恋愛なんかすんなって宮本武蔵が言ってた
葎屋敷
恋慕の思いに、寄る心なし
それはある日の昼休みの事だった。その時の俺は自分の教室で、先程まで味わっていた弁当の味を思い出しながら、携帯でSNSの巡回をしていた。そんな昼休憩の最中、中学の頃からの友人である野々本が俺を訪ねて来たのである。
「藤、ちょっと今いいか?」
「おーおー、どうした野々本。後輩ちゃん連れて」
声をかけられた方を見れば、友人の野々本は女子生徒を一人連れていた。名前は知らないが、ウチの剣道部に唯一入った新入生だったはず。野々本の後輩だ。
「お休み中失礼いたします、藤本さん! 私、原沢と申します!」
野々本の後輩こと原沢ちゃんは、ビシッと指を揃えた手をこめかみに当て、大きな声で自己紹介をしてくれた。見事な敬礼だ。
「なにこの子。軍隊にでも入ってる?」
「気にしないでくれ。変な方向に気合いを入れる奴なんだ。お前を訪ねたのも、こいつが訊きたいことがあって――」
「え、俺、自衛隊の入り方とか知らないけど」
「違う! 二刀流のことだ」
野々本は俺の懸念を首を振って強く否定した。その否定に混ぜられた単語に、俺の片眉がぴくりと動く。
「二刀流の?」
「ああ。お前試してただろ、二刀流」
「まあ、やってたけど……」
野々本が言っているのは、俺が高校一年生の時のこと。つまりは去年の話だ。もう辞めてしまったが、俺は去年まで野々本と同様に剣道部に所属していた。その時の俺は、竹刀を二つ持って試合に挑む二刀流の練習をしていたのである。
「実はこの原沢、二刀流に強い憧れがあります!」
「ほう」
原沢ちゃんは敬礼した状態のまま、力強い声で話を始めた。俺は頬杖を机に突いた状態で耳を傾ける。
「原沢の好きなアニメの主人公がですね、二刀流で戦うのですよ!」
「アニメかぁ」
「はい! 未経験ながら剣道部に入ったのも、その主人公のようにかっこよく戦えるようになるためでして! いつ異世界に飛ばされてもいいように、準備しておきたいのです!」
「こんな元気に厨二病拗らせてる子、初めて見たわ」
俺は思わず感心し、原沢ちゃんに拍手を送る。彼女は随分と素直な子のようで、俺の拍手に照れていた。他方、野々本は眉間に寄った皺を指で摘んでいる。
「俺は二刀流なんてやめておけって言ってるんだが……。俺がお前の話を出してしまってから、遣い手の話が聴きたいとうるさくてな。悪いが連れてきた」
「先輩には二刀流のかっこ良さがわからないのです。藤本さん、二刀流の遣い手として、是非その素晴らしさをご教授いただければ!」
原沢ちゃんは期待の籠った瞳でこちらを見据えている。厨二に溢れた言動さえなければ、目鼻立ちの整った可愛い子だ。そんな子の期待を裏切ってしまうのは大変申し訳ないが、
「いや、二刀流はやめといた方がいいよ」
「んなっ!」
俺は端的に事実を告げる。すると、原沢ちゃんは大きく瞳を開き、驚愕に後ろに一歩下がった。
「な、なんですと……?」
「いや、二刀流はオススメしない。俺も練習はしてたけど、試合では使えない」
「な、なにゆえ!?」
「まず、純粋に使い勝手悪いから」
俺は手元にあったペンを高速で回しながら、原沢ちゃんの質問に答えていく。
「俺、上段やってたから、その延長で練習してみてただけなんだよ」
「じょ、じょうだん……」
「お前もやってる基本の構えが中段。上に振りかぶった状態で構えるのが上段だ」
原沢ちゃんは剣道未経験だからか、上段の構えを知らなかったらしい。困惑している様子を見てとって、野々本は右足を後ろに引きながら両腕を上へ運ぶ。
「右足を前に、左足を後ろにっていう剣道の基本の足さばきが、上段だと逆になるんだよ。そういうとこ面倒だけど、中段みたいに一旦剣先を上げずに、振り下ろせば面が狙える。原沢ちゃんもやってみな」
「上段だって片手打ちだぞ。女子にはきついだろ」
「いや、それはお前が女子の試合見ねぇから知らないんだよ。強豪なら上段女子はちょいちょいいる。まあ、ウチみたいな弱小校にはまずいないけど」
最後の言葉が気に障ったのか、野々本がこちらを睨みつけてくる。ウチの高校の剣道部が五人しか部員のいない弱小校であることは確かなのだから、いちいち威嚇しないでほしい。
「そ、その上段が出来れば、二刀流への道は開けますか!?」
「だからやめとけって。二刀流って大小二本の竹刀使うんだけど、小刀の方で打ってもそうそう一本取れないから、結局でっかい方で一本狙うしかないし。小刀は盾みたい使うことになるから、アニメみたいにはいかないよ」
「な、なんですと」
「しかも腕疲れるしなぁ。鍔迫り合いも小刀の位置間違えたら指導されるし。面倒が多いよ。あと、これ一番大事なんだけど」
「な、なんですか」
俺が言葉を溜めれば、原沢ちゃんはごくりと唾を呑み込む。俺はニヤリと笑って、
「そもそも、高校生は使うの禁止」
「な、なな、なんですって!?」
驚愕の事実に、原沢ちゃんは頭を抱えてしまった。可哀そうなこって。
