8・スイートホーム

 スチーマ・グランデの端、コンクリートの禍々しいビルに日差しを遮られることのない立地にヒルデたちの家はある。今どき贅沢品となったレンガを積み立ててできたそれは三階建てで、外側の装いは家というより宿舎のようだ。

「……」

 両開きの玄関の戸を押し開ける。戸の角につけられたベルが短く鳴いて、左右に延びる冷え切った廊下に吸い込まれた。

 巨人の爪痕を目の当たりにしてなお、家で五人の子供たちがその帰りを待っているものと思いたがっていた。しかしそのベルに対する返事は、玄関に立ちいくら待てど聞こえない。

「男の子が三人、女の子が二人。二人と三人じゃだめなんだ。そこには序列ができてしまう。今となっちゃ、……。どうでもいいか」

 どこもかしこもおとなしい。ほんの数日前までここでは七人がしっちゃかめっちゃかで暮らしていた。あの日のまま、この家の生活は止まっている。

 ヒルデは今何をどうしたらいいか、完全に見失っていた。

 子を失った母として感情の波が落ち着くまでここで感傷に浸るか、公つきの研究者としての責を果たすべく粛々と仕事を続けるか。

 新たな敵の存在を知った今、街は前者を許さない。しかし短い間でも人間を育てた者として、わけもわからぬまま死んだ子らは後者を許さないだろう。

「ま、私にマッドサイエンティストは向いていなかったわけだ。兄貴と違って」

 アマレにとっては二人とも同じようなものだ。

「クイルは自作のそれらを躊躇なく改造するし、破壊する。実際に子供からドグマを抜いていたのもクイルだし、アマレ、君の前に一体どれだけの失敗作ができたと思う? 小さい丘くらいはくだらんよ」

 ドグマ。肉体を操作する霊体が存在するという考えにおけるその霊体を揶揄する言葉として、ヒリアの時代に定義された。のちにそれが正しそうだということでその霊体をドグマと呼ぶようになる。その確たる証拠が、子供から人形にドグマを移して作られたアマレだ。前世たる子供時代のことは覚えていない。ドグマは子供のものとしてではなくあくまで人形を動かすためのものとして転移させられた。

 台所の端に据えられたヒュミドールから一本、葉巻を取り出す。

「裏庭で育てているんだ。君の構造上問題ないとは思うが、やってみるかい」

「……いえ」

「そりゃそうか。やらん人がやってもつまらんだけだよな。そもそもクイルは煙まで喫するように作ったんだろうかね」

 自らの下に積み重なるいくつもの屍。試行錯誤を繰り返したということはそういうことだ。これは人間でも同じことだと思うようにした。そうでないと、少なくとも今はそれを受け入れられる気がしなかった。

長い時間が経った。葉巻の灰は半分くらいまで進んでいた。そんな頃合い。

「変に待たせてしまったね。しばらく何もできる気がしないが、それでいいなら…… 二階の突き当りの部屋が空いているから、好きに使うといい」



 二段ベッドの据えられた部屋が続く中でそこは一人用の部屋だった。唯一扉が閉まっていて、明らかに人が使っているような小物の配置だが、人がいたような匂いはせず、かといって埃は積もっていない。ある状態のまま長らく誰も入っていないかのようだった。

「私も入れてもらったことないのに。へんなの」

「ずっと誰も使ってなかったの?」

「うん。ずっと。覚えてる限りずっとここは閉められてて、今初めて入ったかも。私達の前にも一人いたんじゃないかって弟たちが言ってたけど」

 ルーフェンの目の前で起きた惨状のことをアマレは聞かされていなかったが、このときの彼女の表情からそれは察するに余りある。しかしそれを如実に想起し思考するにはあまりに空いた時間が短すぎて、どこかその体験を持て余しているようでもあった。

「実感がないってこういうことなのね。みんな死んだのに、それ以外はなんにもなかったみたいに進んでくの。弟たちだけがいない」

「……いつだったか、ヒルデが同じことを言ってた。それが記憶になった後よりも、その渦中にいるときが『危ない』って」



「公務員辞めるか。うん、それがいい」

 その声にアマレもルーフェンも応えない。

「マッドサイエンティストを演じてきたからルーフェンたちを作ったし、今そのほとんどが死んだ。母親をやってきたからそれに対して悲しみを持つし、この二つがどっちつかずで共存しているせいで認知的不協和に苦しんでいる。だから職業としての科学者を辞めようと思う」

「母親辞めるって言われたらどうしようかと思った」

「ルーフェンがいる限り辞められんよ…… 連携している軍部の野郎どもにはもともとうんざりしていたんだよ。新生物は苦しみを感じないだなんて言いやがる。中には蟻さえも避けて歩く人もいるのに、新生物のことになると途端にこうだ。アマレ、どうしてかわかるかい」

「敵であると強調するためですか」

「ああ。その口実として、『新生物は人間によって作られたから機械論を適用できる』とのたまったのさ。しかし人造された君に問おう、この数日間、苦しみを感じなかった日があったかい? ……まあ、どう答えようと君のほかに真実は知り得ないが。それは人間同士でも同じことで、人かそれ以外かとか、人造だとか、そんな壁はない」

「何が言いたいんです」

「さあね。とにかく、新生物を殺すその理由が気に入らん」



グランデ州自治庁、知事執務室にて。

「知事」

「ヒルデか。入ってくれ。いや今回のことは本当に…… 残念だった。遺骨はもう渡せる状態にある。帰りに火葬場へ寄ってくれ。さて、何用かな」

「仕事辞めます」

「……正気か? いや俺が正気じゃないのかもしれん。もう一度聞こう」

「あなたは正気です。仕事辞めます」

「……君をこのポストに置いたとき、伝え忘れていたかもしれん。退職はできない。生涯だ」

「わかっています。ですから、罷免をお願いします」

「つまり君に、致命的な落ち度を見いだせと? 新進気鋭の研究者を?」

「私はドグマの研究者であると同時に、五児の母でした。おわかりですね」

「しかし…… その…… 何とか、続けてくれないかね。次の発表は待ってやれると思うが」

「既に次の発表の準備は終わっています。その上で、辞めます」

「……反対できない。子を失う痛みは、俺もわかっている。わかっちまうんだけど」

「きつい言葉になりますが、賛成反対にかかわらず、私が街を出ることは可能です。しかし私もあなたも、互いの親交を諦めることは望まない。……兄はどうしてます?」

「本人から聞いていないのか。しばらく孤児院に帰っていないようで、州が直々に子供の世話をしているよ。終(つい)の森へ行ったきりだ。腐ってないといいが」

 終の森。野生動物が死期を悟ると向かう、地衣類と黴(かび)でできた森。

「……あの馬鹿野郎。よりによって腐れの神に救いを求むか」

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この世界に死んで詫びよ 雷之電 @rainoden

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