第19話 悪魔、再び
「っ──今の悲鳴は……!?」
「……たぶん、俺達より先に入っていった反魔法組織の人間だな」
遺跡の奥ということは──『プシュケの祭壇』がある。
直前までイーラと悪魔について会話していたせいで、『まさか』という意思が芽生える。
「……悪魔が現れたの?」
「……いや、十中八九魔獣が紛れ込んでいたんだろう」
「そう……だったら」
「助けに行かないとな」
『セルビトロスの森』の魔獣を相手にしてきた俺達であれば、並の魔獣では相手にならない。誰かを呼んでくるより、俺とイーラが向かったほうが早い。
そんなことを考えて駆け出すと、並走するイーラが少しだけ嬉しそうにしているのが見えた。
「……なんだよ?」
「別に。立派だなって」
「はぁ……?」
イーラの意味不明な言葉に首をかしげながら、俺は遺跡の最奥──『プシュケの祭壇』に飛び込んだ。
広くて簡素な部屋だった。入口から見て正面──部屋の中央には青銅で造られた祭壇が鎮座している。十段ほどの階段で囲まれていて、その上には人一人が入れそうな漆黒の箱。
「ああ! た、たすけてくれ……! あくまが、あくまが……!」
「神代の業が、我々に牙を……!」
視線の先で、地べたに座り込む男女五名がいた。入口でみた顔ぶれと人数で、死者は出ていなさそうだ。
内心で安堵の息を吐いて、近くの人間に近寄る。
「おい、なにがあった?」
「──お、お前はウェント・オールビィ! お前に伝える情報など、一つもない!」
「……はあ」
この状況で何を、と怒りを通り越して空虚な心持ちになる。よくよく見れば、目の前の男はこの前プルトスで演説の音頭を取っていたリーダー格だった。
俺がどうしたもんかなと悩んでいると、後ろから肩をたたかれ金髪の美少女が俺の前に出る。
「彼は私の協力者よ。反魔法組織プルトス幹部のラク・カーセウス、ここで何があったか教えなさい」
「あ、あなたはラエティティアの……!? なぜ、魔法使いのそいつと一緒に!?」
「今は、そういうの、いいから。事情を手早く簡潔に教えなさい」
「うぐぅ……はい……」
イーラに凄まれたリーダー格の男──カーセウスは、冷や汗をぬぐいながらちらちらと背後の祭壇に目を向ける。
「我々はこの遺跡に神代の魔法技術などという不埒なものがあると知り、押収しようとしていたのです」
そんな理由だったのか。俺の体目的じゃなくてよかった。
「そうしてこの部屋にたどり着き、我々はあの祭壇の上に棺があることに気づきました」
なるほど、祭壇の上にある箱は、言われてみれば確かに棺桶のようにも見えた。
「我々がそこに近づいた途端……棺から手が生えたのです! 慌てた我らは階段を転げ落ち、全員腰を床に打ち付けてしまったのです」
……思ったよりもしょーもない話だった。大事にならなかったのはよかったけれども。
「………………そう」
イーラもなんか微妙な顔になっているし。
ただ、『棺から手が生えた』という彼の説明は気になった。錯覚とか見間違えでないのなら、あの祭壇の上には必ず『何か』がいる。
「……イーラ。この人達を連れて避難してくれ」
「あなたはどうするのよ」
「あの棺を調べるさ」
「……そんな危険なこと、あなた一人にさせるわけないでしょ。私も残るわ」
「……はいはい」
こうなったら何を言っても無駄だと、この半年でよーくわかっている。
「カーセウス、部下達を連れて早くここを離れなさい」
「し、しかし……落ちた拍子に体を痛めてしまいまして……」
「──『
俺はため息を吐きながら、ゴネるカーセウスとその下っ端達に光の回復魔法をかけてやる。
「──なっ、ウェント・オールビィ……! 我々に魔法を使ったのか!?」
「これで痛みはひいただろ。早く離れろ」
