女装少年、二股する
酸味
とある大学のお昼休み
三限が終わり昼の休みに入ったこの退屈な時間。サークルに所属しているものはその仲間と学食へ足を運び、あるいは同じ学科やゼミの人達とカフェに向かう。そんな中、廊下のような通路のような場所に並べられた机を囲み座る三人の男女が居た。
「逆に聞くんですけど、どうしてボクが二股しないと思ったんですか?」
黒く長い艶やかで、インナーカラーとしてうっすらと青が入れられた髪。若干ハスキーよりではあるものの特筆するほど引くわけでもない声。
「ボクみたいなマイノリティは心優しい人しかいないとでも思ってたんですか」
身長も一般的。顔はずいぶんと端正。見た目は美人女子大学生と言ったナリのこの人間はAという。
「それとも、俺や私だけは絶対に浮気なんてされないなんて思ってたんですか」
Aという人間はその端正な顔立ちから、去年この大学のこのキャンパスで行われたミスコンに優勝した奇特な容姿の持ち主である。そのためキャンパス内では随分名の知れた人間であった。
しかしAという人間はミスコンに優勝しただけでは得られぬだろう知名度をすでに手にしていた。それどころか異なるキャンパスにさえその名は知れ渡っていた。
それはなぜか。
「それだったら君らのがマイノリティだよね。そんな純情人間今時いないし」
そこにはAという人間の、奇怪としか言いようのない性質が強く影響していた。
実のところAという人間は”男”なのである。Aの容姿は単なる女装癖の恩寵で、ミスコン優勝という経歴を持つこのAという男は酷いほどの女装癖を持っていた。
その上ミスコンに優勝するほどの女装に対する類稀なる才能を持っていた。Aの姿を見たところでソレを女装した男だと見抜ける人間はいないと確信せられるほど。
「でもボクみたいな美少女がさ、キミらだけの下に収まるわけがないじゃない」
徹頭徹尾Aの言葉の節々に現れるナルシズム。それが示すようにAという人間はこと女装においてはナルキッソスもかくやと言わんばかりの自己陶酔に溺れている。
そもそもAが女装を壁にするまでの過程には、自身の莫大な自己顕示欲が存在していた。それまでAは身長が低く筋肉もなければ活発でもない男らしくない人間だった。ちやほやされることなんてあるわけがなく馬鹿にされることが多かった。しかし女装をした途端、周囲の人間は突如Aを称賛した。その経験がAを歪ませる。
「それは傲慢ってやつだよ」
やがて肥大化したAの承認欲求はAを大学に女装させままに通わせた。
そして昨年、ミスコンに優勝しこの頃は有頂天。人を小ばかにし嘲笑する悦楽を知りより悪辣となったAを、だれも止められないでいたのだ。
「……ほかに言いたいことはないのか」
この大学で最も女性的な魅力で溢れ、この大学で一番奇怪で、近頃は悪辣極まるAに相対する男をBという。Aのくすくすと笑う表面上の可愛らしい無邪気さに対しBの顔にはどこまでも怒りばかりが存在していた。
「うふふ、むしろボクがキミらに聞いてみたいよね」
Bという人間はAの煌めく様な華やかな容姿と比べると、あまりに陳腐でつまらない姿をしている。顔は精々が平凡と言える程度、背丈も中肉中背で高いとも低いともいえない姿。Aと比べれて、路傍の石と言われれば褒め言葉にもなりうるかもしれない程度の薄い印象の男だった。
「どんな気持ちだったのかなぁって」
にこにこ笑うA。苦々しい顔のB。
容姿の釣り合わないAとBが関わり合うようになったのは、彼らの比較的短い距離のお陰だろう。彼らは同じ学部学科、そしてゼミまでも同じで平生から関わりのある人間だった。とはいえAの極彩色のきらめきには到底敵っていない。
しかしBには六カ月前、ある転機が訪れた。
「ボクと付き合ってたのは楽しかったか?」
不気味なほどに、Aの口角は吊り上がる。それはまさに悪魔のような笑み。
Aが言う様にBはひょんなことをきっかけに彼と付き合こととなった。しかも半年という長い期間を付き合っていた。もちろんBもAが男であることを知っていた。しかしその可愛らしい容姿を前にしてBもメロメロになっていたのである。有頂天のAの悪辣も、可愛らしい悪戯程度にしか思っていなかった。
事実AとBが付き合う中でそういったことが幾ばくかあった。
「ドッキリとかじゃないのね」
睨むBと笑うA。その争いにもう一人が加わった。
その女はCと言う。身長が女性としては高くBと肩を並べるほどで、顔も凛としておりどこかに男らしさが見え隠れするショートカットの美人。
「ふふ。当たり前でしょ。ボクがそんなに性格が悪く見える?」
Cはその凛とした顔に般若の如き表情を張り付けAを睨む。
Cと言う人間は昨年ミスコンで準優勝したこれまた類稀なる美貌の持ち主。そして一歩足らずで悪辣なAに敗北を喫した人でもある。そんな彼女はともにAを睨むBと同じく、六カ月ほど前にAと付き合い始めた人間だった。
「泣かされたくないのなら、さっさと謝りなさい」
「きゃっ、コワーイ。ミスコン”準”優勝の微妙女子が脅してくるよぅ」
