彼女の答え

__そう、また次も会えると思っていた。


翌日、学校へ行くと加代の席が無くなっていた。

「あれ、滝本。藤代の席は?」同じ美術部員である滝本に声をかけた。

「フジシロ?」聞きなれない名前の様に滝本が聞いてくる。

「そう、藤代紗世。同じ部活だろ」

確かにしばらく来ていないから、忘れられているだけだろうと思っていた。

「いや、フジシロ サヨっていう奴はいないぞ。……あ、さては新しい恋愛ゲームにでもハマって、現実との区別がつかなくなったか」

「いや、いただろ。一年の頃に絵画コンクールで賞を取った奴。お前こそ忘れちまったのか」

軽く笑いながら滝本に言うと、滝本は俺を心配そうな目で見てきた。

「……お前、マジで大丈夫か?一年のコンクールは佐野が獲ったんだぞ」

そういう滝本の言葉を俺は飲み込むことができなかった。

__この世界の常識としてあり得ない現象が、今起こっていると言えるのか。それとも、こいつが僕のことを馬鹿にしているのか。

けれど、上手く息をすることが出来ない。そんな、紗世の存在が消えているなんて。

「おい、どうしたんだよ」クラスメイトの一人が二人に声をかける。

「なあ、戸田。フジシロ サヨって知ってるか」滝本が問う。

「いや、知らね」

「筒井がさ、妄想と現実の区別ができなくなっちまってよ」

「へえ」

二人の会話が遠くで交わされているかのように錯覚する。

戸田が僕の肩に手を置く。「そんなにのめり込むゲームなら、俺にも紹介してくれよ」

僕は、戸田の手を振り払って教室から走り出た。

加代の存在が、確かにこの世界に存在していたことを確かめたい一心で。


走る。

走る。

ひたすら走る。

彼女がいたことを証明するものを探すために、僕は美術室に向かって走り出した。

途中、足を滑らせて転びそうになったが、勢いのまま立て直し、そのまま走る。階段も二段飛ばしで駆け上がる。四階にある美術準備室の前に着くと、息の整わないまま扉を開き、中に入った。

部員一人ひとりに与えられるロッカーのもとへ行く。一番端にある紗世のロッカーを開く。

__扉がない。

取っ手に伸ばした手は、空を切る。そこにあった筈の扉は、元から存在しないかの様に壁となっていた。

……ウソだろ。

彼女の存在を証明できるものが無いことに焦りを覚えた僕は、皆が描いた絵を保管した部屋に入り、彼女の絵を探した。

無い。……無い……無い!

どこを漁っても彼女の書いた絵は一枚も出てこなかった。

体の力が抜けて、その場に座り込みそうになったが、僕はあることを思い出した。

最後の希望に託して、僕は自分のロッカーにあるスケッチブックを取り出した。

このスケッチブックは、彼女のことをこっそりデッサンするときに使っていたもので、彼女の姿が残っているかもしれないと考えた。

これで、彼女の存在を証明できる!

そう思って僕はスケッチブックを開いた。

だが、そのページは白紙で、また次をめくってもそれも白紙で、何ページめくっても白紙が続いた。

僕は次こそ床に座り込んだ。体に力が入らない。浅い呼吸を繰り返しているうちに涙が溢れてきた。

「うっ……。う、うう……」嗚咽を漏らしながら、僕は泣いた。

なぜ、そんなことがあり得るのか。信じられない。クラスの人間が知らない人間を僕は知っている。なぜ。なぜ、僕は知っている。彼女の顔も声も香りを知っている。彼女が胸の内を打ち明けてくれた昨日を憶えている。

非現実的な考えが僕の頭の中を支配した。

彼女の存在はこの世界からすべて消えてしまった。もう、僕しか憶えていない。……いや、それも間違いか。

僕が紗世のいない世界に来てしまったのだ。そうだ、きっとそうなんだ。じゃなきゃ、僕が覚えている彼女の姿やぬくもりは何だというのだ。

僕はおかしくなってしまったのかもしれない。非現実的な仮説を受け入れることでしか、僕は正気を保てないのであれば……。

――彼女を証明できるのは、僕の記憶だけなんだ。曖昧で、一瞬で忘れてしまいそうな。

「Iru jhw ph qrw.」

気付けば僕の口はそう呟いていた。彼女の残してくれたおまじないをつぶやいた。

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スケッチブックに残らなかった彼女の残像 浅葱紫雲 @AsagiShiun

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