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青海老ハルヤ

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 ──その男の嘘には誰もが幻惑され、彼の思うままにされた。それ故にある人は怒り、ある人は恐怖し、ある人は避けた。それでも彼は嘘をつき続けた。ただそれだけが幸せと信じて。──



「何書いてんだ?」


 急に声をかけられてシンジは慌ててその紙を裏返した。貴重な紙をこんなことに使っているなんて知られたら笑い草もいいとこだ。特にこいつにだけは見られたくない。殊更面倒なことになる。


「アツシか。いや、何でも。そんで、政府は何つってた?」


「いつもどーりだよ。自衛地区なんか作ってないで国民全員一丸となってどうたらこうたら、ラジオと全く変わりゃしないさ。せっかくの建国記念日なのにな。まったく、よく飽きないもんだよ」


 やれやれ、と頭を振り、そしてまた、好奇心に溢れる子供のようなキラキラした顔をシンジに向けた。わざわざ話をそらしたのに、と遠慮なく舌打ちするも効果ナシ。


「で? 何書いてたの?」


「……黙れ」


 あからさまに不機嫌な声を出したが、アツシはむしろ面白がっているように見える。こいつは確かに知り合った時からそういうヤツだった──。腐れ縁と言うやつだが、アツシの周りはこういう関係が何故か多い。誰とでもそういう仲になれるのは強みで、周りからすればいい迷惑だ。

 と、急にアツシがシンジから離れたかと思いきや、おどけた口調で爆弾を放った。


「あらーシンジ先生の新作ですか! いやーこれは間違いなく新人賞、いや、芥川賞受賞も間違い有りませんな!」


「……てめえさっき見えてたのかよ!」


「あ、あってた? へえー小説か。へえー」


 いとも簡単に引っ掛けられてシンジは頭を抱えながら丸太に寝転んだ。だいぶ下の方は腐ってきたようだったが、樹齢を重ねた大木の椅子はまだまだ現役で、避難所や居住区から丁度良い距離にあったのもあって、だれかが1人になりたい時、その場所はまさしくうってつけだった。

──そう、一人になりたかったのに。


「ね、見ーせーて?」


「くっつくな気持ちわりい! 年齢とし考えやがれ!」


 とっくにおっさんと呼ばれる歳のくせしてハートマークでも付きそうな口調。隙あらば紙を奪おうとしてくる手。ガチでウザイ。


 シンジは思いっきり手をグーにして、アツシ腹にめがけて振り下ろした。が、避けられて手をしこたま木に打ち付けてしまった。こうなるともうシンジに勝ち目はないようだった。






 世界がおかしくなっていったのはコロナウイルスによる世界的感染が収まって来た頃からだった。いや、それこそ始まりと言っていい。世界中で地震や噴火、異常気象が1つの流れのように人々に襲いかかり、多くの国で政府も全く機能しなくなった。


 それから数年が経っても状況は一向に改善せず、人々は地域ごとに自治組織を結成。政府に頼ることなく、苦しいながらもなんとか生活を続けていた。






「あっはははは何コレ! 漢字ムズすぎたろ……意味……分かんね……ヒィ……苦し……ぶふっ」


「……もうやめろよアツシ!」


 笑い転げるアツシにシンジは思い切り怒鳴りつけた。だが膝をつき何度も地面を叩きつけるアツシ。ぶっ飛ばしてやろうか。


「いや……こんなん笑う以外ないだろ……フッヒヒ……あっははははは!」


「うるせえ!」


「ヒィ、死ぬ、胸が痛い……ハァ」


 かれこれ10分以上笑い続ける。さすがにアツシもここまで笑うことは珍しい。しばらくしてようやく落ち着いた頃にはアツシの声はだいぶ荒れていた。


「ハア、いやあほんとケッサクだわ、めちゃめちゃ文学的じゃん。昔から?」


「……昔からだ。書籍化とかはしてないけどな」


「にしても、こんな世界じゃ読んでくれる人も少ないだろ。出版の概念すらまず無いし。でも、東日本の時は1冊の漫画で救われたって話もあるし、本にしたら案外みんな喜ぶかもね、テレビ復活したら取り上げられるんじゃない?『奇跡の1冊!』みたいなね」


