【短編】甘い一手に御用心!

春野 土筆

甘い一手に御用心

「うーん……」

 狭い部室に悩まし気な声が響く。

 俺は将棋盤を見つめながら、次の一手を考えていた。中盤戦を迎えたこの局面、何を指すべきなのか判断が難しい。

「……どうよ、ウチの指し手は」

 手ごたえありと見たのか、対局相手である勇香が口端を上げた。ハスキーな声は、百戦錬磨の風格を思わせる。

 ぐぬぬ……と、歯を食いしばって盤上を見つめた。

 恐らくだが今自分が考えている局面は、彼女の研究が既に済んでいる。それはここまで自分が指し手に使った時間と彼女が使った時間を比較すれば一目瞭然だ。それを見なくとも、この余裕そうな彼女の雰囲気を見ればすぐに分かる。

 自分が疑問手や悪手を指せば、すぐに形勢が彼女の方に傾いてしまうという緊張感。俺はこういう時の勝負術に打って出た。

「将棋は雰囲気!」

 自分のモットーを口走りながらぱちっと歩を玉の頭に叩く。叩けるもんは叩いた方が徳だろうというこれまで培ってきた感覚による一手。

 全く「読み」という行為を放棄した一手。

 実際、同玉と取られたら次に何をすればいいか分からないし、かわされた時もどう指せばいいのか分からない。将来効いてくればいいな~という気持ちで打ったが、良い手なのか悪い手なのかも分からない。

 ザ・謎な一手。

 その一手を見て、勇香は小さく息を吐いた。

 まるで脱力したような落胆したようなその様子に一瞬身構えてしまう。もしや、めちゃくちゃ悪い手だったのだろうか。俺自身全く分からないが、ここから一気に彼女に流れが行ってしまうなんてことがあるのだろうか。

 しかしそれはすぐに杞憂に終わった。

「……やるじゃん」

 フフフ、と不敵な笑みを浮かべて勇香は盤を覗き込む。読むことが心底面白い、というようにジ―っと玉の上に置かれた歩に対する対処を考えている。

 かっけぇ……。

 なんか、普通にカッコいい。

 年甲斐もなくヒーローっぽい彼女に見惚れてしまう。ただ将棋を指しているだけのはずなのに、彼女からは孫悟空みたいな……「オラ、ワクワクすっぞ!」的なオーラが醸し出されている。

 こういう所は昔から変わっていない。

 俺が小学生の頃に地元の将棋クラブで知り合ってから、高校生になった現在に至るまで彼女とは幾度となく熱戦熱局を繰り広げてきた。高校では休部状態だった将棋部を復活させてまで(といっても、部員は俺と勇香だけど)、お互いの棋力の向上に努めている。

振り飛車党の勇香と居飛車党の俺。

 積み重ねてきた対戦成績は、体感だとほぼ互角。どちらか一方に星が偏ることは少なく、だいたい勝ったり負けたりを繰り返している。

 これまで二人でやってきた対局数は優に千は超えるのではないだろうか。

 しかしその全てが違う内容で、一つとして同じものはない。途中までは同じ手を指していても、そこから変化して全く逆の結果に繋がることもあるのだ。

 前回は勝ったのに今回は負けた、ということだってザラにある。

 勇香が着手した。

 彼女が指した一手は、同玉。

 俺が叩いた歩を取って、玉自らが上部に出てきた。

「おー、勇香玉じゃん」

「そうだよ、私の玉を捕まえてみな」

 挑発するように俺の前に勇香玉が立ちはだかる。

 彼女独特の玉捌き。

 普通、玉はなるべく下の方にいるのがセオリーとされている。

 というもの上に行けば行くほど味方の駒が少なくなり攻められやすくなってしまうからだ。

しかし彼女にはその逆、上方を目指すという特徴があった。

 勇香曰く、その方が中段玉となって逆転もしやすいし、局面も混とんとなりやすくなるのだという。俺の意見としては、王様は安全な方が指しやすいと思うのだが、スリルを求めたがる彼女は常日頃から形勢が良いか悪いか構わずに危ない方へ危ない方へ玉を移動させている。

 そこで俺が命名したのが勇香玉だ。

 この玉、すぐに捕まりそうなのだがやたらと生命力が強い。彼女が操っている時だけ玉に命が宿っているかのように俺の攻めをスルスルとかわしていく。それで逆転負けを食らった事も数知れず。

 幾度となく苦酸を舐めさせられてきた。

 今回は上手く捕まえてやる……と内心意気込みながら頬を叩くが。

「いやー………ねぇ」

 手が分からん。

 ほんと、何を指しゃあいいんだ、この局面。

 先ほどからそういった局面が何度も登場しているが、やめて欲しいことこの上ない。さっきは雰囲気とか言ったが、雰囲気だけで指していたらもちろん将棋は勝てない。読むべきところはしっかり読む。

