三日会わざれば――狼拳士とニ刃の刺客
狐月 耀藍
三日会わざれば――狼拳士と二刃の刺客(ムラタのむねあげっ!外伝)
「……おいガルフ。アンタ、いつから『ガロウ』なんて名乗るようになったんだ?」
「オレはもう『ガルフ』の名を棄てたんだ。首を折るぞ」
枯草色の毛を全身にまとう、二足歩行の狼男――それが、ガロウという男だった。ガロウをガルフと呼んだ声の主は、低く笑う。
「前のアンタなら、『折るぞ』って言ったときにはすでに相手の首を折ってたんじゃないか? なんだ、腑抜けちまったって噂は本当だったのか」
同じような、やや長い、黒い毛並みをまとった影が、ガロウの喉元にピタリと爪を当てた。
いま、この瞬間まで、黒い影は確かに、ガロウとの距離がたっぷり十歩はあったはずなのに、だ。
「フン、『瞬雷』のガルフも、牙が抜けちまったようだな? アンタ、もう三度は死んでるぜ?」
「……オレは、お前に手を上げる理由なんてねえだけだ」
「ふざけんな! アンタには無くてもこっちにはあるんだよ!」
黒い影がその爪をガロウの喉に食い込ませる――が。
「……なんだ、やらねえのか?」
「く……クソがっ!」
ガロウの左手は影の手首をつかみ、そして右手は、影の喉笛を掴んでいた。
「オレにだって都合ってもんがある――今の俺は、傭兵ギルドでなく冒険者ギルドのガロウだ」
「……冒険者ギルドだって?」
影は歯ぎしりをした。
傭兵ギルドは、「戦士」が必要なところにいつでも、どこにでも斡旋する組合だ。主に戦場での需要があるギルドだが、護衛としても重宝されている。
だが、非合法組織の用心棒だとか、なんなら暗殺だとか、そういった後ろ暗い需要にも力を貸す組織として『業界』では認知されている。
傭兵ギルドは公式には否定しているが、非合法組織との戦いに駆り出されることのある冒険者ギルドの面々にとってみれば、傭兵ギルドの関与など、口に上らないだけで『常識』だった。
「……へっ、今さら寝返りかよ!」
「寝返ったとか、そういうつもりはねえ。ただの成り行きだ」
あの『レンガ割り女』のせいでな――ガロウの脳裏に浮かんできた言葉はさすがに吐き出せず、胸の中で留めておく。
「どうせしっぽを振る相手を変えたって、アンタがやってきたことが帳消しになるわけでもないんだ! ガルフ、絶対にぶっ殺してやる!」
「できるモンならな」
「いっ――!? ぐ……離せ、……はな、せ、よッ……!?」
「ほれ」
「いぎゃっ!?」
ガロウにひねられた手首の痛みに耐えかねて、影が地面にもんどりうつ。
「手首をひねられただけでそれだ。身の程知らずって言葉を知るんだな」
「う、うるせえよ! このバカヂカラ野郎!」
「いいかげんに懲りてくれ、うっとうしくてかなわねえ」
五、六歩ほど飛びすさると、黒い影はガロウに向かってやかましく吠えたてた。
「う、うう、うるさい! いつまでも子供扱いしやがって! もう子供じゃねえんだからな! いつだってアンタを殺せるんだ!」
「だったら今すぐかかってこい、
「ぼ、ボクはもう大人だ! いつまでも
再び黒い影が、目にも留まらぬ速さでガロウの目の前に身を躍らせる!
ガッ――!
爪と爪がぶつかり合い、軋む。
大きく振りかぶられた黒い腕を、ガロウは鎌の如く弧を描いた足で弾き飛ばし、次いで脇腹めがけて突き出されたもう一つの黒い腕を、そのまま小さく身をひねってかわす。
素早く態勢を整え更に突きを繰り出してくるシュキーフの手を奪おうとしたガロウだったが、青く冴え冴えと輝く月の光を鈍く跳ね返すその手に違和感を覚え、とっさに殴りつける。
それがわずかなスキを生んだか、シュキーフの尻尾で目を打たれ、ガロウは舌打ちをすると大きく飛びのいた。
「……なんだ今の感触は、鉄を殴ったときみてえな……」
「フン、どうだ。これがボクのチカラだ!」
シュキーフは、己の両手を広げるようにして、その手を誇示してみせた。
「ボクはアンタに褒めてもらってから、ずっと短刀の修練をしてきた。でも、どんな武器だってすぐ使いこなすアンタにはどうやったって勝てない。だから、あの日、アンタがボクを置いて行った日からずっと、どうやれば勝てるか――それがこれだ!」
シュキーフの右手には、奇妙な形の短刀があった。一見すると鎌のようにも見える、大きく湾曲した短刀。そして左手には、手首までを覆ういびつな手甲と、シュキーフの指の爪を延長するかのような、五本の鉄の爪だった。
「今だって五分には持ち込めた! さあ、今度はアンタの得物を出してみなよ! いつまでも
「……今のオレは、コレだけだ」
ガロウはそう言って腰を落とす。左ひじをやや引いて拳を作り、右手を差し伸べてシュキーフに向けて手のひらを向けると、五指の先を揃えて天に向けた。
「……来な? そんないびつな二刀なんぞ、オレに通ずると思ったか、
音もなく地響きを立てるような、ガロウの震脚。
「ぐっ――う、うるさいっ! ボクは! ボクはアンタを、……こ、ころ、すために、傭兵ギルドに入ったんだ! じょ、冗談なんかじゃない、アンタを殺すのはボクだ、これは復讐で――ッ!?」
それまでシュキーフがいた場所を、枯草色のつむじ風が襲う!
