変人草食エルフと食べる旅の夜営シチュー

綿野 明

変人草食エルフと食べる旅の夜営シチュー



「……は? もう日が傾いてきてるんだけど」


 吟遊詩人の少年が驚きの声を上げ、勇者一行は立ち止まって空を見上げた。時計を取り出すと、まだ「白」の三時。けれど既に空の端の方が金色がかってきている。


「早いな……」

「この緯度の冬であればこんなものだろう」

「お前、それもっと早く言えよ」


 賢者に文句を言うと、彼は眉間に皺を寄せて面倒そうな顔をした。どうせ「この程度も知らなかったのか」とか考えているのだろう。街を出る前に新調した、首周りに毛皮のもこもこがついているマントが全く似合っていない。


 勇者は苦笑いして、早めに夜営の準備を始めるべく、いい具合に雪も風も避けられそうな場所を探してキョロキョロした。街での生活と違って、夜営の日は暗くなるまでに食事を含めた全てを終わらせておくのが大切だ。日が暮れると手元が見えにくくなるし、水汲みや用足しなんかで出歩くのも危険だ。サッと眠ってしまって日の出と共に起き出すのが一番いい。


 大きな木の陰を選んで荷物を下ろす。分厚い梢の常緑樹の下で、地面も乾いている。


「雪が――」

「本格的に降りそうな日は、木の下はダメなんだろ? わかったって」

「雪崩――」

「雪崩の道筋になりそうな場所も避ける。覚えたよ。ここ山じゃないけどな」

「ふむ」


 賢者が少し感心したように頷くのにニヤリと笑みを返し、神官が「拾いました」と持ってきたびしょ濡れの小枝を「ああ……ありがとな」と受け取った。


「もう少し……乾いてる場所から拾えると尚いいな」

「多少濡れていても火に入れれば燃えるじゃないですか」

「まあそうだけど、こういう細い小枝は焚き付けにしか使わないからな……」

「勇者」


 賢者が指差した先には、長持ちしそうな良い太さの枝が転がっている。が、彼は真顔で突っ立ったまま拾おうとしない。潔癖症なので、薪を拾うのは嫌いなのだ。代わりに吟遊詩人が拾ってやっている。


「うえ、虫!」


 しかし彼も、拾い上げた枝の下に大きな黒い虫がいるのを見て放り出した。虫も嫌いな賢者がさっと距離を取り、逆に虫好きな魔法使いがさっと駆け寄る。


「かわいいね……ここで、眠っていたのだね」


 性別不詳な美しきエルフの魔法使いは、月の光のような色の髪をキラキラと輝かせながら、やたら眠たげに間伸びした声で虫に話しかけた。枝を持ち上げ、代わりに落ち葉でそっと埋め直してやっている。


「よしよし……おやすみ」

「もうちょっと拾っててくれ、俺は天幕張るから」

「寝る準備ですか? まだ歩けますよ」

「おい神官、考えてもみろ。雪がちらついてるような森の中で飯も食ってないのに真っ暗になったら」

「おやまあ、そうですねえ」


 ゆったりと目を細めて笑うこの青年は神殿でも奇跡の腕と言われていた天才治療師らしいのだが、いかんせん、医療以外のことはどうしようもない。頭は良いはずなのに、なんというか、生きる力のようなものを根本的に持ち合わせていないのだ。たぶん一人にしたら三日で死ぬと思う。


 ため息をついて荷物から天幕を取り出していると、吟遊詩人が「手伝うよ」と寄ってきた。少し怖がりなところはあるが、この少年だけは勇者のへんてこな仲間達の中でもまともと言えるかも知れない。物知りだが激しい潔癖症で人嫌いの賢者、優秀な癒し手だが体力がなくて何もないところで転ぶ神官、そしてぼんやりしていて変なところしかないエルフの魔法使い――


「針葉樹……木を集めたよ」

「おう」


 呼ばれて振り返る。「針葉樹シダール」というのは薪の材質のことではない。間伸びしたエルフ語訛りの魔法使いが「勇者シダル」のことを呼ぶとこうなってしまうのだ。


 見ると、ぐっしょり湿った小枝の山が雪の上に出来上がっていた。もう半年も旅をしているのに、こいつらはいつになったら旅慣れた感じになってくるのだろうか。一度解体して乾いた場所に動かし、底の方に埋まっていた太い枝を組み直し、仕方がないので魔法で火を熾す。