 一手、二手、三手……と先々の局面まで読んでいく。

 しかし、「読む」という作業は如何せん頭を使うのだ。常日頃から頭を使っている人間からするとちょっと頭を使うくらいどうってことはないと思うが、将棋以外で頭を使わない俺にとっては結構な重労働で。

 そういう時はすぐに甘いものが欲しくなってしまうのが体の自然な欲求というもの。俺はふと思った言葉をそのまま口に出してしまった。

「勇香さ、チョコちょうだい」

「は……突然なに?」

 ピクッと眉を動かした彼女に、壁にかかっているカレンダーを指さす。そういえば今日って一年で一番糖分補給にうってつけの日じゃないか。

「突然って、今日って二月十四日だよ。女の子が男の子にチョコをあげる日だよ?」

「はぁ、何言ってんの?てか、女の子が男の子にっていうその言い方がまずキモい」

 き、きもっ……キモイだと⁉

「う、うぐ……お、俺の㏋がっ……………って、まぁ茶番はここまでにして、チョコないの?今日、勇香がクラスの女子達にチョコあげてるとこ見たんだけどな~…………ちらっ」

 期待の眼差しを向ける。

 だが彼女はそんな俺の視線から逃れるようにそっぽを向いた。

「確かに友チョコはあげたけど……そんなんでいいの?」

 吐き捨てるように呟く。

 そんなんでもとはなんだ、そんなんでもとは。まるで、友チョコくらい誰にでも貰えるでしょ、とでも言いたげな口調じゃないか。

 何か言いたいことがあるなら言ってみろよ。

「友チョコくらい、私からじゃなくても……」

あっ、言った。

 決して口に出してはいけない、男子の心の柔らかい所を容赦なくぶっ刺すような、配慮のかけらを微塵も感じない一言。友チョコの一つや二つももらうことのできない男子達から間違いなく反感買ったな。

 だがまぁ、チョコを貰えないであろうお前たち、すまん。

 俺は今から勇香から友チョコ貰うからよ……。

 お前らは……落ち込むんじゃねぇぞ。

「いや、あげんし」

「は?」

「いや、は?て。持ってても、そんな態度の奴にあげないわ」

「マジかよ」

「マジよ」

 ブーイングしても勇香はつれない態度で俺の「くれくれ」攻撃を跳ね返してくる。なじるように見つめても、上目遣いで見つめても、メンチを切ってみても全くあげるような気配を見せない。

「あ~、しつこい。はよ次の一手を指して」

 ぷー、とどこかのテレ女二年みたいなため息を吐く。

 仕方なくもう一発玉の頭に歩を叩いておいた。これも、まぁ雰囲気って言っちゃあ雰囲気に任せた一手だが、取ってくれたときのみ鮮やかな決め手が発生する。それ以外の手を指されたときはどうなってるかさっぱり分からない。

 取れ取れ取れ…………!

「ふ~ん、なるほどね」

 クロエはジーッと盤面を見つめる。

 まるで好敵手と対峙している時のように、目が爛々と輝いている。

「いや、人の名前を間違えるとか最低なんですけど」

「ああ、悪い。花子」

「花子でもねーし。あんたさ、ウチと二次元をごっちゃにしないでくれる?」

「ごめん………勇香」

「あー……もうっ、急にネタをバンバンぶち込んでくるなし!ウチのツッコみも追いつかんわ、ってか今は将棋の真っ最中だわ」

 さすが勇香。

 幼馴染でしか通じないようなボケに対して瞬時にツッコみを返してくれる。てか、最後のに関しては普通に謝ったつもりだったんだけど。誰も「ごめん……ユイ」を狙ったわけじゃないんだけど。

 しかしさすがにボケ過ぎたようで、「真面目に読んでるから、話しかけないでくれる?」とひと際ドスの効いた声で睨まれてしまった。蛇に睨まれたか弱い蛙――もとい俺は、椅子の上で小さくなって彼女が指す手を待つことにする。

 だがしかし、俺と違ってちゃんと読みを入れてから指す癖のある彼女は、なかなか次の一手を指さなかった。案外他の逃げ場所も芳しくないらしい。

 らしい、って「お前も相手が考えてる間に読めよ」とツッコみを入れられそうだが、俺は印象派なのでその局面になってから考えるタイプだ。

「で、玉がこっちに逃げると……」

「いや、読んでるんかい」

「勇香も大概ツッコんでくれるよな」

 自分の読みを放棄してくれてまで幼馴染のボケにツッコんでくれる彼女には感謝しかない。

「宮川大輔・花子くらい息ぴったりよな、俺達」

「誰が夫婦漫才やねん。てか夫婦て、やかましいわ」

 はぁ集中して読めないわ……そう言って彼女は鞄の中を漁り始めた。何か探しているらしい。チャチャッとワンチャン、メリケンサックを取り出してくるかもしれないと身構えるが、中から出てきたのは予想外のものだった。

