第26話 ホームハルト2

「貴方……誰ですか?」


「誰か、だって?」


 ともすればバカにされたと受け取られかねない質問。


 だが天崎はリベリアの指摘を素直に受け入れ、己の両手を注意深く観察し始める。


 そして――、


「くくくく、ふははははは、あははははは!!!!」


 突然、笑い出した。


「なるほど。そうか、そういうことか! ようやくこの機が巡ってきたのだな!?」


 恥も外聞もなく、一人だけ何かに納得したように歓喜の声を上げた。


 あまりの狂気に、その場にいる誰もが言葉を失ってしまう。


「ああ、失礼した。感極まりすぎて、ついつい感情が抑えられなくなったのだ。気にしないでくれ」


 未だ隠しきれない喜びを口元に浮かべながらも、天崎はリベリアに向けて軽く頭を下げた。


「俺が誰か知りたいのであれば教えてやる。我が名はヴラド。ヴラド三世だ。ヴラド・ツェペシュ、もしくはドラキュラ公と名乗った方が分かりやすいかな? とはいえ、目覚めたばかりでまだ記憶と人格があやふやだがな」


「…………はい?」


 純粋に意味が分からなかった。


 ヴラド三世だって? もちろんその名は知っている。


 現代を生きる吸血鬼なら誰もが敬い畏怖する人物。

 歴史上、最も残忍と言われた吸血鬼。


 ……だから何だと言うのだ? 何で天崎がヴラド三世の名を口にする? この場この状況で飛び出すにはあり得ない人物の名を耳にし、リベリアの中でさらなる混乱を招く。


「困惑するのも無理はない。だが事実だ」


 すると天崎は、まるで演説でもするかのように高らかに声を上げた。


「今から五百年ほど前、当時すでに『完全なる雑種』だった天崎という一族の遺伝子に、俺の意識の一部を植え付けたのさ。俺の存在が完全に消滅する前にな」


「意識を……植え付ける?」


「そうさ。そして天崎家の親から子へ、子から孫へと受け継いできたのだよ。いずれ吸血鬼に血を吸われることを期待して」


「いったい……何のために……」


「こうやって復活するために決まってるじゃないか!」


 ヴラド三世は、天崎の顔を使って嬉しそうに口角を上げた。


 理解に及ばないながらも、リベリアは必死に頭を回す。


 ヴラド三世の言っていることが真実ならば、彼は死亡する直前、天崎の先祖に己の意識を植え付けた。代を継ぐにつれて意識は移動していき、最終的に天崎東四郎まで到達。そしてリベリアが血を吸うことで吸血鬼の血統が覚醒し、己の復活という悲願を達成した……ということなのか?


 だとしたら、記憶と人格があやふやだと言うのも納得がいく。


 ヴラド三世は天崎の先祖を何人も経由しているのだ。おそらく体験した先祖すべての人格と子を成すまでの二十数年間の記憶が、すべて混じり合っているのだろう。言葉を聞いている限り、とても五百年前の偉人の喋り方とは思えなかった。


 疑わしくはあるが、天崎が冗談を言っているようにも見えない。


 リベリアはアランたちの方をチラッと盗み見た。


 現時点でアランはもう戦えそうにはない。ヴラド三世が自分たちと敵対するかどうかを見極めることも含め、現状の打開策を練る時間を稼ぐためにも、リベリアは兄たちの盾となって質問を続けた。


「随分と博打みたいなことをするんですね。吸血鬼が天崎さんの家系をピンポイントで狙って血を吸いに行くなんて、あまりにも確率が低すぎるんじゃ……」


 ありませんか? と続けようとして、リベリアは硬直した。何かに気づいたように「あっ……」と声を上げる。自分が天崎を求めた理由を思い出したのだ。


「もしかして、ヴラド三世が遺したと言われている、あの伝説って……」


「察しがいいじゃないか。その通りさ」


 リベリアは頭の中で反芻する。『吸血鬼としての能力を喪失する新月の夜、一夜にして千の血を飲むことにより、さらなる上位の存在への進化が叶うであろう』。もしこれが、己が復活するために蒔いた種だったとしたら?


