第20話 風は至高を目指す

 やがて、崩壊が止む。しばらく待ってみたが、バーミニアが追撃してくる様子はない。

「……ごめん、足を引っ張っちゃって……」

 ほっと一息をついていると、イーラが沈んだ声を出した。

「いや、イーラがいなかったら俺はすでに死んでいたよ」

 彼女の紅い瞳を見つめながら、本心を告げた。

 あの化け物は、俺達の手に余る。信じたくない、見たくない、たしかな現実だ。

 さて、どうするか……。

 思索を巡らせていると、俺の腕の中にいるイーラがもぞもぞと動く気配。

 ……体の柔らかい部分とかが当たって気が散るからやめてほしい。


「ねえ……あなた、本当に魔法使いとして生きていくの?」

「今、それを聞くか? まだ近くに敵がいるんだぞ」

「今だからこそ、よ。死ぬ前に知っておきたいと思って」

「冥途の土産をねだる人初めて見た」

 俺があきれると、イーラは少し不満げな表情を浮かべる。


「あんなものを生み出せるのが魔法なのよ? 何百年もずっと人類の繁栄を妨げている魔物は、大昔の魔法使いが作ったものなのよ?」

 魔界創者パンデモニウム グラーティア・デーバイディ。

「東の平野を支配している『白痴の悪魔』も、魔法使いが召喚した」

 悪しき白昼夢ホワイトアウト イデア・ワンスアナダイム。

「迷宮都市では、魔法使いが建てた迷宮を抑えるためにたくさんの人が死んでいる」

 天蓋に住まう者アヴァロンロード ビート・ザクロッカ。

「北の大陸には、いまだに改造人間を従えた魔王が君臨している」

 災厄の魔王コダ・アポリュト ジャスターム・ニット。


「……そんな奴らの仲間に、あなたも本当になりたいって言うの?」

 イーラの紅玉のような瞳が、俺の顔をのぞき込んでくる。

「……そんな奴らと同じ様になるつもりはない。……でも、魔法使いにはなる」

「……どうして」

「イーラもみんなも、誤解してるんだ。魔法使いは……魔法は、本当はもっと綺麗で、優しくて、素晴らしいものなんだよ」

 あの日。まだ自分が戦士になることを疑っていなかった八年前の夏の日。

 俺は、魔法に魅せられた。神秘の美しさの虜になった。

 その輝きに至るためだったら、どんな差別も偏見も苦にはならないくらいに、強烈な光。

 戦士では──武では辿り着けない奇跡。


「確かに、魔導具なんかは今でもたくさんの人達の役に立ってはいるけど……でも、復讐のために魔法を使ったら……あなたもきっと、歴史上のひどい魔法使いみたいになってしまうきがするの……」

「復讐のため? 何言ってんだよ、イーラ。そんなちっさい目的のために、魔法使いになるわけないだろ?」

「──え?」

 俺の答えに、イーラが呆けたような顔をする。

「で、でもあの悪魔型を前にしたとき、すっごい顔してたじゃない! 師匠の仇だって怖い顔で……」

「そうだよ、あの悪魔は俺の師匠を殺した。それは確かだ」

「じゃあやっぱり……」

「いや、確かにあの悪魔を倒すことは俺にとっては大事なんだけどさ……それを俺の人生の終着点だと思われるのは心外だな。俺の目標はもっと大きいんだぜ?」

「は?」

 呆れたようなイーラの目。馬鹿にしてるな?