「あっ、友チョコ!」

「そう、あんたが欲しい欲しいって言ってたやつ。実は一つだけ余ったんだよね」

 そう言って慈愛に満ちた目を向ける勇香。

 何だかんだって幼馴染。

 やっぱり俺にチョコをあげないという選択肢は元々なかったらしい。

「ありがとう……勇香」

 そう言いつつ、彼女の前に手を伸ばす。

 彼女はその伸ばされた手の上に、可愛くラッピングされた小さな袋を載せた……訳はなく。「はぁ?」とわざとらしく半眼を向け、チョコを自らの口の中に何のためらいも見せずに放り込んだ。

「う、嘘でしょ……」

「全くさっきから……サイゲネタ、やめい」

 ぺしっと軽く肩を叩かれる。

 ツッコみと同時に、彼女の甘い吐息が香ってきた。うわ~、羨ましい。俺もチョコ食べたい……。

「それ手作り?」

 自分から結んだと思われるラッピングを見て、尋ねる。

「そ、チョコを溶かして型に入れて……っていう簡単な感じのやつだけど。昨日、妹と一緒に作ったんだよね」

「あ~、京香ちゃんと作ったんだ」

「あいつ、本命がいるから頑張るんだ~とか言ってんの。マジで可愛くね?」

 いつも生意気なくせしてさ、と勇香の頬が緩む。

 京香ちゃんっていうのは、今年中学生になったばかりの勇香の妹だ。保育園児くらいの時から知ってる彼女に本命ができた、なんておじさんも年を取る訳だね。

「でた、辰巳のおじさんアピール」

 少し微笑みながら、彼女は玉を斜め上に交わした。

 あくまでも上部で居続ける狙いらしい。

「まぁ、棋風的にはお前の方がおじさんよりだけどな」

 俺はあまり考えずに飛車を成った。

 これくらいの攻めでも、あの薄い玉なら寄せきれるだろう。俺の玉周辺にはまだ金が一枚残っているが、彼女の玉周辺には守りに効く駒は一枚も残っていない。

 ぱっと見、すぐに詰んでしまいそうな玉。

「将棋の強いおばさん、なんつって。やかましいわ」

 だが、彼女の指し手は力強かった。

 俺が飛車を成ったのを見た瞬間、すぐにがっちりと金を自陣に投入した。細い攻めだから、丁寧に受け切れば勝てると踏んでいるのだろう。

「マジか……」

 傍目には受け切れるようには見えないのだが、これが彼女の怖いところ。受けの力が異常に強いのだ。だいたいこういう局面なら攻め勝てる、と思っていても彼女とやっている時は攻めきれずに逆転されるということもしばしばだ。

「それじゃ、考えといてね~」

 そう言うと彼女はおもむろに席を立った。

 ガラガラ~と古びた扉を開けて、外に出ていく。

 初めて見た人からすると突然どうしたと思われるかもしれないが、自信がある時や勝ちを確信した時、部室を出ていくというのが最近の彼女のルーティーンとなっている。俺も初めの内は何でそんなことをしているのか意味が分からなかったが、どうやら昔の大棋士が勝ちを確信したときにやっていたことの真似事らしい。

 本人曰く、「バイブス上がんじゃん」らしい。

「つって、される側は困るんだよなー」

 一人になった部室に俺のぼやきが響く。

 いくら受けが上手いといってもそこはアマチュア。もちろん間違えることもあるのだが、やはり彼女の受けには信頼がある。彼女が自信あり、と見た局面を考えるのは自然とおっくうになってしまうものだ。

 といっても、指さなきゃいけないわけで。

 彼女に読み抜けがないか、柄にもなく真面目に読んでいく。

 しかし、芳しい順が見つけられない。どの手を考えてみても、こちらが妥協したような順になってしまう。

「いやぁ~………」

 こうも良い手がないものだろうか。

 あらゆる角度から手を読む。瞬時に「この手はない」と切り捨ててしまうような一手まで考える。だが、攻めを継続する手段は見つからないまま時間だけが過ぎていった。

 どれだけ考えただろう。

自分がこれだけ読みを入れているというのも珍しいかもしれない。

「どう、指した?」

 席を立っていた彼女が部室に戻ってきた。

 心なしかテンションが高い。

 それに対して俺のテンションはだだ下がりだった。読めば読むほど自分が思っていたよりも良い手がなく、自信が急速になくなってきていたところだ。だが自信がないことなどおくびにも出さないように、盤を睨みつける。

