第9話 抱き着きと1回目のズドン!とベタな展開の予見
「お姉さま、野上さんが苦しがっておられます。少しお離れになられたほうが…」
善美が弥生にかなり接近して発したその言葉に、我に返った弥生はその手をパっと放してしまった。
これまで味わったことのない激烈なパワーから突然解放された熊子は支えを失って後方に倒れ掛かる…が、高級ソファがその身体を音もなく受け止めた。
「…あ、ごめんなさい。野上さんの考察の鋭さに、取り乱してしまいましたわ。」
ゲホ、ゲホ!
ただ力が強いだけではなく、「相手の身体の自由を制するには、いかにすべきか」といった急所を心得た抱き着き具合に、熊子は弥生の確かなグラップリング力を再認識せずにはいられなかった。
ゲホ、ゲホ、ゲホ…幾度か咳を繰り返し、なんとか正常な呼吸を取り戻した熊子の視界いっぱいに、口の両端を上方にクルっと曲げ、満面の笑みを浮かべた弥生の顔が、ドアップに写っていた。
「ねえ野上さん、お話もっと大丈夫??だいじょうぶ???」
フンス!フンス!と鼻息荒くグイグイ押してくる弥生の表情には、ゲホゲホと苦しむ熊子のことは全く横に置き、とにかく柔道の話がしたい、自分の技に関する考察を聞きたいという欲だけが顕出している。しかもその欲に邪気がまったく見えないのが、なおタチが悪い。
こりゃあどうしようもない。付き合うしかないのう…
「へ、げ、へえ…何でありましょうか…」
「アナタ先ほど『相手の腕をシバいた』とおっしゃられましたよね?それはどういった根拠から?」
こういった説明というのは、プロスポーツの選手でも非常に難しいことではあるが…それをすぐに言語化ができるアタマが残念ながら熊子には、あった。
「ほいじゃー言いますが…2回目の『ズドン!』は相手が倒れた音。こりゃあ間違いありません。1回目の『ズドン』は、音が鈍かったんですよ。」
フンス!の顔が已み、真顔になる弥生。
「金光先輩は、あの巨体の先輩の右手を左手で捉えたあと、何らかの手段で、巨体の先輩の右手に強い力点を作り、その腕のどこかをシバいて、瞬間的に強い力を加えて投げたんじゃーないかと思うんです。」
「野上さんは、相手の腕のどこを、どう叩いたと思う?」
「…おそらく、腕橈骨(わんとうこつ。前腕の骨のうち、親指のライン上にある骨)のいちばん上の方…肘関節より少し手に近い方側を、おそらく掌底で。
ただ、わからんのは…掌底だったら、音が高いはずなんです。」
熊子のズドン!じゃのうて、パン!とかバン!みたいな音がするはず…熊子はあの天地に響くような、1回目の「ズドン!」の音の正体をつかみ損ねていた。
熊子はモノを考えるときのクセで、視線を斜め45度に向ける。
それを、ワクワクの表情で見つめる弥生。
ややあって、熊子がつぶやいた。
「…叩くなんちゅうのは、全身の力を使い切っちょらんですよね…となりゃあやっぱり、下半身…。あのピボットターンみたいな足運びは、踏み込みを最大に使うステップと考えりゃあ合点がいきますが…」
とはいえ、まさか柔道の乱取りでそんな技術が見られるとは、熊子は夢にも思わない。ただ熊子は、フナノリの父親から常々言われていた「ものの道理を考えろ」という言葉のまま、記憶に残っていたことを、「ものの道理」のまま話していた。
…熊子がなんとか言葉を紡いて我に返った瞬間、熊子の眼前いっぱいに、真顔の弥生が佇立していた。
「ねえ、野上さんってほんとうに、これまで武道や格闘技を練習したこと、なかったの?」
「へ、へ、へえ。左様で!」
「…ほんとうに?」
「ここでウソついて、ウチになんかええことがあるんですか?」
「ホントにホント?」
「ほうですよ、ホンマですよ!」
熊子の顔の上に自らの顔を重ね、グイグイ押してくる弥生のしつっこい尋問に、半ばヤケクソで答えた熊子の両肩に、万力で挟まれたような強力な力がかかった。
「ホントに!ホントに!野上さんはいろいろわかってらっしゃるのね!」
弥生はあふれ出る興奮を隠そうともせず、熊子の肩をつかみ、前後にブンブン振り回す。その力は万力と見まがうばかりで、熊子はなされるがままだった。
「こ、これはもう、運命の出会いとしかいいようがありませんわ…何としても!」
無駄に察しがいい熊子は、脳震盪一歩手前のアタマのなかで、弥生の口から次に出てくるセリフを、正確に予見していた。
仰天・マリア様の十字逆 上八ぎょこお @tokaku15
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