おばあちゃんのランダムおにぎり

ハルカ

さくらでんぶと柴漬けのおにぎり

 朝7時までは、台所に入るべからず。

 我が家の暗黙のルールだ。


 その時間が過ぎ、家族のみんなが起き出してくる頃になると、食卓の上には10個のおにぎりが並ぶ。

 私たちは、その中からそれぞれ自分が食べるおにぎりを選ぶ。

 お父さんは3個。中学生の弟も3個。お母さんと私は2個ずつ。


 どのおにぎりを選ぶかは自由だ。

 弟は少しでも大きいおにぎりを選ぼうとする。私は占い気分で選んでいる。お父さんは選ぶのが面倒だからどれでもいいだなんて言うけれど、お母さんは「残り物には福がある」と言う。


 おにぎりはそれぞれアルミホイルで包まれているから、なにが入っているのかまったくわからない。お昼休みの楽しみだ。

 中身は完全にランダムで、10個のおにぎりの具は全部ちがう。


 たまに変わり種が入っていることもある。

 今までで一番びっくりしたのは、煮卵が丸ごと入っていたときだ。

 焼きたらこや豚の角煮が入っていると、その日の午後はとてもハッピーになる。


 そんな素敵なおにぎりを用意してくれるのは、おばあちゃんだ。

 おばあちゃんは毎朝5時に起きて、家族のためにおにぎりを作ってくれる。きっと大変なことだと思う。

 でも、おばあちゃんは言う。「楽しいの」と。


 ランダムおにぎりはおばあちゃんのアイデアだ。

 おばあちゃんはお茶目な人なのだ。


 夜、おばあちゃんは誰よりも早く寝る。

 明日の朝、また家族みんなのおにぎりを作るために。


   🍙 🍙 🍙


「今日の具は、なに?」

 私がおにぎりを食べ始めると、決まって友達からそう聞かれる。

「えっとね」


 1個目のおにぎりには、小ぶりの唐揚げが入っていた。

 友達に見せると、みんな「え~、おいしそう」「意外な組み合わせだね」「ボリュームありそう」などと言って盛り上がる。


 唐揚げおにぎりをゆっくりと味わい、2個めに取りかかる。

 こちらはカニかまとスクランブルエッグ。鮮やかな赤と黄色が目に楽しい。

 お母さんが付け合わせに用意してくれたブロッコリーやトマトとの相性も抜群だ。


 食事を満喫した私は、鞄からスマホを取り出した。

 そして、カレンダーに今日のおにぎりの具を記録してゆく。

 日付をさかのぼれば、今までおばあちゃんが作ってくれたおにぎりの具がずらりと並んでいる。日によっては家族から「こんな具が入ってたよ」と報告を受けたものを書き込んであったりもする。

 なかなかに壮観で、ちょっと誇らしい気分になる。


「うちのおばあちゃん、ホントにすごいの。だって毎朝5時に起きて家族みんなのおにぎりを作っちゃうんだよ?」

「ま~た、おばあちゃん自慢が始まった」

「ゆかりんっておばあちゃんっ子だよね」

「でもちょっとうらやましいかも」


 友達は口々にそんなことを言い合う。

 こうやって楽しいお昼を過ごせるのも、学校の授業を頑張れるのも、うちの家族がみんな仲良しなのも、きっと全部、おばあちゃんのおかげだ。


 おばあちゃんは、私にとって自慢の家族なのだ。


   🍙 🍙 🍙


 最初に様子がおかしいと思ったのは、高校二年生の夏休みが終わった頃だった。

 私は相変わらずお昼休みのおにぎりを楽しみにしていた。


「今日はなにが入ってるの?」

 そう聞かれて、私はおにぎりをかじる。

「んんっ、ちょっと待って。今日は白米の層が厚いなぁ」


 冗談めかしてもう少しかじってみるが、いつまでたっても具は出てこなかった。

 じれったくなり、私はおにぎりを両側からつかんで割ってみた。

 でも、中にはなにも入っていなかった。


 こんなことは初めてだった。


   🍙 🍙 🍙


 家に帰ってさりげなくおにぎりのことを聞いてみると、おばあちゃんは目を丸くした。

「あらあら、入れ忘れちゃったのかしら。ごめんね、味気なかったでしょう」

「びっくりした。おばあちゃんでもそういうことあるんだね」


 具が入っていなかったのは、ただのうっかり。

 そうわかってホッとした。

 でも、それだけじゃ終わらなかった。


 数日後、また同じことが起きた。

 今度は弟のおにぎりで。弟ははっきり物を言うタイプで、おにぎりの話題はその日の晩の食卓で出された。弟はおかずを増やしてほしいという交渉のためにその話題を持ち出したみたいだったけど、おばあちゃんは謝りながらショックを受けているようだった。


 そして、次の日。

 今度はお父さんのおにぎりで同じことが起きた。

 これはさすがにおかしいと、お父さんはおばあちゃんを病院に連れて行った。

 診断の結果、初期の認知症だということがわかった。


 それでもおばあちゃんは、朝5時に起きて家族のためにおにぎりを作った。

 一か月が過ぎ、秋になる頃には、おにぎりは全部ただの塩むすびになった。お母さんが早起きをしておかずを作ってくれるようになったが、フルタイムのパートをしているから冷凍食品が多い。