「覚えておけよ、イーラ。俺の目標はな──」

 俺が野望を語ると、イーラは口をぽかんと開けて、その紅い瞳でまじまじと俺の顔を覗き込んでくる。

「──ば、ばっかじゃないの!? あんた、本気でそんなこと言ってるの?」

「本気も本気。超本気だよ」

「…………呆れた。おとぎ話を信じる子供じゃない」

 失礼にも、イーラが盛大なため息をついた。

 ……まあ、確かに荒唐無稽な話だとは俺も思うけど。

 諦める理由は今のところ無いんだよな。


「……雑談はこれぐらいにして、そろそろここから脱出してあの悪魔を倒さなきゃな」

「何かいい方法を思いついたの?」

「賭けに近いけどな──」

 そうして俺が話した打開策は、荒唐無稽で、他人だよりのものだった。

「……なるほどね。わかったわ」

「……俺が言えたことじゃないけど、大丈夫か? イーラへの負担がだいぶ大きいと思うんだけど」

「今更よ。これぐらいの困難を乗り越えられなきゃ、ラエティティアの名前に泥を塗るわ」

 俺の問いに、イーラは自信満々に頷いた。

「──そっか。じゃあ、頼む」

 俺の左手──光が差し込むほうに向けた手に火のマナピュールが宿っているのを見て、イーラが顔を青ざめさせる。


「ちょちょちょ、ちょっと待って! あなたまさか──!」

「悪い──そのまさかだ」

 軽い謝罪と共に、俺の左手から魔力のエネルギーが放出され──

 爆音とともに、隙間の入り口を押し広げた。

 砕かれた瓦礫が崩れ落ち、盛大に土埃を上げる。


「──げほ、ごほっ! ……信じられない、力技すぎるでしょ!」

 むせながら、イーラが俺の背中をバシバシ叩いてくる。

「いった、いってぇ! あのまま白骨死体になるよりはましだろ!?」

「そうかもしれないけど……! ああもう、土塗れになっちゃった……」

 ぱっぱっぱとイーラが体についたホコリを払う。

「おっ、やっぱ死んでなかったか。あれを防ぐとは、大した奴らだ」

 さきほどと変わらない位置で、バーミニアが悠然と笑みをこぼす。


「今にその余裕を崩して見せるわ──よっ!」

 バーミニアをにらみつけ、イーラが床を蹴る。

「さっきと同じやり方かぁ? まあいい、付き合ってやるよ!」

 一騎打ちを持ち掛けられたバーミニアが乗る。……ここまでは想定通りだ。あとはイーラの魔力が残っている間に、俺の為すべきことを為す。

 祭壇の間の床に手を当てて、創のマナカルディアを発動する。この祭壇の間の全容と、周囲の地形が頭の中に描写される。

 正方形の部屋の周りは、当然ながら分厚い岩盤に囲まれている。だが──

 天井部の周りの岩盤は、他より薄い。

 これが地下深くであったら手詰まりだった。竪穴式の遺跡で助かった。

 ほっと一息をついて、創のマナカルディアを天井に向ける。

 崩壊させてはいけない。相打ちに持っていけるかもしれないが、この戦いで俺とイーラの未来を奪うようなことをしてはいけない。

 だから、俺は持てるマナのほとんどを使ってたった一つの穴──シルフィが通れるぐらいの穴をあける。

