EP.1 はじまり
第18話 犬と猿はやはり仲がいい
タァンと乾いた音がして、ベシャリと湿った音がした。橙の塗料が壁に広がって、重たく重なった一部が雫となって垂れる。つうっと下へ、真っ直ぐな線を描いた。
「だから、動きを見てから撃つんじゃ遅いんだよ。動きを読んで予測しろ、それから相手の癖を読め。だいたい薬も無しにこの近距離を外してるようじゃ話にならん。ど下手くそが」
今度はゴンと鈍い音がして、高い訓練場の天井に塗料が広がった。垂れた雫が二、三滴、床を彩る。
「お前こそ、心臓やら頭やら、コアの見過ぎで足元が疎かになってんぞ。そんなんだから足技に気付けなくて簡単に武器を蹴り上げられるんだ。何度言えばわかるんだよ、雑魚が」
レイと累は二人、訓練場で手合わせをしていた。昔アヤメを連れていた場所ではなく、だだっ広い空間に幾つもの障害物を配置した手合わせ用の訓練場だ。天井はやや低いが、四方の壁は随分と遠い。
本来、接近戦を得意とするレイと、遠距離攻撃を主とする累では累が圧倒的に不利なはずだが、累もしっかりと応戦している。ダンスのステップを踏むかのように、レイは体術を繰り出し、その合間で銃口を累に向けては引き金を引き続ける。対する累はレイほど滑らかではないものの、上手く技を躱しては攻撃の機を伺っていた。その手には巨大な破温羅ではなくレイと同じ小型のものを握っていて、いつもの巨大な破温羅を背負っている。
「幾ら体術が優れていても、銃が当てられなきゃ意味がないんだよ、ど阿保め」
「そっちこそ、銃の腕が幾らあっても、腕を抑えられたら最後なんだよ。打たせなきゃそれでいい」
二人は上がった息を隠すように、互いに小言をぶつけた。だが額や首元に光る汗が、この手合わせの長さと激しさを物語っている。
──あの激しい戦いから五年が経った。レイは戦闘で壊れきった身体を治すのに結局二年という長い時間を要し、累は失った脚に代わる義足が合わずに一年と少しの間、戦場を離れざるを得なかった。その結果、復帰した直後の二人は基礎トレーニングをすることすら儘ならない程となり、誰しもが二人の引退を思った。だが二人は不自由な身体に鞭を打ち、あの戦いの日から三年の月日を経て戦場に戻ってきた。
「背中にそんな邪魔そうなもん背負ったまんま、近接戦で俺に勝とうと思うなって、いつも言ってんだろ」
黒のピタリとした服と緩いパンツを纏ったレイの脚が、累の脚を蹴り上げて転がす。累は義足をきしりと軋ませながらバランスを崩した。
「…っこれが俺の武器なんだから、しゃあないだろ」
地面に落ちかける身体を、累はなんとか踏ん張って、それからすぐさま飛んできたレイの左拳ギリギリのところでやり過ごす。だが、徐々に部が悪くなってきた。
レイはその様子を青緑の瞳で捉え、ふっと短く息を吐くとクルリと身体を反転させる。拳が避けられるのは予測していた。
「さっきから俺の額やら心臓見てんのバレバレなんだ。狙撃と違って近接戦は攻撃と防御の両方を意識するんだよ」
ぐんと膝の力を抜いて、レイは一気に目線を落とす。そのまま累の懐深くに潜り込んで、銃を手にした累の右手を左手で弾くと、右手の銃口を累の額に突きつけた。
「バァン」
それから引き金は引かずに、冗談めかして口にする。
「今日も俺の勝ちね」
「…はいはい。負けましたよ」
累は銃を床に落として両手を挙げた。降参のポーズを取って負けを認める。
「でも大分、累の近接戦も見れるようになってきた」
「…はあ、お褒めいただきありがとよ」
溜息を吐きながら、床の上で乾いた音と共に転がった銃を拾い上げた累は流れるようにホルダーにしまう。
「次は射撃にいこう。休憩は要らないだろ?」
「当たり前だ、ど阿保が」
レイは累に話しかけながら、銃のグリップについた小さなレバーを回した。それは五年前の銃には無かったものだ。累も背負っていた大型の銃を手にすると、ニヤリと口角を上げた。
『中距離射撃モードに変更しました』
レイの耳に、聞き慣れた機械音が響く。
「的は今日も奥の壁のあれでいいな」
口にする累はレイと共に壁ギリギリまで寄る。この壁際までくれば、向こうの壁が四、五十メートル先になる。その壁付近にはサンドバックのようなものが四つぶら下がっていて、壁際に寄った二人の目にはそれが随分と小さく写った。
「了解。俺の塗料、今日は橙ね。累は?」
