最終話


 ――いつの間にか、雨が降っていた。

 空を覆う雲は雷雲となり果て、蛇の様な青白い閃光が見え隠れする。風は強く、雨粒が横殴りに大地へ降りしきる。


 その中で、青年はまだ戦っていた。

 濡れる鎧共を未だに薙ぎ払い続け、押し寄せる波に抗うが如く歩を進める。向かい風である為に、水の飛礫は使えない。風圧に推し勝てるほど、彼に腕を振るう力は残っていなかった。


 限界は既に超えていた。五体の感覚は僅かにあるだけで、自分の体では無い様に思える。力んでいるのか緩んでいるのかわからず、正直に言えば走れているのかもわからない。


 五感も薄い。まるで老人になってしまったかの様に、情景を感じる事は困難となっている。

 無意識に嘔吐し糞尿を垂れ流してしまうのも、肉体の制御が出来なくなっている証拠だった。


 ――しかしそれでも、剣を振るった――前に進んだ――。


 死にゆく体でも、剣を握る事だけは止めなかった。薄れる意識でも、進む事を止めなかった。障害を払いのけ、前へと向う。

 壊れ続ける彼を支えるものは、やはり少女の存在だった。いつも自分の隣で笑っていた彼女を思う度に、不思議と動く事が出来た。

 何故答えて上げられなかったのか、何故今までやせ我慢していたのか……今更になって後悔する。

 こんなにもかけがえのない存在だった事を、こんな事になってから深く噛み締める。

 本当に自分は馬鹿だと、青年は己を罵る。


 だから、だからこそ逢わなければならなかった。


 助ける事が出来なかった不甲斐なさを謝る為に、今日伝える筈だった言葉を伝える為に、そして何より……離れ離れになる事が嫌である為に、青年は壊れる道を選んだ。

“助けて”なんて言われなくても、気付かなかったとしても、青年は始めからそうするつもりだった。


 少女の為に駆り立てる事が、彼の本望だった――――。





























 …………青年の前に、一頭の馬が佇む。


 黒々とした毛並みで、威厳のある大きな体躯。正に王を乗せるに相応しい乗り物。

 その前で地面に膝をつき、俯いて不動を保った青年。まるで、精魂尽き果てた死人の様だった。


 瞬きもしない目に光りは無く、半開きにした口からは涎が垂れる。全く動かないそれは、生きているとは思えない風貌と化していた。限界を超え続けた代償は、あまりにも悲惨な結末を迎えていた。

 傍らには、錆びた剣が一本。

 あれほど振るい続けて道を切り開いてきた頼りも、握り締める事が出来ず、ゴミのように地面にころがっていた。


 ――青年は、やっと王の姿が見える所まで来れていた。しかしその瞬間に体の機能は無くなり、糸が切れた人形みたいに動けなくなってしまい、騎士に囲まれた。

 それを見た王が、騎士を止めて、青年の前まで自ら赴いていた。

 反逆者が辛うじて覚えていた子供だった為に、気になって自分から動いたのだった。


 少女は、王の胸の中で眠っていた。

 泣き疲れたのか、目蓋を赤くして青白い顔をしていた。


 少女を馬の首に凭れさせ、王は地面に飛び降りた。危険は無いと、調べた従者から聞いているので外套を靡かせて悠々と青年に近寄る。

 そして青年の前に立ち、無表情で眺めた後に、腰に下げた鞘から剣を抜いた。両手で逆手に持ち、高々と上げて、一気に下ろす。


 ――……と、青年の胸に、王の剣が鍔元まで突き抜ける音がした。暴風が吹き荒れ騒がしく雨粒が地面に落ちる音が響く中、それは生々しく周りに届いた。

 当人はうめき声一つ上げず、虚ろな目をして受け入れていた――が。


 王は驚愕する。

 動く気配さえ無い、死人にしか見えなかった青年が、剣を握る王の腕に掴みかかった。

 そしてゆっくりと顔を上げ、相手への憎しみと自分への哀しみに満ちた瞳を王に向ける。


 生気がないのに確かな光を灯し、ぼたぼたと止めどなく涙を流し、見るからに最期の力を振り絞った眼光。あまりの出来事に恐怖した王は剣を引き抜こうとしたが、青年に掴まれているのでそれが出来ない。

 蹴りつけるなり剣から手を放して逃げるなりしようにも、人とは思えない形相に睨まれている為に体が硬直してしまっている。


 青年は、王を睨みながら護身用のナイフを取り出す。

 切っ先を焦る王の首に定めて、腕を引っ張り、自分と同じ様に突き刺した――――。













 ……騎士も、従者も、呆気に取られた表情のまま、倒れる主と反逆者を眺めていた。


 首にナイフを貫通させて、断末魔の叫びを上げる顔で死に絶えた王。

 体を剣に貫かれて、眠る顔で横たわった青年。


 二つの死体の汚さを、雨は洗う様に降り続ける。

 二人の醜い死を蔑む様に、雷鳴は空を轟かせ続ける。


 ――その時、王の馬の上で眠っていた少女が、ゆっくり目蓋を開いた。体を起こし、寝ぼけた眼で周りを見渡す。

 何故こんなにも鎧を着た人達がいるのか、何故自分は馬を跨いでいるのか、目覚めたばかりの少女の頭には疑問符が浮かんでいた


 すると、目の前に二つの死体が目に入った。その中の一つに見覚えがあるとわかった瞬間、少女は一気に覚醒し目を見開いた。

 慌てて馬から落ちるように降りる。ぬかるんだ地面で衣服と顔を泥だらけにして、少女は青年の元へ駆け寄る。


 膝をついて座り、無残な姿となり果てた青年を見て、悲鳴も出せず息を詰まらせた。

 体を必死に揺さぶったが、反応は無い。

 願う想いで揺さぶり続けるが、反応は無い。

 胴体に剣を突き刺した青年が生きているとは思えなかったが、少女は否定して揺さぶり続けた。……それでも、やはり反応は無かった。


 やがて、青年を掴んだまま揺さぶるのを止めた。

 俯いた少女は、肩を震わせる。雨ではない水滴が、青年の頬に落ちて伝う。


「…ロイ……!」


 ぽつりと、くしゃくしゃにした顔で喘ぎ泣く少女は、彼の名を呟いた。

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小さなダークファンタジー えら呼吸 @gpjtmw

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