テキスト「創造主 誰も見ぬあなた」

――オーメン・ブライド、「月刊プー」より


 絶界教の教えに、「全てを創り給うたあなたを、その全ては神と呼ぶ」という一節がある。他宗教が多く認知され、また科学の隆盛に見(まみ)えた今でこそ、この教えはあくまで宗教という文化の中の創作であるといった認識が若者を中心に広まっている。つまりそれ以前のルーメンヒルでは、現実を説明するための最も有力な情報は、これらの教義だったわけだ。

 だからこそ、その教義を妄言の一つなどと言って切り捨ててしまう前に、もう一度その真意を考え直してみたい。

 今からおよそ千二百年前、現在のドゥラッド(※1)がある辺りで別の国が興った。その国は民主制をとっていて、彼らは自らの国をただ国と呼んだ。ここではかつての発音に倣ってヒリアと呼ぶことにする。

 ヒリアでは既に絶界教が完成されていて、それ以前のことは絶界教を含めてほとんど何もわかっていない。よって絶界教の源流についてもわかっていない。ヒリアは他国との大規模な戦争などあったわけでもなく、自ら国力を衰退させていき、自然消滅した。その後寄せ集めで再興してできたのがルーメンヒルで、およそ五百年前のことある。だからヒリアとルーメンヒルは、同じ絶界教を支持しているのだ。

 ヒリアは、新生物を生み出した。今いるその子孫たちの多くはそれまでいた生物の特徴を引用したり、ただ繋げたものだったりするが、あれらは遺伝子をコピー元の生物からそっくりそのまま持ってきただけなので、実は新生物、すなわち新しい生物ではない。当時の人間がゼロから創り出した真の新生物は、当時の文献を参照するなどして特定できているが、我々が知りえず、在来種として接しているものもあるということは否定できない。

 教典によれば、生命の創造は神の御業である。したがってこの技術は人間が持ってはならないものであり、その利用は神へ向けられた反旗であるとする人々が一定数いた。それでもヒリアの五十五人議会は学会に投資を続け、無秩序に新しい生命がデザインされることになる。その顛末は皆が知る通り。彼らは人間の管理下から逸脱し、自らの姿の親となった生命を生態系の隅へ追いやることとなった。

 さて、人間が生命を創り出すことに成功していたということは、もっと昔に別の文明が人間、あるいはその原種を創り出したかもしれないということを想像しやすくなったのではなかろうか。人間を含めあらゆる「在来種」のその起源は未だ解明されておらず、この説を突拍子もない話だと思いこそすれど、それを反証できるものは今のところない。

 そして絶界教がその文明の存在を主張している。この大陸の遠い果て、二龍(※2)湾の中心にそれはあるという。二龍湾は穏やかな日が一日として存在せず、船も飛行船も、最近登場したプロペラ機もその中心に近づくことはできないが、確かにそこに島があることは辛うじて目視できる。

 その存在を謳われていても、観測できないのなら存在しないのと同じではなかろうか。だとすれば、不在の神に最も近いのは、生命を生み出した我々人間ということができる。


ネット小説としての読者向けの注釈:


※1:地方自治体としてのスチーマ・グランデを擁する国であるルーメンヒルの首都。

※2:二匹の龍が同じ場所に降臨するがごとき嵐が常に鎮座する湾。大陸の東端にある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る