しがらみ切り

不二川巴人

しがらみ切り

「あの、申し訳ないのですが、リボンの結び方を教えて頂けませんか?」

 ギフトショップで、所用のためにプレゼントを買ったレジで、若い女の店員が、情け無さそうな顔で、俺に言ってきた。

「はあ?」

 思わず俺は、ぽかんとしてしまった。おいおい、ここはギフトショップだろ? ラッピングで、リボン結びぐらい出来なくてどうするんだ?

「お願いします……」

 困り果てた顔の店員。胸には、『研修中』の札があった。多分だが、ヘタに先輩なんかにヘルプを頼めない状況なんだろう。かなりのドジっ子と見た。

「はあっ、分かりましたよ」

俺は、溜息をついて、その見習いちゃんの前で、リボンのちょうちょ結びを披露してやった。

「わあっ、ありがとうございます!」

 ぱあっと顔をほころばせる見習いちゃん。色々おかしい気もするが、何だか良いことをしたような気分だった。

「またのご来店をお待ちしております!」

 挨拶だけはハキハキと、見習いちゃんが俺を送り出す。あの子の『研修中』の札が取れるのは、いつのことだろう? とか思いつつ。


 ふうっともう一度軽く息をつき、自分でラッピングしたに等しいプレゼントを持って、さらに歩く。


 俺は、とある大企業の社長の一人息子、いわゆる御曹司だ。と言っても、割と最近まで平凡な暮らしをしていたのが、実は母親が社長の愛人で、俺はその、平たく言えば隠し子であることが判明した。


 本当の父親の家は後継者不足に悩んでいて、苦肉の策で俺を認知し、あれよあれよという間に、次期跡取りの座が転がり込んできたというわけだ。


 生活は一気にリッチになって、思わぬ所での結びつきも増えたんだが、面白くない事の方が多すぎる。


 その一つが、今、目的地に向かっている理由だ。御曹司様の将来は、本人の意志を反映しないらしい。最たる例が、結婚だった。


 ある日突然、見合い写真を持ってこられたと思ったら、ちょっと見ただけで、もう決定していた。いわゆる、政略結婚って奴だ。そんなもの、歴史の授業の中でしか知らなかったのに、まだあったのかって感じだ。今も、その相手のご令嬢とのデートに向かう最中で、ちなみに、明日がもう結納だったりする。


 いろんな身内から言われた。「お前の身の振り方で、二つの会社の将来が決まる」と。こっちとしては、そんなオトナの結びつきなんぞ知ったことかと言いたいんだが、だだをこねて拒めるほど子供でもないつもりだ。


 ただ、責任感を感じてはいるものの、日々、苛立ちを感じずにはいられない。最近、その苛立ちが極まりつつあった。解消できないところが、いっそうたちが悪いんだが、不満を見せると、余計なところでこじれることも知っている。


 どんっ


「おっと!?」

 考え事をしながら歩いていると、誰かにぶつかってしまった。相手は壮年の男性で、サングラスを掛けていた。ここだけ取り上げれば、厄介な相手かなとも思えるんだが、そうじゃなかった。