「一夜にして千の血を飲むなんざ絶対に不可能なんだよ。たとえ、どれほどの実力を持った吸血鬼でもな。だからこそ俺は、そのような無理難題を伝説として遺した。完全な存在へと進化を願う吸血鬼が、『完全なる雑種』を狙うように」


 吸血鬼を辞められさえすればいいという些細な理由だが、実際にリベリアという吸血鬼が伝説を頼りに天崎の元を訪れた。ヴラド三世の目論見は、あながち間違ってはいなかったというわけだ。


「だとしても、よくもまあ完全な存在なんていう都合のいい話にしましたね。自分を棚にあげちゃいますけど、誰もそんな話を信じていなかったからこそ復活まで五百年も掛かったわけでしょう? そもそも完全な存在って何なんですか?」


「何を言っている? 目の前に実例があるじゃないか」


「目の前って……」


「何故分からん? 『完全なる雑種』こそが、すべてを超越した完全な存在なのだよ」


「…………?」


 改めて説明されても、リベリアにはいまいちピンと来ていなかった。


 数日ほど天崎と一緒に暮らしていたが、彼は決して完全な存在などという仰々しいものではなかった。人間の中では優れている方であるものの、それでも逸脱しない程度の一般人。普通の高校生。完全な存在とは程遠い、平凡な人間だった。


 ただ、そこで反応したのがミシェルだ。


 ビクッと身体を震わせ、アランを抱き寄せる力がさらに強まる。


「やはり……」


「ミシェルよ。何か知っているのか?」


 アランの問いに、ミシェルは神妙な顔で頷いた。


「はい。これは純粋な吸血鬼であるアラン様やリベリア様には理解できない感覚なのかもしれません。吸血鬼が地上で最も優れた種族なのは疑いようのない事実ですが、もしこの少年みたいに、吸血鬼と獣人の遺伝子を両方持ち合わせていたらどうでしょう。しかも自由自在に操れるのだとすれば……それはもう、吸血鬼を越えた存在なのではありませんか?」


 要は単純な足し算である。


 吸血鬼の血統を万全に引き出せるのなら、その時点で純粋な吸血鬼と同格。また昼は別の種族で過ごすことにより、吸血鬼の弱点である日光を完全に克服できる。天崎にとって、吸血鬼の弱点は弱点になり得ない。


 さらに言えば、天崎の血統は吸血鬼と獣人だけではないのだ。『完全なる雑種』というくらいだから、神や悪魔や天使などの地上に存在しない生物も含まれているだろう。それが時と場合によって使い分けられるんだとしたら?


 先日、天崎を前にしたミシェルが戦慄した理由はそれだ。


 想像を絶する少年の正体に気づき、身体の芯から恐怖で震えていたのだ。


 目の前で立っている少年は、いったい何なのだ、と。


「その通り。俺は何としてでも『完全なる雑種』の身体が欲しかったのさ」


 そうして現在、ヴラド三世は念願叶って天崎東四郎の身体を手に入れた。


 すべての生物を超越した『完全なる雑種』の血統を。


 だが、それで終わりではなかった。ヴラド三世が語ったのは、あくまでも天崎家の遺伝子に入り込んだ理由に過ぎない。彼は『完全なる雑種』の血統を手に入れて、これから何を成そうとしているのか。


 しかしリベリアが問うよりも先に、ヴラド三世はアランの方へと視線を移す。


 そしてミシェルに介抱されているアランを嘲笑った。


「にしてもホームハルト家の末裔か。くくく、あの脆弱な一族の血筋が未だ今世まで続いているとは驚きだよ」


「……なんだと?」


 急に矛先を向けられ、アランは不満を露わにする。


 ヴラド三世は構わず、得意げに語りだした。


「知らんのか? ホームハルト家は昔から落ちこぼれの一族だったのさ。軟弱者のホームハルト、腰抜けのホームハルト、挙句の果てには人間と相互理解を深めようとする、吸血鬼らしからぬ思想を持つ吸血鬼。ああ、そうか。ここまで生き残れたのは人間に媚びでも売ったわけだな?」