 ずいぶん久しぶりに思える陽光が、一条の透明な線となって俺の足元に差し込んだ。

 次いでかぼそい──けれど確かな風の息吹。


「きゃあっ──!」

「っ! イーラ!」

 俺が糸を手繰り寄せたのと同時に、向こうの戦況も動いた。

 バーミニアの魔法に襲われたイーラが床に転がる。

 一瞬、最悪の事態が脳裏をよぎったが、かすかに上下する体を見て、知らず安堵の息が漏れた。


「なるほどなぁ……弱えなりに考えたじゃねえか。天井に穴をあけて、そこからマナを取り込むわけか。風の精霊使いには、この状況は絶望的だもんなあ」

「……俺が精霊使いだって気づいていたのか」

「右手の紋章をみりゃあ一発でわかるだろ。俺達上位個体の『魔物』は、『父祖マスター』の知識を分け与えられているんだからな」

 顎を俺の右手に向けて、バーミニアが当然のように言う。

 魔法を自力で編み出すほどの知力は、そういった理由から来ていたのか。


「だが、残念だったなあ。その程度の風穴から流れ込んでくるのは微々たる風だけだ。風のマナの量もたかが知れている」

 バーミニアが真っ白な目を細め、赤い口角を上げる。

「お前の負けだよ、精霊と魔法のどっちつかず野郎。てめえの浅知恵じゃあ、俺をぶっ殺すことなんてできねえ」

 バーミニアは、心をやすりで削るように勝ち誇った顔で。

「お前は大好きなあのじじいの仇をとることもできずに、ここで無様に死ぬんだよ! 虫ケラみたいになあ! ははははははははっっっ!!」

 ゲラゲラと、文字通り悪魔のような高笑いを祭壇の間に響かせた。


「……知識を分け与えられたお前がそこまでの考えなしなら、お前らの『父祖マスター』も大した事ねえな」

「ははは──おい。てめえ、いま、なんて言った?」

 俺の言葉に、バーミニアは笑うことをやめる。


「ザコが……よりにもよって俺らの『父祖マスター』を侮辱したな?」

 それは、奴が初めて見せる──憤怒の表情だった。

「そうだよ。将来的にお前らの『父祖マスター』とも戦うことになると思うから、安心したよ。楽に勝てそうだ」

「ガキが……お前に将来も未来もねえ」

「あるよ。光り輝く、俺にとって一番大事な未来が」

 バーミニアの顔を見据え、俺は静かに言う。

 誰も彼もが、俺を誤解している。


 俺の願望は、未来は、魔法で大罪をおかすことでも、悪の魔法使いとして人々から隠れて生きることでも、ましてや師匠の仇に復讐をはたすことでもない。

「冥土の土産に聞かせてやる。俺の目標を。夢を。進む道を」

 イーラに語った俺の夢。日々焦がれ、憧れるのをやめられない大きな願望。


「──俺は、至高アポリュトの魔法使いになる」


「……なに?」

「魔法の知識を究めて、困難でも決して挫けず、人々に笑顔を与える魔法使いに……俺はなるって言ってんだよ」

「──ぷっ、ぎゃはははははははは!! おま、お前ごときが!? 神話時代のおとぎ話に!? 至高の領域に!? 俺達の父祖マスターすら至れなかった称号に!? なれるわけねえだろ、ガキがぁっ!」

