弱さに腹
その雄々しさが、邪魔をしたことに対する失望の表情で自分を突き飛ばす感触を思うだけで、足許が底なし沼のように融けるみたいだった。
そして、最後に掘った墓穴に、エイルは今まで一番小さく、軽かった肉塊を埋葬した。耳に馴染めない二人の会話から、それがかつてマオとエイルに呼ばれていたのをシノはなんとなく思い出した。
エイルの身辺を警戒するのに神経を集中し、顔に覚えはなく、戦斧に両断され命ばかりか原型を喪っては、推測もままならなかった。
最後となる墓穴を埋めると、エイルは他の冒険者の骸に例を漏らさず、周囲に灯した獣除けのたいまつを頼りに、マオの名を彫った墓石を穴の跡に置いた。
「――シノちゃん。ヨトゥン=ハイさん。私」
篝火に受けてなおシノに返るエイルは死人のように青ざめた顔だったが。
なぜ、救われたように――やり遂げたように笑おうとし、涙を流すかシノは息を呑むように不思議がった。
「やりました。お墓、壊れないよね? 私、わたしが……やったんですよね……!?」
冒険者や彼らに復讐を誓い、ついにそれを成し遂げた少女を平等の手順で弔ったエイルは、死者の群れを背景に膝を落とした。
血と泥にまみれた手を、シノは両方とも労わった。
強く握れば彼女もまた死に
「シノちゃん、放して……シノちゃんの手は、綺麗なままじゃないと……汚れるのは、私の手だけッ!」
「わたしの全身もとうに仲間と敵の血と灰にまみれている。今さらどこが汚れようが同じことさ! 心配しなくてもエイルには、聞かせる。こんなわたしでも、わたしの口で、きちんと言わせては、くれないかな」
言葉の節々に想いを込めたシノの声を受け入れれば、暴れていたエイルから力は萎えていき、シノが持っていないと両手は微塵とも動けなくなった。
この通り。
本来エイルの強さは〈
穴を掘ろうとして剥がれたエイルの爪はスキルの恩恵ですぐに生え変わった。しかし削られた心からは罪悪感と後悔が噴き出した。
シノに制止を躊躇させるだけの虚勢を回復した身に強いたところで、罪滅ぼしから解放された手足は、弱い、本来の姿に戻る。
ただの罪悪感ではなかった。
エイルだけを駆り立てる個人的ななんらかの事情で、今日に出逢い今日別れるはずだった人間を必死になって葬るのだとシノも気づいていた。だから不要に傷付くエイルを止められなかったのだけれど。
目の前で引き起こされてきた死について、エイルはそれまでなにもできなかった。
無実の罪による粛清で生まれ育った村と親を焼かれた。追われていた自分を助けてくれたトロル達は、自分が招いた騎士に生きたまま切り刻まれた。そして、シノの複製体と魔物を奴隷に陥れた王とその子ども達は、山の深い洞窟に亡骸となって今も腐り続けている。今頃は魔物の餌にもなっているだろう。
誰の死も、旅の途中でエイルはこの足で踏みにじってしまった。彼らを弔うことができるのは、生き残った自分だけなのに。
だから、今度こそは、……そんな火花が散ったかのような突発的な誓いで、エイルが目の前にあった死を利用した事実は消えなかった。
所詮こんなものは、ずっと燻ってきた自己の欲求を発散したかったところ、たまたま奴隷に堕とされた少女の復讐が起こり、エイルはそれに乗っかったに過ぎなかった。
「エイル、君のした行いは、決して……無駄なんかじゃない」
「…………」
肯定も否定もない無言で終わったが、エイルは、離れてほしくなさそうに、シノの手を握り返していた。
「真央さん、死んじゃいました」
「そうだな」
「最後まで付き合うって、約束したのに……私が」
死ぬ瞬間まで自分を毒で殺したがっていた相手に、エイルは責任を感じて深く傷付いていた。賞賛になんて値しない最低な行為という気持ちと、墓を掘った自分が誰かに褒められないと、弔われた真央まで死を、復讐を辱められると思っている。
せめぎ合って、それでもなお責め苦を自らに課そうと。感覚を共有していたシノはこれ以上耐えられなかった。
「えいる してない わるい こと ころした のは おれ」
