大さわぎのオープンサンド

kaku

大騒ぎのオープンサンド

「また卵⁉ シケてんな」

 野太い声が響く。 

 その瞬間、実乃梨みのりはげっとなった。

 気持ちは、わかる。痛いほどわかる。 

 だが、わざわざ栄養士の女の子が学童までおやつを持ってきてくれたのに、その言いぐさはない。 

 実乃梨が咎める視線で見たとたんに、声の持ち主は実乃梨から視線を逸した。

「すいません、ありがとうございます」 

 とりあえずと、実乃梨は、栄養士の人にぺこりと頭を下げた。

 まだ若い幼さが残る栄養士の人は、辛うじて笑顔を浮かべている。

「ええと、今日はマヨネーズもありますから。残ったらどちらも返してくださいね」「ありがとうございます」 

 いつもは塩だけだからね、とは言わなかった。

 容器を受け取り、ドアを閉める。

「ちょっと、あれはないわよ」 

 それから、声の持ち主に、声をかけた。

「本当のことだろ!」

「だからと言って、持って来てくれた人に言うべきことじゃあないわ」

「卵ばっかりだ! 何でこんな学童に来なきゃいけないんだよ!」 

 実乃梨の言葉に、声の持ち主ー六年生の竜生りゅうせいは、声を上げた。

 やれやれ、とその声を聞きながら実乃梨は溜息を吐いた。

「どうしたの? 下村しもむらさん」 

 ちょうどおやつの時刻になったので、外に子ども達と出ていた山崎やまさきさんが中に入って来ながら、実乃梨に聞く。

「竜生君が、おやつを持って来てくれた栄養士さんに文句言っちゃって……」

「あら―」

実乃梨の言葉に、山崎さんは、五十代とは思えないかわいい顔に、困ったような表情を浮かべた。

 実乃梨だけじゃなく山崎さんにまで咎められたのが面白くなかったのか、竜生はぷいっと、部屋の奥に行ってしまった。

「まあ、気持ちはわかるんですけど」

 ただ、本当にその気持ちは実乃梨にもわかるのだ。

 こうも毎回毎回ゆで卵を出されていては、切れ気味にもなる。

 まして竜生は、彼が望んでこの学童に毎日来ているわけではない。

 母親が望むから、来たくもないこの学童に来ているという思いは、日々積み重なっているのだろう。

 「この夏休みまで」と、いう区切りはあるものの、それでも周りの友達は、自宅で好きなことをしたり、友達と連れ立って遊んでいるのだ。         

「でも、言ってはいけない言葉ではあるわね。わざわざ持って来てくれた人には、まず『ありがとう』と言うべきでしょ」

「……そうですね」

 部屋の奥にいる竜生に聞かせるように言った山崎さんの言葉に、実乃梨は頷いた。

 たとえ不満があっても、まず先に出るのはお礼の言葉でないといけない。

 建前と言うやつである。

「栄養士の子が、理事長に言うかもしれないけれど、まあ、その時はその時ね」

 山崎さんも同じ気持ちではいるのだ。

 確かに、この学童は夏休みが終わる、八月末で閉所が決まっている。

 しかし、それは会社の「都合」だ。

 「こちとらの懐がないから仕方ないだろ」と言うのは、筋が違う。        

 「とりあえず、今日はマヨネーズがありますから、いつもよりもマシにはなります」

 だが、それがわかる経営者であれば、そもそも、一番の稼ぎ頭であった学童を「閉所」になぞしない。

