【完結】龍

空廼紡

 遥か昔、悪さをして巫女の手によって封印された強い龍の伝説を聞かされたのは、が五つの時だった。


 語り手は祖母。傍らには曾祖母がいた。


 薄暗い部屋を照らすのは一本の蝋燭だけ。神社の敷地内にあるこの大きな家で、唯一電気器具がない部屋だった。コンセントもなく照明器具もなく、向日葵は時代遅れの部屋だな、と思っていた。その部屋の中心で正座を強要され、足が痺れたなどと言えるような空気でもなく口を引き締める。


 龍の伝承はこのような内容だった。


 ずっとずっと昔の話。とある山の麓に小さな村があった。山にはとても強い龍が住んでいた。その龍がとにかく乱暴者で、村の人々は龍に怯えながら暮らしていた。ある日、龍がいつもよりも増して暴れ始めた。龍が尾を振る度に大地が震え、村は半壊した。生き残った村人が隣村の巫女に龍の討伐を依頼した。巫女は言った。



『その龍は神に近い者。倒す事はできません。しかし封印ならなんとかなるでしょう』



 巫女は龍との激闘の末、龍を封印することができた。村人たちは巫女に深く感謝し巫女が若くして亡くなってからも、自分たちが死ぬまで墓参りを続けたそうな。


 祖母の話が終わり、向日葵は首を傾げる。


 どうして昔話をそんな真剣な顔で語るのか、向日葵には分からなかった。そんな向日葵に気付いたのだろう。黙り込んでいた曾祖母が口を開いた。



「わしらの御先祖様が、その龍を封印した巫女様なんだよ」



 目を丸くして、曾祖母を見据える。



「そうなの?」


「そうなのだよ。家の奥に古いお墓があるだろう?」



 それには覚えがあった。家の裏手にある竹林。灯篭に囲まれた細い道の先にある、とても古い墓。年に一度、家族総出で墓参りに行く場所だ。



「あのお墓が龍を封印なさった巫女様のお墓だよ」


「へぇ…じゃあ、龍は今も封印されているの?」


「ええ」


「どこに?」



 訊くと曾祖母は自分の胸に手を当てた。



「ここに」


「え?」


「龍はね、わしの精神世界に封じ込むっていうことだけど。心の中、といったほうが分かりやすいかもね」


「ひいおばあさまの心の中に?」


「そうとも」



 向日葵はまじまじと曾祖母の胸を眺める。



「はしたないからお止め」



 祖母に咎められて、慌てて視線を逸らした。



「で、どうしてこの話をしたかというと」


「わしが話すよ」



 祖母の言葉を遮ると、曾祖母は座ったまま向日葵の横に移動した。

 一拍置いて、曾祖母は告げた。



「今日、この話をしたのは他でもない。この龍をお前の中に移すことが決まったからじゃ」


「え」


「ごめんよ。本当は少しずつ話すつもりだったんだ。お前が十六になるまで待つはずだったんだけど…」



 心の底からの謝罪が耳に入らず、その前に告げられた言葉を頭の中で反芻した。


 龍を自分の中に移す。


 あまりにも唐突すぎて、動揺を隠しきれなくて祖母と曾祖母の顔を交互に見やる。

 祖母はしかめっ面だったが、曾祖母は困ったように笑った。



「向日葵や。お前は一族の中でも、強い霊力の持ち主じゃ。龍の封印は霊力が強い者しか継ぐことは許されない。お前しか出来ぬことじゃ」


「優太もできない?」



 弟の名前を上げると、曾祖母は頷いた。



「どうしてわたしの中に移すの?」


「それはね、ひいばあさまの寿命が尽きかけているからだよ」


「ひいばあさま……死んじゃうの?」



 向日葵の瞳が揺らぐ。曾祖母は微笑み、向日葵の頭を撫でた。



「向日葵は賢いね。死の意味をちゃーんと分かっている」