「ヨトゥン=ハイさん。体調の方は、もう?」
光を受けたヨトゥン=ハイはシノの目線越しに見てもすっかり回復し切っていた。武器に付与されていたというあの呪いの兆候もない。
中級のスキルが解呪のきっかけとなったとは考えにくく、単に呪いの効力が切れたとシノは推測した。
「――ヨトゥン=ハイさんが、元気になってくれて、安心しました……!」
なにかをエイルに呟こうとしたヨトゥン=ハイは面食らった。無理に強がっているのは同じだったが、明らかな安堵感に表情が緩んだのは共有された感覚が証明していた。
またもやトロルに負けた。自分だって、エイルをずっと励ましていたのに。
「あ、ごめんなさいシノちゃん。いきなり立っちゃって。せっかく励ましてくれていたのに」
「!? ……わかって、くれていたのか」
「当たり前じゃないですか。ヨトゥン=ハイさん、ヨトゥン=ハイさんが酒場で休んでいる間、シノちゃんがずっと私を守ってくれていたんですよ」
これまでの経緯を綻んだ表情で語られたヨトゥン=ハイ。その若干嫉妬するような面持ちにシノの鼻頭は自然と高くなった。
優勢に立てたのはもちろん誇らしかったが。伝っていた気持ちがエイルの口より発されて、噴き出した鼻血がシノは止まらなかった。
興奮をぐしりと拭い気を切り替えたシノは言った。
「とにかくだ。ここには今、我ら全員が揃っている。今後の身の振り方を決めるべきだろう。わたしとしては、街に引き返すのは反対だ」
エイル達が森に入るのは街中の冒険者に宣伝されていた。イタメリの工房という場所があいにくと悪かった。
「奴隷に堕ちた騎士を、見習いとはいえ買える冒険者が、たったこれだけというのも。街に残党がいるとして、分かれたパーティーが壊滅した事実はすでに伝わっている」
シノはエイルが掘った墓を見渡した。
この中にリーダーは確実にいた。高ランクの魔物が徘徊する森で仕事を請けるならば、指揮を執れる人物の同行は欠かせない。
いくらでも替えがいる。数の多さ、どれだけ流通しているかが奴隷の価値を決める。リーダー――トップに立つ資格を持つ者は、反対に代わりは限られている。不在が長期に亘れば組織が最終的に瓦解するから、できた穴は早急に塞ぐ必要があった。
同じ『代わり』でも、上と下ではこうも違う。シノはそれをかつての飼い主から教わった。
リーダーの権限を自動的に譲渡された冒険者は、早くも揺らぎ始めている組織をまとめ直すのに、前リーダーと組織の精鋭を壊滅させた敵を討つのに動き出す。
魔物相手に、リーダーの権限を与えた奴隷を身代わりにするような輩は、まさか魔物に殺されたとは思考しない。
真っ先に疑われるのは、予想外の出来事。
奴隷の裏切りか、飛び込みで参加した別の冒険者か。
「森を越え、反対側に逃げるという手は?」
「この森自体広く、周辺の地理について、わたし達は残念ながら疎過ぎる。楽観して動くのはさすがに厳しいな」
シノに意見を具申したエイル自身、未知の領域への逃亡を臨むには消極的だった。
森を出たその先に紛れ込めそうな集落や街があるとは限らないし、あっても冒険者ギルドに流されるだろう森での殺害事件の情報より速く動く、あるいは、教会よりお触れがあったヨトゥン=ハイやエイルの人相書き、シノの同胞が起こした叛乱に過敏になっている住民の目をかいくぐるのは運頼み。
イタメリが塔の上から見せてくれた森の周囲が、犯罪者だらけなわけなかった。
戻るも進むも、かといって凶悪な魔物が
「それに、街にいる……あの人が」
「あの〈
敢えて伏せたのにあっさり看破される悔しさも相まって、重々にエイルは頷いた。
「街の冒険者は奴には手を出せない。あれ自身が自慢したことだ」
この話題については、シノはエイルから必死に遠ざけようと言葉を選んでいた。だがエイルからは一時でも自分達と、自分と関係を持ってしまったイタメリがひとりで街にいる不安を消せなかった。
「だれ !?」
「ああ、よかった会えて!」
「あなたは確か、酒場の」
