芋煮こと始め -大崎合戦秘史-

新巻へもん

牛か豚か、味噌か醤油か

 出羽国山形城の一室にて二人の男が向かい合っていた。

「殿。こたびの戦はお味方有利。わざわざ陣頭に出られることもございますまい」

 声をかけられた色白で大柄な男は手にした鉄棒をびゅっと振り東の方角を指す。

「そうは言うがな。守棟もりむね。あの眇目の小童に一泡吹かせるいい機会ぞ。義兄を粗略にするなとあれほど申したに、それを無下にしての出兵。図に乗り過ぎておる」

 髪に白いものが混じる男は両手をついた。

「別にそのことを御止めしようとしようとしているのではござらん。それがしは殿が出るまでもないと申し上げております。越後の上杉勢にも動きがござれば、御屋形様にはこの城にあって後方より督戦頂きたく存じます」

「いや、儂が出た方が兵どもの士気もあがるというもの」

 宿老の進言ではあったが逸る義光よしあきを押さえられるものではなかった。身の丈衆に優れ力自慢の男である。

 戦で一騎打ちを演じ守棟に小言を言われるのはいつものことだった。

 重臣の氏家守棟は最後に一言だけ釘を刺す。

「あまり追い詰め申すとお義さまが出てまいりますぞ」

「なに。儂も今では最上家の当主ぞ。あくまで、お義とのことは私事。情にほだされることなどないわ」

 強弁する義光だったが、聞かされた方もあまりその言を信じてはいない。

 この義光という男は先代の義守との父子相克を乗り越え当主となったせいか、戦国の世の武将としては、家族の情が非常に濃い。

 こたびの戦も妻の懇願を受けて義兄大崎義隆を支援するためのものであり、今年七つになる娘は目に入れても痛くないほど溺愛していた。

 二歳年下の妹であるお義が伊達家の輝宗に嫁いでからも文のやり取りは続いている。先ほど小童呼ばわりした相手がそのお義が生んだ伊達家の現在の当主政宗だった。

 

 伊達領に勇躍して乗り込んだ義光だったが、本格的に兵を動かすつもりはない。

 全方位に喧嘩を売りまくっている甥が身動きが取れなくなって詫びを入れてくれば、受け入れるつもりはある。

 伊達家からの和睦の使者を直接引見し、留飲を下げようという心づもりだ。

 それで自慢の鉄砲隊も引き連れてきていたが、後方に控えさせ、小競り合いに終始していた。

 山の中腹にある原の両側にお互いに柵を構えてのにらみ合いをしていたある日のこと、両軍の間にある野原に女物の輿が乗りつけられた。

 夏を迎えつつある木々の深い緑の中で朱塗りの長柄はよく目立つ。

「殿あれは?」

 近習に声をかけられた義光は既に渋い顔になっている。

 こんなところに乗り込んでくる酔狂なおなごといえば思い当たる人物は一人しか居ない。

 供周りの者が戸を引くと輿の中から現れた女性がすっくと立つ。義光の妹で政宗の母である義姫だった。相別れて長年の月日が経っていたが、その面影は忘れようが無い。義光は一目で妹と認めた。

 凛とした声が固唾を飲む両軍に響き渡る。

「最上、伊達両家の方々、長きに渡る対陣ご苦労に存じます。本日は陣中見舞いに参りました」

 その間にも供周りの者が鼎をいくつも据え何やら煮炊きの準備を始めていた。

 あらかじめ下ごしらえをしてあったのだろう。早くも風に乗って戦場に場違いな美味そうな匂いが漂い始めていた。

「さあさ。両家家中の皆々方、妾が馳走いたしましょうぞ」

 両軍の将兵もあっけに取られて声も出ない。確かに戦意高く刀剣を交わしていたわけではないが、戦場に乗り込んできて敵味方に料理を振る舞おうという奇行を目の当たりにすれば声が出ないのも無理は無かった。

 両軍ともに動けない中で義姫の声が響き渡る。まずは背後を振り返った。

「妾はそなたらの主君の母ぞ。ならば、そなたらの母も同然。その母がこしらえたもの、遠慮せず食すが良かろう」

 暗に、食べねば主命に背くに等しいと脅しあげる。

 次いで最上勢を見渡し、本陣とあたりをつけた辺りに声を張り上げた。

「兄上。そこに居られるのでしょう。この義がこしらえたもの、まさか召し上がらないということは御座いますまいね?」

 守棟が懸念したように義光はこの妹にめっぽう弱い。うむむと唸り声をあげて彼方を睨んだ。

 山中での戦ということで雑兵足軽どもはろくなものを食べていない。漂ういい香りにまずは伊達家中の者が刀槍をおっぽり出して鼎の周りに群がった。

 よそわれた椀の中には里芋のほか、人参、葱、牛蒡に獣の肉が入っている。笹の葉にくるまれたものを開ければ、握り飯に蕗の薹など山菜を煮つけたものが添えられていた。

 たちまちうまい、うまいの声があがる。

 それを見ていた最上勢の足軽たちは一斉につばを飲み込んだ。さすがに主君が見ている前で戦線離脱をするわけにはいかない。

 いくつもの視線を浴びて義光は焦りを覚えた。目の前で伊達勢が旨いものを食べているのに、自軍はお預けということになれば士気にかかわる。

 かといって、丸腰の敵を討てと命ずるわけにもいかぬし、なにより、妹に害が及んでしまうことを避けたかった。

 そんな兄の胸中を知ってかしらずか、義姫は供周りも連れず一人で最上の陣に乗り込んでくる。

 手にした盆の上には湯気をあげる椀と山盛りの握り飯、焼いた塩鮭などが乗っていた。

 義光の前まで進むとにこりと笑いかける。

「兄上お久しゅうございます」

 こうなると義光に対抗する術はなかった。握り飯を頬張り、椀の中のものを口にかきこむ。

 憎いことに相変わらずの美味さだった。

 義姫が輿入れする前に、手ずから義光に振舞った『お義の芋煮』の味だ。獣の脂の旨味と柔らかな芋の舌触りが混然一体となって攻め寄せる。

 そして、好物の鮭を用意してあるところが小憎らしい。握り飯がいくらでも腹に収まってしまう。

「今日は戦はやめじゃ」

 義光の声がぼそりと漏れると最上勢も武器を捨てて鼎に殺到した。

 明日は知らぬぞ、とつぶやく義光に義姫は艶然と微笑みを見せる。

 その意味は翌日すぐに明らかになった。

 その場に居座り続けた義姫は、なんとその後八十日間も芋煮を振る舞い続ける。両軍にはすっかり厭戦気分が漂ってしまい、戦は結局手打ちとなった。


 こうして、現在の山形市と仙台市を中心とした地方に、屋外で芋煮を食するという風習が根付くことになる。

 その後、調味料の発達と牛を食する文化が西洋から広まったことにより、醬油味か味噌味か、牛肉か豚肉かの新たなが起きるようになった。

 口角泡を飛ばす論争を呼ぶ芋煮が、元は争いを収めるための策であったことは時の彼方にうずもれ、わずかな郷土史にのみ収められている秘話である。

 

青葉社刊『芋煮の知られざる歴史』より


-完-



 

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