 お父さんは外食で済ませるようになり、弟はコンビニでお昼ご飯を買うようになった。私もだんだんそうなっていった。


 おばあちゃんの症状はどんどん進んでいった。

 そのうち自分で入浴や排泄ができなくなり、お母さんはパートを辞めてつきっきりでおばあちゃんの世話をすることになった。

 お茶目で朗らかだったおばあちゃんは人が変わったようになってしまった。

 ぼんやりしているかと思えば、急に怒鳴ったり家族を罵ったりもした。オシャレな人だったのに、身だしなみも気にしなくなってしまった。


 冬が始まる頃、おばあちゃんは家族のことを誰もわからなくなってしまった。

 そして、徘徊が始まった。


   🍙 🍙 🍙


 お父さんは、叔父さんや叔母さんと話し合い、おばあちゃんを老人ホームに入れることにした。私たちが最後までおばあちゃんを好きでいられるために、必要なことなのだそうだ。

 もう家族そろって暮らせる日は訪れないのだと、お父さんは私たちに言った。


 慌ただしく準備をしているうちに、あっというまに入所日がやってきた。

 おばあちゃんは自分の置かれた状況をわかっていない様子だった。

 居間の窓際でぼんやりと外の景色を眺めながら日向ぼっこをする姿は、記憶よりもずいぶん小さくなってしまったように感じた。


「おばあちゃん、私、いっぱい会いに行くからね」

 そう声をかけると、おばあちゃんはよそ行きの笑みを浮かべた。

「あら、可愛らしいお嬢さんね。うちにも小さい女の子がいるのよ」


 うちには小さな女の子なんていない。

 おばあちゃんは、今を見ていない。昔の思い出の中に生きている。


「きっとその子はおばあちゃんのことが大好きだよ」

 やさしく両手を包み込んで、気持ちを伝える。

 おばあちゃんは穏やかに笑っていた。

「そうだと嬉しいわ。あの子はいつも私の握ったおにぎりを美味しそうに食べてくれるの」


   🍙 🍙 🍙


 翌日のお昼休み。

 とうとう私は友達の前で泣き出してしまった。


 ここ数か月のあいだに起きたことはどれもショッキングなことばかりで、とうとう耐え切れなくなってしまったのだ。

 事情を知っている友達は、かわるがわる私を慰めてくれた。それなのに、これから自分が行く先々に悪いことばかりが待ち受けているような気持ちになり、涙はなかなか止まってくれない。


 泣きやまない私に、友達の一人が言った。

「ゆかりん、自分でおにぎりを作ってみたら?」

「……えっ、私が?」

 涙に濡れたまま見上げると、友達はスマホを指した。

「だって、毎日記録をつけてたでしょ。できるんじゃない?」

「あっ!」


 そんなこと、すっかり忘れていた。

 私は急いでスマホのカレンダーを見る。そこには、今までおばあちゃんが作ってくれていたおにぎりの記録がたくさん残っていた。

 急に、目の前が明るく開けたような気がした。


   🍙 🍙 🍙


 翌朝、私は5時に起きて台所に立った。


 我が家に「朝7時までは、台所に入るべからず」という暗黙のルールができてからというもの、この時間の台所に立つのは初めてのことだった。

 しんと静まり返った台所に立っていると、まだそこにおばあちゃんの足音や息遣いが残っているような気がした。


 スマホの画面とにらめっこしながら、私にも作れそうなものをピックアップする。

 初心者らしく、まずは簡単なものから。


 そう思って選んだのに、実際に作り始めてみるとシンプルなおにぎりでさえ難しい。塩の加減もわからないし、どのくらいの強さで握ればいいのかもわからない。優しく握るとバラバラになってしまうし、強く握りすぎるとお米が潰れてしまう。


 朝7時になって、どうにか10個のおにぎりができた。

 当然、おばあちゃんのおにぎりには遠く及ばない。

 それでも、家族の顔を思い浮かべながら食卓に並べてゆく。おばあちゃんもこんな気持ちだったのだろうか。


 私は目をつぶり、その中からひとつのおにぎりを選んだ。

 そっとアルミホイルを剥がすと中から可愛らしいピンク色が現われた。

 さくらでんぶだ。一口かじれば優しい甘さと酢飯の酸味がふわりと広がってゆく。中には柴漬けが忍ばせてある。


 これもおばあちゃんとの思い出がつまったおにぎりだ。

 高校に通い始める前日、うまくやっていけるか不安だった私におばあちゃんがこのさくらでんぶのおにぎりを作ってくれた。


 正直、この先のことは不安でいっぱいだ。

 人はいつか老いてゆくし、それは誰にも止められない。

 同じ幸せはいつまでも続かない。


 さくらでんぶのおにぎりを一口かじるごとに、涙があふれてきた。

 こんなときでも食べなきゃいけない。

 こんなときだからこそ、しっかり食べなきゃいけない。


 おばあちゃんは、もうこの家にはいないけど。

 これまで続いてきた道を、絶やさないように引き継ぐことはできる。


 明日もまた、おにぎりを作ろう。

 ――朝7時までは、台所に入るべからず。

 この暗黙のルールは、きっとこれからも我が家で守られるだろう。

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