 悪魔が腹を抱えて笑い転げる。

 それほどに、荒唐無稽な話。


 神代。人と精霊の他に、神が居た時代。

 至高アポリュトの魔法使いとは、人の身でありながら、神の座に上り詰めた一人の魔法使いのことを指す。

 彼の魔法は、荒れ狂う海を鎮め、竜巻をそよ風に変え、大地が吐き出した業火を飲み込み一つの石に変えたといわれている。

 その圧倒的な力で、彼は多くの人々を救い、導いた。

 ただ唯一の、絶対的な伝説。そこに俺も肩を並べたいだなんて、あまりにもおこがましい。

 それでも──魔法の神髄に最も近い者の称号は、どんな侮蔑も嘲笑も払いのけるほどに強く輝いている。


「いくらでも笑えよ。どうせお前は俺の活躍を見届けられないんだから」

「はっ──虚勢もそこまでいったら芸術だな」

 悪魔は尚も余裕そうに笑う。

「お前は俺の武勇伝の始まりのザコ敵にしか過ぎない。……だから、さっさと終わらせる」

「無理だな。お前はここで俺に殺されるんだから──」

「それに、お前だけじゃない」

 悪魔の言葉を遮り、右手を握りしめる。


「すべての魔物も、難攻不落の迷宮も、東の大悪魔も、北の魔王も──全部俺がぶっ潰す!!」

 右手の紋章が翡翠の輝きを放つ。同時に、俺の周囲に絶対的な暴風が渦を巻く。


 終始余裕そうだった悪魔の顔が、遂に焦りの色を浮かべる。

「──っ、な、何故だ!? あんなに小さな風穴で──!?」

「さっき自分で言っていただろ。僅かに風が漏れ出ているって。時間をかけてその僅かな風を集約させただけだ。精霊魔法の性質は、『操作』……お前も知っているだろ?」

 俺の説明に、悪魔の表情がはっきりと歪むのが見えた。

「なるほど、考えたな。俺との会話に乗ったのも、時間稼ぎの為だったってわけか……だが、それも全部無駄骨にしてやるよッッッ!」

 口角を吊り上げながら、悪魔が巨大な火球を放つ。

「──シルフィ!!」

「──待ちくたびれたわよ!」

 だが、俺の右手から飛び上がったシルフィが暴風の壁を築き、悪魔の魔法を消し飛ばす。


「まったく、紋章の中から見てたけど……随分と綱渡りだったみたいね?」

「うっせ。風のマナアネモスが足りないってへばっていたのはどこのどいつだ」

 でてくるや否や憎まれ口を言ってくる相棒に、負けじと言い返す。

「くそっ! あれだけのマナで俺の魔法を防ぐだと……!?」

 目の前の悪魔が驚愕の表情を浮かべる。

「その精霊……まさか上位のものか? 妄想癖のクソガキには不相応な化け物じゃねえか……!」

「は? あんた、今、アタシを上位精霊って言った?」

 慄きながらブツブツと呟く悪魔を、シルフィが睨む。

「アタシを、そんな格下と間違えるなんて……その真っ黒な瞳は見た目通り節穴なの?」

「──は?」

 ついに、悪魔が言葉を失った。


「上級精霊を……格下? ま、まさか……シルフィ──シルフィード!? お、お前! 精霊女王アネモスシルフィードと契約したっていうのかッッッ!?」

 悪魔の驚嘆が、洞窟内に響き渡る。

「ふざけんな、精霊女王だと!? 最古の精霊だと!? 神話時代の超常生物じゃねえか!? てめえ、とんでもない奴と手を組んだなッッッ!?」

「確かに、シルフィは今の俺にはもったいないくらいに強いな」

「精霊女王におんぶにだっこで、お前はそれでいいのか!? そんなんで至高アポリュトの魔法使いになれるわけがねえだろ!」

 痛いところを突いてくる。正直、それは俺の中でも悩みのタネだ。

 ──けれど。


「ちょっとアンタ。ウェントはこの私が認めた男なんだけど? 私の目に狂いがあるとでも──」

 反論しようとするシルフィを、手で制す。

「だからこそ、だ。精霊女王──神話時代の生き残り」

 そして──偉大な『聖銀の魔法使い』。

