二本の剣

蜜柑桜

二刀流

 柄は右耳の前。

 刃は肩と並行。

 蘇芳の瞳が向き合う相手に焦点を定めた。

 剣越しに相手を見据え、僅かな動き一つ逃さず、呼吸まで見極めるつもりで神経を研ぎ澄ませる。


 微弱な砂音とともに相手が踏み込んだ。間は一秒あるかないか。避けるか、受けるか。


 ——キィン……


 鋼が弾かれる高い音が空に飛ぶ。残響が消える前に背後に飛び退るや、即座に左側から脇へ走る刃筋が見えた。上体を捻り身をかがめて避け、その勢いで突く——



「はい、試合終了です」


 朗々とした宣言を合図に土を滑る足音が止む。澄んだ空気の中で響いていた金属音が完全に消え、音を立てていた本人たちが互いに礼をした。一方は茶に近い髪と蘇芳の瞳を持ち、遠目からでも整った顔立ちのわかる美男であり、もう一方は少し癖のある髪のすらりとした長身の男性である。

 どちらも手にした剣には紅葉の徽章が刻印されている——ここシレア国の国章だ。


「今日も負けたな。まだまだ甘いか」

 刃の様子を検分してから剣を鞘に納めつつ、蘇芳の瞳をした男性が述べる。言葉の内容にそぐわぬさっぱりとした調子で、汗ばんだ額にかかった髪をかき上げた。

「俺が見ている限りではお二人とも互角に見えましたけれどね。カエルム殿下ももう少しだったのではないですか」

「いや、そうでもないさシードゥス。少なくとも五分まではいっていない。最近、少しは一本取れる頻度も増えてきたのだが、まだまだ甘いということか」

 審判を務めていた青年が勝負を終えた二人に水と布を渡して感想を述べると、カエルムと呼ばれた男性は微かに残念そうな様子を滲ませて苦笑した。

 試合の相手だった男性は審判席の横に据え置かれた木椅子に腰掛けて水の入った杯を受け取った。

「殿下もだいぶ腕を上げてきたとは思いますよ。最近は自分も一本取られる頻度は増えてきましたし」

 そう二人のやりとりに返すと、水を一気に飲み干して布で口元を拭う。

「今日は結構本気出してますよ。今日と言うよりかなり前から、といった方がいいか。でもやっぱりこっちも意地があるというか」

「意地? ロスさんがですか」

 この従者と主人の性格からして、シードゥスの目からすれば互いに意地の張り合いをするようには到底見えない。疑問を呈したところ、ロスはシードゥスの方へ顔を向けた。

「俺の方が負けてちゃしょうがないだろう。これでも殿下に稽古をつけてくれと頼まれているからには、そう簡単に一本取らせるなんてできないって話」

 勝って機嫌がいいのか自信ありげに説明すると、ロスはキン、と音を鳴らしてしまいかけていた剣の柄を押し込み鞘の端に当てる。「なるほど」と納得するシードゥスに対し、カエルムが後を引き継いだ。

「相手をしてもらっていると分かるが、ロスもどんどん手強くなっているのも確かだよ。次の動きに移るのが速いからほぼ同時に二人から剣を受けている錯覚に陥りそうになる」

「ははっ。一人で二本の剣とはえらい褒め言葉ですね」

「それは二刀流で受けるしかないのでは」

 シードゥスも並み以上に剣の腕は立つはずだが、二人の話を聞いていると自分が到底敵う相手ではないとひしひしと感じてしまう。双方の試合を目の当たりにしていると、一対一で対等にやり合っているように見える。それゆえに、当事者たちの感覚を聞くと驚きだった。

 だが驚愕で咄嗟に口走ったことは、ひょっとすると悪くないかもしれない。

「お二人とも、もしかしたら割と便利かもしれませんよ、二刀流」

 相手の数が多かったとき、剣が二本使えればそれだけ多方面から襲いかかる攻撃から身を守り、逆に反撃できると言えないか——シードゥスは思いつきが実践においては役立つ妙案なのでは、と提案する。

 しかしカエルムは一瞬はたと動きを止めたものの、すぐに「それは必要ないな」と否定した。

「剣が二本あったからといっても、俊敏さや力の入り具合を考えれば必ずしも一本で戦う時の二倍になるわけではないし」

「そうですね。動きが重くなる危険性は高いですし、下手すると一撃の力も減じる」

 同意するロスに頷き、カエルムは「それに」と続けた。


「私にとってはロスが、二本目の剣として居てくれるから」


 実に素直に述べると、「だから二刀流は必要ない」と、カエルムは端正な顔に朗らかな笑みを浮かべた。

 そしてそのままごくごく自然に木椅子から離れ、訓練場の出口へ向かう。

 残された二人は、いましがた耳にした言葉にその場で固まり、去っていく背をしばし呆然と眺めた。

 飄々と歩き去る姿を見送ること数秒の後、やっと我に返ると、ロスは片手で顔を覆って思い切り息を吐く。


 ——あの人は……ほんっとうにこう言うことをさらっと言ってのけるから……


 なんとも言えないどうにもこそばゆい感覚に包まれる。何も考えずに褒め言葉を口に出すのは主人二人、すなわちカエルムとその妹王女双方に当てはまるが、何度やられてもどうしても慣れない。

 横でこの様にやはり慣れない青年が感嘆して呟く。

「うっわぁ……あれ、天然ですかね……」

「当たり前だろ……もはやあの兄妹の才能としか……」

 毎度毎度、我が身でなく傍観者の立場でも思うが、最強の武器はこの不意打ちなのではないか。

「もしかしてロスさん、照れてます?」

「黙れ青二才」

 ちょっと面白がっている青年に言い捨て、ロスも勢いをつけて立ち上がり、訓練場の出口の方へ歩き出す。

 そして城へ向かう主人の跡を追いながら、内心思うこともある。

 ——言われた言葉とちょうど同じように、カエルムがロスの二本目になってくれているのもまた事実なのだと。



 城下町シューザリーンの時計台から、朝の時を告げる澄んだ音が響いてくる。人々が動き出し、また一日の仕事が始まる。

 日々の勤めを終えたら、今晩もやはり自主練は欠かせない。

 明日の朝稽古も、簡単に負けるわけにはいかないのだから。







 ——了——



 ***シレア国 ある日の城の朝稽古より***






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二本の剣 蜜柑桜 @Mican-Sakura

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