「そうなの?」

 だが、このおやつのお粗末さはいかんともしがたい。

 とりあえず、実乃梨は山崎さんの問いかけにこくんと頷くと、受け取ったゆで卵を持って、二階へと上がろうと、階段に向かった。

 こういう時。

 学童の「おやつ」を舐めるんじゃない、と実乃梨は思う。

 二階では、パートの細田ほそださんが遊んでいる子ども達を見ていた。

「またゆで卵?」

「えーまたあ?」

 細田さんと折り紙をしていた女の子達たも、不満を訴える。

 高学年達よりもまだ素直な低学年女子ですら、この様である。

「こら、文句言わない」

 こちらは五十代後半相応の外見を持つ細田さんも、そのことをわかっているから、咎める言葉はそれぐらいだ。

 実乃梨は遊んでいる子達に机から移動してもらうと、アルコールを机に吹きかけ、ゆで卵を置いた。

 そして、二階にあるトイレ近くの手洗い場に行って、手を洗う。

 そのまま、通路の間に置いてある冷蔵庫から昨日のおやつだったパンを出す。

 枚数は、5枚。

 本日の利用児は十五名。                    

「よし、足りるな」

 実乃梨はそう呟くと、今度はそれを机の上に置く。

 次に子ども達が遊んでいた広告用紙を一枚もらうと、卵の殻を剥き出した。

「卵の殻を剥くわけ?」

 細田さんがそう尋ねて来たので、

「そうです。十個ぐらいで足りるかな?」

 実乃梨はそう答えた。

 「子ども達にやらせればいいじゃない。あなた達、手伝ってくれる?」

「うん、いいよ」

「わかった」

 細田さんと遊んでいた子ども達は、早速卵の殻をむき始める。

それを確認した実乃梨は、流しの下から出したまな板の上に、食パンを置いた。

  鍵のかかる棚から包丁を出すと、包丁を斜めに入れて、食パンを斜めに切り分け始める。

  一枚一枚に包丁を入れ、皿の上に積み上げていると、 「何しているの?」 二階の反対側の部屋で遊んでいた、低学年男子達が寄って来る。

「おやつ作っているの」

 パンを手際よく切りながら、実乃梨は答えた。

「細田さん、包丁しまってくれますか?」 「わかった」

 この子達が近づいて来たら、包丁は危なくて使えない。

 そのことは細田さんもわかっているから、素早く対応してくれる。

 実乃梨から包丁を受け取ると、流しに行って包丁を洗い、ふきんで拭って戸棚にしまってくれる。

「俺もやりたいー!」

「あ、俺も俺も!」

「待て、その前に手を洗って来い!」

 置いてあるパンに手を出そうとする低学年男子達を一喝すると、実乃梨は泡だて器を出して、低学年の女の子達が殻を剥いてくれた茹で卵を手早く潰した。

 そして、そこにマヨネーズを投入する。

「何を作るわけ?」

「オーブンサンドです」

 傍に来た細田さんにそう答えていると、低学年男子達が戻って来た。

「手を洗ったよ~」

「んじゃ、これを交代で混ぜて。一人は、しっかりボウルを抑えてね」

「十回混ぜたら交代だよ」

 細田さんがすばやく声をかけてくれる。

 この辺の声掛けは、経験から来ている。

 何も言わずに子ども達に任せておくと、『ずるい、いつまで混ぜているんだ!』『代われよ!』『俺、ちょっとしか混ぜていない』という絶叫と、床に中身が散らばるのは、目に見えているのだ。