 勝負の場面で自分が悪いということを顔には出さない方が良い。悪いような雰囲気を出してしまうと相手が安心して、心理的にも有利になるからだ。

「ふっふっふっ……」

 俺は不敵な笑い声を漏らす。

「おっ、なに?」

「俺が一億と三手読んだ結論を見せようじゃないか……」

 そう言って、さっき成ったばかりの龍を持ち上げた。俺が勇香玉を攻めるにあたって先導していくような攻めの要。この駒なしでは彼女を攻め切ることができない、と言っても過言じゃない。

 俺はそれを思いきり自信のある手つきで別の場所へ移動させたのだった。


  

     ※


「いや、さすがにあの手はダメでしょ」

「ですよねー……」

 部活も終わり、下駄箱の前で今日の対局を振り返っていた。

彼女が指摘しているのは俺が龍を移動させた局面だ。あの時、俺はめちゃくちゃ自信のある手つきで龍を自陣に引き上げた。自陣に引き上げるなんて、「すみません、私が間違ってました」と認めてしまうような手だから指したくなかったが、仕方なかった。

 だって良い手が見つけられなかったんだもん。

 自身ある手つきなら「こ、これは何かあるのでは……⁉」と勇香も勝手にビビッてくれると思ったんだけど……そんなことはなかった。

 因みにあの後、勇香陣に対して攻め駒が不足している俺をよそに彼女は自陣に控えていた駒で総攻撃を仕掛けてきた。玉自身が先導しているかのように最前線にいたまま俺の玉を攻めてきたのだ。

 そんな総攻撃を金一枚と龍だけで守ることができるわけもなく。

 俺は無残にも彼女に切り刻まれた。

「いやー研究ぶっ刺さったわ」

 嬉しそうに笑う勇香。

 その横顔に「してやられた」というような印象を受ける。やはり今回の将棋は彼女の研究の通りに進んでしまっていた。序盤の内で彼女の研究を外れるような手を繰り出す必要があったと反省する。

「結局、チョコももらえなかったし……」

 ボソっと呟く。

「ん、なんか言った?」

「……いや、何でもない」

 嬉々とした彼女の横で肩を落とす。

 今年はチョコを一つももらえなかった。

 まぁチョコを何個ももらえるような奴なのか、と言われればいつも一個くらいなんだけど。その一個っていうのが、何やかんや言って毎年くれる勇香だったから、ラスイチと言っていたチョコを彼女が食べたときは「えー……」と思った。

 イチローの連続200安打年数くらい連続でもらえてたから、やはりちょっぴり寂しいものである。

「まぁ、今日は上手く指せすぎかな」

 フフン、と相変わらず勇香はテンション高めだ。

 勝利の余韻に浸る彼女に若干不貞腐れながら俺は下駄箱に手を掛ける。

 やっぱりこういう所でも頭をよぎるのは、バレンタインだった。よくモテる男子のベタな流れは、ここでチョコの山がドサッと落ちてくる……とかなんだけど、普通の男子は下駄箱にチョコが入っている事すらない。実際周りの友人も見たこと無いっていうし。

 どうせ今年も下駄箱にチョコなんて入ってないんだろうなー。

 と、フラグを立てるだけ立てて下駄箱を開ける。

 その中には――。

「…………えっ?」

 チョコと思しき箱と手紙が一通入っていた。

 うそん。

 ま、マジで……?

 フラグを立てた本人が一番びっくりしてしまう。一度下駄箱を閉じ、もう一度中を確認する。自分の見間違いではないか、そうとしか思えなかった。

 深呼吸深呼吸……。

 しかし、落ち着いて何度見ても下駄箱にはチョコらしきものが入れられていた。

 恐る恐る手に取ると、それは紛れもないバレンタインチョコレートだった。シックな緑を基調にしたデザインのラッピングに包まれたチョコと、その上には手紙が添えられている。

