真夜中ラーメン

味噌わさび

第1話

 俺は特段食べ歩きをすることが好きなタイプというわけでもない。


 だが、無性に特定のものを食べたくなることがある。その衝動というか、欲求は抑えがたいレベルのものなのである。


 そして、その欲求が極限にまで達した状態のままに食事に出かけると、不思議なことに、俺の望み通りのもの……その時でしか食べられないようなものが食べられるのだ。


 といっても、そういう時に俺が食べるものというと……どうにも不思議なものが多い気がする。


 その日の俺は深夜までパソコンで作業をしていた。


「……疲れたな」


 ふと、時計を見ると、既に深夜2時であった。


 流石にそろそろ寝たほうがいい……と、思ったが、その時に思った感情は別であった。


「……腹、減ったな」


 無論、こんな深夜に食事をするなど、健康を考えれば絶対にやってはいけないことである。


 しかし、その時は、まさに食べたいという欲求が最高潮であった。


「よし。食べに行こう」


 俺は素早く支度をすると、そのまま外に出た。


 その日はまだ肌寒く、空を見上げると、星々が輝いていた。


「……ラーメン、食べたいな」


 その時、おおよそ、深夜に絶対に食べてはいけないものが頭に浮かんだ。しかし、既に欲求は止められなかった。


 とりあえず、ラーメンを食べる……どこでも良い。この深夜2時に開いているラーメン屋を探した。


 と、いっても、流石にこの時間までやっているラーメン屋……と言うか、店が少なかった。かといって、コンビニのカップ麺では、俺の欲求を満たせそうになかった。


「……ん?」


 俺はふと、足を止めた。彷徨い続けて、最寄り駅の近くまでやってきてしまっていたのだが、見ると、駅前の広場のような場所に、屋台が止めてある。


「こんなところで、屋台がやっているのか?」


 これまで、深夜2時に街中を徘徊したことがなかったので、新鮮な驚きだった。俺はまるで誘われるようにして、屋台の方に向かっていく。


 近くまで来てわかったが、確かにそれは屋台で、しかも、ラーメンの屋台のようだった。ほんのりと、美味しそうなスープの匂いがする。


 ただ、不思議なのは、良い匂いがするのだが……それが嗅いだことのない匂いであったことだ。醤油なのか、豚骨なのか……はっきりと俺にはわからなかった。


「いらっしゃい」


 近くまで来たことに気付かれたのか、屋台の方から声が聞こえてきた。こうなってしまうと、流石に帰りづらい。


 俺は屋台の椅子に腰掛けることにした。


 屋台の主人は……特になんの変哲もない中年男性だった。といっても、いかにもラーメン屋台の主人という感じの、渋い男性だ。


「ラーメン?」


 ぶっきら棒にそう聞かれて、俺は反射的に「はい」と答えてしまった。


 店主は無言で料理を開始する。こんな場所に屋台なんてあったのか……しかも、こんな遅い時間まで営業しているのは完全に予想外だった。


 それから、五分程度経つと、調理が終わったようだった。


「どうぞ」


 そう言って店主は俺の前にラーメンを置く。


 ……本当になんの変哲もないラーメンだった。いわゆる普通の醤油ラーメンだ。


 チャーシューとメンマ、のシンプルな具材、後はすべて麺とスープ……潔ささえ感じさせる普通さだった。


 しかし……なぜか、此の上なく美味しそうに見えてしまった。それは、この深夜の時間に食べようとしているということも影響しているのだろうが……。


「いただきます」


 俺はそう言って、箸をつける。とりあえず、麺を啜る。


 ……普通の味、のはずだった。しかし、やはり、この上なく美味しい。細すぎず、太すぎない麺が、ちょうどよい柔らかさで口の中を満たす。


 そして、何より、麺にからんだスープが美味い。普通の醤油ラーメンのスープのはずなのに、まろやかな甘みさえ感じるのだ。


 俺はそのままどんどん食を進めていった。そして、数分後には、麺、そして、チャーシューやメンマなどをすべて食べ尽くしてしまった。


 残ったスープは……屋台の電球を反射して、まるで、先ほど見た夜空の星のように輝いている。俺はどんぶりごと持ち上げ、スープを飲み込んでいく。


 ……やはり、上手い。どういう理由で美味いのかはどうでもいい。とにかく、スープの味を楽しみたかった。


 そして、スープを全部飲み干し、俺は思わず満足気に「はぁ」とため息を漏らしてしまった。


「ごちそうさまでした」


 あまりの旨さに呆然としてしまったが、しばらくしてから、俺はそう言った。店主は小さく頭を下げただけだった。


 屋台から出て、もと来た道を帰っていく。


 あのラーメン……どうしてあんなに美味しかったのだろうか。下手をすると、あそこまで美味いラーメンには初めて会ったレベルだ。


 そして、同時に、あのラーメンレベルのラーメンにはもう二度と会えないのではないか、と不安になってくるほどだった。


 実際、その後、何度か駅前の広場に深夜に行ってみたが、屋台には巡り会えなかった。


 あれは、もしかすると、何か夢のようなものだったのではないか……深夜に、極限までラーメンが食べたいと思った末の幻のようなものだったのではないかと思うことにした。


 しかし、どうしても、あの時感じた美味さに対する感激は、忘れることはできないのであった。

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