ドクターヘリは甲虫 🚁
上月くるを
ドクターヘリは甲虫 🚁
頭上を爆音が近づいたかと思うと、フロントガラスに巨大な昆虫が迫って来る。
あざやかな赤と青、丸い甲虫のようなドクターヘリが病院の屋上に舞い降りる。
山間地の急病人か山岳遭難か、いずれにせよ重症患者が運ばれて来たのだろう。
さすがはプロ、信号をふたつ待つあいだに、もう西の空へ向かって飛び立った。
停車している車のすぐ横を、ミニスカートの娘が軽やかな足取りで歩いて行く。
青信号の横断歩道を、緑の帽子の園児が20人ほど、手をつないで渡って行く。
いまこの瞬間にも瀬戸際で闘う命と、生きるよろこびを謳歌している命と……。
それが日常であることの厳粛な重みを、遠ざかる爆音に重ねている初老の音子。
🎠
真っ直ぐな棒になって床に沈んでゆくと、目の前にピンク色がアップして来る。
沈みきって上がり始めると、古いスマホやkindle、リモコンなどが見えて来る。
一、二、三、四……脳裡でカウントしながら沈んでゆくと、ふたたびピンク色。
体勢を崩さないよう細心の注意を払いながら上り始めると、またデジタル機器。
10年前、末っ子と思っていた犬が他界してから、広い二階家が急に怖くなった。
根はビビりだが見た目は強そうな相棒は物音に「ウウーッ」と言ってくれたので。
ワンルームのコンパクトな平屋に建て替えたとき、物入れまでスケルトンにした。
自然、整理整頓が習癖になり、生活感の薄い不思議な家が終の棲家になっている。
朝のプッシュアップのとき、目の前を通り過ぎてゆくのがスケジュール帳の束で、そのつど、捨てようか、遺品とされてもアレだしね……複雑な思いがよぎってゆく。
📚
わたし、ふつうの主婦のままでいたかったな……いまだに思う。(´;ω;`)ウゥゥ
ハナから向いていなかったのに、やむを得ない事情で引き受けざるを得なかった。
冒頭のドクターヘリに心をかき乱されたのは、よく似た状況(泥酔して熱い温泉に入った伴侶が遠隔地から救急車で運ばれた💦)が自分の人生を一変させたからだ。
年に1冊ずつのスケジュール帳には、そんな哀歓がぎゅうぎゅうに詰まっている。
といっても約束の相手、時刻、会場など事務的な文字が並んでいるだけだが……。
おもしろいもので、事業がうまくいっていた時期は、筆記スペースのたっぷりあるA5判を使っていたが、会社解散前の数年は手の平サイズの最小判に変わっている。
ただひとつ統一されているのは、すべての表紙が淡いピンク色ということだけで、こう見えて、わたしも気持ちの上では女性だったんだ……われながら可笑しくなる。
📝
顧客との約束、取引先との打ち合わせ、銀行へ融資の依頼、社内外の行事……他者が見ても何の関心も呼ばない、意味すら不明の数十冊、残しておこうか捨てようか。
毎朝の惑いを解消するには、さっぱり処分する、見えないように包装して仕舞う、別の場所で筋トレを行うなどの選択肢がありそうだが、どれもイマイチに思われる。
一種の未練といおうか、いやだいやだと愚痴をこぼしながら何とか事業を継続して来た半世紀=音子であり、さらに言えば、事業=音子の歴史でもあるのだから……。
子どもたちには後片付けの労をかけることになるが、嵩としては、全部合わせてもゴミ袋の半分にも満たない量なのだから、ここは親の最後の甘えとさせてもらおう。
🪲
かくて、今朝もまた目の前を、何十冊ものスケジュール帳のピンクの背が行ったり来たりしているのだが、アップついでに背筋をぎゅうっと寄せながら、音子は思う。
国際線のパイロットをリタイアして無医村に移住した知人、または生来の虫好きが嵩じ、いまやカマキリの着ぐるみのテレビ番組を持つに至った俳優の香川照之さん。
あんな感じでいいのかな? 丸っこい甲虫のようなドクターヘリはどんな場所にも降りられる。これからのわたしも、柔軟な昆虫であっていいよね。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
ドクターヘリは甲虫 🚁 上月くるを @kurutan
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