平和への貢献

結騎 了

#365日ショートショート 053

 この道、三十年。人気声優として活躍する土屋つちやまことは、その日、防衛庁を訪れていた。

 どこの誰からであっても、決して仕事の依頼を断らない。彼のスタンスは業界でも有名であり、大御所アニメーション監督の新作から大学生の自主製作映画まで、知名度や用途に関わらず多彩な仕事をこなしていた。しかし、まさか防衛庁からお声がかかるとは。それも、収録の詳細は現地でしか伝えられないというではないか。土屋は、緊張しながらも所定の入館手続きを済ませた。喉を軽く鳴らしながら、案内されたスタジオに入る。

 六畳ほどの簡易スタジオには、マイクや機材など、一通りのものがそろっている。そして、白髪交じりで白衣を着た、いかにも博士然とした男が待ち構えていた。

「やあ、あなたが土屋さんか。今日はよろしく頼みます。私は、防衛庁特務体制整備部技術主任の、白川だ」

 握手もそこそこに、一冊のファイルが手渡される。

「こ、これは……」

「まずは一通り読んでくれたまえ。もちろん機密事項だ。メモを取ることは許されていない」

 ごくり。土屋は促されるまま応接椅子に腰かけ、震える手で表紙をめくった。


異次元からの侵略者・ノイジラス。彼らが密かに進めてきた日本侵略は、本格的な決行を数ヶ月後に控えていた。それを受け、防衛庁は特務体制整備部を設立。急ピッチでの技術開発や専門チームの人選を経て、ついに来月より、『特整編隊ゴーアタッカーズ』が活動を開始する。治安と正義のために、戦え、ゴーアタッカーズ!


 ……なんだこれは。

 土屋は、この沈黙をどう切り抜けるか、そればかりを考えていた。まるでアニメの企画書ではないか。しかしここは間違いなく防衛庁の一室。壮大なドッキリにしてはあまりに手間がかかりすぎている。

「……驚くのも無理はない。全て、事実だ」

 内心で慌てふためく土屋をよそに、白川博士は重々しく語りかけた。その眼は真剣そのものである。

「よく聞いてくれ。ゴーアタッカーズのメンバーは、次世代テクノロジーを活用した戦闘服を身にまとい、ノイジラスの兵士と戦う予定になっている。そして、戦闘服を迅速に装着するために、専用のブレスを開発した。これを手首に装着し、テクスチャスーツを着込んだ状態で操作すると、自動的に戦闘服が転送される仕組みだ」

 理屈はよく分からないが、言わんとすることは分かる。しかし、それと自分に何の関係があるのか。土屋がそう尋ねようと腰を浮かせた時、白川博士が手のひらを掲げ遮った。

「まあ、待ちなさい。君の仕事はここからだ。先ほどの専用ブレス。名をスターティングブレスというが、その起動音を、今ここで、君の声で収録したいのだ。さあ、ここに原稿がある。マイクはこっちだ。立ちたまえ」

 ぽんと背中を押され、マイクの前に立たされる。土屋の頭は混乱ばかりであったが、彼もプロである。すっ、と気持ちを切り替えていく。仕事を選ばない彼のポリシーは、どんな役柄にも瞬時に集中できる能力を養っていた。

 機材をいじりながら、白川博士が叫ぶ。

「起動コードだ。まずはこれを頼む。ブレスが起動した際に、こう鳴らしたい。it's starting GO!」

 英文としておかしいのではないか。そんな不安を一瞬で考えなかったことにする。土屋は、原稿を持つ手を固く握り、マイクに向かって叫んだ。

「it's starting GO!」

 これは防衛庁からの依頼、それも国防に関わる仕事だ。特別に渋い声で、大人の余裕を感じさせるものがいい。戦線には緊張感が漂っているのだろう、間違っても派手な声は求められないはずだ。そう考えた土屋は、流暢な英語で起動音を読み上げた。

「ううむ。違う、違うんだなあ、土屋さん」

 しかし、白川博士は不満げであった。

「もっと楽しく、おちゃらけた感じを意識してもらえないだろうか。語尾も、もっと伸ばしてほしい」

「ど、どうして……」

「いいから、私の言う通りに」

 それならば……。土屋は、数年前に演じた舞台役者のキャラクターを思い出していた。彼のように、全てを仰々しく、わざとらしく、やってみよう。

「いくぞ、土屋さん。それっ」

「イッツ!スタ~~~~ティングッ!ゴ~ゥッ!!」

 うわっ、さすがにやりすぎたか。思わず片目を瞑る土屋。しかし、白川博士の顔は明るかった。

「土屋さん、君は最高だ。これだ、私の求めていたものはこれだよ。さあ、次だ。その下の行を続けて演じてくれたまえ。スーツの転送と同時に、今度はそれが流れるんだ」

 土屋に笑みがこぼれたのも束の間、原稿には歌唱の指示が記されていた。

「ちょっと待ってください、白川博士。どうして歌なんですか。異次元からとんでもない奴らが襲ってくるんですよね。人の生き死にがかかっているんですよね。それなのに、どうしてそんな緊迫の最前線で、ブレスから歌が流れなくてはいけないのですか」

 必死の訴えを真顔で受け止めつつ、白川博士はゆっくりと口を開いた。

「いいから。土屋くん、そういうのはいいから。そこの原稿にある通りに、歌って欲しい」

 有無を言わせぬ表情。スタジオに緊張が走り、土屋の背中も汗で湿り始めた。ええい、やってやる。俺を誰だと思っているんだ。土屋誠だぞ。どんな仕事でも、全力でこなしてやる。

 スピーカーから、前奏が流れ出す。ヒップホップのようなメロディだ。足で軽くリズムを感じ、手首のスナップでカウントを取る。それっ、歌うぞ。

「♪特務でGO!整備でGO!ノーサンキューノイジラスでGO!特整編隊~!ゴーアタッカーズでGO~~ぅッ!ガンガンガ~ン!ゴゥゥゥン!」


 数時間後、満身創痍の土屋は防衛庁前の国道を歩いていた。スターティングブレスの収録音声は、全65種。加えて、ブレスに装填するアタッチメントが15種もあり、それぞれに10種の専用音声を内蔵させるとのことだった。白川博士の熱い演技指導を受け、その全ての収録をやり遂げた土屋は、酷使した喉をさすりながらタクシーを捕まえた。「やれやれ、平和を守るのも楽じゃないな……」。

 しかし、この時の土屋はまだ知らなかった。数ヶ月後には、追加のアタッチメント20種、スターティングブレスNEOの70種を超える起動音、新開発ウェポンであるボウエイバスターとボウエイダガーの音声収録が待ち受けていることを。

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