「き、きさま……! 我々を虚仮にしおって……!」
「どうでもいいから、早く行きなさい!」
「はっ、はいぃ!」
イーラの一喝で、カーセウスは部下の元に脱兎のごとく駆けていった。
「……二年前の、あなたの気持ちが少しわかったわよ」
「わからなくていいよ」
憮然と言うイーラの肩をぽんっと叩いて、俺は頭上のシルフィに声をかけた。
「シルフィ、なんか嫌な予感がする。今日はお前に力を借りるかもしれない」
「……無理よ」
それまでずっと黙っていた精霊女王は、消えそうな小さな声をこぼした。
「……無理って、どうしたの? おなかでも痛いの?」
「ちがうわよ! ここは密室だから、
「……え、どういうこと?」
「ああ、精霊魔法の性質は『操作』だからな。その精霊が司るマナがないと…………っ!」
とんちんかんなことを言うイーラにシルフィが声を荒げ、すっかり説明し忘れていた精霊魔法について教えようとしたところで。
──俺は、既視感に背筋に悪寒が走るのを感じた。
悪魔──風のない場所──街の近く──それらの状況は、二年前のあの日に酷似していて。
俺が自分の馬鹿げた推測を否定しようとしたとき。
祭壇の頂上から、忘れられないマナがほとばしった。
「……うそ、だろ」
「なに、この嫌なマナの感じ……!」
隣のイーラが戦慄する。彼女には初めての経験だから、そうなるのも無理はない。
俺だって、二度と味わいたくなかった。
マナは凝縮していき、その間に棺桶は粘土のようにその漆黒のからだを変えていく。
「シルフィ、紋章の中にいろ! ──『
右手にシルフィを非難させ、左手に纏った稲妻を祭壇の上にめがけて放つ。空気を切り裂いた魔法の稲光は、狙い違わず棺桶だったものに直撃した。
「真横でいきなり魔法を撃たないでよ、びっくりするでしょ!」
「緊急事態だ、許せ」
舌打ちしそうになるのを堪え、俺は祭壇を睨む。
イーラが怒ったからじゃない。魔法が直撃したにもかかわらず、禍々しいマナが一向に消えないからだ。
「イーラ。今は何も言わず、俺から離れて、カーセウス達の非難を急いでくれ。なるべく早く戻ってきてくれると助かる」
「わ、わかったわ!」
イーラが駆けていく音を聞きながら、俺は『プシュケの祭壇』から目を離さない。
悪魔を召喚するための祭壇、か。そこから『悪魔型』の魔物が出てくるのは、何の因果なんだろうな。
やがて──
「──おいおい、そんなにうるさくしなくても起きるっての」
それは──その生物は、俺の記憶となんら変わらない姿で目の前に現れた。
三本の角。体毛の無い真っ黒な体。不気味なほどに真っ白な両目。
「お、なんかみたことある顔だなぁ……おまえ、あの時のザコガキか」
「おまえ、は……!」
そして──胸部中央に、首の無い夜鷹の赤い紋章。
「大きくなったなぁ。あのじじいに守ってもらったのに、また俺と会っちまうとは運が悪い奴だ」
激情が、全身を駆け巡る。はらわたがぐつぐつと煮え滾る。
忘れない。忘れるわけがない。
その禍々しいマナも、異質な姿形も、軽薄な声音も、奴の名前を忘れたことは──この二年で一度もなかった。
「バーミニア……っ!!」
「おおう、俺の名前を覚えてくれていたのか。嬉しいぜ」
真っ赤な口をつりあげて、バーミニアが祭壇から飛び降りる。
「……生きていたのか」
「ああ? ……ああ、あの場所にいなかったから知らなかったのか。あの爺はぶっ殺したんだがな、思ったよりも傷を負わされたんでここで回復していたんだよ」
「っ……」
「ここはなんか知らねえが、マナの質が俺にあっているからな。それでも無くなった半身を回復させるにはかなり時間が必要になっちまったが」
「…………」
「そんな顔すんなよ、こええなぁ……しっかしお前、背が伸びたな? あれからどれぐらい経ったんだ?」
