板倉さんは僕の全部をお見通し

綾坂キョウ

僕の二刀一流

「あのな、真志まさしくん。竹刀は一本だけしか使わないんだ」

 小学校に上がる少し前。体験に行った剣道場で、お試しにと竹刀を渡された時のこと。もう一本竹刀をねだる僕に、先生は苦笑してそう諭した。

 全然納得がいかなかった僕は口を尖らせ、ふんと顔を背けたものだった。


「へんなのっ! せっかく手が二つあるのに、一本しか持たないなんてッ!」


 そして——その想いは、今でも変わらない。


※※※


 貼り出された中間テストの結果を見て、僕は小さくガッツポーズをした。中村真志の名前は、上から三番目に書かれている。

(今回もちゃんと上位キープしてるっ)

 嬉しいのは勿論だけれど、それ以上にホッとした。テストの結果は、今の僕にとってかなり重要なものだ。


「中村くん、すごいねぇ」

 後ろからの声に、思わず「えっ」と振り返ると、そこにいたのは同じクラスの板倉サナエだった。大きな目をぱちくりとさせて、やっぱり大きな口をにっとさせている。

「いつも、勉強頑張ってるもんねぇ」

「あ……いや」

 板倉の言葉に、なんと答えたら良いか分からず、結局もごもごと口籠もる。


「別に……大したこと」

「えー。でも、遅くまで図書室で勉強したりしてたでしょ? あたし、見かけたもん。すごいなぁ」

 そうはしゃぐ板倉は、おおよそ中の下あたりに名前があった。

 ますますなんと言ったら良いか分からず、戸惑っていると、「おーい、中村ぁ」と先生から声をかけられた。

「生徒会のことなんだが。ちょっと良いか」

「あ、はい。今行きます」

 少しほっとして、その場を離れる。


——遅くまで図書室で勉強したりしてたでしょ。


 板倉のその言葉が、やけに胸に残っていた。


※※※


「——じゃあ、そういうことだから。あと少しだけど、よろしくな。生徒会長」

「はい」

「ほんと、中村は部活の陸上でも成績出してるし、テストも上位で、生徒会長もしっかり務めてくれて……ほんと、中村みたいなヤツばっかりだったら先生もラクなのになぁ」

 半分冗談、半分しみじみとした口調で言う先生に、「そんな」と微笑む。


 失礼しました、と頭を下げて職員室を出た足が、少し軽い。あっという間に、教室の前まで戻ってきてしまった。

 その扉に、手をかけたときだった。


「中村ってさぁ、ほんと必死だよな」

 馬鹿にしたような笑のにじんだ声が、やけにはっきりと耳まで届いた。思わず、身体が固まる。

「教師にゴマ擦って、必死こいて勉強して。あぁいうの、ちょっと痛いわー」

「アイツん家、事業に失敗したとかで金がないんだって、うちの親言ってたよ。確実に公立入れるように、推薦受ける気なんだろ」

「マジかよ。それでそんな必死こいてるなんて、悲惨だわー」

 けらけらけらと聞こえて来る笑い声に、そのまま中に入って良いのか分からず、固まったままでいると。


「中村くんってさ。宮本武蔵みたいだよね」

 急に聞こえた明るい声に、慌てて振り返る。

「い、板倉さん」

 顔が、耳までバッと熱くなった。教室の中の会話を、聞かれただろうか。

 板倉は、こっちの様子なんてお構いなしに「知ってる?」とマイペースに続けてきた。


「宮本武蔵って、二刀流で有名でしょ。あれって、別に絶対刀を二本使うっていう意味じゃなかったんだって」

「あ、あぁ……二刀一流のことかな」

 答えながら、僕は昔の記憶を頭から引っ張り出した。

 小さい頃、剣道の体験で竹刀を二本持とうとして聞かなかった僕に、宮本武蔵好きの父親が、嬉しそうに語ったものだった。


「武士は太刀と脇差って言って、二本の刀を差している。実戦で勝つためには、使えるものは全て使う——それが、剣豪宮本武蔵の考えだったんだ。真志はさすがだなぁ」


 結局、僕は体験での出来事にへそを曲げて剣道の道には進まず、父親は残念そうだったけれど。


「えっと……それで、なんで急に宮本武蔵……? え、僕が?」

