第38話【完結】

 ……だが、できなかった。


 先程の奇怪な叫び声を聞いて駆け付けた兄さんが、ルドウィンの首根っこを掴み、片手で持ち上げたからだ。その圧倒的な腕力にルドウィンは怯え、「な、な、な、何をする……っ」と、弱々しい声を上げることしかできない。彼が暴力を振るえる相手は、か弱い女性だけのようだ。


 兄さんは、ちょっとだけ意地悪な笑みを浮かべ、言う。


「お客様、城内での騒動はご遠慮ください。お帰りはあちらです」


 そして、ルドウィンをテラスの外に放り投げた。

 軽いルドウィンの体は、まるでボールのように宙を舞い、ちょうどいい位置にあった水路の中に、派手な音を立てて突っ込む。何事かと集まって来た警備兵たちに、兄さんは毅然と指示をした。


「あれは、聖騎士団長官閣下に狼藉を働いた不埒ものだ。つまみ出してくれ」

「はっ、承知しました! さあ立て、狼藉者。こんなめでたい日に長官殿にご迷惑をかけて、なんてみっともない奴だ」


 警備兵たちの中でもひときわ大きい、屈強な青年に引っ張り起こされて、びしょ濡れのルドウィンはもぞもぞと弱々しく暴れながら、喚いた。


「やめろぉ、触るなぁ……! 僕は、いずれ聖騎士団長官の夫になる男だぞぉ……!」

「めそめそ泣きながら、何言ってるんだこいつ? 酔ってるのか? 戯言にもほどがある」


 呆れ顔でため息を吐く警備兵たち。

 兄さんも、彼らに倣うように溜息をもらしてから、淡々と言葉を紡いでいく。


「陽気のせいで、分不相応な夢を見て、おかしくなってるんだな。一発か二発、こめかみのあたりを叩いてやれ、それで身の程を悟り、正気に戻るだろう」

「はっ、ただちに。……おい、貴様、いい加減に黙らんか!」


 警備兵は、分厚い手のひらでルドウィンのこめかみを二度叩いた。空っぽの箱を叩くような軽妙な音が聞こえた後、ルドウィンはやっと静かになった。


 私は苦笑しながら、兄さんに言う。


「ちょっといじめすぎたんじゃない?」


 兄さんは悪びれもせず、ふんすと腕を組んだ。


「むしろ手加減してやった方だと思うけどね。あいつは、俺の愛しい人をたぶらかし、傷つけた男だからな」

「愛しい人って? 誰のこと?」


 私は、分かっていて、あえて聞いた。

 兄さんの口から、その『愛しい人』の名を聞きたかったのだ。


 兄さんははにかみ、自身の頬を人差し指でかきながら、言う。


「わざわざ言わせるなよ。ローレッタ、お前に決まってるだろう」

「うん……」


 私と兄さんの間にあった、婚約者ルドウィンという障害は、いなくなった。なんだか心の重荷が消えたような気分であり、これからは、今までより自分の想いに正直に生きられる気がする。


 今日から、私と兄さんの関係は、決定的に変化していくことだろう。


 だって、兄さんが私を『愛しい人』として想ってくれているように、私もまた、優しく頼もしい兄さんのことを、『愛しい人』だと認識しつつあるのだから……


 私は何気なく、天を仰ぐ。


 王城の真上に広がる青空は、私の心を映したかのように晴れ晴れとし、どこまでも爽やかだった。




終わり




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 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


 本日から新作『なんでも欲しがる妹が婚約者まで奪おうとするので、思い切ってくれてやることにしました。私は彼の執事と添い遂げます』を投稿しておりますので、よろしければ見てもらえると嬉しいです。

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聖女をクビにされ、婚約者も冷たいですが、優しい義兄がいるので大丈夫です 小平ニコ @n_kodaira

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