 曾祖母は枯れ木のような手で向日葵の頬を包み込む。俯いていた向日葵の顔を上げさせた。曾祖母の眼差しは優しく、悲しみに満ちていた心を和らいでくれた。



「いいかい、向日葵。龍を封印し続けるにはね、強い霊力以上に強い心を持たなくてはいけないよ」


「強い心?」


「強い心、といっても色々ある。その中からお前らしい強さを見つけるといい。お前なら見つけられるさ。わしの曾孫だからね」



 そう言って曾祖母は向日葵に満面の笑顔を送った。


 その笑顔は、何故だが写真のように脳裏に焼き付いてしまい、向日葵は最期までそれを忘れる事はなかった。


 二か月後。無事、向日葵の中に龍を移した曾祖母は自分の部屋で家族に見送られながら静かに息を引き取った。







 季節が何度も移ろいで、向日葵は十歳になった。



「……はぁ」



 溜息をついて、目の前の膳を眺める。


 湯気が立っている白米に豆腐の味噌汁。たくあんにサンマの塩焼き。ごくありふれた朝食。だが周りには誰もいない。自分の部屋で食事をとるのに慣れたものの、一人だということでこうも味気がないのはどうにもならない。


 向日葵以外の家族は、今頃他の部屋で食べていることだろう。会話を交わしながら、自分と同じものを口にしている。同じ屋根の下なのになんだか遠い場所のようだ。


 龍を向日葵の中に移してから、母は向日葵に対して余所余所しくなった。向日葵に触れるのを躊躇うようになった。自分の中の龍に怯えているんだな、と察してしまった。父もそんな母に付きっきりで向日葵に構ってくれなくなった。


『自分の妻が精神的に不安定だから心配なんでしょう。ちゃんと貴女のことも心配していましたよ』


 と、何かと気を遣ってくれている祖母は言ってくれたけど、父も自分に恐怖を抱いていることに向日葵は気付いていた。



(こうも避けられていると、こっちも嫌いになっちゃいそう) 



 すっかり冷めてしまった朝食を見て溜息を漏らす。食欲も完全になくなったので箸を置くと、扉を叩く音が聞こえた。この扉を叩く者は二人しかいない。どうぞ、と促すと扉が開く。入ってきたのは、二つ年下の弟、優太だった。



「おねえちゃん」



 優太は屈託のない笑みを浮かべながら、向日葵に近寄る。



「どうしたの?」



 母も父もここに来ないことを知ってから、ここは優太の避難場所になった。二人に叱られるとここに来て、時間をやり過ごす。だから叱られたから来たのだと思ったが、優太が笑っていたのでそれは違うようだ。



「あのね、おねえちゃんにこれあげようと思って」



 そう言って優太はポケットから小さな包みを出した。



「これは?」


「近所の人からもらったまんじゅうだって。お母さんがくれたんだけど、おねえちゃんにあげる!」


「…優太が嫌いだからでしょう?」


「あ、ばれた?」


「でもお姉ちゃんはおまんじゅう好きだからもらってあげる…ありがとう」



 ぱあ、と顔を輝かせた弟に思わず笑みが零れる。嫌いだからあげるって口では言っていたけど、本当は向日葵を喜ばせたくて持ってきたということが分かる表情だ。



「それはそうと優太。時間は大丈夫なの?」


「今日は休みだからだいじょうぶ」


「そういえば土曜日だったね」



 学校に通っていない向日葵は、曜日感覚があまりない。学校には身体が弱くとても学校に通うことができない、と説明している。だがそれは嘘で、向日葵に何かあった場合、龍の封印が解かれることを恐れての対策だ。


 向日葵が死んだら、龍はどうなるか分からないらしい。だから念の為、向日葵を守るために家から出さないという。



(守るためというか、飼い殺しね)