「そんなすごい人達が認めてくれたからこそ、俺は今の自分のことも、未来の自分のことも信じられるんだよ」

 たとえ、両親が見放しても。学校の皆に疎まれても。街で石を投げられようとも。

 道を突き進む覚悟を、持ち続けることができる。


「……ああそうかい。お前、底抜けの馬鹿なんだな」

 俺の言葉を聞き終えて、悪魔はその両手に蒼炎を宿す。

 先ほどのそれとは比にならないほどの強大なマナ。この一撃で、決着をつけるつもりなのだろう。

「これ以上、ガキのホラ話に付き合ってやる義理はねえ。──終わらせてやる」

「望むところだ──シルフィ!」

「まっかせなさい!」

 シルフィの威勢のいい一声と共に、俺の右手に風が渦巻き収束していく。風のマナアネモスを纏った、翡翠色の大風。

 それは少しずつ、けれど確実に、確実にエネルギーを膨らませていき──

 巨大な竜巻を形作って小さな空洞を震わせた。

「……すごい」

 部屋の隅っこで身を守っているイーラの口から、小さな声が漏れたのが聞こえた。けれど、そちらに気を向けることは出来ない。

 膨大な力は制御するだけでも一苦労だ。歯を食いしばりながら、汗が流れることもいとわず、俺は必死に風が暴れないように注意する。


「これが、精霊女王の力……っ!」

「……違うな。俺とシルフィの力だ」

 頭上に竜巻を構え、左手を添える。

 それを合図に、竜巻がその姿をえる。

 荒れ狂う力を洗練させ、無形の暴力は、意義のある武器へと進化する。

 顕現したのは一振りの大刃。絶対的な暴威をなんとか形に押しとどめた、不格好で、けれど翡翠石エメラルドの様に美しい剣


「クソが──死ね、『死双禍炎ケオス・フローガ』ッッッ!!」

 悪魔がその両手に宿る獄焔を放つ。唸り轟き迫り来る大火球を見据え、俺は一息にそれを──暴風の剣を振り下ろした。


「精霊魔法──『翡翠精の王剣シルフィード・アダマシス』!!」


 轟音と共にぶつかり合う炎と風。衝突の余波が空洞内を大きく揺らす。

「きゃあああああ──!?」

 イーラの悲鳴が聞こえた。……あとで謝っておこう。

 大火球と風剣の威力は互角──否、荒れ狂う風が燃え盛る業火を次第に押し返していく。

「くそ、くそっ、クソッッッ!! なんだこの力は!? なんだこのマナは!? なんなんだお前は!?」

「はぁあああああああああああああああッッッッッ──!!!」

 悪魔の言葉には答えず、全身に力を込める。

 風の大剣は火球を徐々に徐々に押し返していく。炎の熱は明らかに弱まり、輝きが力を失っていく。

「俺の、必殺技だぞ!? これであの爺も殺したんだッッ!!」

「っ! ……その口を、閉じろおおおおおおおおお!!」

 悪魔のその言葉に、一層大きな声を上げる。


 ──師匠、師匠、師匠!

 あの時、無知な俺が、非力な俺が、あなたを死なせてしまった。俺が居なければ、あなたは今も生きていたかもしれないのに!

 何度涙を流したか。何度天に向かって謝ったか。何度あなたの顔を思い嘆いたか。

 魔法を教えてくれた。世界を教えてくれた。歴史を教えてくれた。生きる道を教えてくれた。神秘の美しさを教えてくれた。

 この世でたった一人の、偉大な賢者。

 けれど……退屈な授業も、怪しい薬も、おかしな魔法も、くだらないことで笑いあった日々も──もう全て、戻らない。


 だけど、だけど──だからこそ!

 俺はあなたの死を足枷になんてしない!

 復讐劇の舞台装置になんてしない!

 悲しみに暮れるための道具になんてしない!

 消えることのない罪を、纏わりつく悔恨を、降ろすことのできない十字架を、最後まで背負っていくと誓ったんだ!


『──ウェント、至高を目指すのじゃ。強く、優しく、信念を持ったお前なら、きっとたどり着ける』


 あの時、あなたが信じてくれた俺のことを、俺もまた、信じたいと思ったから!

