その九 市ヶ谷総武線
「野暮ったいヤツだな、キミは」
バイトで広告代理店に入り、新歓コンパのノリで行われた飲み会で、隣の席になったバイト仲間にそう言われた。
「小説家になりたくて東京に来ました」
30過ぎてノコノコと上京した挙げ句、思春期のテンションで初々しく言い放った僕の自己紹介が痛かったらしい。
職場の人たちに早く馴染んで可愛がってもらおうと張り切った打算が見抜かれてしまった。
そんな恥ずかしさと、出鼻を挫かれて為す術がなくなった居心地の悪さを味わい、僕はすぐに意気消沈して大人しくビールを舐めるしかなくなった。
「職場でも夢語ってなんかはしゃいでいる感じだけどさ、小説家デビューを夢のゴールにしてたらプロとしてやっていけないよ。そこはプロ目指すなら当たり前のように立たなきゃいけないスタートラインだから」
勘違いしている僕に「野暮ったい」発言を喰らわせたそのバイト仲間は既にプロデビューしている漫画家さんだった。
ヨレヨレのスタジャンとジーンズがなぜかよく似合っていて、どこか物憂げに飲み会の馬鹿騒ぎを眺めながら、コップに入ったビールを一気に飲み干す。
プロとしてのプライドがあるからか、職場でも他のバイト仲間とは一定の距離を置いているような感じで、誰彼が持ちかける不必要な雑談にはあまり付き合おうとしなかった。
僕たちバイト仲間の同期には、芸術家、バンドマン、詩人など、将来クリエイターを志望している人が多く、僕はそんな人たちに囲まれて親近感を持ちすぎたのか、漫画家さんが指摘するように夢を追う自分に酔っていた。
「ボクら同期ってクリエイター志望のヤツが多いだろ?何でか知ってる?」
浮かれた自己紹介から急激にテンションが落ちて黙ってしまった僕を見かねて、漫画家さんの方が気まずい雰囲気を牽引するように僕に話しかけて来る。
「偶然じゃないんですか?」
「ハハハッ、やっぱり野暮だなキミは。意図的にクリエイター志望のヤツばかり採用したに決まってんだろ。面接の時、リーダーのNさんに言われたんだ。プロの実力がどんなものか楽しみだと」
漫画家さんが言うには、広告代理店とはいえ、そこは限られた紙面で表現をする仕事。
自分の表現センスが仕事として通用するか?
それをこの会社で見極めてみろ。
自分の表現したいものだけを表現して満足するのはただのオナニーだ。
僕たちを採用したリーダーのNさんにはそういう気持ちがあるようだった。
彼女も役者志望で上京し、仕事以外のプライベートでは単独の演劇ライヴなどをやっているようだった。
僕はバイトの面接の時、プロでもないのに自分の表現センスを見てほしくて小説の原稿を持ち込んだ。
Nさんのクスクス笑いを誘ったその拙いセンスが仕事で試される。
ついていけるかな?
そう考えると物凄く怖くなり、文芸サークルに参加するようなノリで広告代理店に入った事を後悔した。
「ここで通用しなかったら、表現で喰っていくとかいう道は諦めた方がいいと思うよ。仕事をするようになれば才能と実力がちゃんと評価される。和気あいあいとやれるのは最初だけだ」
漫画家さんは最後にそう言った。
前途洋々だった東京での未来がどんどん曇っていく。
杯を重ねてもみんなの酔いだけが深まっていき、次第に席が入り乱れた。
漫画家さんは酔うと饒舌になるのか、遠くの席で楽しそうに女子社員たちと話をしていた。
僕だけ素面のまま暗い顔をしてその場にいるわけにもいかないので、バイト中は田舎者の素朴な陽キャを演じ切る事にして、誰彼構わず話しかけた。
そんな感じで無理をしていたら一次会が終わる頃にはすっかり泥酔し、店を出て二次会の店へ移動する道中は誰かの肩を借りないと歩けない状態になっていた。
「今日はとことん付き合いますよ!」
喚き、ふらつきながらみんなの後を付いて行ったつもりが、どこからか見失いなぜか市ヶ谷駅にいた。
「とりあえず駅まで連れて来たけどさ、お前どこ住んでんの?」
みんなとはぐれ、側にいたのは漫画家さんだけだった。
「吉祥寺です」
「ゲッ、なんだ一緒かよ。オレは三鷹駅だけど」
僕は店を出てからずっとプロの漫画家さんの肩を借りて歩いていたようだ。
ひどく酔った僕を見て帰った方がいいと判断した漫画家さんが二次会には参加せず、僕を市ヶ谷の駅まで連れて来たというわけだった。
「すいません、駅まで送ってもらって」
「オレも酔ったし、どうせ同じ電車だからまぁいいよ」
酔ってはいても、お店で喰らったプロの厳しい洗礼をまだ引き摺っていたので、何か話そうと思っても僕からは気まずくて何も話せなかった。
駅のホームは混雑していて、人にぶつかるとすぐにふらつく。
「お前大丈夫か? 吉祥寺駅までは一緒に行ってやるけど、そこからは1人で帰れよ」
「はい、すいません。ありがとうございます」
気難しい感じでぶっきらぼうな言い方ではあるけど、案外面倒見の良い人なのかもしれない。
プロに対する引け目さえなければ、それほど付き合いづらい人ではないんじゃないか?
付き添われているうちに漫画家さんへの印象が少し変わっていった。
それでも僕からは容易に話せぬままただ帰りの電車を待つ。
駅に到着したのは総武線の電車で、車内もホーム同様に混んでいた。
他の乗客たちに押し込まれるように乗り込み、漫画家さんとかなり密着した状態で、なんとか吊革に掴まる。
「寝てもいいけど、絶対に吐くなよ」
漫画家さんがそう言ってスタジャンのポケットから文庫本を取り出し、黙って読み始めた。
さすがに吉祥寺まで何も話さないのは失礼だと思っていた手前、沈黙が苦にならない理由を漫画家さんが与えてくれたのは素直にありがたかった。
漫画家さんが読んでいたのは梶井基次郎の『檸檬』だった。
作者と作品名は知っていたけど、僕は読んだ事がない。
「面白いですか? その小説?」
「面白いよ。少なくともお前の小説よりはな。読んだ事ないのか?」
「はい」
漫画家さんの嫌味な一言にもうすっかり慣れていた。
バイトでの出会いとは言え、プロとして表現をやっている人と知り合えた事は光栄だし貴重だ。
嫌われてもいいから、この人と絡めるだけ絡んで、いろいろと観察し、プロとは何かを学びたい。
満員の総武線車内の汗ばむ臭気と圧迫感を受けながら、酒で濁った意識の中でそう思った。
東京百景 祐喜代(スケキヨ) @sukekiyo369
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