魔王様、猫を飼う

たままる

魔王様、猫を愛でる

 魔王城の前庭。広くなっているところで対峙する影があった。片方は黒い装束を身にまとった男。片方は鮮紅の鎧を身にまとった女性。

 男は世にいうところの魔王で、女性は勇者であった。勇者は剣を抜き放つと、魔王に切っ先を向けた。


「魔王よ! 勝負だ!」

「まぁ待て、勇者よ……」


 魔王が鷹揚に手をあげ、勇者を制止する。


「私はお前の甘言になど乗らないぞ!」

「違う」

「では何だ!」

「うちのネコチャンのおやつの時間だ……」

「は?」


 勇者は一瞬あっけに取られたが、すぐに身構える。魔王ほどの男である。猫だといっているが虎のような危険な獣を飼っていて、それを自分にけしかけようとしているかも知れないからだ

 魔王は懐から小さな水筒のようなものを取り出した。勇者は警戒を強めた。なにかのマジックアイテムだろうか。

 その水筒のようなものを、魔王は勇者のいるあたりに放り投げた。すわ攻撃かと勇者は飛び退る。草の上にその水筒は落ちたが、それだけでうんともすんとも言わない。


「何も仕掛けてはおらぬ。拾うが良い」


 勇者は自分に強化の魔法をかけると、恐る恐る手に取った。水筒の素材は確か東国でタケとか言っていた植物に近い。頭のところにはコルクで蓋がされている。思わずしげしげと眺めていると、彼女の脚に何かが当たるような感触があった。

 見てみると、1匹の猫がスリスリと彼女の脚に頭を擦り付けている。


「さあ、勇者よ。その中身をネコチャンに与えよ」


 勇者は言われるまま、コルクの蓋を外した。魚の匂いが漂ってくる。


「ナウーーー」


 猫が早く早くと鳴きながら立ち上がり、勇者の太ももに前足を置く。勇者がしゃがんで水筒のようなものを傾けると、中からドロリとしたペースト状のものが出てくると、こぼれ落ちないように猫がペロペロと舐め始めた。

 その必死な様子に、勇者は思わず相好を崩した。


「我が魔王軍の補給課が考案した“ちゅるちゅる”だ。我が魔界のネコチャンたちはこれが好物なのだ」

「ほほう……」


 勇者は“ちゅるちゅる”を必死に食べる猫の様子を微笑みながら見ていた。決戦の気配などは微塵も残っていない。


「どうやらおねむのようだな……そこの木にもたれかかって座ると良い……」


 もしかすると、魔法か何かによるものだったかも知れない。勇者は魔王が指差した木の方へと素直に向かい、木を背にして座った。ふわりと吹いてくる風が心地よい。


「ネコチャンが鎧で痛がるといけないから毛布を膝にかけるのだ……」


 魔王の側近らしき女性が毛布を持ってきて、座った勇者の膝にかけると、猫は待ってましたと言わんばかりにそそくさと膝に上がり込み、そこで丸くなった。勇者が何かを言うより前に、猫はすやりと寝息を立て始める。

 なんだかこの状態で立ち上がり、猫を起こしてしまうのも悪いような気がして、勇者は猫の背中をそっと撫でてやる。すると、猫はゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 ポカポカと良い陽気に膝の上から毛布と鎧越しにも伝わってくる猫の体温。そしてその猫の安心しきっている様子に、勇者はうつらうつらとしはじめ、やがてそのまま自分も寝息を立て始めた。


「フフフ……2人とも幸せそうに寝ておるわ……」


 寝入ってしまった2人を見て、不敵に笑う魔王。今彼が攻撃すれば、勇者などはひとたまりもないだろう。魔王は言った。


「よほど疲れていたのだな……しばらく寝かせておくがよかろう……」

「かしこまりました」


 側近は何人かの死霊を呼び出すと、勇者と猫の番を言いつける。その様子に満足そうに頷くと、魔王はゆっくりと、そしてそうっとその場を後にした。


 ◇ ◇ ◇


“魔界”。そう聞いて何を思い浮かべるだろうか? おどろおどろしい空気をまとった沼沢地が随所にあり、地には魔獣や魔物、異形が行き交い、空はドラゴンや蝙蝠が飛び交っている、と言ったイメージであろうか。

 それも概ね間違いではないのだが、ここでは様相が違った。清々しいとすら言える太陽が地を照らす草原では魔獣がのんきに腹を見せて寝転んでいる。

 レッサードラゴンが頂であくびをする山の麓ではサイクロプスやオーガ達が鍬を振るって畑を耕し、感謝を述べる友人のゴブリンに、自分たちは「人一倍」食べるからと笑っている。

