エピローグ

 まるでその瞬間から世界が始まったかのように、唐突に意識が覚醒した。


 瞼を開けると、見知らぬ天井が視界に飛び込んでくる。自分が仰向けに寝転がっている感覚から、眼球と天井までの高さは二メートル以上あるはずなのだが、どうもいまいち距離感がつかめない。視覚情報が混乱してしまうほど永く眠っていたのかと、天崎はうんざりしながら額を押さえた。


 ふと、視界の端に小さな影が映る。

 おかっぱ頭の童女だった。


「おー、おきた」

「……円か」


 舌足らずな声を懐かしく思いながら、天崎は気怠い身体をゆっくりと起こした。


 全身に奔る鈍い痛みを我慢しつつ、周囲を見回す。部屋の間取り、家具の配置場所は間違いなく自分の部屋なのだが、どうも慣れた感じがしない。その感覚はまるで、住み慣れた家を寸分の違いもなく完璧に模倣したような……。


「あぁ、そっか。そういや新おののき荘だったっけ」


 どうりで天井が見慣れないわけだ。毎朝起床とともに迎えてくれたあの木目は、もうすでに瓦礫と化してしまったのだから。あんなボロいアパートでも無くなってしまうと妙に愛着があったなと実感できた。


 と、旧おののき荘が吸血鬼のせいで崩壊したことを思い出し、天崎は再び頭を抱えた。


 記憶が曖昧なのだ。姿を消したリベリアを捜しに家を飛び出したまではいい。夜道でアラン=ホームハルトと遭遇し、なんやかんや戦って、その後……どうなった?


 眉間を抓んで考え込むも、心配すべき対象の一人がすぐ側にいることを思い出し、天崎は円の頭を優しく撫でた。


「円はもう大丈夫なのか?」

「なおった」


 自らの全快を簡潔に報告する。主に撫で回されて小動物のように喉を鳴らす姿は、元気一杯の証。大事には至らなくて良かったと、天崎は顔を緩ませた。


 しかし、そんなに早く治るものなのだろうか? 目立った外傷はなかったとはいえ、住処の崩壊は座敷童にとっては相当のダメージだったはずだ。記憶に残っている最後の姿も、かなり衰弱しているようだったし。


 いや……。

 悪い予感が脳裏を過り、天崎は戦々恐々としながら円に訊ねた。


「なあ、円。教えてくれ。あれから何日くらい経った?」

「ん!」


 突き出した右手を大きく開き、左手はピースサインを作る

 指の数は七本。つまり一週間だ。


「うわぁ……出席日数が……」


 唐突に現実を突きつけられ、天崎は再び床に伏せそうになった。


 絶望に沈む天崎の頭を、今度は円が撫で始める。そして一通り慰め終えた後、円は枕元に置いてあった手のひらサイズの機械を指で示した。


「なんだこれ。ボイスレコーダー? 誰のだ?」

「ん」


 答える代わりに、円は再生ボタンを指でつつく。とりあえず聞けという意味らしい。


 不審に思いながらも、天崎は耳を傾ける。雑音に乗って聞こえてきたのは天崎もよく知る大悪魔、安藤の声だった。


『やあ、おはよう。君がこれを聞いているということは、ようやくお目覚めというわけだ。本当なら顔を合わせて話がしたかったんだけどね。いつ起きるか分からないし、スマホはアラン=ホームハルトに壊されたみたいだから、取り急ぎボイスレコーダーで失礼するよ』

「げえ、そうだった……」


 二つ目の辛すぎる現実に、天崎は白目を剥きそうになった。

 スマホの買い替えとか普通に素寒貧になるレベルの出費だ。


『おそらく君は記憶が曖昧になっていると思う。けど、どこから記憶を失っているのか僕には判断しようがないから、最初から説明しよう。せっかく大きな貸しができたのに、君が覚えてないというのは僕にとっても損失だからね』


 その一言で天崎は察した。結局、最終的には安藤に助けられたのだろう。


 安藤は事実だけを淡々と述べていく。アランとの遭遇、学校での戦闘。そしてここからだ。アランが本気を出し、自分が地に伏してからの記憶が混線しているのだ。映像として微かに残ってはいるものの、情報を整理して理解するためには第三者の言葉が必要だった。


