第三十六章 肥豚

 この異世界では必然的に、リーダーが死ねばその権限は編成に属した誰かに自動で委譲される。


 それは冒険者に限られた法則ではないと、騎士団に入った同郷から聴いた。

 同じ村で生まれ育った幼馴染み――あと。生まれ変わる前の世界のどこかで逢っていたかもしれないという意味での『同郷』だ。

 

 転生なんて、死なないと経験できないこんな、最早凶兆である現象に遭遇するだけでも十分奇跡であろうに。


 赤子の時分から共通の話題を持つ者と友人になれた。まあそう思い込んでいるのは自分だけで、たまさか出生時期と場所が重なり前世の記憶があるだけで友人面してきて、道を違えた後も連絡を取り合ってくることを実は嫌い合っているのかもしれない。互いに嫌悪、冷蔑の部類に入るのかも。


 転生者至上主義とはなんと前時代的な優劣の決め方だと友人と笑い合った時もあった。しかしこの世界で成人してか、あるいは、成人後に立場を明確に設定されると理解できる。


 法律も。常識も。国家の国是とされる根幹には、この世界を創造したというカミなる存在が必ず活かされている。それが恐らく自分を異世界に転生させた連中だった。


 生前の人格を保有した異端者が誕生するだけで、その神とやらに捧げる人々の信仰は廃れない。


 連中がこの地上を去ったのは、前世にあった暦の十も二十倍も前の話なのにだ。


 冒険者がたむろする酒場のテーブルに両足を投げ出し大ジョッキの酒を半分呑み干した。記憶の貧弱だった前世の肉体であれば、同じ一口で喉とおツムが使い物にならなくなるアルコール度。


 世界間を超越する過程で肉体と精神は強くなったとはいえ、神も仏も信じていないのは変わっていない。ただまあ、我が子を丈夫な身体に産んでやる権利を、この世界の親にくれた超常者には感謝していた。


 秀でた〈固有ユニークスキル〉に目覚めなかった自分でも転生者だったから、冒険者として優々とこうして、無法者だらけな犯罪都市で、法外な値流通している酒を喰らっていられる。

 中には妥当な金額で店を張り、親の七光でデカい態度を取るような居候を抱える風変りな女店主が商売する店もあるが、『鋼骸鉱炉ステルヌム・オス・コスターレ』の飲食店なんてこれが普通だ。


 依頼を受注し森へ出る道すがら、貧民窟の日陰に隠れるように眠る人間を見る。あんな状態を果たして、人間と呼称するのが正しいかと毎回疑問に思うが。

 志した道でああはならなかったと、神がお創りになられたというこの世界の真理が外訪者の身分でもわかってくる。


 強弱なんてない。力なく神の眼鏡にも適わなかった❝強者以外❞はこの世界で、ああやって光の届かない場所で命を終わらせる。運命は生まれる前に決まった天命。逆らう術があるならその強さで大成できていた。


 まあ、と残りの酒を胃の腑に流す冒険者はほろ酔いに小気味よく肩を鳴らす。


『新界教』に魔術士として召し上げられ騎士の称号を得たあいつにすれば、日銭を稼ぐため、魔族でも人でもぶった斬ってきた無才の野坊主も、神に見放され死に掛かっているという面では同じだった。


「どうしたよ、そんな辛気臭ぇツラで酒なんか呑みやがって!?」


 丸卓を分け、酒を煽っていた恰幅がふくよかな男が木器を打ち鳴らした。


「いやね、どうやら、くたばっちまったようなんだわ」

「だぁれがよ?」

「お前さんから買った俺達のリーダーが」


 酒の肴にするならいっそ街の外の魔森の土を噛んだ方がマシだ。


 美酒に浮かれゆるんだ顔でそんな冗談を吹っ掛けてきた冒険者に、だが身なりのいい男は、野暮な質問はうそぶきはしない。


「仲間はどうなった。森に行った連中はパーティーでも筋金入りの猛者だったろう?」


 権限の移動を認めた冒険者には、残存するメンバーの詳細もそうだが現在の位置も転送されてくる。後任が現時点で中級レベルの到達者であれば〈編成招集パーティー・コール〉で、この酒場に森にいる仲間を呼び寄せもできるが。


