番外編2 〜茅野星羅について〜

「薔薇野女学院?」

 校名を聞くと、大抵の男は目を丸くする。そして嬉しそうに言う。

「お嬢様じゃん」

 育ちのいいお嬢様。それを抱ける自分。その優越感に浸って、男たちは鼻の穴を膨らませる。

「悪いだなぁ。娘のこんな姿見たら、パパ悲しんじゃうんじゃない〜?」

 そう言って星羅の長い脚を大きく開いてみせたり、四つん這いにして形の良いピンク色の唇に性器を咥えさせたりする。星羅は相手がちゃんと興奮できるように空々しい喘ぎ声を上げてやりながら、冷たく冴えた頭の中で呟く。

(あたしが誰と何をしようが、誰も悲しんだりしないわ)

 この男はバカなのかな、と思う。誰かが悲しんでくれるなら、そもそもこんなことなどしなくていいのに。

(でももし、たとえば死んじゃったりすれば、誰か悲しんでくれるのかな……)

 だがそれすらも期待できなかった。想像の中で、感情のない顔の兄と冷めた表情の妹が葬儀に参列している。兄は試験勉強の最中に迷惑だと思っているし、妹は葬儀そのものに退屈している。父は機械的に喪主を務め、母は疲れた顔でため息をつく――何不自由ない生活をさせてあげたのに、なんて面倒なことをしてくれたのかしら、と。そして次の瞬間にはもう、来週のお茶会に着ていく着物の心配をしている。

 ――そこまで想像すると、死ぬことすら馬鹿らしくなる。


 星羅は鬼っ子だった。

 駅前から少し離れた閑静な住宅街にある、高級低層マンション。元々その土地の地主だった茅野家は、最上階に200平米超の部屋を所有していた。

 市内でいくつも会社を経営する父と、高級エステサロンを経営する母。両親は常に多忙で、三人の子どもたちは家政婦が掃除した部屋で家政婦が洗った服を着て、家政婦が作った食事を食べて育った。

 それでも両親は子どもたちを愛していなかったわけではなかった。中でも、賢く勉強のできる兄は、両親に一番愛されていたと星羅は思う。いい成績を取ってくると褒め称えたし、塾や習い事にもふんだんに金を使った。その甲斐あって、兄は有名な私立の進学校に進み、家を出た。

 兄がいなくなってしまうと、自然と両親の興味は家に残った娘たちに移った。だが残念ながら、星羅には兄ほどの学力はなかった。それまで兄の影に隠れて目立たなかったが、同じように塾や習い事に通っても凡庸な結果しか出せなかった。兄はサッカーチームではエースストライカーだったのに、星羅はピアノの発表会で簡単な曲を何度もつまづいた。

 星羅には妹もいた。こちらもやはり兄ほどは優秀とは言えなかったが、それでも星羅よりは要領よく立ち回った。言われるがまま苦手なピアノを習っていた星羅を横目に、習い事は得意なチアリーディングを自ら選び、めきめき上達してトップのポジションを取った。勉強は全教科まんべんなく取ることを諦めて、英語だけに注力した。インターナショナルスクールに入学し、弁論大会などにも出場して、すぐにネイティブ並みに話せるようになった。これまた両親はその能力を誇り、褒め称えた。

 そんな兄妹に挟まれた星羅を、両親は特に責めたりはしなかった。忙しい両親は、子どもたちの上げた成果には反応できたが、逆に目立たないことに関してあえて興味を向けてやる暇はなかったのだ。特に意志もなく公立中学に進んで卒業した星羅を、地元の名門お嬢様学校――といえば聞こえはいいが、偏差値は中の下だ――に通わせた。

 星羅に与えられたのは、何不自由ない生活と、自由と、無関心。

 だがそれは、関心を引くような何物も持っていなかった星羅自身が悪いのだ。


 星羅がようやくひとつだけ、周囲の人々と違うものを自分が持っていると気付いたのは、中学生の頃だった。

 それは優秀な頭脳でも要領の良さでもない。美貌だ。

 第二次性徴期を迎えた少女たちの中でも、星羅は飛び抜けて美しく羽化した。元々色素が薄かった髪の毛は、手入れをすればするほど艷やかに輝いた。目鼻立ちのくっきりとした小さな顔は、薄く化粧をしてやるだけで、驚くほど大人っぽくなった。

 星羅は鏡の中の自分を改良することに夢中になった。母親のサロンのサンプル品を贅沢に使って、星羅はいくらでもきれいになれた。

 そしてやがて星羅は、その先の快楽を知ることになる。

 美しく咲いた花に吸い寄せられるように、すれ違う男たちは皆、星羅を目で追った。今まで星羅に見向きもしなかったクラスメイトも、一転してかわいいかわいいと褒めちぎった。