「燃えた……」

「うん、燃えたな」

「ごはんを……作るよ」

「おう、頼む」


 だがこのぼんやりエルフにも唯一と言って良い特技がある。こいつは料理が上手いのだ。彼(もしくは彼女)が枝と一緒に集めてきたらしい野草やキノコの類を並べ始めると、手元を覗き込んだ賢者がひょいひょいと手を伸ばしていくつかの草をつまみ上げ、背中越しに放り捨ててゆく。


「あ……なんで」


 途端に悲しそうになる魔法使いを、賢者が鋭い目で見る。


「これは毒草だ。これも、これも、これも毒キノコ」

「味見したけれど、美味しかったんだよ……」

「エルフには美味でも、人間には毒だ」

「たくさん取ったのに……」

「蛍光ピンクに黄色の斑点な時点で毒だと判別してほしいよね」


 吟遊詩人が苦笑いで言った。魔法使いが「かわいい色だよ……」と返す。拳より少し小さいくらいの芋をしげしげと観察していた賢者が――土まみれなのでもちろん触れずに――難しい顔で「これは以前に食したことがあるな」と言った。


「……おいしいやつだよ」

「これ、結局何の芋なのか分かったの?」

「新種」


 ボソッと賢者が呟く。妖精が「それなら……名前は『おいもちゃん』にしようね」と言った。


「やめなさい」と賢者。

「どうして?」と魔法使い。

「どうしてもだ」


 不可解そうに首を傾げたエルフがおそろしく危なっかしい手つきで芋の皮を剥き始め、そして案の定ツルッと手から飛んで勇者の顔にぶち当たった。皮が鮮やかな黄緑色で、真っ白な中身がやたらぬるぬるした変な芋だ。返してと手を差し出してくる不器用な友に首を振り、代わりに剥いてやる。


「あ、おい」


 後で一口大に切ろうと置いておいた芋を、魔法使いがどんどん鍋の湯に放り込んでいる。子供の拳くらいある芋が十五個近く、丸ごと入ってしまった。エルフは周囲の微妙な視線を気にすることなく、ぽいぽいとその上から野草を放り込んでゆく。細い草の先に小さい玉ねぎみたいなのがついたやつ、なんだかわからない黒っぽい葉っぱと緑の葉っぱ、白っぽいキノコ、ボコボコした黄色い木の根をみじん切りというか、めちゃくちゃに細かく切ったもの。毒草が混ざっていないか賢者が見張っている。そこに投入される謎の白い四角い物体。


「……今何入れた?」

「街で……買ったやつ」


 エルフはのんびり答え、小さな紙袋にぎっしり同じ四角が詰め込まれているものを見せてくれた。匂いをかいでみる。ミルクのような匂い。


「何だこれ?」

「固形……の、ミルク。溶かして使うのだって」

「は?」


 鍋の方を見ると、確かに湯の色が牛や山羊の乳のような乳白色になっている。魔法使いはそこに塩や胡椒、それから勇者が名前を知らない香辛料の粉を何種類かぱらぱらとつまみ入れ、そして最後にナイフでチーズを削いでぼちゃんと入れた。跳ねた湯が手にかかったらしく「……熱っ」と一拍遅れて怯んでいる。こんなに何もかも下手くそな感じなのに、なぜ味付けはちゃんとできるのだろうか。


「あ、美味しそうな匂い」


 吟遊詩人が目を丸くする。確かに、肉や魚も入っていないのに、ふんわりと甘いミルクとチーズ、そして複雑な植物と香辛料の香りを含んだ旨そうな匂いが漂ってきた。


「お前……草食なのにこんなにたくさん、ええと、その固形ミルクとやらを入れて大丈夫なのか? チーズも。肉は量食ったら腹壊すんだろ?」


 ふと心配になって尋ねると、エルフは少し困惑したように長い耳を寝かせて勇者を眺め、そしておずおずと口を開いた。


「鹿も羊も……哺乳類だよ」

「は?」

「ミルクを飲んで、育つんだよ」


 どこか憐れむように見られている気がするのは気のせいだろうか。勇者はしばし眉を寄せ、そして言った。


「つまり……草食動物の乳なら大丈夫ってことか?」

「うん……猫のミルクは、飲めないよ」

「あ、そう……」


 沸騰したところで薪をいじって静かな熾火おきびにし、ゆっくりと煮込む。一時間経たないくらいで、混ぜる匙から滴り落ちる雫がもったりと、とろみのついた光り方になってきた。芋のぬるぬるが汁に滲み出している、のだろうか。


