死神の不始末

結騎 了

#365日ショートショート 058

 丑三つ時。それは男の枕元にいた。

 明らかに体格に合っていない、皺の多いスーツを着ている。成人男性にしては背が小さく、子供にしては大きかった。

「すみません、お休みのところ。私、死神なんです」

 人はあまりに驚くと言葉を失うという。男も同様だった。安アパートの六畳間に突然現れて、それも藪から棒に死神ときた。なんの話だ。

「……なにかご用ですか」

 やっと絞り出した言葉は、やけに丁寧なものだった。しかし、そう尋ねる他にない。死神は落ち着かない様子できょろきょろと目を泳がせ、小さな声で答えた。

「あなたの魂が欲しいのです」

 死神の次は、魂ときた。男はつい笑ってしまった。もしかしたら、これは夢かもしれない。そういえば今晩はいつもより酒を飲みすぎた。倒れるように床に入ったが、悪酔いのせいだろうか。思わず頬をつねる

「それでは、失礼します」

 ぱちん。死神は指を鳴らしたかと思うと、胸元から突然チェーンソーを取り出した。そんなものは持っていなかったはずでは……。どるるるるるる。目を丸くする男をよそに、猟奇的な音が鳴り始める。

「それでは、足からいきますね」

 いったい、なにを言っているんだ。男は反射的に、全身を床から起こした。ど、だんっ。足に力を入れ、死神と名乗るその存在の胸に蹴りを入れる。死神は派手に転び、チェーンソーは部屋の隅に放り投げられた。どるるるるるる。震える歯が畳に食い込み、鈍い音を撒き散らしている。

「いい加減にしろ。いきなりなんだ!」

 やっと、男は怒鳴った。腹の底から声が出た。うずくまる死神は、仕方なさそうにもう一度だけ指を鳴らした。ぱちん。けたたましく鳴り響いていた駆動音が、途端に止む。そこにすでにチェーンソーはなく、乱暴に切り刻まれた畳だけが残っていた。これが、死神の能力なのか。

 男は立ち上がり、死神につめ寄る。「俺がお前に何かしたか。訳があるなら話せ。こんなことになって、俺もまともではいられないぞ!」。

 死神は見るからに怯えていた。目を伏せ、指先が意味もなく小刻みに動いている。

「す、すみません。私、まだ新人なんです。人間の魂を狩るのが初めてなんです。本当にすみません」

 死神だから人間の魂を狩る。分かりやすい。しかし、どうしてチェーンソーなんか持ち出したのだ。死神は声を震わせながら、早口に答えた。

「人間の魂は、幸福から絶望に突き落とされた時に、その落差といいますか、差額でサイズが決まるのです。あなたの四肢を切り落とせば、あなたは当然、絶望するでしょう。その時に魂を狩るつもりでした」

 いつの間にか死神の胸ぐらを掴んでいた男は、納得したようにその手を緩めた。そういうことか。せめて最初に説明してくれれば、丁重に断れたものを。こいつはとにかく仕事が下手なのだろう。そこについては同情する。自分だって、この歳にもなってこんな生活だ。人のことをとやかく言えたものじゃない。しかし、自分が標的になったことだけはどうにか撤回してもらわなければ。

「……もう、いい。見逃してやる。これ以上、お前に乱暴もしない。だからこのまま消えてくれ」

 語気を強め、男は言い放った。死神はひどく萎縮している。強めに告げれば、おそらく従ってくれるだろう。……ひぃ、という小さな叫び声。ぱちん。次の瞬間、死神は男の前から姿を消していた。切り刻まれた畳が、これが夢でないことを物語っていた。

 翌日の晩、深夜に騒いだことで大家に注意された男は、乱暴に酒をくらっていた。なんだって、自分がこんな目に遭わないといけないのか。あの死神め、もっと懲らしめておくべきだったか。

 とん、とん。「夜分に失礼いたします」。玄関ドアの向こうから、品のある声が聞こえた。もう夜もずいぶん遅いが、誰が訪ねてきたのだろう。男がドアを少しだけ開けると、それは丁寧な姿勢で立っていた。オーダーメイドだろうか、背の高さと体格にぴったりのスーツ。髪をポマードで固め、しっかり手入れされた髭を蓄えている。ほんのり、香水の匂いもするだろうか。

「昨晩はうちの部署の新人が大変なご迷惑をおかけしました。本日は、本人に代わって私がお伺いした次第です」

 なんと。それでは、こいつも死神なのか。それもご丁寧に謝罪に来たというではないか。瞬間、その死神は玄関の中に滑り込んでいた。あれ、いつドアを開けて招いただろうか。

 ぱちん。死神が指を鳴らすと、手元にすとんと封筒が現れた。1センチほどの厚みがあるが、まさかそれは。

「こちら、よろしければお納めください」

 言われるがままにそれを受け取った男は、封筒の中を覗き込み目を丸くした。間違いない。現金、札束だ。「それから……」死神は室内を見渡している。

「あなたのご自宅にも失礼があったとか。ああ、あそこですね。畳に傷が……。大家さんには、私から退居の手続きを取っておきます。ご心配ありません、あなたのためにタワーマンションの最上階をご用意しました。明日にでもそちらにお引越しください。なあに、もちろん家賃はいりませんよ」

 いったい、なにを言っているんだ。状況が飲み込めないのは昨晩と同じだが、男は明らかに高揚していた。興奮のあまり鳥肌が立つのが分かる。目を見開いているのが分かる。鼻息とアドレナリンが出ているのが分かる。

「そして、こちらも。どうぞご覧ください。ご指名をいただければ、いつでも」

 どこから取り出したのか、手渡されたファイルには女性の顔写真が並んでいた。どれも街中で思わず振り返ってしまいそうな美人だ。まさか、これは……

「はい、お察しの通りです。あなたの肉欲を好きなだけふるってくださいませ」

 思わず口元が緩んでしまう。昨日のあのノロマな死神も、役に立つじゃあないか。こんなことなら、あのチェーンソーで腕や足を少し怪我しておけばよかった。それなら、外国の大豪邸にでも住めたかもしれない。

「しかし大変ですなあ、後輩の尻拭いとは。まさかこんなに太っ腹なお詫びの品を持ってくるなんで、思いもしませんでしたよ」

 恐縮です、と言わんばかりに死神は頭を下げた。すっと顔が上がると、そこには完成された笑顔があった。

「いえ、お詫びというほどではありません。先輩である君の仕事ぶりを見せてこいと、上司に言われたもので」

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