「俺のは赤だ。初手はお前からいくか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて俺からいかせてもらいますよ!」
レイは狙いを定めると引き金を引いた。ゴウッという音と共に青白く光った銃は、鋭く弾を吐き出す。真っ直ぐに突き進んだそれは、目標の脇を掠めて壁を橙に染め上げた。
「止まってる的ぐらい撃ち抜けよ。いつも言ってるが、引き金を引く瞬間に銃口がブレるんだ。左手できちんと支えろ」
「…わかってるよ」
先程とは打って変わって苦虫を噛み潰したような顔を見せたレイがもう一度引き金を引く。今度は的の中心に当たった。その衝撃で、的が揺れる。その揺れる的に向かって、レイは何度も引き金を引く。命中率はおよそ七割。壁や的が橙に染まった。
「ま、ちっとはマシになったんじゃないか?」
レイの弾薬が切れたタイミングを見計らって累は声をかける。レイは的から視線を外して累を捉えたが、累の視線はすでに的に向いた。そしてすぐさま引き金を引く。光った銃は、轟音と共に弾丸を飛ばし、一直線を空宙に描いた。
「少しくらい外しやがれ、面白くない」
口を尖らせるレイを鼻で笑って、累は引き金を立て続けに引いた。雷のように光と音をあげる銃から放たれた弾丸は、吸い寄せられるみたいに的を撃ち抜いていく。手早く弾倉を変えた累は、間髪入れずにまた放つ。弾は衝撃でゆらゆらと揺れている的で爆ぜて、そこを真っ赤に染めあげた。
「面白くなくて悪いな」
そう言って笑った累は右手で弾を放ちつつ、空いた左手でホルダーに挿しっぱなしだった銃のレバーを回す。そのままその銃を左手に握ると、両手で銃を放ち始めた。
「だが、両手撃ちは流石に少しきつい」
左手から飛ぶ弾丸は、青の塗料をぶち撒ける。右手がほぼ百発百中なのに対して、左手は五、六割と言ったところだった。
「それは俺に対する嫌味か?」
「はは、そう卑屈になるなよ」
舌打ちをしながらも楽しそうにレイは言った。つられるように累もふっと笑みを溢す。流石にこの勝負の軍配は累に上がるようだった。
あの戦闘の直後の第三支部は多くの戦力を失い、疲弊していた。だが二人が復帰する頃には別の支部からの応援や怪我人の復帰、新人隊員の入隊で徐々に落ち着きを取り戻した。
しかし、あの戦闘では戦力以外にも大きなものを失った。鬼側に漏れた戦い方が、その後の戦闘にも損害を与え続けたのだ。
鬼が成長するのなら、人類も成長する他ない。そうして人々は、新たな武器と戦闘方法を確立するために努力を続けた。戌はナイフの補助無しで照準を合わせる訓練を、申や酉は近接戦を行う訓練を、銃は発射までの時間を短縮するための改良を重ね、漸くここまできた。
「よし、今日はここまでにしよう。着替えたらお前は健診な。そのあとメシだ」
「へいへい」
ギィっと軋ませながら義足の具合を確認する累に指示されて、レイは心底面倒くさそうに返事をした。だが、累と共にリハビリに励んでいたレイは、この二年で身体が少しだけ大きく頑丈になった。だから面倒くさそうにしながらも、この指示には必ず従う。
「そういや、いよいよ来週だな、お前の配置転換」
「そうだな」
「楽しみか?」
片付けを済ませ、着替えに向かうレイの後を追いながら累は僅かに楽しそうな音を声に滲ませて訊いた。
「まあ、どうだか」
つれない返事を返すレイだったが、その言葉とは反対に口角は少しばかり上がっていた。その顔は、後ろを歩く累には見えなかったが、累はレイの隠した感情を気取ったようで「恥ずかしがるなよ」と声を投げかけた。
「これからはお前も、上手くやれる予感がしてる。もう、周りに心配かけるなよ」
それから優しげな声色でそう言う累に、レイは「ああ」と呟くように返事をかえした。
リハビリから復帰したレイは、変わらず名取の下で任務に当たっていた。だが来週から、レイは新たな桃の下に就くことになる。
「会うのは五年ぶりだ。だから正直、少し緊張してるよ」
レイはふと、本音を溢した。
「でもアヤメとなら、俺もちゃんとした戌として戦場に立てる気がする」
レイの本音に、累は「そうだな」と静かに同意した。
桃戦記 石橋めい @May-you
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