傘を忘れる男

ハルカ

☔ 🌂 ☔ 🌂 ☔

「先輩、また二刀流っスか」

 仕事を終えて帰宅の準備をしていると、後輩がにやにやしながら声をかけてきた。

「うるさい。油売ってないでさっさと帰れよ」

 つっけんどんにそう返す。このやり取りも、もう何度目になるだろうか。


 私のデスクには二本の傘が立てかけてある。

 ちなみに雨は降っていない。雪もだ。

 これからこの傘を持って電車に乗ることを考えるだけで憂鬱になる。天気のいい日に傘を、しかも二本も持ち歩くと、それだけで悪目立ちするのだ。


 小学生の頃から、なぜか私は傘を忘れやすかった。

 しかし、子どもの頃はまだ良かった。

 母にきつく叱られてようやく学校から傘を持ち帰るのだが、畳んだ傘を左右の手に持って構えると、まるで二刀流みたいで楽しかった。


 社会人になっても、結婚して子どもができても、傘を忘れる悪癖は治らなかった。

 就職して行動範囲が広がった分、傘をどこに置いてきたのか思い出せないことも増えた。

 優しい妻は、大切な夫が濡れたら大変だとすぐに新しい傘を買ってくれた。

 こともあろうか、その傘を私はたった一月ひとつきで失くした。それでも妻はめげずに新しい傘を買ってくれた。私はまた傘を失くした。

 折り畳み傘なら忘れないだろうと、妻は鞄に入るコンパクトな傘を買ってくれた。それさえも、気付けばどこかへ失くしていた。

 高い傘なら注意するかもしれないと、妻はうんと値が張る傘を買ってくれた。だが私は、その傘もどこかへ失くしてしまった。


 とうとう妻は傘を買ってくれなくなった。

 手元に残ったのは二本。

 それしかないのに、私は雨の日に傘をさして会社へ行き、雨が上がれば忘れて帰った。同じことを繰り返せば、家には傘が残らないことになる。

 あまりにも不便だったので、自分の小遣いからビニル傘も買った。だが、取引先回りに安物の傘ではどうにも体裁が悪い。


 家に帰ると、息子に聞かれた。

「パパ。二刀流って強いの?」

 二刀流か。おおかたアニメか漫画で知って興味を持ったのだろう。

 私は答える。

「多ければいいってもんじゃないよ。たくさんあると、安心して油断するだろ」

 背中に刺さる妻の視線が痛い。


 テレビをつけると天気予報がやっていた。どうやら明日は雨が降るらしい。

 今日持って帰ったばかりの傘をまた会社に運ぶのかと思うと憂鬱になる。いや、明日の出勤で濡れずに済んだことを喜ぶべきか。


 私は今まで失くしてきた傘に想いを馳せる。

 彼らは今でも日本のどこかで誰かの役に立っているのだろうか、と。

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傘を忘れる男 ハルカ @haruka_s

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