「ああもう、畜生。どうやって全滅したかその辺は判んねぇから、迂闊に装備の回収にも行けねえ。今の編成じゃあBランクの依頼も……」


 直面する現実を今はぼやくしかない。芳醇だったはずの酒の残り味が口の中で渋々と不味くなるとはまたどういうことか。


 店員が替わりの酒を持ってきた。


「来たぞって、おいおい残すつもりかよ?」

「明日から呑めなくなると思うとな……」


 ジョッキは両手だったら掴まえた所で、香り引き立つ縁に触れる冒険者の口は餌を取り損ね水で飢えを凌ごうとする雛鳥のようで我ながら情けなくなる。


 街一番の金持ちに、酒を片手に慰められると殊更ことさらに。


「祝杯だと思って呑み干しちまいなよ。強豪編成パーティの新リーダーに始めから怖気付くんなら、他にさっさと権利を明け渡しゃあいいじゃない。高値で売ったって」


 タダで放棄が嫌なら権利に価値を付けてギルドで売りに出すでも。即戦力になる冒険者を抱える冒険者のリーダーの権利は商人も用心棒目的で買う。


 多少の弱体化は否めずとも、街に広まっている前評判によっていい買い手の目に留まれば、少なくともこの街にいれば数年は目の前の酒を普通に呑んでいられるだろう。


「なのに、そうしない理由を教えてやろうか」

「判ってるよ。ああ、自分でよぉく判ってる――ただちょっと驚いただけさ」


 神に見込まれ、才能に相応しい役割に抜擢された。手放すとなると惜しくなる。同郷のアレにせめて自慢の二つ三つは吹きたかった。


「そこで、僭越ながらわたくしめからご商談。切り出しは――譲渡は譲渡でも。と申しましょうか。教会の騎士団からまたもやいいスキル持ちが流れて来たんで、厳選して仕入れておきました」


 剃り揃え綺麗に整えた髭に葡萄酒を垂らすギルド長は、顎を冒険者に撫でてみせ笑んできた。


「またぞろ餓鬼のくせに、吹っ掛けるつもりだろ」


 酒の席に商談が絡むと、酒気を孕んだその腹がぎゅるりとうなる。


 ギルドからの報酬で買った玩女が、娼館のベッドの上で切ない声で鳴くのならまだしも、稼ぎ先を斡旋してくる立場の長がへそで喘ぎ声を聞くのは不愉快だった。


「適正の価格で商品を取り扱う、安過ぎず高過ぎず。これこそ、お客様に払うべき商売人としての、最大の誠意ではないかね?」


 葡萄ぶどう酒で黒染めの舌で髭を舐める。一滴の酒も無駄にしたくない根性ときたら、あくまで商会は真摯かつ細やか、つつましい精神で商売に臨んでいると信じ切っている腹か。


「貧乏性にわずらうしては、真っ黒な腹してるがな」


 だいたい、この男のギルドで取り扱っている『商品』は、率直に言って最悪の質だった。


 奴隷の価値は、すぐ使えるかどうかで決まる。

 身体的特徴や教養、魔力量はもちろんスキルをどれだけ獲得しそれがどういう用途かで金額はピンキリだが、即使い物にならないようでは。育成費用が掛かっては、二束三文の値も買い手は出さない。


「よく殺されずに商売なんかできるな」

「皆様、価値が判っているんだよ。あの娘だって、パーティーのためによく働いたろ」


 団員の傷病を引き受ける真央まおのスキルは、売り手の言う通り役には立った。


 裏を返せば、あの娘自身に期待できるような才能はなかったからこそ、組織は壊滅したと、彼女の権利を継承した冒険者は見立てていた。


 団長は転生者ではなかった。教会の騎士見習いだった貴族の息女を安い金で買えて、Aランクへの昇格もすぐそこだと周りに自慢していた。


 霊山のツノなしを買おうと提案した自分はあの時、ずいぶんと長い間笑い物の的にされた。


 魔族のニンゲンの目利きもできない奴は、使えない連中と留守番でもしていろ。金をやるから娼館に行って、目を養えと。 


「なに言ってやがる? 商売の基本、それは――価値が解らない奴に、安い品を高く、如何に売れるか、だろ」


 大金を出しても構わないと思わせる背景。

 真央といい、ギルド長は教会で使い物にならなくなった子どもをタダ同然で買い占め冒険者に売り付ける。所有権を共有する契約が購入の条件だから、奴隷の稼いだ金は、生きている限り自分の財布に入ってくる仕組みだ。