「ゆ、ゆゆゆゆゆ………勇香」

「どした、そんなに慌てて?」

 震えながら、彼女に下駄箱に入っていたチョコと手紙を見せる。

 すると彼女も驚いたように目を見開いた。

「お、俺の下駄箱にチョ、チョコと手紙が入ってたんだけど……ど、どうしたらいい?」

 どうしたらいい、ってどうしたらいいんだ。

 自分でも言ってる意味が分からんが。

「えっ、ちょっと待って。マジか。そ、その手紙にはなんて書いてあんの?」

 珍しく彼女も動揺する。

 それもそうだろう。だって貰った本人がこれだけ動揺しているのだ。俺がどれだけモテないか分かっている彼女が驚くというのも無理はなかった。

 勇香に急かされながら手紙を開封する。

 中には一枚の便せんが入っており、


【部活終わり、体育館裏で待ってます】


 と、綺麗な字で書かれていた一文が添えられていた。

「うわっ……マジか」

 勇香が言葉を失う。

 目が点になる、というのはこういう姿を言うんだろうと、変に客観じみた感想が出てしまう。先ほどまでの余韻が吹き飛んでしまうほどの衝撃。

 どう見ても、告白間違いなしといったような手紙だった。ラブコメとかでよく見るような体育館裏への呼び出し&告白がこの先に待っていることが約束されたような展開。

 急展開過ぎて頭が追い付かない。

「ど、どどどどどうしよう勇香っ⁉」

「お、落ち着け辰巳!まずは落ち着いて………その手紙を下駄箱に戻そう。ウチらは何も見なかった。そうしよう」

「えっ、いやいやいやっ⁉」

 ギュッと両肩を掴み、諭している風を装う彼女であるが明らかに動揺している。ていうか、俺よりも判断能力が欠如してしまっている。

 読まなかったふりって何言ってるんだ。

 それ、一世一代の大チャンスをみすみす捨てろと言っているようなもんじゃん。

 彼女の性格からして、「何、ラブレター?バイブス爆上がりじゃん」的な言葉一つ抜かすものだと思っていたが案外慣れていないらしい。初心な乙女丸出しのような動揺を見せつけている。

 だがかえってそう言う姿を見せられたせいで、逆に落ち着いてきた気もする。

 俺はもう一度、手紙に目を通してみる。

「部活終わり、体育館裏で待ってます……か」

 どう考えても、告白だよなー。

 客観的に見ても、主観的に見ても告白だよなー。

 それしかないよなー。

 体育館裏に呼びつけといて、「じ、実は将棋部体験希望で……」なんて言う訳ないし。てか部長は勇香の方だし。

 だがまるでこの手紙に心当たりはなかった。

 俺が交流のある女子と云えば、今隣であたふたしている勇香とそれから、えーと、それから…………うん、勇香しかいないわ。思わず京香ちゃんという反則技を使いそうになりかけてしまうほどに、俺には女友達がいなかったことに気づく。

 人類の半分は女子のはずなのに、不思議なこともあるもんだ。

「……で、どうすんの?」

 ようやく落ち着いてきたらしい勇香が、いつものハスキーボイスで訊ねてくる。だが、彼女も気が気でないらしい。幼馴染が告白されそうになっているというレアケースに興味津々といったご様子だ。

 手紙をチラチラ見ながら、今も若干ソワソワしているし。

 案外初心なのな、お前。

「こんなの、行くしかないだろ!」

 俺は、ギュッと握りこぶしを作った。

 突如として降ってきた、バレンタインイベント。それをみすみすと見逃す男子がこの世の中にいるだろうか、いやいない。男子たるもの、棚ぼたであろうと何だろうと、恋ができるチャンスは逃してはならないのだ。

 恋愛は戦!

 チャンス少なし、恋せよ健児。

 その答えに。

「……まぁ、いいけど」

 勇香は落ち着き払った様子で小さくため息を吐いてみせた。


     ※


 と、意気込んでみたはいいものの。

「あ~、緊張する……」

「ウチもいるから、大丈夫だって」

 そういって肩をポンポンと叩かれる。

 告白(される)の舞台に向かう道中、緊張で足が重くなるという情けないことこの上ない俺のことを心配した勇香も一緒についてきてくれていた。自分で言うのもなんだけど、よくこんな奴にラブレターを送ろうと思ったよな。

「これ、大会前みたいだな」

 自嘲気味に笑うと、彼女の表情が緩んだ。

「気づいた?ウチもそう思ってたわ」

大会が始まる直前にもプレッシャーから極度の緊張状態になる時がある。そういう時は毎回勇香が緊張をほぐすように寄り添ってくれるのだ。まさか告白されるときも彼女の手を借りることになるとは思わなかったけれど。

「それじゃあ、ウチはここいらで隠れとくから」

 物陰に隠れた勇香を置いて体育館裏に向かう。流石に一緒に行くことは出来ないので、彼女は少し離れたところで観察してくれるという。

 何から何まで至れり尽くせりである。

 体育館裏に行くと、一人の少女が壁にもたれるようにして佇んでいた。

 遠目で顔はよく分からないが、制服は俺が通っていた中学校のものによく似ている。どうやら高校生という訳ではなさそうだ。

 ゆっくりと近づく。

 すると俺の足音に気づいたのか、壁に身を預けてボーっとしていた少女がパッと顔を上げた。  まだあどけなさの残るその顔は俺を見るなりくしゃと笑う。

 その屈託のない笑顔には見覚えがあって……。

「き、京香ちゃんっ⁉」

「こんにちは、先輩!遅かったですね♪」

 瞠目する俺をよそに、彼女は天真爛漫な笑顔を湛えた。

 認めるなり、混乱する。

 今の状況に混乱する。

 どうして京香ちゃんがここに?