 そーか俺もやろうかな、とあながち冗談でもない口調でアツシが呟いた。


「良いんだよ。俺は趣味で書いてんだ。他人に見せる気はねえよ」


 へえ、と興味のなさそうな返事を呟き、アツシが隣に座った。すぐに立とうとすると、むくれた声が聞こえてくる。


「ええ、もう行くの」


「誰かさんが興味無さそうだからな」


「ごめんごめん、誰かさんと違って器用に生きてますからねー」


「……それは良かったな」


 日頃手玉に取られている復讐にとイタズラ心が湧いたが、やはりアツシの方が1枚上手だったらしい。


「今月貿易の担当でな。山の方の町行ってくる。あそこは牧場もあるし、いくらか肉貰ってこれんだろ」


「ああ、そういう事ね。ガソリンってまだあんの?」


「意外とな。節約すりゃあと4、5年位は持ちそうだ。石油タンクさまさまだよ」



 自治組織が確立して以降、地域間で物々交換を行うことで物資の流れが生まれていた。それらは皮肉を込めて「貿易」と呼ばれている。シンジらの地域は野菜などは取れなかったが、昔は本物の貿易で輸入されてきた石油を貯めるタンクがあった。そのため、主にガソリンや電化製品などを輸出し、肉や野菜と交換することで町1つの食糧を賄っていた。



「そろそろ畑でも開拓しないとねー、土地はいくらでもあんだし」


「だがまだ生活環境が安定しないからな。それどころじゃないさ。それじゃ行ってくるから」


「りょーかい。気をつけてねー」


 ひとまずアツシから離れられたが、貿易から帰ってきたらどれだけネタにされるんだか。シンジは初めてアツシに会ったときから彼を狐だと思っている。






 数時間のドライブの後、目的地に着いたシンジがからトラックから降りると、もう梱包されカゴに入った肉や野菜が置いてあった。


「お久しぶりです、いつもこんな山の中まで来てもらってすみません」


 深々と礼をする初老の彼の頭は、辺りに積もり始めた雪と負けず劣らず眩しく光り輝いていた。ここまで来るとむしろこういうのもありなんじゃないか、と段々冗談でなくなってきた頭を内心抱え、シンジは帽子を外さずに軽く礼をする。


「いえ、こっちは車が使えますしね。そちらこそ毎度美味い肉用意して頂いて本当に助かっています」


「いえいえ、うちもそちらの灯油が無ければどうなっていたことやら。おかげで今年も冬を越せます。あれからめっきり寒くなりましたからな」


 人間が減ったせいか、かつて騒がれていた温暖化はもはや見る影もない。シンジの街は、昔は冬でもせいぜい1桁程度だったのが、今ではマイナスも当たり前。地球にとっては好ましいのだろうが、人間の1人としては少しフクザツな思いである。


「とりあえずいつものところ置いときますね」と再びシンジはトラックに乗った。エンジンを消してから5分も経っていない車内は既に冷えきっていた。しまった、そのままエンジンをつけておけばよかったと後悔した。



 少し走って到着したのは街の中心の古い学校である。周りの家は全て住めなくなってしまったため、新しく作り替えたのはいつの時代だか見間違うような日本家屋と言うやつだった。寒さに人通りはほとんどないが、障子の窓から囲炉裏の火が見え隠れしている。


「ああ、シンジさんお久しぶりです」とこれまた光り輝く頭を持つ町長に軽く挨拶し、倉庫に物を搬入する。これが結構重労働で、終わった頃には色々なところが痛くなっていた。「腰が……」っと伸びている町長は早々にリタイアしている。