 師匠。アローサル師匠。

 だから──どうか、見ていて下さい。


「──ぁあああああああああああああああああああああッッッッッッッッ!!!!」

 絶叫とともに、『翡翠精の王剣シルフィード・アダマシス』を振り下ろす。嵐の剣が、悪魔の放った巨大な火球を斬り飛ばし、淡い火の粉を舞い上がらせる。

 まだ、竜巻は消えない。ガリガリと地面をえぐり続けている。目の前の敵を、確実に切り刻む時を待っている。

「ふッ──!」

「ふざけるなッ!? こんな、こんなガキに俺が──!?」

 喚く悪魔に向かって走り出し、両手を強く握りしめる。

 風が、大きく唸り声を上げた。


「──過去の後悔お前を越えて、俺は至高の魔法使い未来への道を行く!」


 振り上げた翡翠の剣が、悪魔の体に直撃する。

 竜巻が咆哮し、悪魔の真っ黒な体をズタズタに引き裂いていく。

「ッッッッッッッッ──!?」

 その肉体だけではなく、骨すら……血潮すらも切り裂いていき──。

 断末魔を上げることさえ許さず、悪魔を塵芥になるまで蹂躙し──。

 遺灰さえも吹き飛ばし、獲物を失ったところで──遂に、巨大な竜巻はその姿を消した。

 静寂。久しく聞いていなかった無音の時間が洞窟内を満たす。

 すべてが終わったあとの、緊張の残滓。聞こえるのは、風鳴りと、俺の荒い呼吸だけ。


 そしてその静寂は、小さな女王によって打ち破られた。

「──やったわね、ウェント! アローサルの仇、討てたじゃない!!」

 シルフィが興奮した様子で、目の前を飛び回る。

「アンタならやれるって信じてたわよ! あの時はギャンギャン泣いてて、『こいつもう駄目じゃね?』って思ったけど! やっぱりアンタはアタシの見込んだ男だったわ!」

「お前、もう少し浸らせろよ……ってか、あの時はお前も泣きじゃくってただろ……」

「今夜は祝勝会よ! 祝勝会!! 全身全霊で祝うわよ~~~!!」

「聞いてねえし……はぁ」

 緊張が途切れ、マナが枯渇した脱力感とともに俺はその場にへたり込む。見渡すと空洞内は数々の夥しい亀裂が走っていて、先ほどの戦闘の激しさを窺わせた。

 悪魔の姿は、どこにもなかった。あの耳障りな笑い声も、禍々しいマナも、完全に消え去っている。


 ようやく、心の中に勝利の二文字が浮かび、俺は洞窟の天井を見上げた。

 恩師の仇敵を討った。達成するのにだいぶ時間がかかってしまったが……それでも、空の上でアローサル師匠が見てくれている気がした。

「……アローサル師匠。俺、勝ちましたよ」

 誰にも──シルフィにも聞こえないぐらいの小さな声でそう呟き、俺は小さく拳を握りしめた。


 ────バシィッ!!


「いった、いったぁ!? おい、勝利の余韻に浸ってい……た……の……に……」

 後頭部を思いっきり殴られて振り向くと、そこにはイーラが仁王立ちしていた。

 綺麗な金髪はぐしゃぐしゃになっていて、服にはところどころ裂傷が入っている。まるで激戦を終えた後みたいだ。

 問題はそこではない。イーラの顔である。


「い、イーラ……そ、その、無事だったか?」

 もう、怒ってる。ものすごい怒ってる。

 こめかみの青筋がぴくぴくと痙攣。口元はなぜか引きつった笑みを浮かべている。背後に竜が宿ったんじゃないかと、思わず錯覚してしまった。

「ぶじ? 無事かですって……?」

 紅い瞳で俺を睨みつけ、イーラは肩をぷるぷると震わせる。

「無・事・な・わ・けないでしょおおおおおおおお──!!」

「ぐああああ!?」

 叫び、イーラが俺を押し倒し馬乗りになった。胸倉をガッと掴まれてガクガク脳みそを揺すられる。


「あなた、馬鹿なの!? 大馬鹿なの!? 世界一の考えなしなの!? 辞書で『馬鹿』って調べたらあなたの名前が出てくるわよ!! こんな狭い場所であんな大技を使うなんて…………使うなんてぇっ…………!!」

「あばばばばばばば、ちょ、ちょ、せ、世界が、世界がゆれるるるるるるる」

「なんとか避難したわよ。ええ、なんとかね。なのに、あなたの魔法、この部屋の外まで問答無用だったわよっ!!」

「あべべべべべべ、そ、そうだったんですねえええええええ!?」

「馬鹿力の突風に弄ばれる、乙女の気持ちも考えなさいよぉおおおおおおお──!!」

「わ、悪かったって!! ちょっとイーラのことが頭から抜け落ちてて……はっ、しまった!?」

 あ、地雷を踏んだと思ったがもう遅い。


 イーラの動きがぴたりと止まり……やがて「ふふふふふふ……」と、か細い笑い声が聞こえだす。

「……へぇ、ふぅん、忘れていたってわけね、私のこと。あんなに……あんなに協力したのにぃ……?」

「すみませんイーラさん。腰に提げてるレイピアに手をかけないでくれませんか? あの、心なしかマナがみなぎってきている気が……するんです……けど…………?」

 俺の体にまたがるイーラは、それはそれは良い笑顔を浮かべて──

「燃やすわ。──『焦がせ炎巨人の剣レーヴァンテイン』」

「し、シルフィいいいいいいいいいいいいい! 全力退避ぃいいいいいい──!?」

「はぁ……あほくさ」

 イーラの業火がうねり、俺の絶叫が洞窟内にこだまし、シルフィが呆れた様子でため息をついたのだった。

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