「……二年だよ」
親戚の人間みたいにきさくに会話を続けるバーミニアに、俺は静かに答えた。
「はっ! 二年! 二年も俺は眠っていたわけか!! それは予想外だ! もう少し早く目覚めるつもりだったんだがなあ!」
「……お前の事情はどうでもいい」
知りたいことは知れた。こいつがここにいる理由はわかった。
なら、もうこの『悪魔型』に用はない。
「──死ね」
短く告げ、俺は再び『
「へぇ」
「っ!」
だが、俺の魔法をバーミニアは涼しい顔で受け流した。壁に稲妻がぶつかり、轟音を上げる。
「──この二年で、ずいぶんと『魔法使い』らしくなったじゃねえか」
余裕そうな態度は崩さず、バーミニアがその手に炎を宿す。
「だが……死ぬのは、お前だ」
膨大なマナを伴って放たれる巨大な火球。
──それは、俺の背後で部屋を出ようとしていたカーセウス達に向かっていった。
「くっ!?」
そばにいたイーラが剣で防ごうとするが、それも間に合わないだろう。
「『
「ひぃいいいいいいっ!?」
カーセウスに当たる直前、土の防壁を張ってそれを防ぐ。
カーセウス達が情けない悲鳴を上げながら走り去っていくのを尻目に、バーミニアはおかしそうに口角を釣り上げた。
「……へえ、お前『も』弱者を守るんだな」
「そういうお前は、今回も弱い奴から狙うんだな」
「ザコはさっさと潰す主義なんだ」
バーミニアの周囲に火球が現れる。大きさはこれまでのどの魔法よりも小さいが、数が比にならないほどに多い。
恐らく──バーミニアが独自に生み出した魔法。
「『
バーミニアが手を振り上げると同時に、無数の炎弾が飛来する。
「『
暴風を駆り、部屋の中を縦横無尽に駆け回る。
「ハハッ、いいねえ! こういうのを人間は『狩り』って言うんだろうっ? 楽しくなってきたぜぇ!」
バーミニアは高笑いをあげながら魔法を次々に放つ。若干の追尾性能があるのか、炎弾はしつこく俺を追い回し長い時間をかけてから着弾する。
(かなり精神を削られるな……)
だが、それでも焦ることはない。
俺を見据えているバーミニアは、現在は入り口に背を向けていて、伏兵に気づいていない。
(頼むぞ、イーラ)
入口から剣を抜いて駆ける金色の影。
「あぁ?」
バーミニアが彼女のマナと気配に気づき、振り向いた時。すでに剣の間合いに入っていた。
「『
放たれたのはラエティティア家の奥義。
半年の特訓の成果で、高効率かつ短時間で放つことが可能になったイーラの努力の結晶。
イーラの全身の何倍にも伸びた炎の刀身が、呆気にとられているバーミニアの体を呑み込んだ。
業火が燃え盛る中、魔法を操ってイーラの横に着地する。
「イーラ、いい奇襲だった」
「ありがと。カーセウス達の非難は完了したわよ」
「お疲れ」
「それで……あの魔物は、二年前にあなたとアローサル・アルゲントゥムを襲った『悪魔型』で間違いないの?」
「ああ、間違えるはずもない。あいつが──師匠を殺したんだ」
いますぐに薄ら笑いが張り付いた顔面を殴ってやりたい。
「……ここからは私も協力するからね」
「……ああ、頼む」
イーラ自身もわかっているのだろう。
先ほどの攻撃では、バーミニアを倒せていないことに。
それを証明するかのように、業火が切り裂かれバーミニアが悠々と現れた。
漆黒の体には巨大な傷が刻まれているが、次第に再生されていく。
「あんなのアリなの?」
イーラが辟易したようにつぶやいた。
「なるほどなぁ……良い炎だったぜぇ。小細工ばかりのそっちのガキよりも俺好みだ」
「あら、ありがとう……でも、あなたは好みじゃないの。人間になって出直して?」
「はははっ、気の強い女は好きだぜぇ。殺し甲斐があるからなあ!」