間一髪で逃れたシュキーフは、身をひるがえすと地を蹴った。ガロウの拳を左腕の手甲でしのぎつつ、その軸足をねらって鎌刀ですれ違いざまに斬りつける。
ガロウが身をよじらせたところですぐさま飛びすさると、ガロウの背中に向けて大地を蹴る!
振り下ろされたガロウのひじを左の手甲で受け止め、しかし衝撃を殺しきれず地面に叩きつけられたシュキーフは、しかしすぐさま振り下ろされたガロウの足から逃れると、その足を蹴って距離を取った。
「……姑息な」
「なんとでも言うがいいさ」
シュキーフは、歯の根の合わぬ自身を自覚しながら、それでも自分が付けたガロウの太ももの傷を確認し、虚勢を張ってみせる。
「ボクはアンタを傷つけた! 前は指の一本だって届かなかったのに、今日はアンタをき、きず、つけた! こ、こ、ころせる、ボクだって、あ、アンタをころ、殺せるんだ!」
鳴りやまない歯を無理矢理食いしばると、シュキーフは再びガロウの懐に飛び込んだ。ガロウの脇腹を狙うそぶりを見せておきながら、直前で地を蹴り向きを変え、その背中に鎌刀をかすめるように刃を走らせる!
「……そんなチョロチョロと薄皮ばっかりかすめたって、相手は倒れねえぞ。ましてオレならな」
「も、物語じゃないんだ! いくら小さな傷だって、わずかな痛みだって、戦いの足を引っ張る足かせになるんだからな。ボクの力じゃ、ま、真正面では勝てなくたっていつか、いつかアンタを、こ、ろ、――」
「そんな、オマエを拾った夜みたいに、震えていてか?」
ざわり――
シュキーフの目が、吊り上がる。
青い月の光に艶やかに輝く黒い毛並みが、逆立ってゆく――!
「……とうさんを、……かあさんを、おにいちゃんを、コロしたアンタを……」
ぎしり――握りしめた鎌刀が軋んだ。
「『瞬雷』の『ガルフ』はボクが殺す――そう誓ってきたんだ……ずっと、ずっと! 今日、アンタを殺す!」
「……なかなかいい太刀筋だったな」
地面に倒れたガロウは、満足気につぶやいた。
「なんで……なんで避けなかったんだよ!」
「オマエの殺気は、本物だった。なかなか味わい深かった」
「だ、だったらなんだよ! アンタならかわしてボクを叩きのめすのだって簡単だっただろ!?」
泣きじゃくるシュキーフに、ガロウは口を歪めてみせる。ぞろりとならぶ牙を見せられ、しかしそれは、確かに笑っていた。
「オレの後ろをチョロチョロついて来てた
「な、なんだよ、その『りあるばうと☆』流って……」
「よくわからんが、クソ大工の話だと『真の
そう言って、ガロウは左腕に突き立てられた鎌刀を、慎重に抜いてみせる。
骨を穿って止まっていた刃は、意外なほどするりと抜けた。
見る見るうちに、その大きく開いた傷口から血があふれ出る。
「あ……あ……! が、ガルフが死んじゃう……!」
「死なねえよ、だが自慢の毛並みが血で汚れちまうな。おい、血止めにする布はないか」
「ぬ、布? 布……!」
シュキーフは少しの間ばたばたしていたが、すぐに自身が着る上着に気づき、少しだけためらったあと、勢いよく脱いだ。
「こ、こ、こ……これ、これ使って!」
「おう、すまねえ」
ガロウは遠慮なく受け取ると、薄手のシャツのようなその服を、爪で器用に割いて包帯を作って腕を縛る。
丈が短くなったそれをシュキーフに返――そうとして。
返そうとして、まじまじと、シュキーフを見る。
「……
その、やや薄い胸を見て、そしてまた、黒い鼻面を見て。
「お前、オンナになったな?」
ガロウの名誉の負傷が、頬に一つ、増えた。
「信じられない! ボク、ガルフが出て行く前の夜、ガルフに抱かれたのに、それなのに気づいてなかったってこと!?」
「そういう意味じゃねえ。育ったなって……」
「当たり前だよ! ボクもう十六になったんだ! あの夜、ボク、ガルフに抱かれて……やっとガルフのものになれたって思ったのに! あれからもう、三年経ったんだよ!」
頭をかきながら、ガロウがこぼす。
「……オマエ、親の仇っていつも言ってたじゃねえか」
「戦争だったんだ、仕方ないってホントは分かってたさ! ガルフは敵だっただけで、ガルフが家族を殺したわけじゃないことくらい……でも、そう思い込まなきゃやってられなかったんだよ!」
ガロウはため息をつく。
「……仕方ねえヤツだな。オレのところに来るか?」
「ずっとそのつもりだったもん!」
「だったら、『ガロウ』と呼べ」
「……じゃあ、ボクのことも、
「……分かったよ、シュキーファ」
「うん、……もう、離さないよ、ガロウ」
三日会わざれば――狼拳士とニ刃の刺客 狐月 耀藍 @kitunetuki_youran
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