ここはAに騙されたBとCによる断罪の場。しかしいまだに悪辣の途絶える事ないAによってテーブルに置かれたCの手は憤怒に震えていた。
しかしAはどこ吹く風。それどころか今まで自身の容姿に自負を抱いていたCに、自らが与えた敗北の事実までもを口にしてきゃっきゃと笑い始めた。
元よりこのキャンパスではA悪辣さは広く知れ渡っていた。昨年Aが一年生であったころ、ミスコンで優勝したAは学生が多くいる中で一つ笑いながら叫んだことがあった。それは「やっほぅ、ボク以下の不細工女子の皆様こんにちは!」というものから始まり果ては「ボクに負けて恥ずかしくないのかなぁ?」というもの。
「キミはカッコいいからね、付き合っていたいのなら付き合ってあげてもいいよ?」
悪辣に快を見いだし愉悦に溺れる悪意の徒。それにCは手を上げる寸前だった。
上から投げ掛けられる「お願いされたら付き合ってあげてもいいよ」と言う傲岸不遜な言葉。それにはBも同じく顔をしかめた。
しかしBにはそれを維持できる余裕はなかった。
「Bもね、ふふ、相性はいいからね、ふふ。恥ずかしいけどね」
「馬鹿野郎てめ、なにこんな場所で言ってやがんだよ!!」
突然爆弾発言を投げ込んだAは。当然聞き耳を立てていた人たちにその言葉も伝わり意味ありげな発言は瞬く間に伝搬していく。周囲はざわめきだした。
しかしこの悪辣な人間は止まることを知らない。Aという人間が二刀流であることも事実であり、相性が良かったということも事実であるのだ。
Bに向けられる視線には、幾ら可愛らしい容姿をしていようがAのような悪逆非道の権化でありかつ男でもある人間とヤったのか、という信じられない気持ちが多く含有されていた。そんな軽々しく性別の声を乗り越えてしまってよかったのか。しかもその卒業がよりにもよってAでよいのか、と。
「ふふふ、いいねその顔。出来るならキミが美形だったら面白かったんだけど」
Aは小柄なその身をテーブルに乗り出してBの中庸な顔を人差し指で撫でる。興奮によってかその瞳を潤わせ、時折甘い吐息を漏らしている。
酷く扇情的な姿。しかしBはもはやAに誘惑されるほどの愚かではなかった。
「これでわかったわ。Bさんも私と同じくAに騙されていたのね」
「騙していたなんてさぁ、人聞き悪いよ」
敵愾心の込められたその台詞。立ち上がりCはAの白く滑らかな頬を撫でる。それはどこか淫靡な香りが漂って、しかしどうしようもなく怒りがあふれ出ている。
そしてそれがCを決意させた瞬間でもあった。
「……生意気なヤツをぶっ潰すって、楽しいわよね」
「うふふ、そうだね。でもキミは潰されちゃった側じゃ――」
Cは器用にAを抱き上げた。途端に行われた行動にAは目を丸くする。
Cの凛とした顔には夏の海を彷彿させる快活で、そして爽やかな微笑みが張り付けられている。一見してみればCの立ち振る舞いは姫を連れ出そうとする王子様。愛しき人と共に行こうとするお茶目心が発露した凛々しい王子。
「なら、私がアンタを潰してもいいでしょう?」
「……へぁ?」
しかし少なくとも恋愛関係を半年続けてきたAには、Cの瞳にありありとこちらへの憎悪が見えていた。そしてその憎悪をも凌駕する量の歓喜が現れていた。
ゆえにAは困惑した。己は一度もCを喜ばすことなんてしていないと。
Aを嫌な可能性が襲う。
「哀れだなA。俺は知らねえぞ、こんなサド女のことなんて」
「あら、あなたも一緒にしましょうよ。このクソガキを分からせましょう?」
「いや、授業あるんだけど、離してくれないかな」
それまでの微笑みは失せ、真顔でCの腕から逃れようとするA。しかし華奢で筋力のないAはCから逃れられることなどできず、どんどんCに連れられる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ、天井のシミを見ていれば大丈夫だからね」
あまりにも不穏な言葉。
「い、いやっ、いやだ」
遂にAの恐怖が平常心を上回る。軽い悲鳴を上げ絶望的な状況に陥っていることを遂に把握したAは全力で藻掻き始める。Cから物理的に逃れられる手段はすでに消え去り、しかし抵抗として思いっきりCの腕を殴る。それから様々な罵詈雑言と色々な暴露を、他の学生が溢れかえるキャンパス内で強行する。
しかし人望のないAを救うものは誰一人としていない。
「いいね、その顔、その顔をずっとずっと見たかったんだよ」
Aの顔は青ざめる。一体このCとBにはなにをさせられるのか。こんなにも困窮しているというのに誰も助けてくれないという絶望。そしてそれに対する憤慨。絶望と憤慨と恐怖と様々な感情が入り混じりAの顔は引きつった。
その様子にCは凄惨な笑みを浮かべる。
その翌日、BとCの隣でしおらしくしているAの姿がキャンパス中で発見された。
女装少年、二股する 酸味 @nattou
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