刹那

lager

二刀流

 もう、なにも要らぬ。


 日輪じりじりと脳天を焼き、背なを繁く波濤が打ち付ける。

 とうに固く凝った足裏の皮が踏む岩場に、じっとりと汗が染みてゆく。


 息を吸え。

 気を整えよ。

 強張るな。

 静かに、ただ静かに。風の音も波の音も鳥の音も、日の熱も岩の熱もこの身の熱も、全てを吾がものとせよ。


『敗れたり。勝者なんぞ鞘を捨てん』


 戯言なり。ただ戯言なり。

 吾が怯懦の吐かせし虚勢なり。


 怖いのだ。恐ろしいのだ。

 吾に向けられしその剣。

 まさに剣。

 この男は、一振りの剣なのだ。


 わざと遅参せし謀も、童の戯れの如き言葉の礫も、何一つとしてこの男を揺るがせはしないのだ。

 水鏡の如くに平らかに、白雪の如くに無垢で、鋼の如くに、硬く、堅く、難い。


 あまりに違う。

 吾とは違いすぎる。

 吾は欲しい。名声が欲しい。人に褒められ、讃えられ、崇められ、どこまでも高く、この国を上り詰めたいのだ。


 だが。

 それでも。

 今だけは。


 もう何も要らぬ。

 吾の命以外、何も要らぬ。


 見えぬのだ。

 あの剣の先に、何も見えぬ。

 風の音が死の呼び声に聞こえる。

 波濤の飛沫が死の唾に感じる。

 日輪の熱が死の眼力に思える。


 退け。

 退くな。

 守れ。

 守るな。

 今か。

 まだか。

 動いたか。

 見紛うたか。


 死にたくない。

 死にたくない。


 潮の匂い。血の香。鼻が麻痺する。掌の熱。木刀に吸い付く肌。衣擦れ。垢の濁り。汗が目を伝う。脱力。柳葉の如く。足の指で岩を尖りを掴む。風が止む。

 気が満ちる。

 時が止まる。


 稲光。



 刹那――――。













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