ミラーハウス あちらの私は昨日の私

高坂八尋

あなたは私

 鏡をじっくりと見つめる。


 そこにはブレザーの制服を着た、ごく普通の有り触れた女の子が立っている。


 学校のお手洗い。私は独り鏡を見ていた。全開にしたコックに、蛇口から水が延々と流れ続け、周囲は水飛沫の音に包まれている。


 何も無い、大丈夫。私は私。


 明日も明後日も、明々後日も私が私でいられる。――はず。


 私は安心して目を閉じて鏡を触る。そのまま鏡に微笑み掛けて、首を傾げてみせた。


「ありがとう、ありがとう。本当にあなたのおかげよ」


 いつのまにか激しい水飛沫の音が止まっていた。


 私はいつも通り、教室に戻った。


 そうして、翌日になり私はまた学校のお手洗いへ行き、コックを全開にひねる。水が勢い良く流れ出し、私はまた鏡を見つめる。


 そこにはいつもと変わらない私が居た。


 私は頬を撫でながら、にっこり笑うと、鏡に触れる。


「ありがとう、ありがとう。あなたのおかげよ」


 私は祈るように強く目を閉じた。


 いつの間にか水が流れる激しい音が止まっていた。


 私は小さく笑い出すと、笑いが止まらなくて少しだけ肩を揺らして笑い続けた。


 こうしてその日も教室へ戻って行った。


 ある日、私はお手洗いの扉に体当りするように飛び込んだ。


 乱れた呼吸を調えて、コックへ手を伸ばすと、どんなに強く握りしめても滑って動いてはくれなかった。


 顔に張り付く邪魔な髪を引っ掻くように剥がして、両手でコックに取り付くと、排水口へ高い音を立ててカッターが弾け飛んだ。


 どす黒い体液に塗れたコックを懸命に両手でひねり続けると、ようやく水が轟音を立てて吹き出した。


 私は今までで一番大きな笑い声を上げていた。どうせ、気付かれても何の問題もない。 


 清潔なブレザーを着て微笑む女の子が、鏡に映っている。


「私は大丈夫。だってあなたは私だもの」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミラーハウス あちらの私は昨日の私 高坂八尋 @KosakaYahiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