 生きながらに殺されていく。心を蝕まれるのでなく、罅割れていき壊されていく。


 檻の中の猛獣みたいだ、と複雑な気持ちになった。



「おねえちゃん?」



 優太の声に我に返った。慌てて、ごねんね、と笑みを繕う。



「もしかして、具合わるいの?」



 身体が弱いと信じている弟は、眉を八の字にして心配げに姉の顔を窺う。向日葵は頭を横に振った。



「大丈夫。体調はいいよ」


「ほんとう?」


「本当よ。そうだ。学校がないのなら、お姉ちゃんに学校の話を聞かせてくれる?」


「うん!」



 切り替えの早い弟は、学校の話を始めた。先生がこんな事を言ったことや、算数は難しいけど理科のテストで良い点が取れたこと、友達のタケシとススムのこと。そして、キミという女の子についてのこと。優太は楽しそうに語った。



(キミちゃんっていう子のこと、好きなのね)



 弟の初恋が微笑ましくて、心が暖かくなる。からかうと顔が真っ赤になるから、可愛くて仕方ない。



「そういえば、今度九州に行くって言っていたね」


「うん」



 向日葵が家から出させてもらえないが、向日葵以外の家族はよく旅行に行く。その間、向日葵は家で一人っきりだ。十歳の少女を家に置いてけぼりだなんて。世間に知られれば非難されるだろう。三人が世間に対してどう誤魔化しているか知らないが、向日葵はどうして置いて行かれるか理解していた。両親が一時的でもいいから向日葵から離れたいからだと、祖母も少なからずそう思っていることを。



「おみやげ、買ってくるね。何がいい?」


「そうね…優太と一緒に食べられるものがいいかな」


「! だったら、クッキーにする! 牧場にクッキーあるって聞いた!」


「ふふふ。楽しみにしているね」



 頭を撫でてあげると、優太は嬉しそうに目を細めた。



(可愛いわたしの弟)



 唯一何も知らない、わたしの純粋な家族。全てを知ってしまったら、この子も自分から離れていくのだろうか。その無垢な笑顔を見られなくなるのだろうか。


 そんな日が来なければいいのに。それを願わずにいられなかった。






 向日葵以外の家族が九州へ旅行に行って、二日が経った。今回は大型連休に乗っかって三日二泊の日程らしい。


 皆が旅行に行っている間は、向日葵は家の中限定で自由だった。誰もいないから家の中を自由に行き来ができる。本当は外に出たいが、人に見られたらいけないから外に出るな、ときつく言われているので出る事はできない。見られていなければ問題ない、と悪い心が囁くがそれを振り切って、向日葵は言い付けを守っていた。


 用意してくれた冷凍食品を解凍している時だった。レンジの音だけが流れる台所に電話が鳴り響いたのは。



(? なんだろう)



 皆が旅行に行っている間に電話が鳴ったのは初めてだった。取るか取らないか迷っていると、電話が止まる。そしてまた鳴り始めた。


 家族の誰か…もしかしたら弟かもしれない。そう思って、受話器を取った。



「……」



 受話器を耳に寄せるが、五年ぶりに電話に出たので言葉が出てこない。



「……」


『……えーと、私●●警察署の橋本と申しますが、瑠璃垣さん家に間違いありませんか?』



 沈黙に耐えきれなくなったのか、電話の相手が名乗ってくれた。男の声だった。



「警察署……?」



 もしかして、両親に虐待疑惑が浮上してしまったのか。


 出ない方が良かったのか、と不安になった。そんな向日葵の心情と裏腹に、橋本の口調が堅苦しい声から優しい声に変わる。



『ああ、ごめんね。警察から電話きたらびっくりするね』


「いえ…たしかにびっくりしましたけど」


『ははは…君以外に御家族の方はいないかな?』


「わたし以外の家族はいません。旅行に行きました」


『…え? 君だけを置いて?』


「生まれつき身体が弱いので。あ、わたしは何とも思っていないのでどうかお気になさらずに」


『あ、うん…そう…』


「それでご用件はなんでしょうか? わたししかいないので、ご用件伺いますが」



 問うと橋本は黙り込んでしまった。あーうー、と言葉を濁す。ちょっと待っててね、と言われて待つこと数分。再び橋本の声が聞こえてきた。



『待たせてごめんね』


「いえ」


『それで用件なんだけど…』



 数秒の間を置き、告げられた言葉に一瞬頭が真っ暗になった。それでも受話器を落とさずに、襲ってきた頭痛に耐える。聞き間違いだと思いたくて、向日葵は強張る唇を動かした。



