第3話 掌を翳す少女3



「・・・雄一さんと出会う為の手助け、ですか?」



恵理子は唖然として握りこぶしを作っている女性教師を見上げた。


この先生は本気で言っているのだろうか?


ポカンとした顔で自分を見上げている恵理子に彼女は言った。



「そうよ!それで貴女に聞いておきたい事があるんだけど」



逆に質問をされて恵理子は戸惑った。



「は、はい」



「貴女と雄一さんの間に何があったのかもう少し詳しく教えて欲しいの。できる範囲で良いから。この部屋は完全防音になってるから貴女の喋った事が外部に漏れる事は無いわ。勿論、わたしは口外しない。それと」


彼女は机の下に手をやって何かのスイッチを押した。



パチリ



スイッチが押される音がした。


「なんですか? 今のは?」


恵理子は彼女に尋ねる。


「盗聴器、じゃ無くて録音機よ。そのスイッチを切ったの」


「ここでの会話は録音されてたんですか?」


驚いた顔をしている恵理子に向かって彼女は椅子に座って悠然と言う。


「そうよ、考えてもみなさい。進路を決めるのはとても重要な事なのよ。その生徒のこれからの人生を決めてしまうくらいに。わたしは生徒が本当にその進路を望んでいるのか? その進路はその生徒にとって最善なのか? それを見極める為に録音した内容を家に帰ってから聴き直して考えるのよ。あ、これは他言無用ね」


そう言って彼女は薄いルージュの唇に人さし指を当てて悪戯っぽく微笑む。


「・・・先生は本当に生徒の事を考えてくれているんですね」


恵理子は自分の中にあった迷いが消えていくのを感じた。

この先生は本当に信頼できる。

そして、雄一との事をかい摘みながらもありのままに話した。


「・・・なるほどね。ありがとう、話してくれて」


優しく微笑む彼女を見て恵理子はホッとした顔になった。

そして思った。

あたしは誰かに雄一との事を話したかったのだ、と。


「それじゃ、本題に入るけど」


彼女の口調が真剣さを帯びてきた。

恵理子も身構える。


「貴女は雄一さんを探す為に何か具体的な行動をしたの?」


恵理子は彼女に答えた。


「えっと、まず市役所の総合受付に行ってあの公園にいたホームレスの人達の中で戸籍などが判明していた人が居たかどうかを尋ねました」


「それで? その結果は?」


彼女は畳み掛けて来る。


「随分と待たされましたけど。それは此処では把握していないから、公園を管理している公園緑地課で訊いて下さい、と言われました。その公園緑地課はどこにあるのですか?と尋ねました」


「ふんふん、それで?」


彼女は興味津々という顔で訊いてくる。


「はい、そしたら公園緑地課は都市基盤部に所属していると言われました。それから、貴女が公園にいた不法住居者の戸籍をなぜ知りたいのですか? と尋ねられました」


「なるほどなるほど、それで?」


彼女は面白くなって来た、と言う感じで続きを促す。


「あたしは不法住居者と言う言葉が引っかかりました。それで尋ねました。あの公園の片隅で暮らすのは不法住居なのですか?って」


「うーん」


彼女は腕組みをして考え込む。

恵理子はそんな彼女を見ながら話しを続ける。


「不法住居です、と言われました。あの公園は市の所有地であり、住居は認められません、と」


「まぁ、そうなるでしょうねぇ」


彼女は腕組みをしながらため息をつく。


「そしたら、奥からお父さんくらいの年齢の男の人がやって来て「お時間があるのならこちらでお話を伺います」と言ってあたしを奥にある個室へ案内してくれました」


「まぁ、総合受付に長時間も居られたら向こうも困るでしょうからね」


彼女が相槌を打つ。


「それから、どうなったの?」


「はい。その男の人はとても優しい口調で尋ねて来ました。公園から退去して貰った人達の事をどうしてそんなに詳しく知りたいのですか?と」


彼女は「そういう話になるでしょうね」と呟いた。


「あたしは上手く説明が出来ませんでした。ただ、あの公園内で暮らしていた人の中にどうしても会いたい人が居るのです、としか。男の人は困惑したように仰いました。退去して貰った人達の個人情報はこちらでは記録しておりません。申し訳ありませんが、と。あたしはそれ以上は何も言う事は出来ずに市役所を出ました」


恵理子の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

それを見ていた彼女は椅子から立ち上がりハンカチでその涙を拭いた。

そして恵理子を優しく抱きしめた。


「泣かなくて良いのよ。貴女は頑張ったんだから」


そう言って先ほどのように恵理子の背中をさする。

恵理子は「ありがとうございます」と言ってすぐに落ち着いた。

彼女はそれを見届けてから自分の椅子に座った。


「市役所の対応は仕方がないと思うわ。市役所の人達だって自分の仕事だけで手一杯でしょうから。近隣の住民から苦情が出ていたって言うのなら、その住民。つまり市民の為に動くのが市役所の仕事だから。それからどうしたの?」


恵理子はポツリポツリと話し始めた。


「・・・それからネットで「画家・雄一」で色々と検索してみましたが何もヒットしませんでした」


「わたしの意見を述べさせて貰っても良いかしら」


「はい、お願いします」


恵理子はどんな情報でも良いから第3者の意見を聞きたかった。


「これは仮定だけど。わたしはその雄一って言う名前は本名では無い、と疑ってる」


「えっ!」


これは恵理子にとっては驚くべき言葉だった。

雄一が偽名?

恵理子にはそんな事は想像すら出来ない事だった。


「落ち着いて」


彼女は慌てて言った。


「仮定だって言ったでしょ。もう1つ仮定を言わせて貰うなら、その雄一さんはひょっとしてある程度の評価を得ている画家かも知れない。だけど自分の描く絵に疑問を感じて偽名を使って自分の描くべき絵を模索する為の放浪生活をしているのかも知れない。で無かったら日本中を旅してみたいなんて言えないと思うの。旅をするのに旅費もいるし寒い季節に野宿できる場所が無かったら宿泊施設を利用しなければ凍死してしまうかも知れないでしょ」


恵理子は少し感心しながら彼女の言葉を聞いていた。

そのような発想は自分には全く無かった。

やはり色々な人の意見を聞くべきだと改めて痛感した。



キーンコンカンコーン



学校内に予鈴が響き渡った。


「いっけない、もう校門が閉まっちゃう。わたし達も行きましょう」


「はい」


2人は慌てて進路指導室を飛び出した。




外の景色は夕焼けに染まり始めていた。



恵理子は沈みゆく太陽に掌を翳した。



掌の血管は見えないけど恵理子はこの行為により、いつも勇気を貰っていた。



「これはわたしの女の勘なんだけど」



女性教師は恵理子に言った。



「なんですか?」



振り返る恵理子に彼女は言った。




「貴女は必ず雄一さんと会える。何故なら」




彼女は少し大きな声で言った。




「貴女達が出会ったのは偶然じゃない。必然だと思うから」




恵理子は満面の笑みで答えた。




「ありがとうございます!あたしもそう思っています」




恵理子はペコリと頭を下げると恵理子の事を待っている友人達の所へ駆けて行った。




「そう。必然なんだよ」




そう言って彼女も沈みゆく太陽に自分の掌を翳した。







第1章 終わり




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掌 恵理子ふたたび 北浦十五 @kitaura

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