「野々本も教えてやれよ」
「いや、公式じゃなければ使えるだろ」
頭の固い野々本は練習試合なら使えるからといって、根本的なことを教えていなかったようだ。二刀流を目指して入部した厨二病患者になんてひどい仕打ちをするのか。この病は期間限定なんだぞ。真摯に対応してやれ。
「それに、大学まで続ければ公式でも解禁だ」
「原沢は今! 今やりたいのです!」
「あー、そりゃ無理。剣道初心者なんでしょ、原沢ちゃん。上段だの二刀流だのやる前に、まずは足さばきから。変わったことやる前に、そういう基本やりな」
「そうだ。そもそも、お前はまだ踏み込みが甘い。足の引き付けだって遅くて――」
「うううっ」
俺の指摘を引き金に、野々本が後輩への説教を始めてしまった。肩を丸める原沢ちゃんに対し、頑固おやじのような説教を食らわす友人。部活中にやればいいものを。
「でも、原沢はかっこよくなりたいです」
「お前なぁ……」
「二刀流を使い熟せば、原沢も先輩に勝てるくらい強くなれますよね?」
「いや、それは――」
落ち込んだ後輩に見上げられ、野々本は言葉を詰まらせる。このまま二人の攻防を見守っていてもいいのだが、俺は友人の可愛い後輩のため、彼らの間に割り込ませるように口を挟んだ。
「待った、原沢ちゃん。それは違う」
「藤本さん?」
「二刀流を使えるから強くてかっこいいんじゃない。強い奴が二刀流使ってるからかっこいいんだよ。そのアニメの主人公もそう。元からかっこいいんだって。基本的なことすっ飛ばして二刀流使っても、かっこよくはなれん」
「で、では、かっこよくなるためには――」
「『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす』って二刀流の宮本武蔵も言ってるぜ。継続してこその鍛錬ってな。素振りとかちゃんと毎日やること。そしたら強くなれるよ」
「おお! み、宮本武蔵が……!」
近道なんてない。そのことが
「して、そのように剣道の心を弁えている藤本さんは、なぜに剣道部をお辞めになられたので?」
「臭いから」
「え」
予想に反した俺の答えに、原沢ちゃんは動きを止めて、じっとこちらを見てくる。俺が部を辞めた理由を、くだらなくて矮小なものだと思っていることが手に取るようにわかる。心外というものだ。
「いいか。俺は人生で初めてできた彼女に放課後、『臭いから嫌だ』って言われて手を繋げなかったあげく、その翌週に振られた。全部剣道のせいだ」
「手を洗えと俺は言った」
「洗ったわ! 洗っても取れないんだよ! 籠手に染みついた匂いが俺の手にも染みついて、その日はもう取れねぇの!」
「お前、中学から剣道を続けといて、今更そんなこと……」
野々本は呆れた様子で苦言を呈するが、俺からすれば失恋することで、剣道を続けるデメリットを改めて思い知っただけのことだ。
剣道をする際には籠手を両手にはめる。これがなんといっても臭い。いや、面や銅の紐も臭いが、石鹸の香りでも打ち消せない匂いが手に残るのは、苦痛としか言いようがない。
その他にも剣道に対しては文句がある。夏は蚊に囲まれるし、裸足で行うので冬は足が死ぬ。大会があると、防具を公共機関を使って運ばなくてはならないのが地味に面倒等々。それはそれは苦行を重ねる部活動なのである。
「原沢ちゃんも気をつけろ。せっかく彼氏ができても、匂いのせいで振られたら最悪だから!」
「……あー、えっと」
「どうした?」
俺の忠告に対し、原沢ちゃんの歯切れが悪い。先程まで快活に話していたとは思えないほど、彼女はチラチラと野々本の方を見ては、なにか言葉を選んでいる様子である。俺が問えば、おずおずと彼女が口を開く。
「その、あまり問題がないというか」
「え」
「匂いに関してはお互い様なわけですし。振られる心配はないと言いますか」
そう続ける原沢ちゃんの視線を追えば、そこには俺からサッと視線を外した野々本ひとり。
……なんてことだ。俺は彼女の発言の意味を理解した瞬間、渾身の力を籠めて立ち上がる。そして叫んだ。
「恋慕の思いに、寄る心なし!」
「なんだ急に」
「恋愛なんかすんなっていう宮本武蔵の言葉だわ! よりにもよって、俺が独りの時に!」
「お前、そうやって他人の幸せを祝えないから振られたんじゃないか?」
「ごふっ」
恨みを籠った俺の魂の叫びは、野々本の鋭い正論によってあっさりと跳ね返された。斬り返す刃を持たない俺は席に大人しく座る。
「よく見とけ、原沢。二刀流に触れていたってこんなものだ」
俺を指さす野々本の容赦のなさに、俺は机に伏して泣いた。
「だ、大丈夫ですよ、藤本さん! 藤本さんにもまた恋人ができます!」
「ううっ」
今まさに恋人にいる後輩からの励ましに、俺の心は嫌忌の念に溢れ、より一層屈辱の涙を流したのだった。
恋愛なんかすんなって宮本武蔵が言ってた 葎屋敷 @Muguraya
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