「あの…もう一回言ってください」


『…君の御家族は、交通事故に遭ったんだ。一時間前に死亡が確認された』



 その言葉をやっと理解し、膝が崩れ落ちた。






 本当は一緒に行きたいと思っていた。けど、どうせ理由をつけては自分を置いて行こうとするのは分かっていたから言わなかった。


 龍の封印がなんだ。どうせわたしを遠ざけるための言い訳に過ぎないではないか。身体が弱いがなんだ。危険物扱いしているだけではないか。いつも向日葵自身を見てくれていないくせに、何がお前の為だ。笑わせる。


 皮肉なものだ。ただの言い訳に過ぎなかったというのに、本当に向日葵を守ったとは。


 葬式はあっという間だった。葬式に訪れた者は様々だった。父が勤めていた会社の人達、母と父と祖母の友人達、近所の人達。そして優太が通っていた学校の先生達や保護者たち。優太の友達はいなかった。まだ小さいから連れて来なかったのだろう。


 知らない人達。自分の存在を知らなかった人達。近所の人達は僅かだけど自分の事を覚えていてくれていたが、だそれだけだった。


 誰もが自分を見てひそひそ話をする。あの子どうなるのかしら、とか、可哀想に、という呟きが耳に届く。別に聞きたくないのに、憐れみの声が向日葵に圧し掛かる。


 誰もが傍観を決め込んで、向日葵を引き取ろうとはしなかった。そんな話が上がったら、醜い言い争いが始まる。可哀想といいながら結局他人事。誰もが向日葵を邪魔なお荷物としか見ていない。


 向日葵はどう足掻いても独りでしかなかった。優しく声をかける人がいても、それは上辺だけで向日葵を通り過ぎていく。


 薄情な事に、父母と祖母の死はそれほどショックではなく、それよりも解放感が勝っていた。ただ弟の死は駄目だった。弟が死んでしまったことを思い出すたびに心を引き裂かれたように痛くて、胸に穴が空いて悲鳴を上げているのにそれを埋めてくれる当てもなくて。その穴を撫でてくれる人もいなくて、どうしようもない衝動に耐えるしかなかった。



(失って気付くなんて、どこのドラマかしら)



 四人が灰になったのを見届け、家に戻った向日葵は巫女の墓の前に佇んでいた。家にいたくなくて、一人ではいたくなくて、弟の骨壺を抱いて誰も来ない此処に足を運んだ。



(優太…わたしはこんなにもあなたに救われていたんだね)



 友達がいっぱいいて、好きな子もいた可愛い弟。それなのに初恋を実ることも散らすこともなく、死んでしまった。


 大きくなって私を蔑んでもいい。生きて、外の日差しを浴びながら笑ってほしいとそう願っていたのに。



(これでわたしは本当に独り…生きる意味なんてあるのかしら)



 刹那。突風が吹いた。

 目を瞑り、突風に耐える。


 その時だった。閃いたのは。


 突風が止んで、ゆっくりと目を開ける。目を見開き空を仰ぎ見た。



「そうだ…」



 おそるおそる視線を下に移す。骨壺ではなく自分の胸に。



「そうだよ…どうして気付かなかったんだろう」



 封印、という言葉に囚われていたが別の見方で考えればそういうことになる。



(わたしの中には龍がいる…五歳の時からずっと、一緒だった)



 ああ、そういうことか。なるほど。



(わたしは、ずっと独りじゃなかった! そして今も独りじゃない!)