「いやあ、なかなか歳というのはバカに出来ませんな。シンジさんはまだまだお若くて羨ましい」


「いえ、俺もそろそろガタが来ていますよ。同い年のやつもこないだ肘やっちゃって。あれから力仕事が倍に増えまして、もうやんなっちゃいますよ」


 異様に痛がる素振りをして以来力仕事を押し付けてくるのはもちろんアツシである。なまじ責任感が強いだけに苦労したが、それでも縁を切らせてくれないアツシの役者ぶりには脱帽する。


「私に比べれば全然ですよ。もう身体中ボロボロで……」


 村長がそう言った時、


 ズシン!という久しぶりに感じる振動が2人を襲った。


「あらっ地震ですか! 大きいですねこりゃ!」


「一旦ここから離れましょう! 避難要りますかね!」


「させましょう! シンジさん西側をお願いします!」


 つい大声になってしまいながら話す間も強い振動が続いている。突き上げられるような縦揺れに満タンに入っているはずの灯油缶がガタガタと音を立てている。

 クソ。シンジは思わず舌打ちした。いい加減落ち着いてきたと思った矢先に。昔の指標なら震度5、6くらいはあるだろう。この瞬間はいつまでたっても慣れることがない。


 と、


 大きな音がした。何度も、何度も。


 東側の担当のはずの町長が慌てて駆け出したのに続いてシンジも西側に走り出した。当然、大工なんかも満足にいる訳もなく、資材も本当に無い。そんな中で一戸の家にできる耐震性などたかが知れている。

 つまり、この音は。


「はっ……あ……あ……」


 町長が立ち止まって、そして膝を落とした。林で隠れていた先の、見渡す限り全ての家が崩れている。片側の屋根が沈んだ家がまだいい方で、中には完全に崩壊した家もある。その家からは黒い煙が空へ舞っている。


 ふと横を見ると町長の表情が脱力したまま固まっていた。住む場所が無くなってから、何年も何年も、他の誰もが絶望していても、この町長は諦めずに必死に街を作ってきたと聞いている。そんな町が無情にも簡単に潰された気持ちは想像もできない。

 だが、


「町長! 助けないと!」


 今は悲しみに浸っている暇などない。町長もハッと気づいて火の出ている家に駆け出した。


「すみませんシンジさん! まずあの家から!」


 それからは必死に体を動かした。雪で火を何とか消し、屋根を退け、挟まれた人を何度も助け出した。一人の女の子が折れた柱に足を挟まれた母親を助けようとしていたのが妙に記憶に残った。






「……まあ、誰も死ななくて良かったです」


 旧小学校の校舎に隣接した倉庫──体育館に家が無くなった人が避難し、灯油ストーブの周りに集まっていた。ゴー……という地面からの振動すらも暖かく感じる。何も無ければ凍え死ぬような寒さの中、火を炊けない体育館の中では本当に過去の文明様々である。


「……大丈夫ですか、町長」


「まあ、家なんか何とかなります。みんなで力を合わせればすぐですよ」


「いや、でも……」


「大丈夫です」


 どう考えても大丈夫なわけが無い。町がちゃんと暮らせるようになるまでこの人がどれだけ頑張っていたか。たまにしかこの街に来ないシンジでも十分分かる。その頭部は、苦労の象徴だ。

「失礼、御手洗行ってきますね」と歩いていく町長の背中が小さく見えた。






「……さっき、助けてくれてありがと」


 町長を見送ったあとぼんやりしていたシンジに急に礼の言葉が飛んできた。驚いて顔を上げると、さっき母親を助けようとしていた女の子が立っていた。6、7歳くらいだろうか。