「貴様……」


「成人の儀などと言って親族を喰らうのがその最たる証拠だろうに。貴様の一族は何故そのようなことをする? 吸血鬼の中でもホームハルト家だけだぞ」


「……ホームハルト家の当主として、一人前の吸血鬼へと成るためだ」


「それをおかしいと思えと言ってるのだ馬鹿者が。わざわざ用意された試練を乗り越えなければ一人前になれないほど弱いと何故気づかん。いや、そもそも親族を喰らうだけなら試練にすらならんな。積極的に喰らおうとはせんが、喰えと言われたらさっさと喰うさ」


「…………」


「故にホームハルト家は異端中の異端。吸血鬼の中でも最底辺の血筋なのだよ」


「――ッ!」


 ついに堪忍袋の緒が切れたのか、アランが飛び掛かろうとする。


 だが体力的にも返り討ちに遭うのは目に見えている。これ以上の負傷は確実に死へと繋がると判断したミシェルが、慌てて取り押さえた。


「一つ問おうか、ホームハルト家の末裔よ。貴様は今まで何人の人間を殺したことがある?」


「……わざわざ覚えているわけがなかろう」


「だろうな。では質問を変えよう。今までに何人の人間を残虐に痛めつけて殺した?」


「…………」


 意図が分からず答えなかったが、アランの頭の中にはぼんやりと浮かんでいた。


 己の人生において、残虐に殺した人間の数。それは、およそ十数人ほど。百年以上生きる吸血鬼としては、異常なほど少ない数字だった。


 しかも、そのほとんどが幼い頃に行ったものだ。人間の子供が意味もなく羽虫を分解するように、アランもまた人間の腕や足をもぎ取って遊んでいた覚えがある。


 しかし大人になってからは、そのような行為は一切しなくなった。


 今でも人間を殺しはする。だが殺すならば、できるだけ痛みを与えず、恐怖を感じさせず、速やかに一撃で行ってきた。それが当たり前だと思っていた。


 何故そんなこだわりがあるのか、改めて自問してみる。


 否、今さら問うまでもなかった。


 なぜなら、痛いのも、苦しいのも、辛いし……可哀想だから。


「そういうとこだぞ、ホームハルト家の末裔よ。吸血鬼とは本来、残虐非道なもの。人間をいたぶり、苦しむ様を見て興奮する。大抵の吸血鬼はそうだ。人間の感情に共感し、可哀想だからと同情するのはホームハルト家くらいのものだ」


「吾輩は……」


「この身体、天崎家の末裔を殺すチャンスは何度あった? その度にどうして殺さなかった? さっさと殺して無理やり妹を連れて帰ればよかったのだ。躊躇した結果、お前は追い詰められているではないか」


