第百七話 別れ

「銀嶺郎!お客人の前で失礼ですよ!」

 

 迎えに走った小珀を伴って、戻ってきた華鈴が、舞い上がっている銀嶺郎をたしなめて言った。

 

「お留守の間にお邪魔しております。剣士隊九番隊隊長、柘植暗鬼と申します」

 そう言って暗鬼は、華鈴に対し丁重に頭を下げた。

 

「ご丁寧に恐れ入ります、尾上家、家長の華鈴でございます。剣士隊では愚息の黒曜丸がお世話になりまして、感謝いたします」

 こちらも立礼のお手本のような、美しいおじぎで礼を返した。

 

 客人に立ち話をさせるのを嫌い、華鈴は暗鬼を家に招いたが、暗鬼は小天狗に別れの挨拶をして、そのまま立ち去った。

 銀嶺郎は小天狗に暗鬼との対戦の話を聞きたがったが、小珀の小屋作りが途中なので後にさせた。

 

 小天狗は、慌ただしく最後の日を過ごし、そして、自身の世界への帰還の日を迎える。

 

 

 御池のほとりに、小天狗を囲むように尾上家の華鈴、小桜、銀嶺郎の三人と小珀、使用人たちが集まっていた。

 

 小天狗は、一人一人に感謝の気持ちを伝えてから、

「みなさん、お世話になりました」

 と、頭を下げた。

「小珀のこともあるので、まだまだお世話をおかけすると思いますが、本当にありがとうございました」

 

「小天狗さん、いえ数多さんでしたね」

 昨日の夜、小天狗は華鈴と銀嶺郎にも、自分の本当の名前を告げていた。

 一人歩きしてしまった、小天狗の名前には別の姿を与え、こちらでお世話になる時は、ただの遠縁の尾上数多として、接してくださいと。

 

「貴方はもうウチの家族です。小珀もそうです。なので、預かるのではなく、家族として大切に育てます。いつでも帰って来なさい」

 いつも毅然とした態度で、ほとんど笑顔を見せることのない華鈴が、数多の手を取って優しく微笑みかけた。

 

「ありがとうございます」

 母親と離れて祖父母と暮らし、一人っ子の数多にとって、こちらの尾上家での生活は、新鮮で楽しいものであった。

 

「もう少し気の扱いが上手くなったら、ボク会いに行きます!」

 目に涙をいっぱい溜めた銀嶺郎が、綺麗な顔をくしゃくしゃにして抱きついてきた。

 

「そんなに長く会えないわけじゃないけど、銀嶺郎くんなら、きっと出来るようになるよ!」

 お世辞ではなく、むらっ気さえなければ、銀嶺郎はすぐにでも、境界の移動が出来るようになるだろう。

 ただ、この好奇心の塊のような少年に、あちらの世界は刺激が強すぎて、エスコートするには手がかかり過ぎるだろう…という心配は否めないが。

 

(小桜さん)

 銀嶺郎の肩を叩いて落ち着かせながら、数多は心の声で小桜に話しかけた。

 

(ハイ!)

 華鈴や銀嶺郎に先に話をされて、少し寂しそうにしていた小桜は、急に自分だけに話しかけられて、目を丸くして驚いたが、すぐに平静を装った。

 

(小珀と仲良くしてやってね、早朝になると思うけど、出来るだけ俺も顔を出すから)

(もちろんです!でも、数多さんは頻繁にこちらに、来ない方がいいと思います…)

(なんで?迷惑?)

(迷惑だなんてそんな…ただ、昨日の人みたいな、悪意のある誰かに知られたり、抜け穴のことがわかったら、それこそ天狗様にご迷惑がかかるので)

 

 小桜には、異界との抜け穴を護る御池のお社の結界を管理する、尾上家の巫女としての立場があり、小桜自身の本音とは相反する言葉であった。

 

(そうだね…)

 

 数多は、己が抜け穴を自由に行き来できることに慣れ、そのことがどれほど深い意味を持つのか、ちゃんと考えていなかったことが恥ずかしかった。

 

「数多さん、天狗様によろしくお伝えくださいね」

 小桜は声に出し、少しぎこちない笑顔で言った。

「うん、師匠が小桜さんに会いに来たくなるくらい、ちゃんとよろしく伝えるよ」

 数多も気まずさを隠すように、いつも以上に明るいトーンで返したが、ともすれば、表情が暗くなってしまいそうで、

 

「そうだ!師匠を驚かすんだった」

 そう言って、首に巻いた九尾の尻尾に手を当てて、天狗の顔の覆面に変化させた。

 

 いきなり数多の顔が、狼にも似た気品ある犬の顔に変わり、小桜を除くその場の全ての人がどよめいた。

 

「それ、どうなってるんですか⁉︎」

 まず銀嶺郎が口を開き、

「そのお顔はもしや…」

 華鈴は説明する前に察した。

 

「ハイ、毛の色は違いますけど、師匠の天狗の顔です」

 

 その言葉を聞いた使用人は、驚きを見せると同時に、跪いて手を合わせて拝み。

 華鈴は小桜と銀嶺郎を促し、その場に三人で正座をして、深々とお辞儀をした。

 

 数多は改めて、柊を祖とする尾上家にとって、天狗がどれほど神聖視された、特別な存在なのかを知った。

 

(俺…この顔で帰って、師匠にドッキリ仕掛けるつもりなんだけど…)

 数多がバツの悪さに困惑していると、

(ごめんなさい、私がそうすればって言っちゃって…)

 と、数多の心の声が聞こえた小桜が、謝ってきた。

 

(小桜さんは悪くないよ、やるやらないは俺が決めたことだし)

 数多は覆面の中で笑顔を浮かべ、

(尻尾にこんなことが出来るのかって、違う意味でも驚くだろうしね)

 小桜にウインクした。

 

 

 ひと通り皆に挨拶を済ませ、数多は御池のお社に向かって、御池の水面をゆっくりと歩き出した。

 数多について行こうとした小珀が、普通に水面を駆けているのを見て、華鈴と銀嶺郎と使用人たちは再び驚き、改めて小珀を大切に育てようと思わせた。

 

 小桜が小珀を呼び戻して抱き抱え、数多はふわりと御池の小島のお社の脇に立ち、片手をあげて皆に手を振った。

 

「必ず、また来ます!」

 

 そう言うと数多は銀色の繭に包まれ、お社の脇にゆっくりと沈み込んで行った。

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