米寿、最期のバースデーパーティ

月城 友麻 (deep child)

米寿、最期のバースデーパーティ

 ハッピバースデー!


 八十八歳となった竜真りゅうまは、米寿の祝いで孫たちが用意してくれたショートケーキのろうそくを、頑張って吹き消した。


 わぁ――――!

 パチパチパチパチ!


「ふぅ、吹き消すのも難儀だわい」

 竜真は椅子の背にぐったりともたれかかって大きく息をつく。

 ばあさんは数年前に他界しており、わびしい一人住まいのところにわざわざ息子一家とひ孫までが集まってくれた。

「じゃぁケーキに入刀するわよー!」

「あぁ、僕がやるぅ!」

「あたちもぉ!」

 竜真は久しぶりににぎやかな声がこだまする自宅に思わずニッコリとし、ひ孫たちの可愛いやりとりに目を細めていた。

「じぃじ! だっこして~!」

 可愛い女の子が竜真によじ登ってくる。

「はいはい、かわいいのう……。よいしょっと」

 竜真は幸せに包まれながら女の子を抱き上げた。

 キャハッ!

 女の子は嬉しそうに喜んで竜真に抱き着いてくる。

 しかし、ゆっくりと抱きしめ、大きく息を吸い込んだ時、竜真は違和感を覚えた。

 女の子から匂いが全くしなかったのだ。

 この年頃なら甘くやわらかなミルクの香りなどがするであろうに、匂いが全くない。果たしてそんなことがあるだろうか?

 その瞬間、まるで霧が晴れたように思考がクリアになった。

 おかしい……、ありえない……。

 そう、息子一家はかなり前に交通事故で全員死亡していたはずだ。当時、ばあさんと一緒に泣き崩れ、しばらくずっとお通夜状態が続いていたのだ。思い出さないように封印した記憶、それがブワッとよみがえった。

 では、彼らは何なんだ?

 涼真は真っ青になってケーキを切り分けている息子夫婦をただ茫然と見つめる。


 いないはずの息子一家には孫までできて、こうやって祝ってくれている。どういうことなのか?

 匂いがないのも当たり前だ、彼らは人間ではない……。

 竜真は女の子をそっと下ろすと、よろよろと席を立った。

「じぃじ、どこいくの?」

「ちょ、ちょっとかわやへな……」

 竜真はドクドクと高鳴る心臓に気づかれないようにそっと部屋を後にした。


      ◇


 ふらふらと洗面所まで来ると、竜真は頭を抱えた。

 死んだはずの息子一家に祝われて自分はどうしたらいいのだろうか?

 供養が足りなかったのだろうか? しかし、彼らからは悪意は一切感じられない。心から自分のことを祝ってくれているみたいだ。

 自分はどうしたらいい? このまま祝ってもらい続けるのか? それとも逃げ出して裏の神社の神主でも呼んでくるのか?

 その時ふと、鏡を見て竜真は心臓が止まりそうになった。なんと、鏡の中にはただの壁しか映っていなかった。そう、竜真は鏡に映っていないのだ。

「へっ!? どういうこと……?」

 冷汗を垂らしながらじっと鏡をのぞき込み、そして竜真はすべてを理解した。

 そう、自分はもう死んでいたのだ。

 死者に祝われて違和感があるなんておこがましい、自分も死者だったのだ。

 竜真はふぅ、と、大きく息をつき、宙を仰いだ。


        ◇


「え? いつ死んだの? 俺?」

 竜真は気を取り直して記憶を手繰るが、ここのところは散歩して肉と野菜を煮込んだ鍋作って、酒飲んで寝るだけの暮らしだった。そのどこかでポックリ逝ってたのだろう。

 苦しまずに逝けたことは喜ぶべきことかもしれない。


 死んだのはわかったとして……、今の俺は何なんだろうか? お化け? 幽霊?

 と、ここで、若いころに会った女の話を思い出した。

 新宿の細い階段を下りて行った小さなバーで隣に座っていた若い女だ。


        ◇


 だいぶ酔いの回ってきた彼女は、チェストナットブラウンの髪を揺らしながらニヤッと笑って言った。

「この世界はね、全部情報でできてるのよ」

「情報?」

 竜真は彼女の言うことがさっぱり理解できなかった。

「物っていうのはね、ただの情報の一形態なのよ」

 彼女はそう言うと、俺のインディアンの描かれたジッポのライターを取り、ニコッと笑うとそれを手品のように二つに増やして俺の前に置いた。

「へっ!?」

 竜真は慌ててその二つのジッポを両手に取り、ジッと見比べてみる。しかし、その二つは模様だけでなく表面についたかすかな傷の一つ一つに至るまで完全に同じだった。

 ぽかんと間抜けな顔をしながら彼女の方を向く竜真。

 女の子は嬉しそうにニコッと笑うと、コスモポリタンの赤いグラスを一口含んだ。

「こ、こんなことができるなら、金塊でもなんでもコピーして大金持ちじゃないか!」

 竜真は興奮を抑えられずに言った。

「金持ちになんてなってどうするつもり?」

「え? ど、どうって……。家買ったり、車買ったり……」

「つまんない男ねぇ」

 彼女は目をつぶって首を振る。

 竜真は必死に考える。大金で何をする?