「ホームハルト家は……」


「妹は妹で兄を喰らうのは嫌だとゴネ、お前はお前で身を挺してまで眷属を庇う。眷属が主の代わりに死ぬことはあっても、逆は絶対にあり得ないぞ」


「…………」


「ここまで愚かな一族の血筋が途絶えなかったのは、まさに奇跡としか言いようがない」


 ヴラド三世の挑発に、アランは……何も言い返すことができなかった。


 事実だと、認めてしまったから。


 最後まで天崎を殺さなかった理由? リベリアが悲しむと思ったから。

 ミシェルを庇った理由? 愛する眷属を失うのは嫌だったから。


 そう、すべては愛ゆえの行動だった。個が絶大な力を持つ吸血鬼の中で、家族を愛し思いやる一族。それがホームハルトだ。


「ふん」


 愕然と肩を落とすアランを前に、ヴラド三世は完全に興味を失ったようだ。


 鼻を鳴らした後、夜空に向けてゆっくりと上昇していく。


「ま、待ってください!」


「まだ何か用があるのか?」


 慌てて引き止めるも、冷徹無慈悲な瞳で睨まれ、リベリアは物怖じしてしまう。返答を違えば即座に首を刎ねてきそうな威圧感だった。


「どこへ行くんですか?」


「さてな。明確な目的地があるわけではないと思うのだが……正直なところ、目覚めたばかりで未だ思い出せないのだよ。生前の俺が何を考えていたのかがな。だが自分のことだ。大方のことは予想できる。おそらく俺が求めていたのは支配だろう」


「支配、ですか」


「時間はあるんだ。己の目的など徐々に思い出せばよい。それよりも、せっかく手に入れた新し肉体だ。性能を試すついでに虐殺を楽しもうじゃないか!」


「あ、ちょっと!」


 リベリアの制止を無視して、ヴラド三世は高々と飛び上がって行ってしまった。


 取り残され、呆然と夜空を見上げるホームハルト家の面々。するとその時、この場にいる誰のものでもない声が三人の耳に入った。


「……参ったな。さすがにこれは想定外だ」


 暗がりから現れたのは、学生服をきっちり着こなした黒縁眼鏡の少年だった。


 見覚えがあり、かつ意外な人物の登場にリベリアは素っ頓狂な声を上げる。


「あ、安藤さん!? いつからそこに……」


「最初から見てたよ。ここは僕が張った結界の中だからね。それよりも……」


 同じく空を見上げた安藤が、苦々しげに……いや、忌々しげに歯噛みした。


「天崎の身体を借りて現世に復活を果たしたヴラド三世だって? 冗談じゃない。ヴラド三世は自国民も含めて十万もの人間を串刺しにしたと記録されてるほど残忍な吸血鬼だ。野放しにしてたら、街中の人間が殺されるかもしれないぞ」


「ど、どうすればいいんでしょうか!?」


「残念ながら、お手上げだよ。今の僕にはどうすることもできない」


「知恵を貸してくださいよぉ! どうすれば天崎さんは戻るんですか!?」


「天崎を元に戻す、か」


 口元を押さえ、安藤は最速で頭を回す。しかし短時間で導いた結論は、安藤の中でも苦渋の選択だった。


「可能なら……もう天崎を殺すしかない」


「そんな……」


「もしくは……ヴラド三世の意識が吸血鬼の血統とともに覚醒したんだとしたら、それを抑え込めば何とかなるかもしれない。天崎が瀕死の重傷を負えば、強制的に人間に戻ることは実証済みだけど……」


 安藤が言い淀むのも当然だ。


 今述べたことは、あくまでも『可能ならば』という前提に尽きる。まさに机上の空論。ヴラド三世を殺害するにしろ瀕死に追い込むにしろ、安藤には現実的な手段が浮かばなかった。


 そんな中でも、まだ諦めていない吸血鬼が一人。


 表情を引き締めたリベリアが、胸に手を当てて堂々と名乗り出た。


「分かりました。私がやります」


 覚悟が決まれば、後は行動に出るのみ。一秒も無駄にはできないと、すぐさま己の翼を広げて飛び立とうとする。


 もちろん、この場にいる誰もが賛成ではなかった。


「リベリア!」


 我が最愛の妹を止めようと、アランが声を上げた。


 追ったところで勝ち目があるとは思えない。それどころか返り討ちに遭うのは目に見えている。ならばアランとしては、この街の人間すべてを見捨てようとも、妹を守りたいと思うのは当然だった。


 だがリベリアは、心配する兄に向けて自虐的な笑みを見せるのみ。


「大丈夫ですよ。私は兄さんが思っているよりも強くなりましたから。それは兄さんもよく知っているでしょう?」


「リベリア……」


 いつまでも兄の後ろを付いて回っていたあの頃とは違うのだ。


 己の力を証明するため、リベリアはヴラド三世を追って夜空へと飛び上がっていった。

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