 ここではもう何年も大きな戦は起こっていない。魔界の外では人間(ドワーフやエルフたちも含む)の国で争いが起きているのだと聞くが、魔界の内にまで戦火が及ぶことはない。

 辺境は吸血鬼のカトリーヌ・ド・ブラン辺境女伯と“名もなき魔物”大きな一つ目を持つジークフリート・フォン・ベッカー辺境伯ら率いる魔界国土維持軍に守られているからだ。


 魔界には魔界を統べる魔王がいる。ダークドラゴンとダークエルフの混血たる彼は長命であり、魔力も膂力も相当なものがあった。双方の長から薫陶を受け、まさしく「魔王になるため」に育てられ、長じて見事魔王となったのだ。

 その魔王には魔界の住人一同が付き従った。魔力の強さを旨とする者、力の強さを旨とする者、あるいは知力、はたまた武の技を競うものもいたが、誰一人魔王には敵わなかったのである。

 そんな彼が今、エルダーリッチの側近(彼女も身分としては女伯である)と魔王の居城、その玉座の間で何をしているかと言うと……。


「いやしかし、怪我させてしまうのではないのか?」

「お気持ちはわかりますが、大丈夫ですよ。そもそも連れてきたのは陛下でしょうに」

「それはそうなのだが、ううむ」


 1つの木箱を前にしてあたふたしていた。その木箱からか細い声が聞こえる。子猫の声だ。


「ミィィィィ」


 子猫は、カリカリと木箱の内側を引っ掻いた。


「ほら、寂しがってますよ」

「う、うむ……」


 魔王はダークドラゴン譲りの鱗に覆われた手で、そっと木箱の中の子猫をすくい上げる。ふわふわの毛玉のような子猫は、てしてしと魔王の手のひらを叩いた。厳しい魔王の表情が緩んだ。


「……猫とは可愛いものであるのだな」

「アルスタイン卿は15匹も飼ってますよ」

「あやつは確かミノタウロスでは……?」


 魔王は牛頭の配下の姿を思い起こした。二の腕の太さだけで普通の人間の胴回りほどもありそうな男で、身の丈も大きい。魔王もドラゴンの血ゆえか2メートルの大身丈を誇るが、それよりも更に大きかった。サイクロプスやオーガ、あるいは他の巨人族たちに文字通り比肩する身体の大きさの男である。

 その彼が15匹の猫に囲まれて暮らしていると言うのだ。そのギャップに魔王は少しめまいを覚えた気がした。


「殊の外可愛がっておられるようで、よく領内の子どもたちが館に遊びに来るそうです」

「ううむ、そう聞いては咎めるのも気が引けるな。仕事はちゃんとやっておるわけだし……」


 アルスタインの治める領地は治安も良く納める税も多い。多少、厄介事になりそうなときは真っ先に馳せ参じる忠義心も持ち合わせている。それならば多少の好き勝手は許されるべきだろう。

 領民の子どもたちからの人気も高いのであれば尚更である。大人の中には思うところある者もいるだろうが、子どもに好かれていると言う人物を悪しく思うものはそう多くはあるまい。魔王はそう思った。


「あっ。ど、どうしよう!?」


 魔王はあまり大きくない声で狼狽える。側近が魔王の手を見ると、子猫が魔王の指をガジガジと甘噛みしつつ、ウトウトしはじめている。今にも寝てしまいそうだ。


「木箱に戻すと起きてしまいそうですね」

「う、うむ……」


 側近の言葉に、やはり小さな声で答える魔王。キョロキョロとあたりを見回す彼の目に、玉座が目に入る。


「そ、そうだ」


 そっとそっと、薄いガラスの芸術品を運ぶかのように子猫を運び、普段ならすぐにたどり着く距離にたっぷり時間をかけて、魔王は玉座にたどり着く。

 魔王はやはりそっと玉座に座ると、手のひらの上ですっかり寝息を立てている子猫をそっと膝に下ろした。今は幸いにも鎧など硬いものを着込んではいない。

 これなら硬くて子猫が嫌がることもないだろう。一瞬むずかるように身体をグネグネさせたので、起こしてしまったかと冷や汗をかいたが、子猫は寝返りをうつだけで、すやりと穏やかな寝息を立てる。


 魔王は子猫を起こさぬよう、小さく小さく、しかし長くため息をついた。

 膝の上の小さな命。これはひょんなことから自身が保護することになってしまったものだ。為政者として多くの民の命を預かることはしてきたが、小さな命1つと向き合い、それを守り育むのはそれなりに長く生きてきた中でも初めての経験である。

 これからどんなことが待っているのだろうか、そう考えながら魔王は膝の上の小さな命が、再び寝返りをうつさまを微笑みながら眺めているのだった。

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