誠実 エピローグ 二〇二三年 六月二十四日
二〇二三年六月二十四日
東京都感染者数――
部屋の中で雨が駆け巡っている。一日中カーテンを閉めっぱなしのままでも、外の様子は想像できた。雨に混じって、重たげな足取りが階段から混じる。部屋のドアが開く瞬間、私は人差し指を口の前に当てて、お母さんの口を封じる。大方「出かけるから何か足りないものはあるか」とか、「今日の夕ご飯が」に決まってる。そっとドアが閉まると、私は伸びをしてパソコンに向き合う。
NPO法人による企業説明会。東京ビッグサイトなどの大規模な展示面積を必要としないオンラインでの開催は、相変わらず重宝された。移動距離による都市と地方の平等性、オンライン故の入退出の自由さ、チャット機能による質問のしやすさ。以前よりも学生と企業の動き出しが早くなったこともあり、学生側のきっかけとして、まずはオンラインでの説明会を受けてみる小さなハードルとしても機能していた。
その小さなハードルを匍匐前進で潜る私のような人間でも、姉からおさがりのリクルートスーツを全力で拒否し、それでもなお買いに行きたくないと胡座を掻き続けた私のような人間でも、家から顔出し無しで参加できるのであれば、ぎりぎり参加できた。
午後一時から始まった三十分一クールの説明会も、次が三クール目。自分の行きたい企業を移動する体力は必要としないのに、私の精神的体力はもう少ししか残っていなかった。お姉ちゃんは「将来を考えておかないと後悔する」とか言うけれど、たった二十年やそこらで、やりたいことなんて見つかるわけがない。現に、労働について爽やかに話す人たちの話を聞き続けて一時間以上経つが、やる気の針はこれっぽっちも動かなかった。
そうこうしているうちに、インターバルの五分が過ぎていた。早めに部屋へ入っていないと、人気の企業は席が埋まってしまう。惰性でしか動けない私は、上からスクロールしていき、知っている名前を左クリックした。
「皆さん聞こえてますか?反応して頂けると、スムーズに始められて助かります」
若い男の人の声。優先的にZoomの窓が切り替わり、灰色のシャツを着た男性が映る。恐らく自宅から繋いでいるのだろう。漂白剤を塗りたくったようなオフィスの壁ではない。
「当行の説明に入る前に、私の自己紹介からさせて頂きます。首都中央銀行人事部新卒採用担当の小宮と申します。本日は説明会にご参加頂き、誠にありがとうございます」
入った時点で映っていた最初のスライドが切り替わると、話者と別の人物の写真が表示されていた。
「本来であれば、こちらのスライドにある担当者のような紹介をしたかったのですが、本日は鈴木が体調を崩してしまい、私が喋らせて頂くことになりました。鈴木にはスライドで趣味がどうとか載せるよりも、面接で役に立ったことを話した方が百倍ためになるから思い出しておけと、プレッシャーをかけられました。なので、一分ほどお時間を頂き、昔の話をしようと思います」
ため息が漏れて、画面が少しだけ曇る。
なんだ自慢話かよ。反骨心が血管にまで浸透している私は、こういう類いの話から一切、栄養素を受けとらないようにしていた。
「私は就活が苦手でした。体育でやらされる創作ダンスくらい、嫌いでもありました」
音量アイコンに触れていたカーソルが止まる。
「将来やりたいこともわからないし、自己分析なんて面接官に話しても落とされるだけだから大嫌いでした。そもそも、面接官がどういう評価基準で学生を見ているのかも疑っていました。公正なのかもしれませんが、主観の混じった選考というのも嫌いなポイントでした」
違うな、と私は思った。この人は、最初から面接で役に立つことを話すつもりはない。
「私は就活で、特に面接で向き合わなくちゃいけないことから、ずっと逃げてきました。友達には恵まれていたので、協力して嫌いなものを避けながら終えることができました。ですが、自分の大切な人からは後で非難されました。私は相手を騙していると、社会人として最も大切な誠実さから最も遠いやり方だと。あのやり方が最も結果を出せたと当時も今も思っていますが、誠実だったかは、ついにわかりませんでした。就職活動において、自己PR能力が高い人ほど選考に通りやすいことは、現状間違いありませんから」
これは多分、告白だ。彼は過去の後悔を、今もずっと負い続けている。
「当時の行いは変えられませんが、面接官として誠実に向き合いたくて、人事部を志望しました。学生の頃できなかったこと。面接官に対して疑いを持ち続けてきたこと。次に当行を受ける学生のためにも。それが情報格差を無くすことなのか、評価基準を公表することなのか、はたまた私たちの審査ではなくAIの面接官を導入することなのか、二年目の今はまだまだ勉強中です。なので、今のところ皆さんの性格、能力、将来性を一〇〇パーセント評価できるとは限りません。ですが、当行は、私たちは、できる限り皆様が後悔しない採用活動を行います」
でも、誰に対してなのだろう。
「本来は説明会の最後に、夏のインターンシップのお知らせと併せて話すべきことだったのかもしれません。まあ、私の自己紹介はここら辺にしましょう」
わからない。わからないけど、この人の印象は先ほどよりも悪くなかった。少なくとも、お姉ちゃんが好きそうな人だなと思った。
「では、当行の説明会を始めさせて頂きます。マイクとカメラはミュートで、質問などがございましたらチャット欄に記入の程、よろしくお願い致します」
どこかでカチッと、針の振れる音がした。
〈了〉
参考文献
・Philip Kaufman 一九八八年『存在の耐えられない軽さ(The Unbearable Lightness of Being)』Orion Releasing LLC
・Milan Kundera著 千野栄一訳『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫、一九九八年)
・忽那賢志『専門医が教える新型コロナ・感染症の本当の話』(幻冬舎新書、二〇二一年)
誠実 Massu @Ren_Sato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます