近所の居酒屋の『異世界チャーハン』

筋肉痛隊長

近所の居酒屋の『異世界チャーハン』

 今日も仕事を終え、アパートに帰ってきた。

 僕は駐車場にスプリンタートレノを置くと玄関に通勤鞄を放り込む。一人暮らしの僕はたいてい外で夕飯を摂るのだ。


 アパートと市役所の間には住宅街が広がっている。そこを10分ほど歩いたところにある小さな居酒屋に、僕はこの一年ほど通っていた。


 クチナシが仄かに香る夜道を歩き店に着いた。大将の赤いギャランGTOが脇に停まっている。

 引き戸を開け、靴を脱いで板張りの店内に上がった。


「いらっしゃい、トレノまだ動いてるか?」


「こんばんわ。不思議と壊れないね」


 あれは僕が生まれるより前の車で、五十代の大将には懐かしいようだ。もらいものだしまだ動くのでダラダラと乗っている。


 車好きの大将はあのいかつい旧車でサーキットを走るそうだ。今でもドカンとペラペラの学生鞄が似合う大将があんな車から降りてきたら、僕はとりあえず謝るだろう。


 カウンターには先客がいた。常連ばかり六人、皆僕より長くこの店に通っている。詰めてもらって座布団に腰を下ろした。


 冷たいおしぼりで顔を拭きながら、何を食べるか考える。

 競争相手のいない場所とはいえ、ここの料理は侮れない。その上、家から近くボトルも入れてしまえば通うことになる。


 だから優先すべきは黒板に書かれた日替わりのおすすめだろう。来週も食べられるものと今日無くなるものがあるのだ。


 だが今日はいつもより腹が減った。

 というわけで早さと満足感のバランスに優れた揚げ物スタートだ。国産ウイスキーのハイボールをやりながら、『ささみチーズしそ巻きフライ』を頂く。


 ウスターソースをかけて練りからしを少し付ける。ささみとチーズの味なじみの良さに感謝する。チーズの風味をにょっきり割って出てくるシソの香りは意外にもソースに合う。

 僕はササチーなら端っこのカリカリした部分が一番好きだ。


 あっという間に下敷きのサニーレタスまで食べてハイボールのおかわりを作り、ゴクリとやる。口直しにレモンをかじった。僕にとって揚げ物のレモンはデザートなのだ。

 レモンの皮だけ残して空になった皿を返す。


 空腹が落ち着いたのでおすすめメニューだ。

 隣に座る常連と、面白かったネット小説や今期のアニメの話をしながら、『アイナメの刺身』をシェアする。


 焼き霜と皮引きが半分ずつというのはうれしい。

 焼き霜は炙った皮が香ばしく、その皮から噛めば噛むほど旨味が出てくる。なら皮引きは劣るのかというと、身の弾力とほどよい脂が引き立つのでこれも捨てがたい。

 結局焼き霜と皮引きは半々なのだ。


 これには地酒の冷やを合わせた。ウィスキーやビールでも邪魔になるわけじゃないが、雰囲気だ。


 いい気分になってトイレから戻ると、全員のハイボールのジョッキにソーダ味のアイスバーが刺さっていた。


 酔っ払った誰かが隣のコンビニで買ってきたのだろう。ここの常連はたいていウィスキーをボトルキープしているので、場が荒れてくるとこうなる。

 大将には高級カップアイスを献上すれば許してもらえる。


 ご丁寧に誰かが酒も注ぎ足してくれているので、ありがたく頂く。

 うん、甘い。あと酒が濃い。


 遅い時間になると常連の一人二人はダウンして床に寝そべっているものだ。今日は一人、真っ赤な顔でうなっている。

 そろそろ〆を頼むか。


「大将、『異世界チャーハン』」


「はいよ」


「あ、俺もいいすか」「こっちも」「俺も」「私も食べる」「じゃあ僕も」


「六人前かよ……」


 チャーハンには感染性がある。

 作り始めてから注文するより上出来だが、大将の嫌そうな顔の理由はこの後すぐ。


 カウンター席からは厨房のコンロやフライヤーがよく見える。この店の面白いところだ。

 コンロを強火にした大将は中華鍋に鶏油ちーゆを馴染ませ、ニンニクを炒め始める。たまらない音と匂いだが、この段階で慌てて注文しても大将には聞こえない。

 さくっと溶いた卵を投入して大きなオタマで崩しながら焼き、半熟になったらご飯を加え手早く混ぜる。量から見て二人前ずつ作るようだ。


 卵が細かくなったら塩昆布、塩コショウを加えて混ぜ、ごま油で和えた焼豚とネギを加えて混ぜ、しょうゆを鍋肌から加えて素早く全体を混ぜたら鍋を火から下ろす。


 鍋をゆすってチャーハンをオタマに移す。

 時々おたまで鍋を叩いているのは、きっちり詰めるためだろう。それを平皿にあけると、こんもり丸いチャーハンだ。

 しば漬けとレンゲを添えて出してくれる。