 なんで?

 瞬く間に頭上に疑問符が何個も登場する。

「不思議そうな顔してますね、先輩っ♪」

 目一杯今の状況を楽しんでいるとばかりに、弓なりになった瞳の京香ちゃんはゆっくりと俺の前までやってきた。意味深な光が瞳に宿る。

「京香ちゃんが、俺をここに呼んだの?」

「そうです、あの手紙で先輩をここ呼び出しました。本当に来てくれるか不安でしたけど」

 来てくれて嬉しいです、と小悪魔的な笑みを浮かべる。

 うん、可愛い。

「……で、京香ちゃんが俺を呼んだのってなんで?」

 早速用件を尋ねてみるが、ふと対局中に勇香と交わした会話を思い出す。あの時、京香ちゃんが「本命にチョコあげる」的なことを言っていたような。そして、俺の下駄箱に入っていたのは、本命のような雰囲気を纏った手紙とチョコ。

 ということはもしかして、京香ちゃんの本命の相手って………。

 だが、その説に俺はすぐさま首を振った。

 そもそも前提条件として十七歳と十三歳という四歳差だし。中学生と高校生だし?そんな環境も年の差も大きく離れた彼女と恋愛してもうまくいくはずな………………って、今妄想してたわけじゃないからっ‼

 いくらモテないからってJC捕まえるような年下派じゃないから!

「なんだと思います?」

 当ててみてください、と顎に手を当てる仕草で逆質問される。

 可愛いけど。

 純粋に可愛いけど。

「京香ちゃんがここに来た理由……か」

 真っ先にチョコをあげるため、と言いたいが下駄箱にチョコも一緒に入っていたので、それは違うだろうし。

 でもそうじゃなければ、彼女がここに来た理由は一体何だろう。

 ま、まさか本当に…………こ、告白っ⁉

 鼓動が速くなるのと同時に、どういう訳か後ろからは勇香の視線がガンガンに刺さっているのを感じる。やはり、自身の妹が幼馴染に告白するなんて信じられないのだろう。

 だが俺は言わねばならない。

 彼女がここに来た理由(わけ)を――。

「……一緒に遊ぶため、とか?」

 はい、ヒヨりましたー。

 あんなこと言えるわけないでしょうが、このバカちんが。

 案の定、京香ちゃんは首を横に振った。

「ブッブー。私も中学生なんだから、そんな子供っぽい答えな訳ないじゃないですか」

 反省してください、と怒られてしまう。

 プンスカしている様子も微笑ましい。

 子供っぽい答えをされたせいか若干機嫌が斜めになってしまった彼女をなだめつつ、改めて今日の用件を聞いた。

 すると彼女は、フフフ……と得意げな笑みを浮かべた。

 こういう所は姉譲りである。

「私が先輩にチョコを本命っぽく上げようと思いまして」

「……ほ、ほう?」

 チョコくれるんだ、と意外に思いつつ彼女の話に耳を傾ける。

「こうやって、体育館裏でチョコを渡された経験がないであろう先輩に、私がチョコをあげようと思ったんです。まぁもちろん本命じゃなくて、友チョコですけどね」

 そう言って彼女が鞄の中からチョコが入った透明な袋を取り出した。

 さっき勇香が食べていたチョコと同じチョコだ。

「わ、わーい……」

 俺が今まで体育館裏でチョコを貰ったことがないのは間違いない。代えがたい事実だ。だがまさか、中学一年の女の子に同情されて、本命っぽくチョコを貰う日が来ようとは夢にも思っていなかった。