『リベリアさんが血を吸うことで、君の吸血鬼としての血統が覚醒した。それと同時に、遺伝子に植え付けられていたヴラド三世の意識も蘇ってしまったみたいなんだ』

「ヴラド三世、か」


 やはり、何者かに身体を支配されたような感覚は夢ではなかったということか。


 そして戦いは佳境に入る。人間を支配すると宣言したヴラド三世が、その場を離脱。しかしリベリアが天崎の身体を瀕死の重傷へ追い込むことにより、ヴラド三世の意識は再び遺伝子の奥底で眠りに就いた、というわけだ。


『君の怪我は僕が治した。吸血鬼の治癒能力を利用して無理やり治療したから、いつまたヴラド三世が目覚めるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。こんなに神経のすり減らされる事後処理は以後勘弁してほしいものだね』


 安藤が愚痴るも、天崎は文句を言える立場ではなかった。普通の人間なら間違いなく死んでいる大怪我を完治まで看てくれたのだ。堂々と貸しと言われても仕方がない。


『結局、君の身体の中からヴラド三世の意識を取り除くことはできそうにない。だから今後、吸血鬼の血統を覚醒させることは禁止だ。肝に銘じておけ』

「あいよ」


 まあ十七年生きてきた天崎どころか、代々のご先祖様ですらヴラド三世が覚醒したことはなかったはずなのだ。吸血鬼化せず、普通に生活していれば問題ないと思う。


『にしても、『完全なる雑種』が吸血鬼界隈の伝説に残る完全な存在ってのは僕も驚いた。ちょっと他の種族のマネができる特殊な人間ってだけなのにね』

「ほっとけ」


 何で悪魔にそんなこと言われなきゃいかんのだと、天崎は憤慨した。


 と、どうやら状況報告はそれで終わりらしい。事の経緯と顛末ともども、当事者ともあってか天崎はすんなりと把握できた。が、安藤はまだ肝心なことを口にしていない。


「ちょっと待て。一番大事なとこが抜け落ちて……」

『ああ、そうそう。最後に一つだけ言い忘れていた』


 まるで天崎が慌て始めるタイミングを見計らったように、安藤が切り出す。

 そして事実だけを短く告げた。


『リベリアさんはアランに連れられて一度故郷に帰ったよ』

「……そっか」


 録音が途切れるのと同時に、天崎は布団の上へと仰向けに寝転がった。


 結局、すべて無駄だったのだろうか。いや、そんなことはない。安藤が言うには、リベリアはアランの前で己の強さを証明してみせたのだ。もしかしたら考えを改め、成人の儀なんてふざけた儀式を取りやめるかもしれない。


 そうでなくとも、別にリベリアが死ぬわけではない。お互い生きていれば、いつか再会できるだろう。そうだ、暇と金ができたら、そのうち会いに行こう。儀式がいつ行われるかは知らないが、沈んだリベリアを慰めてやれるかもしれない。


 でも、できれば最後にもう一度だけ顔を見たかったなぁ。

 と思いつつ瞼を閉じる。

 その瞬間――、


「ただいま戻りましたぁ!」


 快活なハスキーボイスとともに、玄関の扉がとんでもない勢いで開かれた。


 いくら何でもこんなご都合主義な展開はないだろうと驚きつつ、天崎は恐る恐る玄関の方へと首を回す。だが現実は無常なり。勝手に感傷に浸っていた自分が恥ずかしくなってしまうほどの現実がそこにあった。


 両手にビニール袋を引っ提げた金髪の吸血鬼が立っていたのだ。


「あっ!」


 リベリアの方も天崎が起きていることに気づいたらしい。ビニール袋をほっぽり出した彼女は、一目散に天崎へと抱きついた。


「天崎さん、起きられたんですね!?」

「ふげぇ……苦しい、苦しい……」


 硬いんだか柔らかいんだか判断しがたいリベリアの胸に顔を押し付けられ、天崎はもがき苦しむ。吸血鬼相手かつ寝起きの腕力では抵抗できるわけもなく、引き剥がすのにとても苦労した。


