Happy is Life

あばら🦴

Still unhappy

 とあるマンションの一室で、男がドアを開けた。

「よお。無事みたいだな」

 二十五歳になる東出ひがしで景央かげおは同い年である天野あまの大河たいがの住むマンションの一室に来ていた。

 朝の眠気が抜けないままに天野が対応する。

「無事じゃないと思ったのか?」

「まさか」と東出が鼻で笑う。東出は続けた。

「挨拶代わりだ。『おはよう』にしては遅いからな」

「何時くらいなんだ?今」

「わからんが、10時は過ぎてるだろうな」

「マジかよ。まだやってるかな」

「普通ならやめてる時間だけど……行ってみようぜ」

「ああ」

 天野は玄関のドアをくぐって、一切電気のついていない家を出た。


 日本はとある理由によって六ヶ月前に世界から隔離され見捨てられている。その理由とは前代未聞の奇病の流行だった。

 その病気は患者のDNAに感染性があり、血液や唾液を身体に取り込むと同じ症状が出てしまう。


 世界がなぜ日本を隔離するのに至ったか。それはその症状にある。

 その病気にかかると感情を決定づける脳内物質が『幸せ』の感情に置き変わってしまう。何をしても何をされても『幸せ』になる人間になる。

 初期段階ではいつもより多幸感に包まれる程度だが、末期段階になると動かずとも勝手に沸き立つ別の感情が全て幸せになるので、道路の上などの自由な場所でずっと寝たきりの状態になってしまう。


 そしてさらに厄介にさせるのが初期段階と末期段階の間にある第二段階、多幸感に対して多幸感を抱くステージだ。これは人によるが、優しい人や献身的な人などの場合他人に率先的にこの病気を感染させたがる。

 主にこの第二段階の強烈な感染力によって日本は崩壊し、世界から断絶されてしまった。


 東出と天野は第二段階の人間が溢れる地獄のような日本を生き抜いた。生き抜いたといっても率先して殺しに来る訳では無いので、定期的にこっそりと食料を取る以外ただ家の中で籠城していただけだ。

 当時第二段階だった患者のほとんどは末期段階に入り、道路の至る所に思うがままに寝転がっている。今ではほとんどが餓死した死体で、強烈な汚臭が辺りに立ち込めていた。


 臭いに鼻を曲げながら二人はをしている市役所に向かう。

 炊き出しとは他にも生き抜いた生存者達が行っている、助け合いのために食事を出す行為だ。

 電気や水道やガスは当然ながら全て停止したが、それでも上手いことやりくりして食事を作っている。


「停止した、といえば」と切り出す東出。

「あ?なんだ急に。そんな話してないが」

「良いだろ?聞けよ。そういや国家も法律も停止したのに秩序は停止してねえよな。こんな世界になったら、てっきり法律の無い世界で悪さする奴がいると思ってたんだが」

「そりゃお前……」

 天野は道路上で寝る患者を一瞥した。

「悪さなんて幸せのためにするもんだからな。今じゃはるかに簡単ではるかに幸せになれる方法がある」


 東出は何かを考えるように空を見上げながら呟いた。

「やっぱりさあ……良い事も悪い事も、人のやることって全部自分の幸せのためで、それ以外の理由なんて無いよな」

「そうか? 他人の幸せのために身を削る奴だっているだろ」

「そういう奴は他人が幸せになってるのを見て自分も幸せになってんだ。人は結局、自分の幸せに繋がる道しか歩けないようになってんだよ」

「ん…………まあそうか。だからこそ『幸せの病気』は広まっちまったんだろうな」

「だな。これ以上ない近道だから……」


「お前はなんで病気にかかりに行かないんだ?」

 ふと天野が東出に聞いた。

 道路で寝転がる人の血液でも唾液でも摂取すれば、彼らと同じように『幸せ』が溢れる。第二段階の地獄を生き残った者の中には人生に絶望して自分から感染しに行った人もいた。

「はあ? 今更聞くか? そんな事。お前だってそうだろ」

「俺はお前の理由が知りたいんだよ。なんで生き残ってる? お前がこの先生き残ったって、ダラダラ寝てる患者よりは絶対幸せになれないぞ」

 やけに真剣な天野の声に東出が戸惑う。


 東出が「そうだな……」と言ってしばらく考えた後に口を開いた。

「俺は……知っちまったから、だな」

「と言うと?」

「患者の幸せの末路。いや、その幸せが悪いと言ってるわけじゃない。彼らは幸せに死ねたと思うよ。ただ……どうせなら俺だけの『幸せ』が欲しいんだ。たった一つの俺の人生で産まれた、誰も見たことない俺だけの幸せだ。それを味わってから死にたい」

「そうか。……お前らしいな」

 天野が感慨深そうに言った。


「おい。俺だけじゃずるいだろ。天野、お前はなんで生きてんだよ」

 天野は『待ってました』と言わんばかりに口角を上げる。それが東出の鼻につき、やっぱり聞かなきゃ良かったと少し後悔した。

「俺はお前といると幸せだからな」と平然と言い切る天野。

「よく言うわ、お前。バカがよ」

「はっ、本当のことだ。お前がいなきゃ俺は今頃『幸せ』の真っ最中だよ」

「……」


 天野の言葉を小馬鹿にする訳にも行かず返答に困る東出。その様子を気にしているのかいないのか、天野は東出に微笑んで話を続けた。

「十五年の腐れ縁だ。それがどこで腐り落ちるのか見てみようぜ」

「……そうだな。天野、くたばるなよ」

「はあ?どっちが落ちるかって言ったらお前の方だろが」

「ねえよ、アホ」

 二人は『幸せ』の死体をまたぎながら歩いていった。

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