 子ども達が潰したゆで卵とマヨネーズを混ぜている間に、実乃梨は使った泡立て器を流しに入れ、棚から皿を出した。

 ついでに塩も出す。

「私達は何をすればいい?」

 卵の殻剥きをしてくれた低学年の女の子達も、まだまだお手伝いする気満々だ。

「それじゃあ、また卵四個剥いてくれる? 剥いた卵は、このお皿に入れて」

 二人の傍に、出したプラスチックのお皿を置いた。

 そうして、次に塩を持って卵とマヨネーズを混ぜている男子達の所に行った。

「ちょっとごめん、良い?」

 実乃梨はそう言うと、棚から出したスプーンをボウルに入れて、すくった。

 それを手に乗せると、口に運ぶ。

「あ、ずりぃ、自分だけ食べているっ」

「俺も、俺も食べたい!」

 「味見しているだけでしょうがっ。細田さん、どうでしょうか?」

 実乃梨は細田の手にすくった物を乗せた。

「うーん、塩が足りんかもね」

 細田さんはそれを口に運んで、そう言った。

「わかりました」

 その言葉に頷いて、実乃梨は塩を小さじ半分ぐらいの量を目分量で入れる。そして、よく混ぜてもう一口味見をする。

「ずるい、先生達だけっ!」

「俺も、俺もしたい。味見!」

 騒ぐ低学年男子を横目に、実乃梨は、

「味見してくれる?」

 と、最初に手伝ってくれた低学年の女の子達の手にスプーンですくったものを乗せた。

「うん、美味しい」

「美味しいよ、下村先生」

 彼女達はにっこりと笑いながら言う。

「俺も、俺も―!」

 その横で騒ぐ低学年男子達に、

「順番でしょうが!騒ぐなら味見なしよっ」

 これまた実乃梨は一喝して、低学年男子達を黙らせる。

 そして、

「一口ずつよ」

 と言って、順番に低学年男子達の手にすくった物を乗せた。

「美味しい」

「うま―い!」

と、低学年男子達が騒いでいる間に、実乃梨は卵とマヨネーズを混ぜた物が入ったボウルとスプーンを持って、パンを置いてある場所に移動した。

 そのままにしておいたら、さらに搾取されるのは目に見えている。

「これをパンに塗るわけ?」

 それをわかっている細田さんは、すぐに動いてくれる。

「はい、そうです」

「わかった」

 細田さんは頷くと、スプーンが入った瓶を出して、そのまますぐにパンにそれを乗せた。

「量はどれくらい?」

「全体に伸ばせるぐらいで」

 細田さんは、手際よく作業を進めてくれる。

「先生、まだ味見したい―!」

 だが、低学年男子達が騒ぎだして来る。

 実乃梨は、細田さんを見た。

 細田さんはその視線だけで、察してくれたのか、

「こっちはやっておくわ」

 と言って、卵の殻を向いていた女の子達に、手伝ってくれるように声をかける。

「うん、わかった。卵全部剥いたよ」

 女の子達は頷き、実乃梨に殻を向いたゆで卵が入った器を渡してくれる。

「ありがとう。ほれ、あんた達もやるよ」

 実乃梨は低学年男子達に声をかけて、殻を剥いたゆで卵を見せた。

「ええ、また作るの!?」

「追加で作るなら、また味見できるけど?」

 不満そうな彼らにそう言うと、とたんに、態度が改まった。

「作る、作る!」

「今度はもっと食べさせて!」

 ……概して、男という生き物は、単純である。

 流しに一回置いた泡だて器をもう一度持って来て、深めの皿にゆで卵を一つずつ入れて、交代で潰させた。

 そしてその作業をしている間に、冷蔵庫の上に置いたオーブントースターを持って来て、コンセントの近くの床の上に置く。

 あまり床の上に食べ物を作る道具を置きたくはないのだが、冷蔵庫の上だとコンセントに届かないのだ。 

 そうして、中のトレイを出して、パンを置いた。

 通常の食パンを二枚置けるから、四人分はできる。

 本日の児童数は十五人。4回焼けば全員分のは焼き上がる。

 時間は二分。

 必要な時間は、トータル八回。 

 ここまで来れば、時間との勝負である。

 しかも、焦がすわけにはいかない。 

 焦がしたら、死ぬほど子ども達から責められるのだ。

 そんなことを思いながら、トースターのタイマーを回す。

 そして案の定、「おやつまだー?」 と言いながら、おやつを求める子ども達が階段を上がって来た。

 そして、そこにとどめを刺すのは、トースターから漂ってくる、パンの焼く匂いである。

「うわ、何、何、今何作っているの?」

「私早く食べたい!」 

 これらの暴走を抑えるのは、持って五分程度なのだ。

 それを持たせるためには、

「卵潰した? マヨネーズ混ぜるよ」

 取りあえず、意識を逸らせるに限る。

 実乃梨がそう言ったとたん、「おやつまだ」軍団の視線が、一斉にそちらを向いた。

「俺、味見したいっ!」

「え、味見できるの?」

「お手伝いしてくれる人が優先です」 

 実乃梨はそう言うと、マヨネーズをボウルに投入した。

 実乃梨の言葉に、手伝ってくれた低学年男子達が安心したような表情をする。 

 学童と言う場所は、縦社会だから、低学年男子達は、上学年の子達には逆らえないのだ。

「ずるいっ」

「ずるくありません。当然のことです」

 味見をしたくば手伝うが良い、と言外に言いながらマヨネーズと卵を混ぜる。

 すると、

「んじゃ、俺も手伝う!」

 そんな声が、上がった。その声の持ち主は、何時のまにか来ていた竜生だった。

 そのままパンのところに突進しようとするのは、低学年男子達と同じである。

 何故に、子どもと言うのは同じパターンで行動するのか。

「手を洗って来いっ!」 

