必要条件

染井雪乃

必要条件

 私達は、一人しか、社会に席を用意されていなかった。二人いるとばれるわけにはいかないのだ、と私達を育てる仕事を請け負った女性は冷淡に告げた。

 いわゆる、無戸籍児というやつだ。どうして、私達は二人で外に出ることを許されないのか、聞いてみても、ろくな答えは返ってこなかった。

 彼女も、聞かされていないのだろう。私達は、一つの名前を二人で共有し、生きるしかなかった。

 それができるのは、顔がコピーそのものと言えるほどそっくりだからで、つまり私達はある程度幸運なのだとも、彼女は言った。

 “お母さん”役の彼女は、高圧的ではないが、優しくはなかった。一人分しか戸籍を持たない双子の面倒を見る仕事、なんて、どう見ても闇の世界に片足を突っこんでいる仕事をしているのだ。優しいわけがなかった。

 しかし、その仕事は正確で、私達をしっかり二人で一人に仕立て上げた。

 進みたい専攻が異なって、双子の仲が険悪になったときも、建設的な提案をしてくれた。

「それなら、二刀流ってことにすればいいじゃない。生物学と数学、両方できるように手を回すくらいはできるから」

 こうして、双子の決裂は回避され、私は生物学、片割れは数学を専攻し、大人になった。


 影村沙羅は、こうしてできた。分子生物学と統計学の二刀流の、研究者。

 こうやって、私達は三十三年間、影村沙羅をしてきたのだ。

 私は、バイクに乗っていて頬に大きな傷を作ってガーゼを当てて帰ってきた、統計学を専門とする片割れを見下ろして、冷たく言った。

「その傷、残るの」

「残るって、言われた」

「冗談じゃない。日ごとに傷があったりなかったりするのが、一人の人間であるはずないでしょう。傷を消す整形手術を、手配してもらう」

 自分と同じ顔が、どこか悲しそうな顔をした。しかし、それも一瞬で、頷いて自分の部屋に消えた。

 私は面倒に思いながらも、傷を消す整形手術を手配した。私達が争わないためには、私達は瓜二つで、二人で一人として生き、二刀流である必要がある。

 戸籍が欲しかったというのは、私達双方の本音ではあろうが、それが叶わぬ願いであることも、私達は承知している。それをやれば、今まで私達をバックアップしてきたものが、全て、敵に回る。

 それに抗する力など、ただの三十代の女二人に、あろうはずもなかった。

 だから、二人で一人を、平等に、生きるしかない。

 分子生物学を専攻する影村沙羅だけなら、統計学を専攻したい影村沙羅の気持ちを押し殺してしまう。逆もまた然りだ。

 だから、私達は同一である必要があった。上下関係を生じさせないために、二人が守るべき同一性。

 服や靴まで共有し、二人で影村沙羅を作り上げている。


 トントントン、と私の指が、テーブルを叩く。

「この服は何? 打ち合わせにもなければ、影村沙羅のイメージとも違う」

 影村沙羅のファッションはモノトーンを基調とした中性的なものだ。これは、双子のジェンダーが違っても、どちらにも違和感なく生きていけるようにと、“お母さん”役の彼女が考案したことだ。

 違和感があってつらいという感情は、思ったより人に伝わるから、できる限り気持ちと真逆のことをしなくてすむようにしたのだ。

 その工夫を、ぶち壊すかのように、片割れはフェミニンなパステルカラーのワンピースを買ってきた。

「傷の手術までは、家にいるから着ようと思って」

 はあっとため息をついて、私は片割れを見下ろした。

「ねえ、わかってんの? 私はアンタの怪我のせいで、研究ストップしてるの」

「それは私もだし、誰も見ない服くらい、いいじゃない」

 その言い分は、たしかに正しい。でも、危うさもある。

「絶対、外に着ていくんじゃないわよ」

 念押しして、私は片割れから離れた。

 影村沙羅を維持するために、やりたいことを平等にやり続けるために、私達は、衝突を回避する手段を講じ、相手の専攻についても多少は話ができるようにと勉強し、会話の整合性を取るために口裏合わせをして、とたゆまぬ努力を重ねてきた。

 それを、壊しかねないことを、やってみたいからって、やる? 

 私達は、二刀流の研究者としてしか、生きていけないのに。

 一人と一人になれば、どちらかの業績を一旦捨てなければならないのに。一旦どころか、影村沙羅自体の破滅かもしれない。

 私は、そんなのは嫌だ。

 もう、私達は後戻りなんかできないのに。


 傷の手術に向かう朝。朝食を用意して、珈琲を飲んでいた。

 片割れは、妙に剣呑な顔つきで私の前に現れた。

「手術するべきだって、思う?」

「当然じゃない。私達、同じでなければならない。そうでなければ、どっちかが死ぬことになる」

「そう。あなたはそう言うだろうね。私も、それが正しいんだと思ってた。お互い好きなことをやるためには、それが必要だって」

 何を今更、わかりきったことの確認なんかしているんだろう。いつも的確な片割れらしくない。

 苛立ちを含んで、私は片割れを見た。

 真っ直ぐに片割れが私を見る。

「でも、私は、そろそろ疲れた。影村沙羅を二人で作るのも、疲れた」

 何を、言い出すんだろう。疲れたって、生きていくためには、私達はそれしかないのに。

 生きていく、ためには。

 片割れの目の前には、錠剤と、水の入ったコップ。薬は飲んでいないはずだったけれど、と不審に思って、一つ、思い至る。

「これが私の最適解。それじゃ、バイバイ」

 待って、と声にしようとして、声にならなかった。

 ゆっくりと、片割れが呼吸を止めていった。私の片割れは、私の前で、服毒自殺をした。

 影村沙羅は、私だけになった。


 私達をバックアップしていたもの――一般的には、実家とか生家とか、呼ぶべきもの――は、私の片割れの死亡を、喜びも悲しみもせず、ただ片付けた。

 どう見ても堅気ではない、私のバックボーンは、有能だ。

 影村沙羅は最初から一人だったのかもしれない、と私はぼんやり思った。

 どちらかが生きるには、どちらかが死ななければならなかったのかもしれない。そもそも、二人で一人を作り上げるなんて、無理だったのだ。

 そして、私は、これからの影村沙羅を思う。きっと、統計学の才能は陰りを見せ始めたと評価されるだろう。二刀流は、一人では無理だ。

 最悪だ。

 最悪にも程がある。

 片割れが死んだせいで、影村沙羅は二刀流の優秀さを失った。私から、優秀さを取り上げたこと、一人だけこの人生から逃げたこと、絶対に、絶対に許してなるものか。


 影村沙羅は、無理やりにでも必要条件を満たす。決意を新たに、深呼吸をした。


(了)


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必要条件 染井雪乃 @yukino_somei

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