バーミニアの魔法を放つ予備動作を見て、俺達はそれぞれ地を蹴って走り出す。
「私が前衛!」
「頼んだ!」
俺とイーラが短い言葉を交わすと同時に、バーミニアの火球がイーラに放たれた。
「『
炎を纏ったイーラのレイピアがバーミニアの魔法を切り裂き、衝撃波とともに煙が上がる。
「シッ──!」
煙をかき分け、イーラがバーミニアとの距離を詰め、再び奥義を発動する。
「『
「『
バーミニアが炎を抱え込みながら手を振り上げ、生まれたのは紅炎の壁。轟音とともに『
再び煙幕が生まれて視界が塞がれるが、これでいい。
マナを魔力に変換し、煙の向こうに居る凶悪なマナの発生源にねらいを定める。
目の前で魔法が構築され、逆巻く暴風の大槍が現れる。
『
そして今から使うのは、最も威力の高い魔法だ。
「──『
嵐の大槍が、周囲の煙を晴らす。視界の先には──宿敵の無防備な背中。
「っ──!」
イーラに気をとられていたバーミニアが、俺のマナに気づいて振り向こうとするが、もう遅い。
「食らいやがれ──っ!」
轟音とともに空気を切り裂いて、『
余韻の風が頬を叩くのを感じながら、俺はイーラとともに祭壇の近くに陣取った。
「手ごたえは?」
「あった……ただ、イーラの『
「そうね……」
バーミニアに対しては、過度な期待をしてはいけないともう嫌というほどわかっている。
そんな俺の胸中に答えるように、祭壇の間の中央から高笑いが響いた。
「はっははははは……! いい魔法じゃねえか。敵を殺すことに躊躇がないのもいい。ガキ……お前、強くなったな」
「……お前に師匠面されたくねえよ」
舌打ちを交え、バーミニアの軽口に返す。
予想通り、奴は軽症だった。防御をしたとは思えないし、魔物には元来防御魔法のようなものが組み込まれているのだろう。
そして、俺の最大魔法で与えた傷も、たちまち治ってしまう。
「……やっぱり、今の俺の力だけじゃあ、ダメなんだな」
心のどこかで分かっていた。師匠が負けた存在に、今の俺が勝てるわけがないと。
「お、もう諦めるのか? 案外楽しめたから名残惜しいけどなぁ……」
「…………」
バーミニアを倒す方法は──ある。だが、それをやるにはこの洞窟を崩壊させるか外に出るしかない。
前者はこちらが生き埋めになる可能性が高い。後者は無関係で無力な人々を巻き込んでしまう。
「だんまりか……じゃあもういいわ」
ボッ、とバーミニアの両手に炎の火球が生まれる。
これまで奴が使ったどんな魔法も凌駕する膨大なマナ。
「これを使うのは、俺が認めた奴だけなんだぜ。そのことを誇りながら──死ね」
火球の熱量が増す。赤から青にその色を変える。
「っ、イーラ! 相殺を──」
「──、『
「無駄だ──『
バーミニアの両手から凶悪な魔法が放たれる。
イーラが剣を振るうが、桁違いの出力の前になすすべもなく押し返される。
俺は防御魔法を、二人を取り囲むように発動し──
直後、いままで経験したことのない衝撃が全身を襲った。
「きゃああああ──!」
「くっ──」
なすすべなく体が吹き飛ばされ、もてあそばれるように空中を浮遊する。
次いで、背中に激痛が走った。同時に何かが崩壊する音。
背後にあった祭壇が、ぶつかった拍子に崩れたのだ。
「ちっ──!」
とっさに上を見上げると、俺の頭を優につぶせそうな瓦礫が降ってきた。それを皮切りに、崩壊した祭壇の残骸が雨あられのごとく降り注ぐ。
「『
かつて、師匠が俺を守ってくれた魔法を、俺とイーラを守るために使う。
光でできた見えない壁の向こうで、瓦礫の滝と──勝ち誇ったように笑うバーミニアの姿があった。
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