「そういやお前さんは、他の連中とは違うんだっけな。残念だ」


 商談相手が代わって痩せる心配でもしているのか、ギルド長は肥えた腹をさする。


 見てくれに騙されるような連中相手に商売をして得をするのは、こういう腹周りを気にする性分を持つ奴だった。


 流れた子どもの血は上質の酒となり、ギルド長の腹はこれからもますます肥え太る。


 商談がご破算に終わり、緊張する必要のなくなったギルド長は溜め息を漏らす。


「けどよぉ、じゃあギルドの儲けはどう取り戻せばいい。アレには当分稼いでもらうつもりだったのに」


 どうやら真央の損失分を新しい売買契約で補う計画だったらしい。


「そうだ、もっと質のいい、才能に恵まれた奴隷でも仕入れて売ればいいんじゃねえのか」


 大手の冒険者団が大金を積んで買ってくれるような――あるいは。


「森で俺達の仲間を殺した奴を、街におびき出す」

「話が急に飛んでないか? それになんで殺されたって断言しちまえるんだ」

「スキルを授かってなくても、こういうのは、だいたい推察できるんだよ。冒険者ならな」


 十中八九、仲間を殺したのは真央だ。闖入者を見境なく攻撃する魔族の攻撃を受ければ、団員のダメージはリーダーが肩代わりする。その隙に逃げれば全滅は免れ、ランクで負けていようと退散する技力は森に行った連中にもあった。


 なら、真央を殺したのは。

 出発の直前、仲間の最後尾にくっついていた二人。恐らくは子ども。


「初仕事が仲間の仇を討つなんて、新たな門出には申し分もないだろ? 街に誘い込むのと、誘い込んだ後の討伐に、ギルドの力を借りたい」

「そんだけ働かせて」


 働きに見合う代価を用意できる前提で、この冒険者は話しているのか。


「そもそも人を殺した後で、街にのこのこ戻ってくるような連中なのか?」

「会ったばかり奴隷のために危険な森に入るようだから、その心配は大丈夫だろう。仲間の中に念話のスキル持ちがいるから、そいつに街の状況を送らせ、おびき寄せる。餌としても、ギルドへの報酬としても使える❝とっておき❞を用意する」


 なるほど。人質で下手人を誘うのはもちろんのこと、事が成した後は、下手人に加担したとして人質を教会に突き出し、奴隷に墜とす。


 協力した冒険者への報酬は、街に仕入れ直した奴隷を、下手人を一番に捕まえた優勝杯トロフィーという名目で渡せばいい。


 ギルドには教会から褒賞が支払われ、ギルドの方は奴隷一人を貢献に応じ提供すればそれで済むのだから、動員した冒険者連合を鑑みれば、結果的にギルドだけが儲かる結果が整うことになる。が。


「目の上のたんこぶも、これでようやく取れるんだ。冒険者も喜んでギルドの話に乗るだろうさ」


 人質にされるであろうその人物は、冒険者の界隈でよほどの恨みを買っている。恨みと同じくらい能力も。


 不敵に冒険者を笑わせる。そういう人物にギルド長は一人、心当たりがあった。確かにあの娘の才能は、大成せず市場に流された奴隷とはわけが違う。


 種族に由来する才覚と、血によって継承された英才。隷属の契りによって確固とした支配権を得られるならそれは、まさに夢のような話だった。


「――武器に施された呪詛はどうするんだ?」


 先代の工匠が冒険者の武具に刻んだ呪い。娘であるアレに毛ほどの敵意で身を焼くほどの責め苦が全身に巡る。


「なに。思えば簡単なことだったんだ。別に優れた名工が心血を注いで鍛えた武具じゃなくたって……」


 新リーダーの招集に応じた冒険者が酒場に集結、テーブルを囲んだ。

 全員待機を命じられた補欠人員。最彩の武器を持ちながら、強力な魔物を両断する度胸もない腰抜け。


 鬱憤晴らしに最弱のトロルばかり斬ってきたせいでせっかくの武器もくすんでいた。


「武器を、お前達」


 刃こぼれ、変形し、錆び付き。


 冒険者達が携える道具はどれも粗悪な、武器とも呼べない代物だった。


「他の連中にも俺の指示を広めろ。娘一人捕まえるのに、こんなのは最初からいらなかったってな」


 リーダーの冒険者は配下の寄越した鈍らの、無銘の長剣を腰に提げ。


 魔物の巨躯を欠けることなく一刀で断ち切れる名刀を、酒場の床に捨て置いた。

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