エピローグ さあ、風と共に行こう

 バーミニアとの激闘を勝利した俺とイーラとシルフィは、遺跡から出ると沢山の人々から喝采を──浴びることはなかった。

 待っていたのは学校の教師たちによる説教。驚きの三時間コースだった。

 どれもこれも体裁を保ちたい大人達のくだらない言葉の数々だったので、なおさらその三時間が苦痛だった。

 説教の標的は大体俺に向けてのもので、ラエティティア家の長女であるイーラがかばってくれなかったらもっと悲惨なことになっていたかもしれない。

 なんなら『アンドレトゥス高等教育学校』への進学を取り消されそうにもなったし。

 イーラがかばってくれなかったら路頭に迷うところだった……。


 そんなひと悶着もあったが、その後の日々は平和だった。

 プルトス周辺では他に魔物がいないか調査が行われ、問題ないことが確認された。

 街中で反魔法組織のカーセウスらと会ったときには、特に暴言や石を投げられなかったという珍事もあった。

 そうして俺とイーラは中等教育学校を卒業し──

 今日が、王都『インゲニウム』に向かう旅立ちの日だ。


「お兄様……風邪には気を付けてくださいね? 寂しくなったらいつでも手紙をください。必ずお返事を書きますので」

 駅のホームで、見送りに来てくれたアメラが瞳を潤ませる。世界一かわいい。

「ああ、ちゃんと連絡をするよ。長期休みには帰ってくるし」

「本当ですね? 嘘だったらひどいですからね」

「ああ──約束だ」

 肩を震わせるアメラの背中をそっと抱き寄せ、彼女の耳元に顔を寄せる。

「お前がいなかったら、俺はとっくに挫けて駄目になっていたよ。ありがとう、アメラ」

「……っ、私は、いつでも、いつまでも兄様を信じていますから!」

 抱擁をとくと、アメラが満開の笑顔を見せてくれた。かわいい。一緒に連れていきたい。

「あっ、そうだ……お兄様。これは、お父様とお母さまからです」

「…………えっ」

 アメラの言葉の意味が一瞬よくわからず、変な声が出た。

「オールビィ家に代々伝わるお守りだそうです。どうか、大事にしてください」

「……ああ」

 アメラの小さな手に握られていたのは、オールビィ家の家紋である『風と剣』が彫られたペンダントだった。金に金剛石が混じった、丈夫な造りだ。

 以前──何年も前に、父が持つこのペンダントをねだったことがある。

 その時は『お前が大きくなって立派な騎士になったら、同じものをあげよう』と断られてしまったのだが……。

「……俺のこと、認めてくれたわけじゃ……ないよな」

 両親は見送りに来ていない。バーミニアを倒したことも労ってはもらえなかった。今日この日だって、『いってらっしゃい』の一言もなかった。

 俺が変わったことでもう二度と元のようには戻れない、オールビィ家。

 それでも──。

 ペンダントをぎゅっと握りしめ、瞳をつむる。

 それでも、きっと。どこかで折り合いをつけられるのだろう。壊れたものは組みなおせる。失くしたものは埋め合わせできる。お互いが、歩み寄れば。

 今はまだ、こんな不器用なことしかできない親子だけど。

 確かな明るい未来が、待っているのかもしれない。


「…………ありがとう。父さんと母さんにも伝えておいてくれ」

「──はいっ!」

 アメラが今日一番の笑顔を見せるとともに、発車ベルが鳴る。

 名残惜しい感情を押し殺し、アメラに手を振って俺は電車に乗り込んだ。

 今回は最初から貴族用の個室席だ。ふかふかの座席に身を投げ出すと、正面の椅子から声がかかる。

「挨拶が長すぎるでしょ。私のほうが先に入ってるとは思わなかったわよ」

 俺にこの座席を用意したイーラだ。いつもの快活な服装ではなく、よそ行きの姫様然とした格好で俺を半目で見つめる。

「本当よね。付き合いたくなかったからアタシは先に乗り込んだけど」

 特に何も変わらない姿のシルフィが、ブドウを頬張りながら似たような視線を向けてくる。

「仕方ないだろ。最愛の妹との別れなんだから。むしろ当初より短めに済ませたんだぞ」

「「妹偏愛者シスコン…………」」

 ふたりの瞳がさらに細くなった。

 妹がいない奴らには、この喪失感はわかるまい……哀れ……。

「すっごい失礼なこと考えてるわね、この顔は」

「どうする、イーラ。やる? やっちゃう?」

「聞こえてんぞ」

 いつものように他愛のない会話をしていると、ゆっくりと電車が動き出した。

 窓の向こうで駅が流れ、街が流れ、やがて平原へと変わっていく。

 春らしい暖かな晴れ空だ。電車についてくるように、鳥の群れが飛んでいる。

 おもむろに窓を開けると、吹き込む風が花の香りを運んできた。

「旅立ち日和ね」

「こんなに天気がいいなら、向こうで王都を散策するのもいいかもな」

「あっ、ずるい。私は学校に呼ばれているのに」

「戦士科の成績優秀者は大変だなあ」

 今日の服装が貴族っぽいのはそのためだったか。悔しそうにためいきをつくイーラに勝ち誇った笑みを向けると、シルフィがズビシっと頬をつついてきた。


「アンタはちゃんとイーラをエスコートしなさいよ! なんのためにいるんだか……」

「いったいいつから俺がイーラの召使いになったんだよ……それに、俺が行っても場の空気を悪くするだけだぞ」

「そうね。私も新学期で躓きたくはないから、一緒に来なくていいわ」

「行かないっつーの」

 今度はイーラがむかつく顔をしてきた。さっきの仕返しだな。

「……ま、向こうでの生活が落ち着いたら、あなたとの関係も続けていきたいけどね」

「……恐縮です」

「あっ、イーラ、照れてるわよ! ウェントが照れてるわよ!」

「ふふっ、いいものが見れたわね」

 女子二人がやかましい。

 不意打ちでそんなこと言われたら照れるにきまってるだろ。こっちは人付き合いに慣れてないんだから。

 きゃいきゃい騒ぐ少女と精霊を眺め、まあほっとけばいいか、と俺は窓に視線を送った。

 電車はプルトスを出たばかりだ。まだ王都は見えてこない。

 カーブの向こうに、彼方へのびる線路が見えるだけだ。


「──イーラ。俺は俺の目標のために、まずは『アンドレトゥス高等教育学校』で一番になるぜ」

「──っ!」

 窓を眺めながら俺が言うと、視界の端でイーラが息をのむのが見えた。

「……へぇ、やっぱりあなたも狙っていたのね」

「当然。魔法使いとして、あの学校の首席──『十傑』の頂点に立ってやるよ」

 長いアンドレトゥス高等教育学校の中で、いまだに起きたことのない事件。

 あのアローサル・アルゲントゥムも学年四位が限界だった。

 俺の最終目標を達成するには、これぐらいは叶えなきゃな。

「そう……でも、私は負けないわよ」

「俺だって、情け容赦はしないさ」

 互いの視線がぶつかり、火花が散る。シルフィは緊張感のない声で「がんばれ~」なんて言っている。


 電車は進む。この六年の中で──失敗と、後悔と、変化と、出会いを重ねてきた日々の中で得たものを乗せて。

 風と共に、未来へつながる道を、緩やかに進んでいくのだった──。




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