第27話 ホームハルト3
一方、ヴラド三世は未だ結界の中にいた。
学校のはるか上空で滞空しながら、眠りに就いている街並みを一望している。その顔に、不愉快極まりないと言わんばかりの表情を貼りつけて。
「多い、多すぎる。たった五百年で人間とはこうまで増えるものなのか? まさに虫けらの如き繁殖力だな」
自分の目、そして天崎の所持している知識を参照し、ヴラド三世は忌々しげに吐き捨てた。
かつての自分は、オスマン兵の士気を削ぐために何万人もの人間を串刺しにした。やり方もさることながら、自国を守り抜いた功績は現代でも語り継がれている偉業と言えよう。
それがどうだ。こんな極東の片田舎ですら、目の届く範囲だけでもそれ以上の人間が暮らしているらしい。さらに先の大戦では何千万もの犠牲が出たという。残忍性はともかく、数字だけなら自分の実績が霞んでしまうではないか。
何とも度し難い。故に面白い。
今から自分が、この無駄に繁殖した種族を支配下に置くのだ。絶対に抗えることのできない力に恐れ戦き、為す術もなく死んでいく様を想像すれば滾るというもの。駆除する数など些細な問題だった。
「まあよい。では手始めに、この街の人間から間引くとするか」
抑えきれない欲望を笑みとして漏らし、ヴラド三世は体勢を傾ける。
しかし前進することは叶わなかった。地上から飛び上がってきた金髪の少女に、行く手を阻まれたからだ。
悦びから一転、ヴラド三世の顔は憮然としたものに包まれた。
「なんだ、わざわざ殺されに来たのか?」
「なわけないでしょ。貴方を止めに来ました。天崎さんに身体を返してあげてください」
「それこそ願い下げだ。ホームハルトの小娘ごときが俺を止められるわけがなかろう」
「両腕と両脚が折れてる相手に後れを取るほど弱いつもりはありません」
「お前は両手に穴が開いてるがな」
「…………」
「…………」
売り言葉に買い言葉。対峙した二人は一歩も譲ることなく、睨み合う。
時間を無駄にしたくないと先に折れたのは、ヴラド三世の方だった。
「埒が明かないな。このままでは夜が明けてしまう。吸血鬼らしく、己の主張は力で押し通そうじゃないか」
「……そうですね」
不敵に笑うヴラド三世を見据えたまま、リベリアは己が人差し指を口元へと運ぶ。
強い言葉を使ってはいるが、お互い虚勢であることは明白。おそらく決着は一瞬で付くだろう。ならば後先考えず、最初から全力を出すまで。
「行きます。『
己の血液を摂取することにより、リベリアの吸血鬼としての存在濃度が爆発的に向上した。
空腹の肉食獣が如く瞳が輝き、金色の産毛が猛々しく逆立ち始める。普段のおちゃらけた振る舞いは完全に消え、ただ戦闘に特化した怪物へと変化した。
「ふん。落ちこぼれがいくら粋がろうと落ちこぼれには変わりないさ」
軽口を叩き、ヴラド三世もまた己の血を吸うべく右手を上げる。
と、そこで彼はようやく気づいた。
腕が……動かない?
「?」
骨折は未だ完治していないものの、動かす程度なら問題ないはず。にもかかわらず、まるで自分の身体ではなくなってしまったように自由が利かない。
そう、すでに己の物だと思い込んでいたからこその油断だった。
『勝手に人の身体を使って虐殺しようとしてんじゃねえよ、タコ』
「なに!?」
頭に響いた天崎の声。予想外の介入に、ヴラド三世は狼狽する。
「貴様ッ! 何故意識が残っているのだ!?」
『はあ? 逆だよ、逆。何で残ってないと思ったんだ? あんた、別に俺を殺したわけじゃないだろ?』
そもそも俺を殺すなんてできやしないだろうけどな。と、天崎は鼻で笑った。
ヴラド三世が吸血鬼の血統の中で眠っていたのだとしたら、天崎の意識は人間の血統に紐づいていると言っても過言ではない。遺伝子そのものを除去、もしくは抹消でもしない限り、天崎の意識を殺すなんてことは不可能である。
また今は吸血鬼化しているとはいえ、天崎を構成する遺伝子のほとんどは人間だ。吸血鬼の血統の肥大化がヴラド三世の覚醒を促したのと同様、遺伝子の大部分を占める天崎が一時的に自意識を取り戻したとしても、何ら不思議ではなかった。
『つっても、今はこれが限界だけどな。だから早々に決着をつけてやる』
「決着、だと?」
天崎の全力の抵抗が、発言の主導権を取り戻す。
そして目の前のリベリアに向け、震える声で伝言を残した。
「リベリア……下で、待ってるぞ……」
「へ?」
端から見れば、いきなり一人芝居を始めたようなものだ。リベリアも戸惑いを隠せない。
だが、言葉の意味はすぐに分かった。頭の上で両手を組んだヴラド三世が、自分の頭頂部を押し付けるようにして墜落し始めたのだ。
「まさか……」
まるで二つの意思が反発しているような奇行。間違いない。天崎の意識が身体の内側からヴラド三世に抵抗しているのだ!
墜ちる、墜ちる、天崎の身体が一直線に地面へと墜ちていく。
その後をすぐに追うリベリア。
そして――、
「ぐああああああ!!!」
ぐしゃっと破裂音がして、両脚が弾け飛んだ。足からの着地には成功したものの、元より折れていたため衝撃に耐えられなかったのだ。
あまりの激痛に悶絶する天崎。
その目の前に、リベリアが降り立った。
「天崎さん……」
「……おう。あとは……頼んだ……」
「でも……」
「迷ってる、暇はない、ぞ。コイツは、この街の人間を、虐殺するって、言ってた。それに、抑えつけるのも、もう限界だ」
ゆっくりと広げられる両腕は、何かに抗うように震えている。おそらくまだヴラド三世の支配に蝕まれているのだろう。
だからこそ徹底的に。再び血統が暴走しないよう、天崎は完全な鎮静化を願う。
託されたリベリアは、一度だけ目を閉じた。瞼の隙間から、涙が零れ落ちる。だが次に見開いた瞳には、覚悟の光が宿っていた。
「……分かりました」
処置は一瞬だった。
リベリアの右手が天崎の腹部を貫いた。
外部へ飛び散る大量の血液。全身から生気が失われていくのと同時に、ヴラド三世の意識が消えていくのを実感する。
ゆっくりと前のめりに倒れていく天崎の身体を、リベリアは受け止めた。
力ある限り抱きしめ、子供のように泣きじゃくる。
「うぅ……あ、天崎さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。すべて私のせいです。私が悪いんです。私さえ、私さえ来なければ……」
成人の儀が嫌だと逃げ出し、天崎の元までやってきた。自分が我が儘さえ言わなければ、天崎がアランと戦う必要も、死ぬほどの大怪我を負うこともなかった。
すべては自分の弱さが招いた結果だ。
しかし天崎はリベリアの言葉を否定するかのように、彼女の背中を優しくさする。
「気に、すんな。結果なんざ……誰にも分かんねえんだから、自分を責めても意味ないって。それよりも……損な役回りを任せちまって、悪かったな」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
謝り続けるリベリアに身を預けながら、天崎はゆっくりと眠りに堕ちていった。
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