 嬉しいのか、恥ずかしいのか。

 端的に言って情けない。

「嬉しくないんですか?」

「い、いや………う、嬉しいよ?」

 心には深い傷を負ってしまったけどね。

「な~んで疑問形なんです。素直に感謝してくださいよ」

 プク~と頬を膨らませる。こんな可愛い顔であんなボディブローを仕掛けてくるなんて、京香ちゃん……恐ろしい子。

 って、そういえば。

「……チョコって下駄箱に入ってたけど、もう一個いいの?」

 そう言って、箱を彼女に見せる。

 京香ちゃんはその箱を見るなり、物知り顔でニコッと笑った。

「もちろんです。ていうか、下駄箱に入ってたチョコって私のじゃないですよ」

「……えっ?」

「私が入れたのは手紙だけです」

「あー、そうなんだ~…………――えっ⁉じゃ、じゃあ……こ、これってま、マジのチョコっ⁉」

 第二波的な衝撃が俺を襲う。

 再びあたふたし始めた俺を面白そうに眺めながら彼女は言葉を紡いだ。

「多分マジだと思いますよー。だって、それって……」

「おい、京香。何であんたがここにいんの?」

 がさっ、とさきほどから物陰でこちらの様子を見ていた勇香が現れる。何やら不機嫌そうな空気を纏った勇香が俺と彼女の間に割って入った。

「あー、お姉ちゃんっ!」

「お姉ちゃんっ、ちゃうわ。あんた辰巳に何してん?」

「え~、お姉ちゃん怖―い。私、先輩にチョコあげただけだよ?」

「いやそれは見てたから分かってるけど。なんでわざわざ辰巳にチョコあげてんのって話」

「だって、いつもお世話になってる人にはチョコあげるものでしょ?」

 キャピっとした瞳で勇香を見上げる京香。

 生粋の小悪魔系女子である。

「でも、あんた辰巳にチョコあげる義理なくない?」

「チョコあげるのに、義理も何もいらないでしょ。もしかして先輩にチョコをあげるのにお姉ちゃんの許可がいるの?」

「や、そんなことないけどさ」

「じゃあ、何でそんなに怒ってるの?」

「別に怒ってるわけじゃ……」

 そう言うと勇香は言葉に詰まった。

何だか歯切れが悪い。いつものカミソリみたいな切れ味を誇っている彼女が、今は借りてきた猫みたいに静かになってしまっている。

これ、勇香押されてね?

 京香ちゃんの的確な返しに、言葉数がだんだん少なくなっていってね?

「いいから、あんたは早く家に帰り」

「えー、ひどい。まるで京香が邪魔者みたいじゃん」

「そうは言ってないけど…………なに、その」

 勇香から次の一言が出てこない。

 すると京香ちゃんはそんな彼女を見かねてか、「はぁ~あ」と軽くため息を吐くと。

「はぁーい。京香、お姉ちゃんの言うこと聞いてあげる。その分、また今度は京香の言うこと聞いてよね♪」

 ちぇるーん、という擬音がつきそうなウインクを勇香にお見舞いする。

 信じられるか?

 この子、中一なんだぜ。

「分かったから。あんたの好きなパフェ奢ったるから」

「やったー!じゃあ、京香はこれで失礼しまーす♪」

 先ほどまでとはうって変わり、満足したというような笑顔を湛えた京香ちゃんは、そう言うと俺達に手を振って体育館の奥へと消えていく。

 最後、勇香に何か言って囁いていたようだったが、俺には何を言っていたのか聞こえなかった。ただ彼女がシッシと鬱陶しそうに追い払っていたので、余計なことを言ったのだろう。

 ほんと、微笑ましい姉妹である。

「いやー、ごめんねウチの妹が」

 彼女の姿が見えなくなってから。

 これだから生意気なんだよなー、と勇香はだるそうに肩を回した。

 嵐のようなやり取りに俺も苦笑いで返す。

 まさかあの手紙の差出人が京香ちゃんだとは思わなかった。こういう――体育館裏でチョコを貰う――シチュエーションは初めてだったからある意味いい経験をさせてもらったのかもしれない。

 今後こういう機会があった時は今日の経験を生かして落ち着いて臨めるだろう。

 いやまぁ、ないんだけどさ。

「じゃ、帰ろっかー」

 そう言って彼女はくい―っと伸びをする。

 今日は俺に散々突き合わせてしまって彼女も疲れてしまったようだ。

「ありがとな」

「ちょ、なによ急に?」

「いやさ、今日は色々と助けてもらったから。今日一日で、自分がどれだけ肝座ってないかもよく分かったし……ハハハ。下駄箱にチョコは入ってたらなー、とか毎年思ってたけど、いざ入ってたらそれはそれで疲れるんだな」

 頬を掻きながら苦笑する。

 やっぱりチョコは面と向かってもらうに限る。

「そっか。で、そのチョコだけどさ……」

「ああ、これ?」

 彼女に示されたのは、下駄箱に入っていたバレンタインチョコ。京香ちゃんはこれに何か心当たりがあるようだった。彼女が口を開いたのと同時に勇香が登場してきたから、最後まで聞き取れなかったんだけど。

 結局、詠み人知らずならぬ、あげ人知らずということになってしまった。

「もちろん、ありがたくいただくことにするよ。勇香の分だと思ってさ」

「は、はぁ⁉……な、何でウチの分ってことになんのっ?」

「いや、だって……誰がくれたのか分からないし、勇香は勇香でくれないし。それだったら、これは勇香からってことでいいかなって」

 連続記録は更新ということで。

「あ、ああ……そういう、ね」

 ハハハ、ハァ……と、彼女は苦笑しつつため息を吐いた。

 何か俺、変なこと言いました?