 それはまるで暗闇の中に星を見つけたようで。


 特に気にしてなかった龍の存在が輝いて見えた。



「……」



 会ってみたい。自分の中に封印されている龍に。


 そう強く願った。


 龍に会う方法には心当たりがあった。前に書庫の本を漁っていた時に見かけた巻物にその方法が記されていた。


 家に帰り、優太を仏壇に置いて書庫に駆けた。書庫に入ると黴の臭いが鼻腔を掠めた。真っ直ぐその巻物が置かれている本棚に向かう。目的の巻物を手に取り、部屋に持ち帰った。


 部屋で巻物を広げ、古い文字を指でなぞる。その巻物の内容は術に関する事だった。その中の一つに術者の精神世界に潜り込むことができる術についての詳細が書かれていた。曾祖母は言っていた。精神世界に龍を封じ込む、と。それなら精神世界に行けば龍に会えるかもしれない。


 解読はこの巻物を見つけた時に終わった。大量の霊力を消耗すると書かれていたが問題ないだろう。曾祖母の言うには、自分の秘めた霊力はかなり強いらしいから。霊力が消耗したせいで龍の封印が解けても知ったことではなかった。


 巻物の通りに術を発動する。


 期待と不安が入混じった感情を秘め、向日葵は意識を手放した。







 目が覚めると、モノクロの世界に立っていた。


 荒廃したそこは、さながら世界の終焉のようだった。


 ここが自分の精神世界だろうか。辺りを窺いながら歩くと、目の前に巨大な鳥籠が現れた。鳥籠の中で白い何かが蜷局を巻いているのが見え、立ち止まる。鳥籠は黒かった。出入口であろう箇所に大きな南京錠が掛けられている。


 意を決して、ゆっくりと鳥籠に近寄る。



「そこにいるのは誰だ?」



 腹の底まで響く男の声に足が止まる。白い何かが蠢めいたかと思えば、金色の瞳と目が合った。顕れた顔はまさしく水墨画などで描かれている龍そのものだった。



(これが…龍…)



 心臓がばくばくする。恐怖心からなのか、それとも歓喜しているのか。区別がつかなかった。


 言葉が絡まって声が出せないでいると、龍が言った。



「ああ…今の宿主か。己の精神世界に飛び込む術を会得しているとは…大したものだ」


「…あなたはわたしのことを知っているの?」


「当然だ。その気になれば、宿主の目線から外を覗ける。赤ん坊の頃のお前も知っている」


「そう…」



 向日葵は嬉しさで胸がいっぱいになった。ちゃんと自分を知っているものがいることがとても嬉しかった。



「ところで、何かあったのか?」


「え?」


「今は白黒の世界だが、以前はちゃんと色をついていた。緑もあった。それが急にこうなった。ここはお前の世界だ。お前の心に何かあったら、それに伴い変化する」


「…その気になれば覗けるんじゃないの?」


「覗かなかったから聞いている」



 憮然と言い切る龍に溜息をつく。



「…家族が死んだの。お母さんもお父さんもおばあちゃんも弟もみーんな」


「なるほど。それでこの有様か」


「ねえ、精神世界ってそんなに変わるの?」


「ここまで劇的に変わったのは初めてだな。前の宿主…お前の曾祖母だ。夫が死んだ時はたくさんの花が萎れて枯れた」


「そうなんだ」



 龍の静かで穏やかな声色に緊張が解け、向日葵は笑みを浮かべる。



「…? 家族が死んだというわりには、楽しげだな」


「ああ、違うの。あなたと会う前はもっと怖い感じの龍かと思っていたんだけど、なんだか思っていたのと違っていてそれがおかしかったの」


「なるほど。伝承の私は悪者か」



 龍は不機嫌な顔をした。



「そういえば龍は村を半壊したって聞かされたけど、なにか理由でもあったの?」


「理由なしで暴れるほど、私は未熟ではない」


「ねえ。良かったら教えてくれないかしら。あなたが怒った理由を」


「…暇潰しくらいにはなる、か」



 遠い目をして、龍は語った。



「村の若造どもが私の可愛い娘を殺したからだ」


「娘がいたの?」


「ああ。人間に捨てられ私が拾い育てた、可愛い娘だ。あの頃はまだ十五歳だった」


「どうして殺されたの?」


「私と企てて村に災いをもたらそうとしていると噂になったらしくてな。それを本気にした若造どのが殺した。私も娘もそんなこと考えていなかった。ただ、平和に過ごしたかった」