「ああ、まあ……いや、どういたしまして」


 三回り以上も下の子供に率直に感謝を言われ、気恥しさに何かを弁解しようとしたが、待て待て俺、何をビビってるんだ。

 もちろん母の命の恩人とはいえ、この歳で知らないおっさんにちゃんと礼が言えるのだから、おっさんが返さなくてはどうしようもない。

 一瞬満足したような顔に見えたが、すぐに顔に影が差した。あんな光景見たあとでは当たり前だろう。

 シンジが勝手にそう考えていると、その子は小さく口を開いた。


「……あれ、何。何なの?あれ」


 一瞬分からなかったが、目の前の小さな、すぐに潰されてしまいそうな小さな身体を見て気づいて、そして──驚愕した。

 知らないのか、あの地震を。あの災害を。

 そしてそれが意味するのはただ1つ。


「……あれは……地震、ってやつだ。地面が揺れることなんだけどな。昔それでたくさんの人が死んだ。その時に栄えていた文明と一緒に、全部。全部ぶっ壊されちまったんだ」


 あの時代を──知らないのか。


 いつの間にか声が大きくなっているのに気づいてシンジは俯いた。考えれば当たり前のことだろうに、何故か受け入れ難い気持ちになる。


 その少女はふうん、と呟いて、ストーブの前に座り込んだ。そうして手をストーブにかざして暖をとっている。子供ながらに何かを察しているのか、その子も何も言わなかった。


 外の雪の降る音が聞こえてきて、思わず「そういえばな」と口に出してしまった。何も話題を用意していないが、少女が振り向くまでの間にシンジは必死に頭を回した。何かあったっけか。


「昔はたくさんのお話があってな。『桃太郎』は知ってるか?」


「知ってる。お母さんに話してもらった」


 作戦失敗。えー他に……「じゃあ『浦島太郎』は?」「知ってる」「えーとじゃあ『金太郎』」「知ってる」と、その後も5つほど昔話のタイトルを言ってみたが、ことごとく敗北。母は強し。


「えー、まじか……あとなんかあったかなあ……」


 はあ、とどちらもとなしにため息をついた。どうしたものか。この状況、アツシならどうにかなったのかもしれないが。極力避けてきた状況にまたシンジに自分を嘆かせる。

 そういえばうちの町は大丈夫だろうか、なんて今更ながらシンジは思い出した。それこそアツシなら、どうせ生き残っているのだろう。小説のことは町中に広まっていて、帰ったらどれだけイジられるか、溜まったものじゃない。

 ああ、分かった。あいつに恥かかせておいてやろう。俺は小説家だろう。出来ないことは無い。


「……そうだな、じゃあある男の話でもしてやるか。調子乗ってて、いつもふざけてるんだが、そのせいで大失敗する話なんだけどな」


 口を開くと、その子は下を向いたままシンジの方に少しだけ顔を動かした。それを見てシンジはさらに口を動かした。口元だけが少しずつ温まって言った。


 ──その男はウソが好きでな。周りの人も、こいつはウソツキだ!って分かっていても騙されてしまう。

 そうやって人を自分の思うようにさせて、楽しく過ごしていたんだ。──


 2週間ぶりに町に戻ると、やはりと言うべきかアツシが仁王立ちで車道に立っていた。ひいてやろうかとエンジンを吹かすと、サッと避けてドアに近づいてくる。窓を開けるとひょこっとアツシが顔を出してきた。


「わりーあの小説さ、間違ってみんなに見せちゃった。隠そうと思ったんだけどねー」


 白々しいにも程がある。シンジはふん、と鼻で笑ってやろうとしたが、やめた。


「あーまあしゃあねえ。今度新しいの書いとくって言っとけ。あんなもん見せられたもんじゃねえよ」


 ええ、と素直に驚かれて少し背中が痒い。はあ、とアツシがため息をついて口を開いた。


「あーあ、なんか変わっちゃったねーシンジ。もうイジれねえじゃんつまんねえの」


「……お前は俺をなんだと思ってたんだ」


「あっやっぱオモシロイ! いいよシンジ今度はお笑い芸人に」


「なるかボケ。車戻してくっからどけ」


 半ば強引にアツシを車から引き剥がし、窓を閉めた。アツシがにやけた顔で手を振っている。一生あの主人公にいい思いはさせてやらねえ。顔のニヤケを抑え、シンジはアクセルを踏んだ。


 

 


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Meme 青海老ハルヤ @ebichiri99

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