 星羅は、初めて自分を見てもらえた気がした。

 初めて男と付き合ったのも、その頃だった。

 来栖未来。当時、一部の女子に熱烈な人気があった生徒だ。

 金髪にピアス。着崩した制服。「触れたら切れそうな」という表現がぴったりの、鋭い目つき。

 あまりに住む世界が違う彼は、星羅を魅了した。

(この人と付き合ったら、あたしも変われるかもしれない)

 そう、思った。何の根拠もなかった。好きかどうかすら曖昧だった。恋愛と自己愛の境界線も認識できないままに、星羅は来栖に告白した。

 返事は「別にいいけど」。

 かくて星羅と来栖は学年で一番目立つカップルになった。

 だが、星羅はすぐに行き詰まった。

 かわいさは磨けば磨くほど効果が出たのに、恋愛はそうはいかなかった。付き合うことになったはいいが、具体的に何をすればいいのか全く見当もつかなかった。

 第一、来栖はしょっちゅう学校を休んでいた。なので一緒に登下校しようにも、彼女である星羅でさえ居場所がわからなかった。携帯で連絡しようとしたが「持ってない」と言われた時にはさすがにたまげた。いわく「いらねえもん」だそうだ。それでも食い下がって、なんとか携帯を持たせるところまではこぎつけた。しかし「いらねえ」と言っていただけあって、メッセージのやりとりも間遠で簡潔、星羅の焦燥感は募るばかりだった。

 来栖に放っておかれた星羅は、他の男達が放っておかなかった。

「ヒマなら遊ぼうよ、星羅ちゃーん」

 男の子たちに誘われるのは気分が良かった。自分がかわいくて特別なのだと思えた。親が家を空けがちなのをいいことに、星羅は誘われるまま遊び歩いた。

「ねえ星羅ちゃん、彼氏いるんでしょ?いいの?こんな遊んでて」

「だって全然構ってくれないんだもん、彼氏。あたしだって、楽しいほうがいいし?」

 そう、ほっとかれているから仕方なく遊んでいるのだ。家政婦に任せっきりな親が悪い。LINEの返事もくれない来栖が全部悪い。

(あたしは悪くない……)

 誰も寂しさを埋めてくれないなら、寂しくない場所まで堕ちるしかない。


「ごめん、別れよう」

 来栖に言われたのは中学三年の夏だった。

「え……なん……で?」

 そうは言ったものの、星羅には身に覚えがありすぎた。

「俺、お前が望むほどお前のこと構ってやれねえし、お前だって俺といるより友達ダチといるほうが楽しそうだし」

「だって……あたしは、来栖と一緒にいたいんだよ?なのに、いつ連絡しても返信もくれないじゃん!」

 男友達なんて、所詮都合よく遊べる相手が欲しいだけだ。何人も集まっていても、星羅のことを本気で心配するような男は、誰ひとりいない。

「だから、ごめんって。無理だよ、俺には。だから」

「……来栖まで、あたしを見捨てるの?」

「ごめん」

 来栖は揺るがなかった。泣いてすがってもだめだった。

 そこからだ。

 星羅は足掻くのをやめた。結局自分は、誰かの特別になどなれないのだ。

 そして、本格的に壊れていった。


 *


「ねえ茅野、そういやさ、なんで来栖と別れたの?」

 口いっぱいに餃子を頬張ってはふはふしながら、日野桃夏が訊いた。

 男たちに襲われかけて逃げ込んだ来栖のマンションで、なぜか同じ中学だった日野桃夏と中華を食べている。

「あー……、ふられちゃったんだ」

「マジ?あたしてっきり、来栖があんまり茅野を構わないもんだから、茅野の方から振ったんだと思ってたー!」

「確かに、バイクばっかだったね、あの頃の来栖は」

「そうそう!ってか京ちゃんも一緒だけどね!二人して、もうお前ら二人が付き合っちゃってないか!?ってくらい!仲良かった!!」

 あはは、と星羅は笑った。

 今思えば、来栖は別に星羅のことをなんとも思っていなかったわけじゃないのだろう。来栖も星羅と同じ、初めての恋愛で距離のとり方が分からなかっただけなのかもしれない。何より単純に、仲間とバイクを走らせている方が楽しかったのだろう。

「……ガキだな」

「ガキだよー!男なんてみんなガキ!こっちはねぇ、ガキに付き合ってるヒマなんてないの。バイトも学校も忙しいったら。ねえ?」

 あはは、たしかに、と星羅は笑う。たしかに桃夏は中学の頃から毎日忙しそうだった。毎日忙しく動いて、そして、いつも笑っていた。

「あたしも、バイトしようかな……」

 星羅はふと思いついて言った。健康な桃夏がまぶしく見えた。

(今からでも、戻れるかな…)

 真昼の陽の光の中へ。

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Colorful Days サカキヤヨイ @sakakiyayoi

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