 実乃梨としても必死である。「おやつまだ」軍団の攻撃をかわしつつ、パンを短時間で焼かねばならないのだ。

 焼くのを竜生から手伝ってもらいつつ、実乃梨は何とか「おやつだよー!」 と、言う事ができた。

 それから、全員そろって、「いただきます」とおやつを食べ始める。

「これ美味しい!」 

 一口食べたとたん、そんな声が聞こえた。

 実乃梨は自分も味見をしようと、余ったおやつを食べてみた。

 そして、改めて思う。

 やはり、マヨネーズは最強だ!と。 

 卵もやはり良い物を使っているせいもあるのかもしれないが、マヨネーズがこんがり焼けたパンとマッチして、また卵を一緒に焼いたせいで、卵がカリカリになっている。 

 オープンサンドは、パンに乗せる具材が命なのだ。

 下手に不味い物を乗せたら、単なるゲテモノになってしまう。

 だが、今回のこのオープンサンドは、卵が良い具合になって、とても美味しくなっていた。

「下村さん、私ももらって良い?」

「いいですよ。半分こしましょう」 

 と実乃梨が言った時、

 「あ、ずるいっ、先生達!」

「おかわりがなくなるっっ」

 という声が子ども達から上がった。

「おかわり分はキープしているからっ」

 そう言って、実乃梨は叫んだ。

 それでもって、おやつタイムをやり過ぎし、子ども達のお迎えタイムも過ぎて、細田さんも帰り、実乃梨は流しに溜った洗い物を片付けることにした。

「山崎さん、洗い物をして来ますね」

 と実乃梨が山崎さんに声をかけ、二階に上がろうとしたとたん、

「私も二階の掃除をするわ」

 と、山崎さんが言った。

 そこに、何か含むのがあるような気がするのは、実乃梨の気のせいではなかった。

「さっきと言うか、子ども達がおやつを食べている時、理事長が来たのよ」

 洗い物を始めた実乃梨に、山崎さんは言った。

「早いですね、仕事が。こういう時だけ」

「若い栄養士の子から話を聞いて、おばさん達にピシャリと言ってやろうと思ったみたいね」

「自分もおじさんなのに?」

 だが、「おばちゃん」と言われる世代がこの学童に固まっているのは確かだ。

 一番若い実乃梨ですら、もう三十代も後半である。

「そうね。若い子に良い恰好しようとして、厳しく注意しようとして意気込んで来たものの、案の定、早く下に降りて来た子達が、『今日のおやつゆで卵じゃなかった。うれしいっ』って口々に言うわけよ。それで、言い出せなくなったみたいで」

「そのゆで卵出しているの、自分ですもんね」

 さすがに、おやつに不満を持っている子ども達の前ではとてもじゃないが言えなかったに違いない。

 しかし、若い子に言われてほいほい出て来る理事長は、あの栄養士の女の子には、会社の実態は言っていないのだろう。

「学童を閉所にすること、どう思っているんでしょうかね?」

「とりあえず、『業績不振』とか会議では言っているけど、他の老人ホームの方も、がらがらだからね。老人ホーム一本に絞って立て直す!とは言っているけど、難しいと思うわ」

 彗を動かしながら言う山崎さんの言葉に、実乃梨は皿を洗いながら、まあねと思った。

 学童を閉所する、と言う決定事項が実乃梨達に知らされたのは、「もうすぐ夏休みに入ます」という、七月の初めだった。

 「はい!?」と、学童で働いていた実乃梨達は「寝耳に水」状態だったが、周りには、放課後等デイサービスの事業者が増え、前のように学童の利用者も減っていた。あげく、学童のために支給される「補助金」も、どうも会社の都合の良いように使われているようで、実乃梨達の働く学童には、子ども達の活動費すら支給されず、おやつもゆで卵だ、パンの耳を使ったお菓子だ、と有り得ないことだらけだった。

『行政から改善命令が出る前に、閉所することにしたって感じね』とは、閉所決定の事実を実乃梨達に伝えた時の山崎さんの言葉だ。

「行政も、馬鹿じゃないからね」

 ため息を吐いた実乃梨に気付いて、山崎さんはそう言って笑った。

 理事長達は閉所決定は決めたものの、後のことは、全て学童職員である実乃梨達に丸投げだった。

 保護者達への説明とお詫び、次の所に繋げられるように市役所に相談及び手続きなどは、ほとんど実乃梨達が行ったのだ。

 それなのに、感謝や労いの言葉もなく、給料は半月遅れる始末だ。

「だから、八月末までは頑張りましょう。後のことは、その時考えましょう。でも、証拠はしっかり残しておいてね。止めた後は、労働基準局とか、市役所とか、通報しまくるから」

 そして、山崎さんの方は強かだった。

「ただ、おやつを厨房にまで取りに行かなくちゃいけないんだけどね。そうしろって、連絡があったから」

「それは行きますよ」

 肩をすくめながら、実乃梨は言った。

 多分、実乃梨達に厨房に来させることで、「お前達は俺達の下なんだ」ということを、理事長達は示したいのかもしれない。

 だが、それは実乃梨達にとっては、「何、それ?」の世界だ。

 実乃梨達にとって大切なのは、八月末まで、この学童を楽しい場所として維持していくことだ。

 それ以降のことは、理事長達がどうにかすればよい。

 転職先も探さないといけない事実がある実乃梨には、理事長達の思惑はどうでも良かった。

「理事長のタマって、本当に小さいですね。どれくらいの大きさなんでしょう?」

 子どもの指くらいかな、と実乃梨が呟くと、

「さあねえ」

 実乃梨の言葉に、爆笑しそうになりつつも、山崎さんはそう答えてくれるのだった。


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