「勝手に噂して、噂の真偽を確かめないで思い込みだけで殺したってこと? それは怒っても仕方ないわ」


「くくく…お前は話が分かるな」



 龍は満足気に頷く。向日葵はずっと疑問に思っていた事を訊いてみることにした。



「ねえ。前から気になっていたんだけど」


「なんだ」


「わたしが死んだら、あなたはどうなるの? 封印が解かれて外に出ちゃう?」


「どうもしない。お前と共に死ぬだけだ。この封印は厄介でな。宿主と私の魂を繋げることでより強い封印になる。初代の巫女はそれを知っていたが、共に死ぬことを選ばず私を自分の娘に移した。それがだらだらと続いて今に至るわけだが」


「巫女様、あなたに同情したのかな」


「そうであろうな。ありがた良い迷惑だが」


「どうして?」


「どうせなら死にたかった。今も早く死にたいと思っておる」



 どうでも良さげに返答し、龍はそっぽ向いた。


 その台詞に胸が締め付けられる。


 この龍も自分と同じく家族を殺され独りになった。胸に耐えきれないほどの悲しみを抱いているのだ。閉じ込めている自分が言うのもなんだが、龍と自分と姿が重なって見えた。



「それでここに来た理由はなんだ? 話をするためだけに来たわけではなかろう」


「あら。あなたと会うために来た。それだけでも立派な理由よ」


「私に会うためだと? 本当にそれだけか?」


「それだけ」


「…変わった娘だ。いや、子供ゆえの行動か?」


「人間の娘育てたことがあるんでしょう? 子供ゆえかどうかは分かるんじゃなくて?」


「…やはり変人か」


「せめて変わった子にしてよ。ニュアンス的にそっちが良いわ」



 一瞬の間。龍と向日葵は小さく笑声を上げ、やがて大きく笑い始めた。

 久しぶりに笑い転げた後、改めて向かい合う。



「もう一度確認するけど」


「なんだ」


「わたしが死んだらあなたも死ぬ。これは間違いないよね?」


「ああ」


「その南京錠を今開けたらどうなるの?」


「すぐにお前の精神世界から飛び出すことはない。私の意思次第で外に出ることが可能になるだけだ」


「あなたが外に出たら、わたしはどうなるの?」


「霊力を激しく消耗するが、死ぬほどでもない」



 うむ、と頷き腕を組む。強く頷いてみせ、向日葵は南京錠に手を掛けた。その瞬間、大きな鍵が向日葵の手の内に現れた。



「ねえ。わたしと取引しない?」


「取引、だと?」


「わたしはあなたを誰の許にも移さない。あなたに死を与えてあげる」



 だから、と向日葵は笑みを浮かべながら言った。



「わたしと共に生きてくれないかしら」


「共に生きる、だと?」


「うん」


「…すぐさまここから出て、お前を喰らうかもしれんぞ?」


「人間の娘がいたあなたにそんなことができると思わないし、できたとしても別にいい。むしろ独りになるのなら食べてほしい。どうかしら?」



 龍はしばらく黙り込み、やがて盛大に溜息を吐いた。



「どうせ行く当てもない。その取引、受けてやろう」


「ありがとう」



 鍵を握り締めた途端、向日葵が声を上げる。



「そうだ、あなた名前は? 知っていると思うけどわたしは向日葵っていうの」


「… だ」


「そう。改めてよろしくね」



 嬉しさを隠しきれないまま、向日葵は南京錠の鍵穴に鍵を差し込んだ。

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