 会社を立ち上げて地球環境にいい事業を……、いやダメだ。大物政治家になって社会を……、違うな。

 竜真は目をつぶって必死に考えた。しかし、どれも胸張って言えるような案は出せなかった。つまり、自分はそれだけ底の浅い男だったのだ。いつも『金が無いから』と金のせいにしていたが『金をいくら使ってもいい』と言われたとたん何も出てこないのだ。

 竜真は自らの浅薄さに大きくため息をつき、立派なことを言うのをあきらめた。そして、

「宇宙へ……、行きたいです。宇宙から青い地球を見てみたい」

 と、子供のころからの夢をただそのまま口走る。


「ふぅん、こういうこと?」

 彼女はニヤッと笑うと指をパチンと鳴らした。

 すると、いきなり真っ暗になりふわっと体が浮く。

 えっ!?

 慌てる竜真の腕を彼女はつかんで、後ろを向かせた。

「こっちよ」


 うぉ!

 竜真は驚いた。目の前にぽっかりと浮かんでいたのは青い地球だった。

 右手から燦燦と輝く太陽がアメリカ大陸を照らし、広大な太平洋には大きな白い雲の筋が優雅にたなびいている。そして、日本はすでに夜。その暗闇の中にかすかに東京や大阪の街明かりが浮かんでいた。

「どう? 夢はかなった?」

 彼女は微笑みかける。

 竜真は圧倒され途方に暮れた。

 眼下に広がる美しい水の惑星、地球。その圧倒的な美しさはフェイクでもなんでもないリアルな現実の質感を持って竜真に迫る。

 しかし、そうだとしたら数万キロを一瞬で移動し、真空中で会話をしていることになる。それはどう考えても不可能だった。

 竜真は目をつぶり、考え込む。キーワードは『情報』。彼女はこの世界は情報だといった。つまり、距離も、物も、情報によって作られているだけの『うたかたの世界』ということを彼女は見せてくれているに違いない。

「この世界は情報の世界なんですね……」

 竜真はそういって彼女を見た。

「理解してくれた?」

「と、なると、そこに生きている私は何なんでしょう?」

「ふふっ、それは死んだとき、わかるわよ」

「死んだとき……。その時また会えますか?」

「いいわよ?」

 青く輝く地球をバックに彼女は嬉しそうに笑った。

 

        ◇


「死んだときにわかるって言ってたな……」

 竜真はそういいながら自分の体を見る。すると、徐々に透け始めているのが分かった。

「お、お迎えが来たってことか? 彼女は? 死んだら会えるって言ってたのに……」

「あら、もう居るわよ」

 いきなり声がして横を見ると、そこにはあの時のままの若い女性がチェストナットブラウンの髪を揺らしながら微笑んでいた。

「あ、あぁ、君は……」

 涼真は微笑みを浮かべた女性の美しさに気おされ、言葉を失う。

「お疲れ様。いい人生だった?」

「あぁ……、いい人生ではあったかもしれないが……、息子一家を失ったことは心残りだよ」

「だから冥途の土産にみんなを呼んであげたのよ」

「えっ!? それじゃ、彼らは本物の息子たちなのか?」

「そうよ」

「だ、だったら、ばあさん、ばあさんも呼んでくれないか?」

 竜真はそう言って彼女の手を握る。

「あらやだ、まだ気づいてなかったのね」

 いきなりおばあさんの声がして竜真は振り返った。

 するとそこにはおばあさんがニコニコしながら立っていた。

「お、お前! いつから!?」

「うふふ、私はずっといましたよ。あなたがしょぼくれた暮らししてるから気が気じゃなくてね」

「そ、そうだったのか……。ありがとう……」

 竜真はそういっておばあさんの手を取って思わず涙をこぼした。

「さぁ、残り時間はあまりないわよ。みんなと話しておいで」

 女性はリビングを指さす。

「こ、この後はどうなるんですか?」

「一度命のスープに溶け、その後、また転生するわね」

「ばあさんと一緒に転生させてくれんか?」

「うーん、スープに溶けた時点で記憶全部なくなっちゃうから、転生先で会ってもわからないわよ?」

 彼女は首をかしげる。

「大丈夫、絶対忘れない。二人の生きてきた時間はそんなに軽くない。なぁ、ばあさん」

 竜真はおばあさんの方を見る。

「うふふ、そうですねぇ。また来世で結婚してくれますか?」

「おうよ、当たり前だ」

 二人はそう言って見つめ合った。

「分かったわ。そう手配しておくわね」

 女性はそう言うと、空中に情報ウインドウを広げ、パシパシと叩いた。


      ◇


りょうちゃん、妹ですよー」

 涼真りょうまが家でテレビを見ていたら母親が帰ってきて小さな女の子を紹介した。

 目がクリっとしてかわいい女の子はちょっと恥ずかしがって警戒している。

「い、妹?」

「そう、彩夏あやかって言うのよ、仲良くしてね」

 涼真は可愛い幼女のつぶらな瞳をジッと見つめる。

 直後、ふわぁと温かい気持ちが心の奥底からとめどなくあふれてきて、涼真はにっこりとほほ笑んだ。

「あやちゃん! おいで」

 涼真はしゃがんで両手を彩夏に伸ばす。

 彩夏は最初、戸惑っていたが、ニコッと笑うとよちよちと歩きだして涼真の胸に飛び込んだ。

 キャハッ!

 満面の笑みを浮かべる彩夏。

 涼真は優しく抱きしめ、ふんわりと香るやわらかなミルクの甘い香りに包まれる。

「あら? あやちゃんは人見知り激しいのにねぇ……」

 母親は首をかしげる。

「なんだか初めて会った気がしないんだけど?」

「そんなことないわよ。私も初めてだもん」

 キャハッ!

 彩夏は幸せそうに涼真の胸に顔をうずめる。

 涼真はそんな彩夏を愛おしく思い、ずっと大切にしてやるんだと心に誓った。

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