 そろそろ食えそうなので、保存用に硬く焼きしめられたパンを一切れずつナイフで削いで配り、エルフ以外に干し肉を切り分け、コポコポ小さな泡と共に揺れる鍋の中身を椀によそう。黒い染料で細く炎のような模様が描かれた木製の腕と匙は、暇な夜に勇者が作り溜めたものだ。あたたかな食事が行き渡ったら、神官の祈りに合わせて皆で胸に拳を当てる。


「大地と豊穣の神テールよ。我らは与えられし地の恵みに感謝を捧げると共に、その恵みに値するものとして生きることを誓います」


 神官の後に続いて、仲間達も声を揃える。


「──感謝を捧げ、清い生を誓います」

「この食卓に、あたたかな愛がゆきわたりますように。ユ・アテア=ティア・ハツェ」

「――ユ・アテア=ティア・ハツェ」


 歌うような古語の詠唱を終えるなり、勇者はさっそく匙を引っ掴み、寒空に湯気を立ち昇らせているシチューを口に入れた。


「あ、うまい」

「ほんと?」

「おう、食ってみろよ」


 とろりとしていて、ミルクをそのまま飲むよりも甘いような、それでいてよく味わえば甘さよりは塩気と旨味の方が僅かに濃い。チーズのお陰だろうか。


 けれど勇者が感嘆したのは汁よりも、ねっとりとした食感の芋の方だ。匙で軽く切れるくらいにやわらかく、甘いミルクを絡め取って纏わりつくような、けれどスッと飲み込めるなめらかな舌触り。以前同じ芋を焼いた時も美味かったが、こっちの方が丁寧で完成した味に感じる。


 やわらかな味わいの隙間を縫って時折ぴりりとするのは、不揃いに細かく切られた黄色い木の根。見かけはだいぶ巨大だったが、味は生姜に近いかもしれない。ぷちりと噛み潰すと、ツンとした爽やかな香りが鼻を抜ける。


「優しいというか……眠くなる味だね」

「よく眠れそうですね。けれど香り高くて濃厚で、ちっとも飽きません」

「また作ってよ、これ」

「……ん?」


 魔法使いは聞いていなかったのか、無表情のままゆっくりと首を傾げた。シチューを食べるより、こいつを眺めている方が眠くなるかもしれない。


 合間に燻製した干し肉を噛む。長く保存するための塩気の強さ、強い煙の匂い。交互に食べると眠たい味を引き締める。


「肉が入ってなくても美味いんだな、シチューって……」

「勇者は肉好きすぎでしょ」

「いやそうじゃなくて、味の深みっていうか」

「眠くなってきました……」

「あ、おい。ここで寝るな」


 うつらうつらし始めた神官を叩き起こして天幕へ追いやり、いつの間にか拾っていた虫を賢者に見せようとしていたエルフを制止し、干し肉の残りを口に押し込んで、吟遊詩人と後片付けを始める。シチューはまだ鍋に半分弱ほど残っていたので、明日の朝にもたっぷり食べられる。


 勇者はまだ湯気を上げる鍋をにんまりと見下ろし、そして「眠くなる味だ」とか言って次々に就寝の準備を始めた仲間達を思った。


 いつか魔王と対峙せねばならない自分の運命について考えると心が握りつぶされるようだが、このへんてこな仲間達と共に食事を囲んでいると、まだ自分にも愛とか希望とか慰めとか、そういうものがたくさん残されているのだと感じる。


 きっと明日もこの眠たいシチューから締まらない一日が始まるのだろうが、それがいいのだ。このちっとも旅に向いていると思えない、毎日昼寝して読書しておやつを食べているような彼らだからこそ、日々の食事をちゃんと美味しく味わえるのだ。





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