 男性の手には白い杖が持たれ、こつこつとアスファルトを叩いている。どうやら、目が不自由らしい。

「すみませんでした」

「ああ、いえいえ、お気になさらず」

 率直に詫びる俺に、男性は柔和に微笑んだ。

 そこで俺は、男性の足下に目が行った。ぶつかった拍子にだろうか、男性の革靴の紐が、片方ほどけていた。

「あの、靴紐がほどけてらっしゃいますよ?」

 俺が言うと、男性は困ったように返した。

「そうですか……しかし、私はご覧のように目が見えませんで」

 このままこの人を放置して、途中で靴が脱げたりしたら、もっと大変だ。

「ちょっと、そのままでいて下さいますか? 俺が結んで差し上げます」

「それは有り難い。お願いします」

 俺は、さっき買ったプレゼントを道に置き、かがみ込んで彼の靴紐を結び直した。

「できました」

「おお、ありがとうございます」

「お気を付けて」

「ええ、失礼します」

 ぺこりと頭を下げて、男性は去って行った。またちょっと、良いことをしたような気分になる。


 再びプレゼントを手に歩いていると、ふと、道ばたに、黒い毛糸玉が落ちていた。

 何でこんな所に? と思いつつ、見てみると、玉から一筋糸が伸びている。

 誰の持ち物だ? 訝しみつつ糸の先をたどってみると、その先には、男が数人、あやとりに興じていた。

「(おいおい、いい大人が道端であやとりかよ……)」

 その情景のシュールさに、俺は思わず、ぷっと吹き出してしまった。だが、すぐにその冷笑は引っ込んでしまった。側には、黒塗りの車があって、連中の服も黒いスーツだ。

「(この連中には、心当たりがあるぞ……)」

 確か、親の会社と繋がりのあるヤクザ連中だ。怖くなって、俺は、毛糸玉を放り出して逃げた。跡を継いだら、あんな奴らとの結びつきまで継承することになるのか。個人的にはまっぴらごめんなんだが、そうも言ってられないところが全く辛かった。


 やがて、つまらないデートが終わった。別に、相手のご令嬢は不細工じゃないというかむしろ美人だし、性格もいいとは思う。俺を嫌ってる様子も無い。普通なら、嫁にもらえれば万歳してもおかしくない。ただ、お偉いさん達の将来の結びつきという都合だけで、強制的な結婚となると、とても素直に喜べたものじゃない。


 俺には、自分の素性が明らかになる前から、ほのかに好きだった幼なじみがいるんだが、最近、彼女がやけに冷たい。あんなに仲が良かったのに、と振り返りはするが、あれよあれよで俺とご令嬢との結婚が決まって、諸々が動き始めてしまったら、そりゃあ素っ気なくもなるだろう。はあっと溜息をついても、誰も同情なんてしてくれない。


 さらに帰り道を歩いていて、神社の前を通った。地元の小さい神社だが、縁結びの神として、それなりに人の集まる所だ。目立つところに、一対の狛犬が鎮座しているんだが、ふと、そのうちの一体がしている前掛けが、ほどけかかっていることに気づいた。気になる。

「なんか今日は、結んでばっかりの気がするな……」

 独り言を言いながら、俺は、狛犬の前掛けを、きちんと結び直した。そのまま、なんとなく境内を見渡す。願掛けの絵馬が、たくさん釣ってあった。見るともなく眺めていると、ぞわっと寒気がした。何事かと思うと、腰のあたりに、黒い毛糸が一筋くっついていた。どこで紛れ込んだのかは知らないが、あのヤクザ者連中が思い起こされて、いい気分はしない。俺は、腹いせに、その毛糸を絵馬に並べて結びつけた。縁があるように、ではなく、切れるように願いつつ。

「うん?」

 境内から出ようとして、足が何かを蹴った。毛玉のような感触だ。地面を見ると、今度は赤い毛糸玉だった。

「何でこんな所に?」

 そう思っていたら、突然スマホが鳴った。

「もしもし? ……えっ!? ちょ、マジですか!?」


 それは、幼なじみの彼女が交通事故に遭ったという知らせだった。なんでもひどい怪我で、意識不明らしい。電話の要件は、俺に彼女の側へ付き、励ましてやって欲しいという、彼女の親御さんからの哀願だ。


 駆けつけたところで、彼女がすぐに目覚める保証なんてない。だが、放ってもおけるはずがない。俺が行かないと、彼女の命が危ないんだ。だが、行けば結納を欠席になり、先はない。


 幼なじみの命と、将来の結びつきと、どっちを選ぶ? 迷ったのは一瞬だった。


 ――数日後の病室。彼女の意識が戻った。

「あ……いたんだ」

「おう」

 交わす言葉は少ない。だが、それで十分だ。穏やかに、お互いじっと見つめあっていると、ある異変に気づいた。

 彼女の、左の小指。そこから、赤い糸が伸びていて、先が、俺の左の小指と繋がっていた。

「なあ、この指の糸……なんだ?」

「え? なんのこと? 何もついてないけど? それより、糸と言えば……色々、切れちゃったね。私のせいで。ごめ……」

 謝ろうとする声を遮って、俺は言った。

「別にいいさ。後悔はない。むしろ感謝してる」

「ふうん……」

 かすかに笑う彼女。俺にしか見えない赤い糸が、ふわふわと、だがしっかり彼女と結びついていた。


                                ――了

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しがらみ切り 不二川巴人 @T_Fujikawa

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