「ってかお前、国へ帰ったんじゃなかったのか!?」

「あっ、はい。一回帰ったんですけど、また戻ってきたんです!」

「あー……」


 安藤の言葉を思い出す。確か『一度』故郷に帰ったと言っていたはずだ。

 紛らわしいんだよクソメガネが。と、天崎は心の中で罵った。


「で? 一度帰ったお前が何でここにいるんだ? アランは? 成人の儀は?」

「あーっと、それなんですが……」


 バツが悪そうに眼を泳がせたリベリアが居住まいを正す。


 そして『ちょっとドジ踏んじゃいました。てへぺろっ☆』とでも言いそうなおどけた感じで衝撃の事実を放った。


「実は私、どうやら『完全なる雑種』になっちゃったみたいなんです」

「…………は?」


 一ミリたりとも理解ができず、天崎は間抜けな声を上げて絶句してしまった。

 そんな反応も意に介さず、リベリアは構わず続ける。


「伝説自体は吸血鬼が天崎家を狙うようにするための方便だったんですけどね。それが意外と間違っていなかったらしくて、天崎さんの血を吸ったことで私は完全な存在、つまり『完全なる雑種』になったわけなんです」

「はああああああああああ!?」


 まさか説明されても理解が追い付かないとは思わなかった。


「つまり吸血鬼は『完全なる雑種』の血を吸ったら『完全なる雑種』になるってこと?」

「どうなんでしょうね? 今回私は天崎さんを眷属にするための吸血を行いました。普通に食事として喰らった場合は実例がないので分からないです」

「でも新月の夜じゃなかったんだが?」

「だから、それはヴラド三世が勝手に作ったホラ話なんですってば。たぶん天崎家の人がそのまま吸血鬼に殺されないよう、一番力の落ちる新月って設定にしたんでしょうね」


「なるほどなぁ」と納得し、天崎は深く頭を抱えた。

 ただ、リベリアが『完全なる雑種』になったと信じるに足る要素もなくもない。


 あれから一週間ということは、今日は新月間近のはず。なのにリベリアの身体は幼齢化しておらず、どころか出会った満月の日の姿とほとんど同じだった。彼女の身体に何かしらの変化があったのは確実だ。


「それに日光にも少し強くなりましたよ。日傘と日焼け止めクリームを塗るだけで、お天道様の下を歩けるようになりましたからね。さすがに直に浴びるのは危険ですけど、こうやって買い物くらいなら普通に行けますし」


 と言ってビニール袋を拾ったリベリアが、大きな欠伸をかました。どうやら日中に眠たくなるのは前と変わらないらしい。


「吸血鬼としての弱点が少し緩和されたって感じか」

「ですです」


 天崎と同じく、純粋な吸血鬼でなくなったための影響というわけか。


「あー……なるほどな。一回帰ったお前がここにいる理由って、そういうことか」

「そうなんですよ! 城へ到着するなり『完全なる雑種』になったことが発覚して、そりゃもう兄さんは怒り爆発です! 『貴様などもう妹でもなんでもない! ホームハルト家の当主は継がせん!』って言われて勘当されちゃいました」

「よくその場で殺されなかったな」

「兄さんもヴラド三世にコテンパンに論破されてましたからねぇ。私が城を出るまで終始落ち込んでいましたよ」

「可哀想に」


 後で安藤も交えて詳細な話を聞こうと、天崎は思った。


「で、お前はそれでいいのかよ。勘当ってことは、もう帰ってくんなって意味だろ?」

「構いません。城から逃げ出した時点でこうなることは覚悟していましたし、成人の儀をやらずに済んだだけでも……今も兄が生きてくれているだけでも、私は幸せです」

「そっか」


 リベリアがそう言うのであれば、それでいい。それこそ、天崎が首を突っ込む余地のない個人の問題だ。他人の決意や価値観に対してどうこう言う権利は、天崎にはない。


「ってな感じで、私は家なき子になっちゃったわけです。でも大家さんに相談したところ、この新おののき荘の空き部屋を貸してくれるそうなので、天崎さんにはもうしばらくお世話になると思います。あっ、ちなみに斜め下の部屋ですので」


 そう言って、リベリアは姿勢よく正座をした。


「天崎さん、円さん。ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いします」

「おねがいします」


 頭を垂れるリベリアと、その正面で同じように真似る円。一方の天崎は、二人のやり取りを遠巻きに眺めながら「はあ……」と露骨なため息を吐く。


 こうしてまた一人、おののき荘に珍妙な住人が増えたのだった。

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ドラキュティックタイム 秋山 楓 @barusan2022

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