「だってさ。真志くんは、自分ができることを全部武器にできるように、頑張ってるんだもんね。それって、刀を二本とも使えるように頑張ってた宮本武蔵と一緒じゃない?」


 ——やっぱり、聞かれてたんだ。

 頭に真っ先に浮かんだのは、そのことだった。

 途端、なんだかいたたまれなくなってしまって、僕は「あー」とか「うーん」とか、とにかくそんな唸るような声で返事をし、躊躇していた教室の扉を開け、ズカズカと席に戻った。僕のことを喋ってた奴らは、まるでそんなことなかったかのように、全然違う話をしていたけれど、全く気にならなかった。


 机に突っ伏し、目をぎゅっとつぶる。

 恥ずかしさでごちゃごちゃと掻き混ざった頭の中。図書室で似合わない本を読む板倉の姿が、なんとなく思い浮かんだ。


※※※


 その日はそのまま、なんとなく板倉のことを避けて過ごした。なのに、目は気づくと板倉を追っていて、自分がよく分からない。板倉がこちらを向きそうなときは、慌てて目をそらした。


 放課後、図書室で勉強していても、そのうち板倉が来るんじゃないかとそわそわし続けていた。

(なんで板倉のことなんて気にしてるんだろ、僕……)

 陰口を聞かれて恥ずかしかったから。「宮本武蔵」だなんて渋い辺りを急に引っ張り出してくるなんて、意外な趣味すぎたから。

 それとも——


「……帰ろ」

 教科書を閉じて、カバンを背負う。今日は、先生からの頼まれごとをするためにも、生徒会のファイルを紙袋に何冊か入れて持ち帰るから、少し荷物が重い。


 ほとんどぼんやり過ごしていたはずなのに、外はいつの間にか薄暗くなっていた。


「……あれ?」

 駅に向かう途中にある、コンビニまで来た時のことだった。

 聞き覚えのある声に、思わず足を止めた。

「やめてください……」

 それは、今日脳内で何度も聞いていた声——板倉のものだった。

 学校での明るい声とは違って、弱々しい。気になって見ると、コンビニのすぐ横にある路地で、大きな男二人に絡まれていた。


「良いじゃん、ちょっと一緒にごはんしよーよ」

「キミ、JK? まさかJCとか? マジ上がるわー」

 どう見てもガラが悪く、そして板倉は明らかに困っている様子だ。なのに、誰も止めようとしない。助けようとしない。


(どうしたら……)

 110番でもして、助けを待つべきだろうか? それとも、他の人らと同じように見て見ぬふり? 男らの身体は縦にも横にも大きくて、多分僕より十五センチ以上背が高い——のに。


 気づけば、身体が動いていた。


「——ッ」

 背負っていたカバンを右手につかみ、左手に分厚いファイルが入った重い紙袋。それらを握ったまま走り寄り、思い切り振りかぶる。

「っりゃあ!」

 男二人の頭に、不意打ちで思い切り叩き込むと、重い手応えがあった。

「っが⁉︎」

 変な声を上げて、男らがよろける。が、長続きはしないだろう。

「——走って!」

 カバンを雑に背負い直し、キョトンとしている板倉の手を握る。冷たくて、細くて、柔らかい指がぐっと握り返して来るのを感じながら、僕は思い切り走り出した。


「中村くん、はやいっ」

「部活で鍛えたからっ! とにかくついてきてッ」

 幸い、男らはすぐには追って来られないようだった。その隙にぐんぐんと遠ざかり、別の道へと分け入る。ここまでくれば、もう追いつかれないだろうというところまで、とにかく、速く、速く。


「っははは!」

 不意に、板倉が笑い出した。

「やっぱり、中村くんは宮本武蔵みたいだねぇ」

 その笑い方が、ひどく楽しそうで。日中の気恥ずかしさなど、どこかへ飛ばされてしまった。


 右手に、勉強道具だらけのリュック。左手に、生徒会のファイルが詰まった紙袋。三年間、部活で鍛えた逃げ足。

 使えるものは、全部使った。


 「確かに」と。気づけば、僕も笑い出し。二人してケラケラと馬鹿みたいに笑いながら、薄暗い街を駆け抜けていった。

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