第百八話 エピローグ

 鬱蒼と繁った森の奥の、苔に覆われた大岩の上に、狗神のお社と呼ばれる小さな祠がある。

 その祠の脇には天狗と呼ばれる、巨大な犬の姿をした御神獣が伏せている。

 大岩は異界との抜け穴を塞いだ磐座で、天狗はここに張られた結界の番人であった。

 

 天狗はその結界の揺らぎを感じ、大岩から降りた。

 

(帰って来たようだな)

 

 ちょうど天狗が伏せていた、大岩の上あたりが白く発光し、そこからゆっくりと光輝く球状の、繭のような物体が現れ始める。

 繭が完全にその形を現すと、輝きは徐々に薄れ、中にいる人影がはっきりとわかるくらいになると、ふっと繭はかき消えた。

 

(⁉︎)

 

 天狗はそこにいた者の顔を見て、一瞬身構えた。

 受ける気の感じは、弟子である数多のものである。

 しかし、その者の顔は、どこかで見たような犬のものであった。

 

(誰だ?数多なのか?)

 

 犬の顔をした来訪者は、

(師匠、あっちで呪いをかけられて、こんな姿になってしまいました)

 そう言って大岩の上で、ガックリと膝をついた。

 

(呪いだと?誰にやられた)

(こんな変な顔になって、俺どうすればいいんでしょう?)

 

 呪いと聞いた天狗は、犬になった数多の顔を、改めてよく観察した。

(ちょっと待て、その顔から九尾の霊力が感じられるぞ)

 

(あ!やっぱバレました)

 数多は犬の覆面に手を当てて、九尾の尻尾に戻した。

(ちなみに、今の顔は師匠の顔です)

 

(どおりで見覚えがあるはずだな、ん?さっきオマエ、変な顔って言ってなかったか?)

(冗談ですよ、でもすごくないですか?)

(くさい芝居をしよって…しかし、九尾の奴の尻尾に、そんな使い方があったなんてな)

 

 天狗が知る九尾の尻尾の能力は、不意に身に危険が迫った時に、それを身に着けた者を、霊力のバリアで護ってくれる、といったものだけであった。

 数多は天狗の前で、九尾の尻尾の刀に変化させたり、手甲に変えたりして見せ、これを使うことで治療の気が、高くなることを説明した。

 

(これのおかげで、何度も助けられました。ありがとうございます)

 そう言って、九尾の尻尾を天狗に返そうとした。

 

(そいつはオマエとの相性がいいみたいだ、オマエが持ってればいい)

(いいんですか?)

(ワレの尻尾は一本ゆえ、オマエにやるわけにもいかん、持っておけ)

(ありがとうございます、師匠!)

 

 数多はしばらくの間、向こうであったことの話をして、明日からまた朝の修行に来ると言って、祖父母の待つ家に帰った。

 

 祖父母は無事に帰った数多を見て、祖母は涙を流して喜び、祖父は黙って頷いていた。

 数多は自分が危険にあった話は避け、小桜をちゃんと送り届けたことと、時代劇みたいない異世界の、カッコイイ剣士たちに会った話だけを、祖父母に聞かせた。

 

 久しぶりに自分の部屋に戻って、ベッドに横になって天井を眺めながら、次に向こうに行くまでに、自分がやっておくことを考えてみた。

 

(まずは白露様にもらった珠を、使えるようにならないとな…)

(小天狗のマスクのデザインも考えなきゃ)

(剣術も今程度の実力じゃ、気が使えなきゃ全然ダメだし)

 

 自分が向こうの世界で、どうなりたいのかは、はっきりと決まっていないが、こちらの世界では得られない充実感が、あちらの世界には確かにあった。

 

(でも、小桜さんの言う通り、遊び半分で行き来していい世界じゃないし、次に行く時はそれなりの実力と、覚悟が出来てからにしないとな…)

 

 向こうにいた時には、夏休みに入ったらまた、長期で来ようと考えたりもしたが、今は、いつ行くかは決めずに、行けるだけの自信が持ててから、行く時を決めようと、数多は考え方を変えた。

 

 結果、それは一年半以上の時間を要し、数多が高校を卒業してからになるのだが、その間に、あちらの世界では、尾上小天狗の名前だけが一人歩きをし、偽物まで現れたりもする、幻の英雄として語られることとなる。

 


 

 狗神の森の狗神を祀った祠の乗った大岩の前で、今朝も一人の青年があぐらを組み、地面から少しだけ浮かんで、気を練りながら精神統一をしている。

 そしてその青年を、大岩の上に伏せて見つめる、馬ほどもある大きさの、神々しくも美しい犬の姿がある。

 

 流れる風が、森の緑の樹々の中を抜け、初夏の訪れを告げる香りを運ぶ、そんな穏やかな朝の光景であった。

 

         

           第一部  了

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天狗の弟子 涛内 和邇丸 @aaron103

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