「注文順だからな、俺忘れたけど」


 大将は次のロットを作りにかかる前にタオルで汗を拭った。

 暑い厨房で重たい鍋を振り続けるチャーハン作りは過酷なのだ。注文した順番なんて覚えていられないだろう。

 一番に注文した僕は遠慮なく頂く。


 一口目は地獄の熱さだ。

 正直味なんてわからないが、そうと知っていてもがっついてしまう。ネギとごま油の香りが蒸気を伴って鼻から抜けるようだ。

 ニンニクの香りは少し離れた方が鮮明な気がした。


 ハイボールで口を冷やして、ここからは落ち着いて食べる。

 ふんわりした卵の甘みを味わう。卵はチャーハンの必須成分だ。

 大きめの焼豚は甘みのある味付け。ネギとの食感の違いも相まって、味に変化が出る。

 以上、その繰り返し。


 具材はそれだけのシンプルなチャーハンなのだ。なのにうまい。

 具と米のバランスがいいからかパラパラで、それが喉越しの良さにつながって手が止まらない。鶏油ちーゆのコクが腹にたまる。

 米が、愛おしくなる。


 気付けば皆無言でチャーハンをかき込んでいた。まぁいつもの光景だ。


 汗だくなので一休み。

 残り少ないチャーハンの中、米に埋もれた塩昆布を発見した。


 こいつは具材として主張するほどの量は入ってない。溶けかけくらいに馴染んでいて、食べても昆布の風味どころか塩気すら感じなかった。

 今まで気にもしなかったことが急に疑問に思えて、僕は重労働を終えて一服している大将に尋ねる。


「大将、どうしてチャーハンに塩昆布入れるんだ?」


「えっ、そんなこと初めて聞かれたな。そりゃ異世界に粉末出汁や旨味調味料はねぇだろ?」


「んんっ?」


「普通のチャーハンってのは鶏ガラスープの素を入れるんだよ。顆粒の和風出汁でもいい。だからって出汁取って入れたらべちゃべちゃになるだろ? だから塩昆布なんだよ、ほら」


 話がかみ合ってない気もするが、渡された容器には粒状に刻んだ塩昆布が入っている。ご飯にふりかけて使うやつだ。


「便利だぜ、それ。卵焼きに入れてもうまいし、チャーハンだと意外に味が決まるんだよ。これなら異世界でも似たようなもんありそうだしな。焼豚とネギはどうとでもなるし卵くらいあんだろ」


「あ、『異世界チャーハン』ってひょっとして……」


「『異世界転移しても作れるチャーハン』に決まってんだろ。想像してみてくれよ……まず焼豚はなんとかボアとかイノシシっぽいの倒して作る。うちのはバラ肉だ。そのまんまでもうまい。次にネギは足生えてて走って逃げるやつを捕まえる。もしくはエルフと交渉して分けてもらう。卵は――」


「なんとかオーストリッチって感じのダチョウみたいなやつ。剣で殻を割る」


「いやロック鳥だろ。象よりデカい」


「俺はハーピーがいいな。できれば目の前で産みたての――」


「キモいっ!!」「頭大丈夫ですか?」「HENTAI」「飲み足りないんじゃねぇの?」「大将、こちらのお客さんにウィスキーのウィスキー割り、濃いめで」


「はいよ。まぁそういうこった。いざって時は料理チートできるように備えてんだよ。できれば店ごと行きてぇな、道具もあるし。クルマも持ってけたらなおよし」


 この席で失言すると酔い潰されるので、発言には注意が必要だ。

 客がノリノリになると、リーゼントが似合いそうな大将はニヤリとした。僕はその顔に『本気』を感じる。 


 『チャーハン』って言えば同じの出てくるから今まで気にしてなかったが、そういや他の料理は普通の名前だ。

 大将のチャーハンにそんな深いこだわりがあったとは知らず、一年も過ごしてしまった。そういえば大将、アニメとゲーム好きだったな……。

 僕は今初めて、この店の真の常連になれた気分だった。


「皆も教えてくれりゃよかったのに……」


「いや俺、異世界級にうまいチャーハンかと思ってた」


「実は習慣性のある粉でも入ってるのかと疑ってました」


「既出の質問かと思って遠慮」


「異世界に米無かったらどうすんだよ」


「そもそも俺たちって、どうして異世界には米とか旨味調味料が無いって思うんだろうな?」


 感動もつかの間、僕より長く通う常連たちも知らなかったらしい。

 なぜ誰も名前に突っ込まないのか、と思ったが、そういや僕も塩昆布が気になっただけだった。


 お勘定して店を出た。気持ちのいい夜だが、腹がパンパンなのでそっと歩く。

 大将が店ごと異世界転移する日は来るのか、明日も無事を確かめに行かねばなるまい。



(完)

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