冒険者一行が残した気配を追うように姿を明かりに曝したのは、なんと街酒場の女将だったのでエイルの喉は驚きに跳ね上がった。
「アンタ達に、言わなきゃいけないことがあるんだ。って、あれ? そこのおにいさん、ウチの二階で寝てたんじゃ」
汗の滲む瞼を女将は見開かせ、墓らしきものが並ぶ光景に、そういうことかと顎を引いた。
「噂は間違いじゃなかったってこと。こりゃあいよいよ、まずいことになったね」
「もしかして……街で、なにか……」
嫌な予感にエイルは呟いた。その両脇を挟むように警戒したヨトゥン=ハイは斧を、シノは鉄槌をそれぞれ下ろした。シノの目に映る女将は冒険者の差し金とは気配が異なっていた。
留意すべきは、むしろこのトロルである。接近する気配が正体を自ら明かすギリギリの瞬間まで、得物を構えるのを渋っていた。
呪いの再発を恐れて、動作にブレーキが生じたのだろう。〈
エイルに召喚された時は迷いがなかったのに。目に見えるかどうかの差異で、魔物が本能を押さえてどうするというのだ。
「イタメリが、冒険者連中に、人質に取られちまったんだ――」
「私のせいで、イタメリさん……」
新たな冒険者のリーダーが焚き付けたことで、街全体が巻き込まれていく顛末を切れ切れと吐露した女将。奴隷商と結託した門番のせいで、街と森を隔てた関所も、女将が越えた時には続々と人が集まりつつあって、今となっては誰の通行も帰還も困難となったとのことだった。
森を出るのに命からがらだった女将は、できることなら、なにも聞かなかったことにして、エイル達には逃げてほしいと。
「……女将さん、関所以外に、追手に見つからず、街へ入る方法って、ありますか?」
秘密の抜け穴を告げ口しようとした女将の顎に、シノは下ろしたばかりの剣を振った。
「エイル、君は確かに、わたしをあの山から救い出してくれた。見棄てることができた、いや……見棄てるのが正解だったのに、だ。仲間に入れてくれたことに、わたしは心から感謝している。そのわたしがこうして、あの娘を助けてはならないと、君に言わなければならないのが心苦しい。それに」
シノに加勢するように今度は、ヨトゥン=ハイがエイルの手を引いた。
「トール」
兜の中にあるヨトゥン=ハイには、恐れがあった。
同じ顔をしたあの騎士、彼女はヨトゥン=ハイを心の底で恐れさせる存在なのだ。
「雷霆の騎士サマは、もう森でアンタ達を探している。この森は魔物の放つ魔力が濃いからすぐには見つからないとは思うけど。街で男共からイタメリを攫った方が、安全じゃないのかい?」
シノに向けられた剣の先で舌を切りそうなるのも厭わず、女将は救出をさらに頼んだ。
「あんな奴で、アタシらは大嫌いで、あいつも世間じゃはみ出し者のアタシらを嫌っているけど。あんな街だからこそ、あいつみたいな……まともなガキが一人くらいは、あそこで幸せに生きてなくちゃ、いけないんだ……!」
だから頼む、と。父親の鍛えた武器じゃない、誰の血を吸ったのも判らない、どこの馬の骨とも知らない奴が打った武器で脅されている――ひとりぼっちの幸せ者を助けてほしい。
「ヨトゥン=ハイさん。シノちゃん。こんな私を……どうか許してください」
「えいる」
「……はぁ。我らが長は末恐ろしい御人だ。ならばわたし達は、貴方を全力で抑えよう。街には行かせない。行くのは、エイルが最も信頼する一人だけだ」
ヨトゥン=ハイが斧を構えた。シノの意志はエイルの意地を砕くほど固く、言い返すには肝の太さが足らなかった。
「どうやら、今度こそ、元の粗暴さを取り戻したようだな」
「えいる まってて ぜったい」
ヨトゥン=ハイもあの街には、個人的な用があった。
「ごめんなさい、本当に……ごめんなさい。だけど、これ以上は、もういやなんです」
エイルは手を広げた。
自分じゃない血に真っ赤にまみれた、傷一つない――水で洗えば綺麗になる手を。
「私の目の前で死んだ人の血に濡れながら、墓を掘るのは」
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