「いや、何でもない。……ただ、辰巳ってやっぱり読みが甘いなって」

「突然なんだよ」

 急に人をディスるとか、良くないと思うぞ。実際、読み抜けとかしょっちゅうあるけどさ、いきなり俺の将棋をディスってくるなんてどういうことだ。

 表出ろや、勇香。

「アァン、やんのか?いいぜ、かかってこいよ」

「あ、すいません。許してください」

 自分でも驚くほど自然に謝罪する。

 のと同時に、勇香ってやっぱヤンキー要素強いよな、と一人納得した。

「ま、そういう所が辰巳らしくていいんじゃないの?」

 そう言って勇香は、俺の頭をポンポンと叩きながら軽く微笑む。

 褒めてるのか、それ。

「褒めてる褒めてる」

 口に手を当て、目をそばめる。

 そんな可笑しかったのだろうか、このやり取り。

「てか、勇香だって――」

俺も負けじと何か言い返そう、と顔を向けるが、夕日に赤く染められた彼女の横顔に目を奪われた。風になびくポニーテールが不意に可愛く見えて。

俺は咄嗟に視線を戻した。

「ん。なに、どしたの?」

「い、いや……なんでもない」

 歯切れ悪く、言葉を切る。

 そんな俺の様子に気がついていない様子の勇香はおもむろに口を開くと。

「ウチは良く分かんないんだけど……分かんないけどね?………多分、下駄箱に入れるなんて本命のチョコだからさ。……大事に食べなよ」

 ね?と首を傾げて微笑んだ。

 彼女の髪をそっと風が撫でて、過ぎてゆく。

「ま、勇香のだと思えば躊躇なく食べるけどな」

「なっ、人が良いこと言った傍から」

「だって、毎年くれるじゃん」

 今年はなかったけどさ、とあえて軽く皮肉を挟みつつ微笑む。

 すると彼女はいつもみたいにツッコむことはせず、俺から顔を背けて。

「………気づけよ、バカ」

 何か小さく呟いたようだったが、風の音でかき消される。

 ただ、一言だけ聞き取れたような気がした。

「今、俺のこと馬鹿って言った?」

 すると彼女はいつもみたいにニコッと口角を上げて。

「言ってないよ、バ~カ」

 そう言って勇香はいじらしい笑みを浮かべて前を向いたのだった。


     ※


「むぅー、やっぱりお姉ちゃんったら」

 二人のやり取りを見ていた京香は、人知れずムスッと草陰でむくれていた。その原因は言わずもがな、自分の姉にである。

 昨日二人で作ったバレンタインチョコレート。友達にあげる簡単な物に追加して、互いに一つだけ箱仕様の本命チョコレートもつくった。京香は淡いピンク色のラッピング、そして勇香はシックな緑色のラッピングを施したもの。

 イケイケな京香は、その本命チョコを好きな男子に難なく渡した。毎年好きな人が変わる彼女にとっては、本命チョコなんてその時の気分で渡せる軽いものだ。

しかし、姉に限ってはそうではなかった。

「いっつもバイブス上がってきた、とか言ってるくせに」

 見た目的には、何人も彼氏作ってそうなのに。変なとこだけ乙女になってしまう一途な姉に対して、毎年毎年ヤキモキした気分にさせられてしまう。


【先輩は鈍感だから、はっきり言わないと分かんないよ】


 さっき姉に言った言葉だ。

 今年こそは彼に想いが伝えられるように、京香自らはっぱをかけた。

 しかしここまでのやり取りを見ている限り、結局自分があげたことは秘密のまま。本命チョコを渡したことは進歩と捉えられなくもないが、結果としては去年とは何ら変わっていない。

「先輩もいい加減気づけばいいのに」

 本命チョコを渡してくれる人物なんて、彼の周りには姉しかいないのだから。

 鈍感な先輩と奥手な姉。

 今後、幸せな未来が待っているのだろうか。後から登場した泥棒猫に先輩を奪われるなんていうことはないか、それが彼女の一番の心配だった。

 でも。

 小さなときから変わらない、並んで歩く二人を見つめて。

「ま、大丈夫かな」

 どこか確信したようにポツリと一言漏らした京香は、静かにその場を後にする。

その空はどこまでも赤く、そして雲一つなく澄み渡っていた――。


     完

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【短編】甘い一手に御用心! 春野 土筆 @tsu-ku-shi

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